ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494)は、フィチーノと並ぶイタリア・ルネサンス思想の代表人物です。
彼は、プレトン、フィチーノがもたらした「古代神学」に、カバラを付け加えました。
実際のカバラは中世に生まれたものですが、彼はそれがモーゼに由来する秘伝であるとし、カバラがキリスト教の真理を表現していると考えました。
実際のカバラは中世に生まれたものですが、彼はそれがモーゼに由来する秘伝であるとし、カバラがキリスト教の真理を表現していると考えました。
しかし、ピコはフィチーノと違い、「古代神学」がキリスト教の真理の部分的表現とするだけではなく、キリスト教を認めながらも、諸宗教・諸哲学の総合した新しいキリスト教神学を目指しました。
こうして、ピコは、「キリスト教カバラ」、「ヘルメス=カバラ主義」の潮流を生みだしました。
<諸思想の総合>
ピコは、ミランドラに生まれ、フェラーラでアリストテレス哲学や人文学を勉強しました。
その後、フィレンツェで「アカデミカ・プラトニカ」のメンバーと交流を持ち、フィチーノからおそらくプラトン哲学などを学ぶことを勧められした。
しかし、フィレンツェに留まることなく、パドヴァに行き、アヴェロエス主義のアリストテレス派哲学やスコラ学などの研究をします。
そして、フィチーノが「プラトン哲学」を発表した後、フィレンツェに戻りプラトンも研究します。
その後、パリに行き、さらにスコトゥス派やオッカム派のスコラ学を研究します。
その後、フィレンツェで「アカデミカ・プラトニカ」のメンバーと交流を持ち、フィチーノからおそらくプラトン哲学などを学ぶことを勧められした。
しかし、フィレンツェに留まることなく、パドヴァに行き、アヴェロエス主義のアリストテレス派哲学やスコラ学などの研究をします。
そして、フィチーノが「プラトン哲学」を発表した後、フィレンツェに戻りプラトンも研究します。
その後、パリに行き、さらにスコトゥス派やオッカム派のスコラ学を研究します。
このように、ピコは、ルネサンスの思想家としては珍しく、スコラ学やアリストテレス哲学に親しんでいます。
ピコは、1486年、自分の主張を900ほどの命題にまとめ、ローマに様々な学者を招いて討論会を開こうとしました。
ところが、異端的主張があるとして中止となり、パリに逃亡するも幽閉されます。
しかし、メディチ家のロレンツォの援助で開放され、1492年、新しく教皇になった異教趣味のアレクサンデル6世によって、無罪とされます。
ところが、異端的主張があるとして中止となり、パリに逃亡するも幽閉されます。
しかし、メディチ家のロレンツォの援助で開放され、1492年、新しく教皇になった異教趣味のアレクサンデル6世によって、無罪とされます。
また、ピコは1486年頃から、フラヴィウス・ミトリダーテスを介してカバラを学び始めました。
ピコは、カバラも含めた諸思想を総合して、新しい哲学・神学を打ち立てることを目標としました。
ルネサンスの多くの思想家が、反スコラ学的で、アリストテレスよりプラトンを優位に置くのに対して、プラトンとアリストテレスの神学的な一致を説き、スコラ学も含めた総合を目指しました。
ルネサンスの多くの思想家が、反スコラ学的で、アリストテレスよりプラトンを優位に置くのに対して、プラトンとアリストテレスの神学的な一致を説き、スコラ学も含めた総合を目指しました。
<人間観>
彼の主著とされる「人間の尊厳について」は、この討論会のために準備された演説です。
ピコは、世界を次の4つの階層で考えました。
神→天使(ヌース)界→天界→月下・地上界
彼は「人間の尊厳について」で、人間を、自身の位置が決められておらず、自由意志によって、上位・下位の何にでもなれる存在であると主張しました。
そして、人間の最終的な目的は神になることです。
つまり、神は被造物に固有の性質、位置を定めましたが、人間は例外であり、神の除く3つの世界に対して、人間は第4の世界なのです。
そして、人間の最終的な目的は神になることです。
つまり、神は被造物に固有の性質、位置を定めましたが、人間は例外であり、神の除く3つの世界に対して、人間は第4の世界なのです。
これは、人間を「中間的存在」、「結び目」、「ミクロコスモス」とするフィチーノの人間観と異なります。
しかし、後の書では「ミクロコスモ」としての人間観も述べています。
しかし、後の書では「ミクロコスモ」としての人間観も述べています。
ピタゴラスの輪廻思想に関しても、ピコは、人間本性の何にでもなれる不定性の表現と解釈しました。
