薔薇十字啓蒙運動

薔薇十字宣言とアンドレーエ」で書いたように、薔薇十字宣言が出された時、薔薇十字団は架空の存在であり、宣言書の制作メンバーだったヴァレンチン・アンドレーエにとっては、それは改革理念の演劇的・喜劇的表現でした。

ですが、宣言書に表現された思想は、時代が生んだ必然でした。
そして、宣言をきっかけにして起こった運動は、17世紀を特徴づける啓蒙運動となり、その後の啓蒙思想や、神秘主義思想に大きな影響を与えました。


<時代背景と著者グループ>

薔薇十字宣言の著者は、チュービンゲンの理想主義者のグループであると推測されています。
そこにはアンドレーエが含まれますが、彼の役割が中心的存在であったか、そうでなかったか、あるいは、ほとんど関わっていなかったかは、分かりません。


薔薇十字の最初の宣言書、「友愛団の名声」が出版されたのは、30年戦争の4年前です。
当時、ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントとの争いが激しく、各国の思惑が複雑にからむ状況がありました。
別項で書いたように、ドイツのプロテスタント勢力は、ファルツ選帝候フリードリヒ5世を支持し、イギリスとのプロテスタント同盟にも期待をしていました。

また、ルネサンス以来の新しい知が発展し、それらによる改革を期待する声が増えていました。
ですが、当時、科学と魔術は一体であり、数学や天文学(地動説)、化学は、魔術の同類と考えられ、特にカトリックからは異端視される危険がありました。 

また、ヨアキム・デ・フィオレが予言した終末と「聖霊の時代」、そして千年王国の到来が迫っていると信じる人が多くいました。


薔薇十字文書が生まれたチュービンゲンは、ルター派神学の中心地で、アンドレーエの親交範囲には、様々な人物がいて、様々なサークルがありました。

ヴァレンティン・アンドレーエ(1586-1654)は、ルター派の牧師・神学者です。
祖父のヤコブはルター派の最高位の神学者で、ルター派の分裂の回避に尽くした人物です。
また、父のヨーハンは、錬金術にも興味を持つ牧師でした。

アンドレーエは、チュービンゲン大学で神学を学び、イギリスの演劇の影響を受けて喜劇を中心にして作家活動を始めました。
薔薇十字文書の「化学の結婚」は、そんな彼が10代に書いた初期の作品です。
しかし、おそらくシュトゥットガルトの宮廷批判が原因のスキャンダル大学から追放され、ヨーロッパ各地を遍歴しました。
しかしその後、「友愛団の名声」が出た1614年には、ファイヒンゲンの副牧師になっています。

1619年には、カンパネッラの「太陽の都」やジョン・ディーの思想の影響を受けた、ユートピア的キリスト教国家を描く「クリスティアノポリス」を出版します。
1620年には、それを実現するために「キリスト者協会」を設立しました。

次に、アンドレーエと親交のあった人物やサークルなどです。

クリストフ・べゾルトは、カバラに詳しく、ケプラーの友人でもあり、カンパネッラの影響を受けた理想主義的な人物でした。
幅広い教養を持った万能人であり、4000冊弱の蔵書を持ち、アンドレーエはそれを閲覧でき、アンドレーエに大きな影響を与えた人物です。

トビアス・ヘス(1568-1614)は、パラケルススに影響を受けた錬金術師的な医師で、ヨアキムの終末論にも傾倒していました。
彼の周りには人が集まり、サークルが生まれていました。
彼は宣言書作成の主要人物であったのではないかと推測されています。

ベネディクト・フィグルスは、パラケルスス主義者で、「新たなる祝福された哲学の薔薇園」を1608年に出版し、彼の周りにもサークルができていました。
この書は「名声」のネタの一つかもしれません。

ヴィルヘルム・ヴェンセは、イタリアのカンパネッラの弟子であり、カンパネッラの「太陽の都」の独訳者であり、アンドレーエの友人でもありました。
彼は、アンドレーエやべゾルトに、カンパネッラ風の学者結社「太陽協会」の設立を持ちかけていました。
後に、アンドレーエの「キリスト者協会」にも参加しました。

他に、アンドレーエの重要な友人に、アブラハム・ヘルツェル、トビアス・アダミらがいました。
アダミは「キリスト者協会」に参加しました。
ヘルツェルは、宣言書作成の主要人物であったのではないかと推測されています。

