金剛乗と金剛頂経

本格的なタントラ仏教(密教)である「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」は、「初会の金剛頂経」で宣言されました。

広義の「金剛頂経」は、18種の経典の総称で、これを「広本の金剛頂経」とも表現します。
狭義では、その最初の経典である「真実摂経」を指し、「初会の金剛頂経」とも表現します。
この経典は、7C後半、南インドで生まれました。

「真実摂経」は、密教の発展段階では第3段階に当たる「ヨガ・タントラ」に属します。
しかし、広義の「金剛頂経」には、第4段階に当たる経典もあります。

広義の「金剛頂経」に属する主な経典には、「六会」の「理趣広経」があります。
この経典は生得的な快楽を肯定する母タントラにつながる経典です。
また、「九会」は、「母タントラ」に属する「サマーヨガ・タントラ」の原初的経典です。
そして、「十五会」は、「父タントラ」に属する「秘密集会タントラ」です。


<金剛乗、ヨガ・タントラ>

「真実摂経」は「金剛乗」という思想を宣言し、自分たち以前の大乗仏教を「波羅蜜乗(パラミタナーヤ)・通大乗」と呼んで区別しました。
もちろん、「金剛乗」の方が優れているとします。

「金剛」とは、本来は、雷であるインドラ(帝釈天)の武器の「金剛杵」のことです。
「壊すことができない悟りの智恵」を、「金剛杵」で象徴するものです。

「金剛乗」は「真実摂経」が出発点ですが、その後、様々な経典によって発展しました。
「金剛乗」は、「ヨガ・タントラ」クラスの密教だけではなく、「無上ヨガ・タントラ」クラスの密教をも指します。

「ヨガ・タントラ」クラスの「金剛乗」には次のような特徴があります。

主尊は、基本的に「マハー・ヴァイローチャナ(法身大日如来、摩訶毘盧遮那仏)」です。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視します。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏」も特徴とします。

また、「真実摂経」を継承して、五仏・五智など、様々なものを五部(五族)の体系として整理し、悟りの内容を「マンダラ」として表現します。

「マンダラ」は、客観的に言えば、水平軸と垂直軸を持つ元型的な象徴体系です。
尊格を体系的に整理したパンテオンでもあり、宇宙論です。
密教的には、煩悩のない真実の清浄な世界です。
もちろん、「マンダラ」は絵に書かれた平面的存在ではなく、立体的存在です。
絵に書かれた「マンダラ」は、基本的に中央の主尊から見える光景を平面に倒して描いたものです。

密教においては、自分自身を本尊と観想する「我生起」の瞑想が重要ですが、単に尊格の象徴的なイメージ(三昧耶薩埵)を意識的に観想して作るだけではなく、そこに尊格の本質を導き入れるために、「智薩埵」の観法が生まれました。

「智薩埵」は、行者が意図せずに、勝手に動いたりします。

また、姿だけではなく、仏の意識(慢)も伴う必要があります。
そして、無念無相の「空」の認識と同時に行う「深明不二」が目指されるのは「行タントラ」を継承しています。

また、観想だけでなく、手印を結び、マントラを唱えて、仏の「身口意」の3側面の清浄なあり方を体現し、仏と一体化する「三密」を特徴とするのは、「行タントラ」を継承しています。

・身密(羯磨印) :手印
・口密(法印)  :マントラ
・意密(三昧耶印):仏身の観想

「三密」は、元をたどれば、ゾロアスター教の3つの善、「善思」、「善語」、「善行」の影響かもしれません。

「真実摂経」では、「三密」を備えた状態を「大印」と表現します。
ですが、「大印」は、性ヨガの相手となる女性を暗示することもあります。
また、手印を「大印」と呼び、「行為(の観想)」を「羯磨印」と呼び、四印(四密)で考えることもあります。

三密を備えた状態で仏と一体化するだけではなく、各印ごとに仏と一体化する行を行います。

また、観想法としては、鼻先に金剛などを観想する「微細ヨガ」、微細な金剛などを多数、空間に遍満させる「広観」、それらを鼻先に集斂させる「斂観」も生まれました。


<真実摂経>

主尊は「金剛界ヴァイローチャナ」ですが、「法身ヴァイローチャナ」、「マハー・ヴァイローチャナ」、「一切如来」(無始無終で空間に遍満する仏)などとも表現されます。
この主尊は、本来、姿を越えた存在(法身)です。

ですが、マンダラに表現されるような形を持った姿(報身)になった存在になると、「ヴァイローチャナ」と呼ばれます。

「ヴァイローチャナ」は、漢訳では、音訳で「毘盧遮那仏」、意訳で「大日如来」です。
太陽を神格化した存在なので、イラン系宗教の主神の「ミトラ」や「アフラ・マズダ」の影響があるかもしれません。