また、ピコは、自由意志を重視するため、ルネサンスの思想家としては珍しく、決定論的な占星術を否定しました。
また、ピコは、自由意志を重視するため、ルネサンスの思想家としては珍しく、決定論的な占星術を否定しました。
ピコは、人間は観照的な哲学の保護者である智天使を第一の模範とすべきと考えました。
彼は、道徳哲学で魂を浄化し、自然哲学で魂に光を注ぎ、神学で魂を完成させるべきとして、この三学を重視しました。
彼は、道徳哲学で魂を浄化し、自然哲学で魂に光を注ぎ、神学で魂を完成させるべきとして、この三学を重視しました。
<キリスト教カバラ>
ピコは、主に、フラヴィウス・ミトリダーテスを介してカバラを学びました。
フラヴィウスは、ユダヤ人のスペインからの大追放により、イタリアに移住してきたユダヤ人で、キリスト教に改宗しました。
彼は、ヨセフ・ギガティラ、アブラハム・アブラフィアなど多数のカバラ文献を翻訳してピコに渡すだけでなく、カバラのキリスト教解釈を後押ししました。
フラヴィウスは、ユダヤ人のスペインからの大追放により、イタリアに移住してきたユダヤ人で、キリスト教に改宗しました。
彼は、ヨセフ・ギガティラ、アブラハム・アブラフィアなど多数のカバラ文献を翻訳してピコに渡すだけでなく、カバラのキリスト教解釈を後押ししました。
ピコは、カバラが「古代神学」に一致するとともに、キリスト教の真理も発見できるとしました。
彼は、「イエス(JHESU)」という名が、テトラグラマトンに由来すると主張しました。
彼は、「イエス(JHESU)」という名が、テトラグラマトンに由来すると主張しました。
実際には、カバラは「古代神学」の影響を受けて生まれたものなので、両者に共通性があるのは当然です。
しかし、キリスト教との共通点については、ほとんど具体的なことは語っていません。
しかし、キリスト教との共通点については、ほとんど具体的なことは語っていません。
ピコのキリスト教カバラは、「驚くべき言葉について」、「カバラの術について」などを著したヨハネス・ロイヒリン(1455-1522)が継承しました。
<ヘルメス=カバラ魔術>
ピコは、カバラを「実践カバラ」と「思索カバラ」に分けます。
前者は「諸々の名の道」と表現される「結合術」です。
後者は、「セフィロートの道」と表現される「自然魔術」で、その最高部門とされます。
ピコにとっての「結合術」は、アブラハム・アブラフィアのヘブライ文字の結合術を、ラテン・アルファベットに置き換えたライムンドゥス・ルルスの術です。
前者は「諸々の名の道」と表現される「結合術」です。
後者は、「セフィロートの道」と表現される「自然魔術」で、その最高部門とされます。
ピコにとっての「結合術」は、アブラハム・アブラフィアのヘブライ文字の結合術を、ラテン・アルファベットに置き換えたライムンドゥス・ルルスの術です。
ピコは、フィチーノ同様、良い魔術と悪い魔術を区別し、良い魔術である「自然魔術」は、自然哲学の実践部門であり、カバラはその最高の部分であるとしました。
「自然魔術」が天界に働きかけるのに対して、カバラは神的次元に働きかけるものだからです。
彼は、「自然魔術」にはカバラによる補完、つまり、天使たちに司らせることが必要と主張しました。
「自然魔術」が天界に働きかけるのに対して、カバラは神的次元に働きかけるものだからです。
彼は、「自然魔術」にはカバラによる補完、つまり、天使たちに司らせることが必要と主張しました。
このようにして、ピコは、カバラを上位に置きながら、ヘルメス主義的魔術と結びつけました。
これは、事実上、カバラなきフィチーノ的魔術の否定でもありました。
これは、事実上、カバラなきフィチーノ的魔術の否定でもありました。
ピコは、10の天球と10のセフィロートを対応させました。
ちなみに、第1セフィラのケテルは、「第一動者(原動天)」と対応させています。
ちなみに、第1セフィラのケテルは、「第一動者(原動天)」と対応させています。
「自然魔術」の根拠に関しては、フィチーノ同様に、「カルデア人の神託」に由来する呪力としての「イウンクス」、「ピカトリクス」に由来する下降する「霊気(スピリトゥス)」の下降、そして、ストア派にとって諸事物を結びつける原理である「シュンパテイア(共感・交感)」としました。
また、フィチーノ同様、オフフェウスは真理を比喩的・詩的に表現した秘儀的神学の創始者とし、その魔術的な力を認めました。
ヘルメス主義とカバラを結びつける魔術は、おそらくはピコが初めてではないでしょうが、一流の思想家によって理論的に結び付けられた意味は大きく、後の西洋魔術の潮流の主流となります。