また、当時、新興のドイツ民族主義の結社が複数存在していて、ドイツ語普及運動を行っていた「豊穣協会」には、アンドレーエが関わっていました。
その「豊穣協会」が関係していた「親友協会」は、錬金術に興味を持った結社で、アンドレーエも会員であったかもしれません。

このように、終末的、改革的な時代のムードの中、チュービンゲンには、理想主義的、神秘主義的な思想を持つ人物、グループが多数ありました。
その中から薔薇十字思想・運動が生まれるのは、自然なことでした。


<薔薇十字の思想のモデル>

薔薇十字文書の思想は、終末論と、科学と魔術が一体となった普遍的な知による、啓蒙的・進歩主義的な社会改革、そして、聖職者、科学者、賢者が治める理想社会です。
それは、反カトリック的なプロテスタントの宗教改革を、ルネサンスのヘルメス・カバラ+錬金術の知によって高めることです。

薔薇十字思想の主なバックボーンは、ジョン・ディー、パラケルスス、カンパネッラでしょう。

ディーは、イギリス・ルネサンスを代表する人物であり、科学技術=魔術の啓蒙者です。
彼はドイツを旅行しており、その際に様々な交流を行っています。
パラケルススは、ローゼンクロイツのモデルの一人かもしれず、パラケルスス派には、キリスト教化された錬金術と、「普遍的知(パンソフィ)」という理念があります。
友愛団のモデルとしては、カンパネッラのユートピア小説「太陽の都」が描く学者の組織があります。

また、友愛団は、カトリックのイエズス会をモデルに、プロテスタントの同様の組織として考えられたという説もあります。
「化学の結婚」では、ローゼンクロイツは白地に赤い十字の旗をかかげて「石の騎士団」となっていますが、これは、ガーター騎士団がモデルでしょう。
また、設立者の神秘的性質から、友愛団は聖杯を守る騎士がモデルになっているという説もあります。

「薔薇十字」という名称に関しては、アンドレーエとルターとパラケルススの紋章に、その両方が含まれているところからつけられたという単純で説得力ある説があります。
また、「薔薇十字宣言とアンドレーエ」に書いたように、ガーター騎士団の紋章に由来するという説、ジョン・ディーの「象形文字のモナド」に由来するという説もあります。
あるいは、シモン・シュトゥディオンが「ナオメトリア」で主張した「福音主義同盟」に由来するという説もあります。

一般に、「十字」は「キリスト」の象徴であり、対する「薔薇」は「聖処女マリア」の象徴とされます。
「薔薇」は、キリスト教以前では、「ヴィーナス」やその「聖娼」の象徴でもありました。
ですから、「マグダラのマリア」の象徴でもあるでしょう。

錬金術でも、「薔薇」という言葉はよく使われ、「聖処女」の象徴として使われます。
「薔薇の花園」としては、「子宮」の象徴となり、「薔薇」に降りる「露(=十字)」は女神の中で再生する精子の象徴です。
また、「薔薇」の赤は、錬金術の「大作業」、「赤化」、「赤色の賢者の石」の象徴にもなります。

一方、スーフィーの象徴では、「薔薇」=「行」、「十字」=「本質を抽出する」です。
これが伝わっているとすれば、「薔薇十字」は霊的な本質を顕現させる方法という意味になります。


<影響>

薔薇十字文書は当時としてはベストセラーになり、中北部ヨーロッパに広がり、多くの賛同と批判を集めました。

賛同者には、ジョン・ディーを継承するイギリス・ルネサンスの最後の大物、ロバート・フラッド(1574-1637)がいます。
彼は、1616年の「薔薇十字の友愛団に対する簡単な弁明」、1617年の「薔薇十字の結社のための弁論的論考」でいち早く友愛団に対する批判から団の擁護をし、自身の団への参加を求めました。
彼は友愛団が実在すると信じていましたが、接触がなかったため、自分にはその資格がないのだろうと思っていたようです。

フラッドの主著「両宇宙誌」(1617-19)は、ディーのウィトルウィウス主義を継承し、ルネサンスの万物照応思想の最後の総合を示す書です。
この書は、30年戦争の足音が近づく中、薔薇十字団の聖典として急いで書かれた、とも言われています。