「金剛界ヴァイローチャナ」は、菩薩形の「金剛薩埵」にも化身します。
さらに、忿怒形の「降三世明王」にも化身し、シヴァ神らを調伏します。 

第一章の「金剛界品」では、一切如来が、成仏前の釈迦に相当する菩薩に、「五相成身観」と呼ばれる瞑想法(成仏法)を教え、釈迦はこれによって成仏します。

「五相成身観」は、5段階の観想法ですので、従来の観法(空の観察)とは異なる行法です。
「月輪のようなもの」→「月輪」→「金剛杵」→灌頂を受け「金剛杵を堅固に」→加持を受け「如来の姿」に、とマントラを唱えながら順次観想をして、自身をヴァイローチャナと一体化します。

従来の止観とは異なる、このような象徴の操作を通して悟れるとする主張は、革命的です。

*「五相成身観」に関しては、姉妹サイトの記事を参照してください。

「五相成身観」は、後に、「五現等覚」や「生起次第」に発展します。

「五相成身観」によって悟った釈迦は、須弥山の頂に降りて、その悟りの内容を37尊の「マンダラ」として示します。
悟りの内容が、四諦や十二縁起、四法印、空などではなく、「マンダラ」であるという点でも革命的です。

「真実摂経」は、様々な存在を、5つの部に対応させ、5部に体系化しました。

・如来部:中央:白:大日如来  :法界性智:智拳印 :仏塔
・金剛部:東 :青:阿閦如来  :大円鏡智:触地印 :金剛杵
・宝部 :南 :黄:宝生如来  :平等性智:与願印 :宝珠
・蓮華部:西 :赤:阿弥陀如来 :妙観察智:禅定印 :蓮華
・羯磨部:北 :緑:不空成就如来:成所作智:施無畏印:羯磨金剛

*最後の項目は三昧耶形です

5部の内、如来部、金剛部、蓮華部は、第2クラスの密教である「大日経」にも存在します。

マンダラの尊格は、5仏、16大菩薩、4波羅蜜菩薩、8供養菩薩、4摂菩薩の37尊です。


五仏は、「大日経」では5大元素と対応づけられていましたが、「摂真実経」では、「五智如来」と呼ばれるように、「五智」と対応づけられています。
5つの内4つの智恵は、唯識思想から取り入れたもので、「阿頼耶識」、「末那識」「意識」「前五識」が転依(浄化)したものです。

4波羅蜜菩薩は、女性の菩薩で、部母と考えられました。
8供養菩薩は、大日如来と4如来が互いに供養する象徴で、供養天女の姿で描かれます。
4摂菩薩は、四方の門の門衛であると共に、人々を招き入れて智恵に導く存在です。

また、37尊の三昧耶形を「陀羅尼(明妃)」、37尊の忿怒形を「明王」、変化観音を37尊が蓮華部の菩薩の変化した姿として、マンダラの中に取り込み、すべてを体系化しました。

それを、通常の姿で描かれ37尊のマンダラである「大マンダラ」以外に、様々なマンダラとして表現しました。

・三昧耶マンダラ:三昧耶(尊格の持ち物などの象徴)の形で陀羅尼である女性尊を描く
・法マンダラ  :禅定する尊格の心臓に金剛など象徴を描く
・羯磨マンダラ :菩薩を供養天女の姿で描く
・四印マンダラ :簡略形
・一印マンダラ :簡略形

最初の4種のマンダラは、「身密(手印)」、「口密(マントラ)」、「意密(観想)」、「作用(供養という行動)」に対応します。

これら6種のマンダラは、マンダラのカテゴリであり、それが各部の尊格として描かれ、「真実摂経」全体では、28種のマンダラが説かれます。
日本でよく知られる九会の金剛界マンダラは、これらを組み合わせを元に作られたものです。

密教(タントラ仏教)の発展段階

<インドとチベットの分類>

「密教」は、仏教がタントラ化したものです。
それまでの大乗仏教との違いを、一言で表すと、自分自身を本尊であると観想する修行(成就法、本尊ヨガ、我生起)を行うのが密教です。

「密教」と言う言葉は、日本仏教で使われる言葉で、インドには、直接対応する言葉はありません。
密教自身の呼称では、「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」か「真言乗(マントラ・ヤーナ)」です。
また、仏教学の用語としては、「タントラ仏教」があります。

日本では、一般に、密教以前の仏教を「顕教」と呼びます。
しかし、密教自身の呼称では、密教以前の大乗仏教を、「波羅蜜乗」と呼びます。

密教の発展段階は、インドでも様々な説がありあますが、代表的には、次のような5段階の分類がなされます。

1 所作(クリヤー)タントラ :儀礼重視
2 行(チャリヤー)タントラ :勤行重視
3 ヨガ・タントラ  :五部の体系化
4 大ヨガ(マハー・ヨガ)タントラ:男性尊・死のヨガを重視
5 母(ヨーギニー)タントラ :女性尊・性のヨガを重視

上記の分類では、いずれも「タントラ」という名称がついていますが、1~3までの経典は実際には「スートラ」という名前のものが多く、実際に経典に「タントラ」という言葉が多用されるようになるのは、4以降です。

「真言乗(マントラ・ヤーナ)」というカテゴリは、2のクラスの経典で生まれた言葉ですが、すべての密教に対して使用可能だと思います。
しかし、4の「無上ヨガ・タントラ」では、「真言乗」という表現を否定する場合もあります。

「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」は、3のクラスの経典(初会金剛頂経)で生まれた言葉で、それ以前の顕教を「波羅蜜多乗(パーラミター・ヤーナ)」と呼び、自分たちと区別し、「金剛乗」の優位性を主張しました。
「金剛乗」は、本来、「金剛頂経」系の密教を表しますので、主に3のクラス以降の密教を指します。

従来、日本には4以降は伝来しておらず、伝統的に1、2を「雑密」、3を「純密」、場合によっては4、5を
「左道密」と呼んできました。
しかし、現代の仏教学では、1、2を「初期密教」、3を「中期密教」、4、5を「後期密教」と呼びます。

チベットでは、インドでの分類を整理しながら、密教の発展を4段階で考えるプトゥンによる分類が有名で、日本でもこれを採用することが多いです。
これは、4、5の両方を「無上ヨガ(アヌッタラ・ヨガ)タントラ」とし、さらにそれを3分類にします。

4A 方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ
4B 般若・母(プラジュニャー・ヨーギニー)タントラ
5  双入不二タントラ

「方便・父タントラ」はインドの「大ヨガ・タントラ」、「般若・母タントラ」は「母タントラ」に当たりますが、それを同格として、その後に、インドの分類にはなかった、両者を統合する「不二タントラ」を置きます。

同じチベットでも、ツォン・カパの思想を継承するゲルグ派は、「父タントラ」を上位に置き、「不二タントラ」を考えないので、下記のような分類になります。

4 般若・母(プラジュニャー・ヨーギニー)タントラ
5 方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ

つまり、父タントラを上位に見る派と、母タントラを上位に見る派、両者を同格として統合する経典を考える派の、3派があったのです。


<プトゥンの分類>

プトゥンの分類に即して、順に簡単に説明します。

1 「所作タントラ」

2C頃に生まれ、息災・招福などの祈祷や儀式を中心にしています。
しかし、瞑想に関しても、「前方生起(自分の前に仏を観想して浄化する)」だけではなく、「我生起(自分を仏として観想する)」などの内面的な瞑想がないわけではありません。
釈迦から教えられた秘密の教えを執金剛が説くのが一般的で、マンダラは、その前形態としての三尊形式があります。

2 「行タントラ」

7C中頃の「大日経」が代表経典です。
祈祷や儀式を内面的に解釈し、悟りを目指すための日々の勤行が重視されるようになります。
瞑想法は、身(印・座法)・口(マントラ)・意(観想)の「三密」として体系化が進みます。
また、「有相ヨガ」と「無相ヨガ」を対比して整理し、本尊の観想と、イメージのない「空」とが、一体となる「深明不二」を目指します。

3 「ヨガ・タントラ」

7C後半の「真実摂経」(金剛頂経初会)に始まります。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視し、「金剛乗」を名乗りました。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏(調伏)」も特徴とします。
主尊は法身大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)です。
五仏・五智など、様々なものを五部(五族)の体系として整理し、悟りの内容がマンダラとして表現されました。
また、マントラをマンダラの諸尊の忿怒形、ダラニを諸尊の三昧耶形に対応させて、体系化しました。
瞑想法としては、マンダラを身体の部位に観想する「微細ヨガ」や、マンダラを広げたり収縮させる「広観・斂観」を行います。

4 「無上ヨガ・タントラ」

8C後半の「秘密集会タントラ」や、「サマーヨガ・タントラ」に始まります。
シッダと呼ばれる僧院外の修行者が重視され、反出家主義、反戒律的傾向が強まります。
無上ヨガ・タントラは、煩悩や欲望を否定せず利用し、また、生得的な欲望を肯定します。
忿怒尊が重視され、異教の神の調伏を行いますが、煩悩の破壊をも意味します。
それは、煩悩や欲望の単なる否定ではなく、浄化、変容、活性化です。
ここに、タントラ・密教が、「活性化の道」、「変容の道」と呼ばれるゆえんがあります。

プラーナの生理学説をベースにした輪廻の理解、意識の階層性の理論が特徴で、「三身修道」による三身の獲得を特徴とします。
行法としては、尊格とマンダラの生滅を観想してそれに一体化する「生起次第」と、生理学的ヨガ(プラーナをコントロールするヨガ)である「究竟次第」の2系列があります。
本尊は忿怒の「父母仏(=合体尊、歓喜尊)」が中心となります。