神聖ローマ帝国のルドフル2世の侍医であり、私的秘書であったミハエル・マイヤー(1566-)も賛同者でした。
彼は、皇帝の死後に反宗教改革派に追われてイギリスに1612年に逃亡し、ロバート・フラッドと知り合いになりました。
彼の「逃げるアタランタ」は、錬金術的な寓意書で、美しい寓意画で有名です。
マイヤーも友愛団の実在を信じていましたが、近づくことは僭越と考えていたようです。
また、彼は錬金術師でもあり、友愛団の錬金術が精神的なものであり、その秘密を知っていると信じました。

オックスフォード大学のアシュモール博物館の創設者であり、古物研究家、錬金術師のエリアス・アシュモール(1617-)も賛同者です。
彼の「英国の化学の劇場」は、イギリスにおける錬金術文書の選集であり、マイヤーを継承
するものですが、この書は「名声」の引用から始めています。
彼は友愛団への加入希望の手紙を書きましたが、これは、勤行として行ったのであって、実際に連絡を取ろうとしたのではない、との解釈もあります。

フランシス・ベーコンも影響を受けています。
彼の著作「ニュー・アトランティス」(1626)は、「太陽の都」のベーコン版です。
この書が描く島の役人は赤い十字を身につけるなど、薔薇十字文書の影響が見られます。

また、ライプニッツも薔薇十字団に接触しようとした人物です。
彼は、1666年に薔薇十字を名乗る何らかの団に加入したようですし、アンドレーエのキリスト者協会にも興味を持っていました。
そして、彼が提案している慈悲の結社の規則は、ほとんど「名声」の引用です。

また、薔薇思想の影響を受けて誕生した学者の組織もいくつかあります。

1622年に、植物学者、医学者、論理学者のヨアヒム・ユンギウスが設立した、「エレウニス協会」もそうです。
この協会は、大学から独立したヨーロッパで最初の学者集団で、ユンギウスはチュービンゲン・グループと接触もあり、薔薇十字思想やフィチーノの「アカデミア・プラトニカ」の影響を受けています。

ドイツのファルツ出身のテオドーア・ハークがオックスフォード内に設立した「見えない学院」も、薔薇十字文書の影響を受けています。
この学院は、王直属の科学アカデミー兼文化人交流会である「ロイヤル・ソサエティ(王立協会)」の前身となりました。

「ロイヤル・ソサエティ」のメンバーには、近代化学者の父ロバート・ボイルやニュートンがいますが、2人とも錬金術に興味を持っていました。
ニュートンはアシュモールの「英国の化学の劇場」を研究しています。

先に書いたアシュモールは、「見えない学院」にも「ロイヤル・ソサエティ」にも参加してます。
また、「ロイヤル・ソサエティ」設立の立役者にロバート・マリはがいます。
この2人はどちらも薔薇十字思想に興味を持つ人物であり、また、マリは1641年にエジンバラの、アシュモールは1646年にロンドンの、フリーメイソンリーに入会しています。

この2人が入会しているのなら、これらのフリーメイソンのロッジは、単なる石工組合の結社ではなく、思想的な興味を持つ「思弁的メイソン」のロッジでしょう
薔薇十字思想の影響を受けて、「思弁的メイソン」が誕生した可能性もありますが、少なくとも影響は与えたのでしょう。
アンドレーエの弟子的存在であったヨハネス・コメニウスは1641年以降にイギリスに滞在しており、彼がなんらかの役割を果たしたようです。

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*「薔薇十字の見えない学院」テオフィルス・シュヴァイクハルト

薔薇十字運動は、18世紀以降の欧米の神秘主義思想の本流にも大きな影響を与えました。
ドイツの黄金薔薇十字団、思弁的メイソン、フランスの薔薇十字カバラ団、ブラヴァツキーの神智学協会、ルドルフ・シュタイナーの人智学協会、黄金の夜明け団などです。
そして、多数の組織が、「薔薇十字」という名称を使用しました。


薔薇十字宣言とアンドレーエ

1614年と翌年に、現ドイツのカッセルで匿名で公開された2つの薔薇十字(ロジクルジャン)文書は、まとめて「薔薇十字宣言」と呼ばれます。
この宣言は、薔薇十字友愛団の設立の経緯を紹介し、参加を呼びかけていますが、これは架空の団体でした。