下位カテゴリである「方便・父タントラ」は、8C後半の「秘密集会タントラ」を代表とする潮流です。
「死の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の冥界王ヤマを調伏する「ヤマーンタカ」を重視します。
死を浄化する「死のヨガ(ピンダグラーハ)」によって「光明」を体験して「空」を理解します。

「般若・母タントラ」は、9C以降の「サマーヨガ・タントラ」、「ヘーヴァジュラ・タントラ」、「サンヴァラ」系タントラを代表とします。
母タントラは、「性・生命力の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の生命力を象徴する女神を調伏する「ヘールカ」が本尊で、女性忿怒尊も重視します。
受胎を浄化する「性のヨガ(ビンドゥヨガ)」によって「大楽」を体験して「空」を理解します。

「不二タントラ」は、父・母の両タントラを統合したもので、基本的に、10~11Cに成立した「カーラチャクラ(時輪)タントラ」を指します。
全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。

「無上ヨガ・タントラ」の詳細に関しては、別項をご参照ください。


<ニンマ派の分類>

チベットのニンマ派は、独特の分類をします。

上記のインドで分類の4「マハー・ヨガ」、5「ヨーギニー・タントラ」、チベットのプトゥンの分類の4「無上ヨガ・タントラ」を、すべて「マハー・ヨガ」と呼びます。
そして、独自の観点から、ニンマ派のみが伝承する、より上位なものとして、5「アヌ・ヨガ」、6「アティ・ヨガ」を立てます。

4 マハー・ヨガ :順を追って形をイメージする観想、到達する境地はマハームドラーと同じ
5 アヌ・ヨガ :本質を重視して一挙にイメージする観想、到達する境地はゾクチェンと同じ
6 アティ・ヨガ :観想は行なわず、自然に清浄な現れが生まれるようにする

「アヌ・ヨガ」、「アティ・ヨガ」を上位に置くのは、根源的な意識は本来的に悟っているので、意識的な瞑想方法を行わないものほど評価しているからです。
ただし、「アティ・ヨガ」は、「ゾクチェン」とほぼ同じですが、密教的な方法を使い、段階を追って進む道という点で、純粋な「ゾクチェン」とは区別ができます。

タントラの身体論

タントラは、肉体ではない霊的なレベルでの身体論・生理学を生み出しました。
これに類したものは、オリエントやヨ-ロッパの神智学にはありませんが、中国にあり、相互に影響関係があったと推測されます。

ただし、身体(心身)を3つの階層性として、「粗大身/微細身/原因(極微)身」で考えることは、バラモン哲学など、タントラ以前からの伝統を継承していますし、これは、「霊(ヌース)/魂(プシュケー)/体」というオリエントの神智学と共通します。

しかし、タントラの霊的身体論は、身体的の構造論でもあり、また、死→死後生(中有)→誕生という輪廻のプロセスを解明する理論でもありました。
また、修行や医療の基礎理論にもなりました。

霊的身体論は、身体的な修行法と一体です。
様々な器官は、そのように存在するというより、そのように観想して操作するためのものです。
つまり、客観的存在というより、主観的・操作的存在です。

修行法としては、「ハタ・ヨガ」や「クリヤ・ヨガ」と呼ばれる、座法やプラーナ(気)のコントロール、観想やマントラ(秘音)を重視したヨガが生まれました。
後期密教においては、これらは、「生起次第」と「究竟次第」という形で体系化されました。


タントラの霊的生理学の構成要素は、微細で流体的な力である「プラーナ(生命風)」、その流路である管脈の「ナーディ」、中枢的な器官である「ビンドゥ(ティクレ、点、心滴)」、「チャクラ」、プラーナのエネルギーである「クンダリー」と「アムリタ(甘露)」などです。

ただし、具体的な構造などに関しては、時代、宗派、経典によって様々です。


<プラーナ(ヴァーユ)>

「プラーナ(チベット語で「ルン」、漢訳は「風」、「気」)」は、それが流れる場所によって、名前、性質が異なります。
ですが、ひっくるめた総称としても「プラーナ」という言葉が使われることもあり、それ以外では、「ヴァーユ(風)」、「ヴァータ」という言葉も使われます。

・プラーナ:心臓周辺を流れ、呼吸に関わる、通常は上向きに流れる
・アパーナ:肛門周辺を流れ、排泄に関わる、通常は下向きに流れる
・ヴァーナ:身体全体を流れ、すべての運動やエネルギーに関わる
・サマーナ:へそ周辺で消化に関わる
・ウダーナ:頭部及び手足を流れ、知覚や思考に関わる

以上の「五風」が代表的なプラーナです。

行法においては、上向きに流れる「プラーナ」を下に押し下げ、下向きに流れる「アパーナ」を押し上げ、「サマーナ」の流れるヘソ下の部分に合流・圧縮する(瓶ヨガ)ことが、重要な方法となります。

また、後期密教では、プラーナは流れる場所で微細さが異なるとします。
一般のナーディを流れるものは「粗大なプラーナ」、中央管を流れるものは「微細なプラーナ」、ビンドゥの中は「極微のプラーナ」とされ、それぞれが意識の微細さに対応します。


<ナーディ>

ヴァーユが流れる脈管の「ナーディ」は「蓮の茎」が原義です。
大小多数のナーディがあり、ナータ派ではその数は7万2千と言われ、へそ下の「カンダ」に発するとします。
主要なものは、ナータ派は10、シュリー・クラ派では14など、いつくかの数え方がありますが、最も主要なものは、中央管、左右管の3本です。

     (ヒンドゥー)  (密教)   (チベット語) 
・中央管:スシュムナー:アヴァドゥーティー:ウマ
・左管 :イダー   :ララナー     :キャンマ
・右管 :ピンガラー :ラサナー     :ロマ

中央管は、「ウパにシャッド」では頭頂から心臓まででしたが、ナータ派で臍下までに伸び、シュリー・クラ派で基底部までとなりました。
また、中央管は4重の構造になっていて、外から「スシュムナー」、「ヴァジュラー」、「チトリニー」、「ブラフマ」と呼ぶ説もあります。

左右管は、ナータ派では、臍下部のチャクラに発し、中央管の左右に平行し、シュリー・クラ派では、会陰部のチャクラに発し、チャクラで交差しながら螺旋状に伸びます。
そして、左右の鼻孔、あるいは、眉間や頭頂のチャクラまで至る、とする諸説があります。

後期密教では、各チャクラで中央管に絡みついてそれを締めているとします。
右管は中央管に右巻きで巻き付き、左管は左巻きで巻き付き、チャクラの間は、右管は常に右側、左管は常に左側を通ります。
そして、胸にチャクラのみ2回、あるいは、3回巻き付き、他のチャクラは1回巻き付きます。

ちなみに、「ナーディ」は、中国の「経絡」に相当するような存在ですが、「経穴(ツボ)」に存在する概念もインドにはあって、「マルマ」と呼ばれます。


<チャクラ(パドマ)>

「チャクラ(密教の漢訳は「輪」)」は、中央管に沿って複数存在する機関です。
シュリー・クラ派では「パドマ(蓮華)」と呼び、この呼名は仏教でも使います。

ヒンドゥー系では、チャクラは、クンダリーを通過させるなどして、チャクラを活性化すると回転し、また、それぞれに対応する機能が高められるとされます。
一方、後期密教では、チャクラは、脊髄とは垂直に放射状に伸びるナーディとされ、頭頂と胸のチャクラの脈管は傘の軸が下向いているように、喉と臍のチャクラは上向きになっています。
左右管が中央管を締め付けているため、それをゆるめると、チャクラから中央管の中にプラーナを流入させることができるとします。

仏教では、経典によって4~6つのチャクラを数えます。
それに対して、ヒンドゥー教では、一般に7つのチャクラがあるとされますが、決して伝統的に7に決まっていたわけではありません。
ウパニシャッドには、詳しい記述はなく、経典によって数も異なります。
10-11Cの「クブジカー・タントラ」は、7つのチャクラを説きます。
ですが古くから、多数のチャクラが数えられ、主要なチャクラに関しても、7つとは限りません。

ハタ・ヨガを生み出したナータ派の初期の文献では、細かく数え上げると頭頂のチャクラより上の頭上の6つを含め、全部で28を数えます。
その開祖的人物であるマツェーンドラは、主要なチャクラを8つとします。
最初のハタ・ヨガ経典であるナータ派の「ゴーラクシャ・シャタカ」でのチャクラとその対応は下記の通りです。

(部位)(チャクラ)  (元素)(種字)(神)
・頭頂:マハー・パドマ :虚空 :ハ :破壊のシヴァ
・眉間:名称無表記   :風  :ヤ :イーシュヴァラ
・口蓋:ランピカー   :火  :ラ :ルドラ
・喉 :ヴィシュダ   :水  :ヴァ
・心臓:アナーハタ   :土  :ラ
・臍下:マニプーラ   
・性器:スワディスターナ
・基底:アーダーラ

最初にインド人によって英訳されたハタ・ヨガ系経典は、シュリー・クラ派の「シヴァ・サンヒター」で、この経典は、初めてチャクラを体系的に説きます。
そのチャクラの数が7つで、細かく見ると9つです。

世界的に7チャクラ説が広がったのは、この翻訳と、ジョン・ウッドロフの「サーペント・パワー」がヒットや、神智学協会のリードビターの書作の影響が大きいのかもしれません。
神智学のバックボーンには、オリエントの神智学の影響があります。

7つのチャクラは、主宰神、動物、元素、梵字、色などとも対応付けられるようになり、7部の象徴体系になりました。

「シヴァ・サンヒター」における7チャクラの体系的対応は下記の通りです。

(部位)(チャクラ)   (弁数)(種字)
・頭頂:サハスラーラ   :1000弁
・眉間:アージュニャー  : 2弁 :OM
・喉 :ヴィシュダ    :16弁 :HAM
・心臓:アナーハタ    :12弁 :YAM
・臍下:マニプーラカ   :10弁 :RAMEN
・性器:スワディシュターナ: 6弁 :VAM
・会陰:ムーラダーラ   : 4弁 :LAM・KLIM

頭頂のサハスラーラ・チャクラは、「ブラフマランドラ」とも呼ばれますが、これは一つのチャクラ・場所ではなく、複数のチャクラ・場所をまとめた表現であるとされ、下記のような3つのチャクラから構成されます。

(部位)  (チャクラ)        (ナータ派)
・頭上:ビンドゥ(ドワーダシャーンタ):コールハタ
・頭頂:ナーダ            :アムリタ(ランピカー)
・額 :シャクティ(トリヴェーニー) :トリヴェーニー

頭上の「ビンドゥ・チャクラ」は、シヴァ神のいるカイラス山とも表現されます。
ちなみに、ナータ派では、「コールハタ・チャクラ」です。
頭上というのは、クンダリーを上昇させて頭頂で止めずに抜け出させた時、ここに至るとするのです。

頭頂の「ナーダ・チャクラ」には、「カンダ」があり、その中に「ヨーニ」があり、トリプラ女神がいるとされます。
ここには、「チャンドラ(月)」もあり、つまり、「アムリタ(甘露)」の源です。
ナータ派では「アムリタ・チャクラ」、「ランピカー」と表現し、細かくは、さらにこの下に「チャンドラ・チャクラ」があるとします。
また、このチャクラは、「ソーマ・チャクラ」、「チャンドラ・チャクラ」、「マナス・チャクラ」、「カーラ・チャクラ」、「ララナー・チャクラ」など多数の異名を持ちます。

額の「シャクティ・チャクラ」は、「梵孔(アーダーラ)」とも呼ばれ、チトラー女神がいるとされます。
ナータ派は「トリヴェーニー・チャクラ」と呼びます。

眉間の「アージュニャー・チャクラ」を「ブラフマランドラ」と呼ぶこともあります。
ここにも、シヴァ神がいるとされます。

心臓の「アナーハタ・チャクラ」は「フリダヤ・チャクラ」とも呼ばれ、秘音(ナーダ音)を発していて、これを聴く瞑想が行われます。
ここは、二元性を克服するチャクラとも言われ、また、ここにアートマンがあるとされます。

臍下の「マニプーラカ・チャクラ」は、消化の火(サマーナ)を司るとされます。
ここには生命力(アムリタ)を消費する「スーリヤ(太陽)」があります。

クンダリーのいる場所は、ナータ派では臍下の「マニプーラカ・チャクラ」、シュリー・クラ派では会陰部の「ムーラダーラ(アーダーラ)・チャクラ」ですが、ここは「カンダ」、「ヨーニ」がある(である)とも言われます。
「カンダ」は「球」であり、クンダリーを運ぶハンサ鳥の卵、ヴァーユの源です。
そして、「ヨーニ」は三角で表される子宮です。

後期密教においては、頭(眉間)、喉、心臓、臍下の4輪説が有力ですが、「大日経」は頭頂部を加えた5輪説、「カーラチャクラ・タントラ」は会陰部(秘密処)を加えた6輪説です。

4輪説が有力なのは、「四空説」と対応づけることを重視したからでしょう。
頭(眉間)部は「大楽輪」、喉部は報身の「受用輪」、心臓部は法身の「法輪」、臍下部は変化身の「变化輪」です。

(部位)(チャクラ)(弁数)(向き)(マントラ)(元素)
・頭部 :大楽輪  :32弁:下向き :HAM   :風
・喉  :受用輪  :16弁:上向き :OM   :火
・心臓 :法輪   : 4弁:下向き :HUM   :水
・臍下 :变化輪  :64弁:上向き :AM   :地
・会陰 :守楽輪  :32弁:下向き


<グランディ、リンガ/シャクティ>

3つのチャクラ(のある部分の中央管)には、「グランディ」と呼ばれる結び目があります。
上から、眉間部の「ルドラ」、心臓部の「ヴィシュヌ」、会陰部の「ブラフマ」の「グランティ」です。
これは、クンダリーが通る上の障害となっているため、それをゆるめておく必要があります。

また、同じ3つのチャクラには、リンガ(シヴァ神の現れ?)とそれに対応するシャクティがいるとされます。

リンガは、眉間部に「トゥリーヤ(第四状態)・リンガ」、心臓部に「パーナ(矢)・リンガ」、会陰部に「スワヤンブー(自生)・リンガ」です。

そして、シャクティは、眉間部に「パラー(至高)・クンダリニー」、もしくは「アクラ(月)・クンダリニー」、心臓部に「チット(心)・クンダリニー」、もしくは、「太陽のクンダリニー」、会陰部に「プラーナ・クンダリニー」、もしくは「クラ・クンダリニー」です。

 (チャクラ) (グランディ)(リンガ)  (シャクティ)
・アージュニャー:ルドラ  :トゥリーヤ :パラー・クンダリニー
・アナハタ   :ヴィシュヌ:パーナ   :チット・クンダリニー
・ムーラダーラ :ブラフマ :スワヤンブー:プラーナ・クンダリニー


<クンダリー(クンダリニー、チャンダリー)>

「クンダリー」の初出は、7Cの仏教経典の「陀羅尼集経」における「軍茶利明王」です。
「軍茶利明王」は女神で、甘露と関係しています。
ヒンドゥー教における初出は、10-11Cの「タントラ・アーローカ」です。
「クンダリー」の原義は不明ですが、おそらく、火の性質を持った生命力・創造力のシャクティで、女神でもあり「クンダリニー」とも表現されます。

「クンダリニー」は「火壇(クンダリ)処の女神」という説があります。

一般に、「クンダリー」は、会陰のチャクラのある場所に眠るエネルギー(アパーナ)とされます。

「クンダリー」は、とぐろを三巻半巻いた蛇に喩えられ、中央管の下の口をふさいでいます。
これを覚醒させて、頭頂、あるいは頭上まで上昇させることが目指されます。

ですが、ナータ派では、臍下のチャクラのある場所に、とぐろを八巻きしているとされました。

後期密教では「チャンダリー(チベット語で「トゥモ」)の火」、「智恵の火」と呼ばれ、臍下にあるとされるので、ナータ派との近さを感じさせます。

目覚めたばかりの荒ぶる「シャクティ」を「カーリー」、コントロールされるようになった「シャクティ」を「ドゥルガー」と呼ぶこともあります。
そして、「クンダリニー」が頭頂のサハスラーラ・チャクラに登ることを、「シャクティ」と「シヴァ」の合一と考えます。
これは、神話的には、宇宙創造時への回帰でもあります。

本来、クンダリーの上昇は、火壇における炎(護摩の火)のイメージだったのでしょう。
また、鳥(ハンサ鳥)に乗って飛翔する姿でもイメージされます。


<ビンドゥ(ティクレ)、チャンドラ/スーリヤ>

ビンドゥ(チベット語は「ティクレ」、漢訳は「点」、「心滴」)」は、霊的な身体の核に当たる存在で、そこから生命エネルギーが生まれます。

後期密教においては、「ビンドゥ(ティクレ)」は、一般に、頭頂、心臓、臍下に3つ存在し、それらの意味がしっかりと体系化されています。

ですが、ヒンドゥー・タントラにおいては、「ビンドゥ」という言葉は様々に使われ、霊的な身体の核に関しても様々な説があります。

「ビンドゥ」という言葉の原義は、梵字のオームの上にある点で、それ以外に、シヴァ神の象徴であったり、性ヨガにおける「精液」の象徴表現だったりします。

霊的身体の核は、一般に、頭部の「チャンドラ(月)」と、臍下の「スーリヤ(太陽)」の2つとされますが、その中に「ビンドゥ」があるとか、あるいは、それらの場所や名称には各種の説があります。

例えば、「サハスラーラ・チャクラ」内に「ビンドゥ」があるとか、あるいは「チャンドラ・(チャクラ)」や「アムリタ・チャクラ」内に「ビンドゥ」があるとされます。

また、「アナハタ・チャクラ」の中にも「ビンドゥ」があり、そこにアートマンがいるとも言われます。
「ビンドゥ」は秘音「ナーダ」の根源で、それが消え入るところとされることもあります。

後期密教では、下のような3つの「ビンドゥ」があるとします。

・不滅のティクレ       :胸のチャクラにあり、輪廻する極微な心・風がある
・白いティクレ(化作の心滴):頭頂のチャクラにあり、父親に由来する
・赤いティクレ(秘密の心滴):臍下のチャクラにあり、母親に由来する

ただし、「カーラチャクラ・タントラ」では、眉間にもあるとします。
また、観想においては、鼻先や男根に、「ビンドゥ」を観想することもあります。

ジュニャーナパーダ流では、3つの心滴が一つに融解したものを「真実の心滴(テニー・ティクレ)」と呼びます。

各「ティクレ」の霊的生理学上の意味については、下の<輪廻の霊的生理学>の項目をお読みください。


<アムリタ、菩提心>

上述した「ビンドゥ(ティクレ)」、「チャンドラ」、「スーリヤ」からは、ヒンドゥー・タントラで「アムリタ(ソーマ、ネクター、甘露)」、後期密教で「菩提心」など呼ばれる生命エネルギーが生まれます。
ヒンドゥー・タントラや医学では、根源的な生命力としては「オージャス」という言葉も使われます。

凝縮した風の一種だと思われますが、「ビンドゥ」の「融解液」などと表現されることもあります。

また、ヒンドゥー・タントラでは、「精液(ビンドゥ)」は「チャンドラ」で作られ、「経血(ラジャス)」は「スーリヤ」で作られるとされます。

後期密教では、頭頂の「ティクレ」が融解したものを「精液」、臍下の「ティクレ」が融解したものを「経血」とも表現し、「チャンダリーの火」を後者と同一と考えます。

ヒンドゥー・タントラでは、「アムリタ」は、「チャンドラ」で作られ、左管を通って下り、全身に回りつつ、臍下部もしくは会陰部の「スーリヤ」で消費されてしまいます。
つまり、人間の生命力は、アムリタとして現れ、それが「スーリヤ」による消化や、性器による性行為によって消費されることで、老化し、死ぬのです。

ちなみに、この考えは、道教の仙道でもほとんど同じです。

それに対して、首の筋肉を締めて(ジャーランダラ・バンダ)、軟口蓋の上方に舌をつける瞑想(ケーチャリー・ムドラー)によって、垂れた「アムリタ」を舌と喉のヴィシュディ・チャクラで受け止めて(飲む)「アムリタ」を消費せずに、全身に回して滋養することができます。

あるいは、「逆行の行(ヴィパリータ・カラニ)」によって、性的エネルギーを「チャンドラ」まで上昇させたり、「チャンドラ」から垂れた「アムリタ」混合して上昇させたりします。
また、性ヨガ(ヴァジローリー・ムドラー)によって「ビンドゥ」と「ラジャス」を混合し、身体を浄化・滋養します。
これらの行は、錬金術的な哲学とも対応しています。

後期密教の行法においては、「白いティクレ」を融解して「菩提心」を垂らしたり、「赤いティクレ」を発火させて上昇させたりします。
そして、両者を混ぜたり、それによって全身を滋養したりします。
また、すべての風を「不滅のティクレ」に流入させることもあります。

そして、頭頂のチャクラに「ヘールカ」がいて、「菩提心」が垂れると、各チャクラにいるダキニと合一すると考えました。
特に、臍下のチャクラの「チャンダリー」を明妃「ヴァジュラ・ヴァーラーヒ(ダキニ)」としました。


<輪廻の霊的生理学>

後期密教では、輪廻のプロセスが、霊的生理学からも説明がなされるようにいなりました。

死に際しては、順に、以下のような現象が起こります。

1 全身のナーディの中のプラーナがすべて左右管の中に入る

2 頭頂の左右管の結び目がほどけて、胸より上の左右管の中のプラーナが中央管に上の穴から入り、頭頂のチャクラの中にある「白い心滴」が胸のチャクラの上まで降りて来る

3 性器の付け根にある左右管の結び目がほどけて、胸より下の左右管の中のプラーナが中央管の下の穴から入り、へそのチャクラの中の「赤い心滴」が胸のチャクラの下まで昇ってくる

4 中央管の中のプラーナが胸に集まり、胸チャクラの上下の結び目がほどかれ、「白い心滴」と「赤い心滴」が「不滅の心滴」に溶け込み、微細な意識がすべて崩壊する

次に、中有のプロセス(死後の霊的存在の期間)です。

5 死後3日ほどで肉体にあった「不滅の心滴」から、「白い心滴」が離れて性器の先から、「赤い心滴」が離れて鼻から対外に排出され、肉体は腐り始める
同時に、不滅の心滴は開かれ、極微の意識とプラーナが外に出ていき、中有の霊的な身体が誕生する

6 霊的な身体は7日ほどの寿命で、7日ごとに死と、中有の体の再生を繰りかえし、最大で7回、49日の間、中有に留まる

次に、受胎のプロセスです。

7 再生を前にした中有の者は、父と母の性行を見ると、どちらかに欲望、一方に怒りを感じながら、中有の身体は死に、母の子宮に入る

8 父と母は、性行によって、それぞれ、「白い心滴」、「赤い心滴」が放出され、子宮の中で混ざって「不滅の心滴」となり、そこに中有の者の意識が入り込む

9 「不滅の心滴」から順次、中央管、左右管、全身の脈管、肉体が作られていく
また、「不滅の心滴」から一部が頭頂と臍下のチャクラへと分かれて行き、「白い心滴」、「赤い心滴」になり、それぞれが全身を滋養する

最後に、誕生のプロセスです。

10 誕生時には、4人の女尊が歌を歌い、中央管に中に入って覚醒を促すと、中央管に中にあった主要なプラーナが、中央管の外に出て、この時、赤ちゃんは呼吸と、知覚を始める