しかし、これが17世紀の進歩主義的な改革の啓蒙運動につながり、また、その後のヨーロッパの神秘主義思想にも極めて大きな影響を与えました。
薔薇十字の啓蒙運動は、科学と魔術が一体であるルネサンス思想の最後の展開であり、やがてその潮流は、18世紀には、合理的啓蒙主義と反啓蒙主義的な神秘主義へと分離していきました。

薔薇十字運動のきっかけとなるオリジナルの文書は、1614年の「友愛団の名声」、1615年の「友愛団の告白」の両宣言、そして、1616年にシュトラスブルクの版元から出版された関連小説「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」の3書です。

これら文書の著者は、ヴァレンチン・アンドレーエと、彼と親交のあったチュービンゲンの理想主義者のグループであると推測されています。


<友愛団の名声>

1614年に出版された「友愛団の名声」(以下「名声」)は、サブタイトルが「あるいは誉れあるRC友愛結社の発見、ヨーロッパの首長、諸身分、ならびに学者たちに捧げる」です。
しかし、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの「全世界の普遍的にして一般的改革」に付録する形で出版されました。

「名声」は、1610年前後には作成され、写本として流通していたようです。
1612年には早くもハーゼル・マイヤーが「名声」の呼びかけに反応した内容の出版をしています。
「名声」の出版された初版には、これが添えられ、この反応をしたためにマイヤーがイエズス会に捉えられたことを記しています。

「名声」と訳された原語の「ファーマ」は、「伝説」や「神話」と訳しても良い言葉です。

「名声」の内容は、C・Rと記される人物の人生、彼が友愛団を結成した経緯と、この書が出版された経緯、そして、友愛団への参加を呼びかけです。

「C・R」は、「R・C」、「C・R・C」、「C・Rose・C」など複数の表記方法で表記されています。
彼は、ドイツに生まれ、アラビア文化圏を遍歴し、真実の知識を発見し、それが書かれた「Mの書」をラテン語に翻訳して持ち帰りました。

C・Rはそれに基づいてスペインの学者達に、技術、哲学、教会の改善を提案しましたが、彼ら自身の保身のために拒否されました。
C・Rは、教育的かつ国王を支援するための財宝を持つ協会が必要だと考え、3人の同士と「薔薇十字友愛団」を創設し、さらに新たに4人を加えました。
団員はいくつかの国に分かれて活動することになりましたが、友愛団については100年間秘密にすることが規則でした。

パラケルススも「Mの書」を読み、友愛団と同じ理念で活動したが、友愛団ではなかったと記されています。
パラケルススは、C・Rのモデルの一人なのでしょう。
友愛団は無料で病気治療を行ないます。

C・Rが亡くなった時、いつか友愛団が消滅しても再建できるように、宇宙の真理を表現した建築物として、C・Rの埋葬所が建設され、各種の書も収められました。
彼の知は、彼の時代が受け取るには相応しくなかったため、後世に託されました。
そして、120年後に埋葬所が発見されると予言されました。

予言通りにC・Rの埋葬所は発見されました。
これを機会に、友愛団の存在を公表し、団員への参加をヨーロッパに参加を呼びかけることにしました。

最後に、近い内に人間、社会の全般的改革がやって来る、友愛団に興味ある人は、公の場で口頭で、もしくは、著作で公表すれば、友愛団の方から接触すると、述べています。

他にも、「名声」では、友愛団は社会を変革する秘密の知識を持っていること、魔術を善用する方法を知っていることを記しています。
また、錬金術に関しては、偽りの黄金作りを批判、錬金そのものの重要性を否定しています。
しかし、錬金術が存在しないとは述べず、また、錬金術の本意が霊的成長であるとも述べていません。

C・Rの生誕は1378年、死は1484年の106歳の時、埋葬所の発見は1604年、つまり、「名声」の出版の10年前であることが、翌年の「告白」の記述から判明しました。


<全世界の普遍的にして一般的改革>

「名声」の前に置かれた「全世界の普遍的にして一般的改革」(以下「改革」)は、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの寓意的風刺作品「パルナッソスからの報告」から抜粋したものです。
当時のヴェネチアには、反教皇の自由主義勢力がいたので、イギリスやドイツのプロテスタント勢力からも、連携の可能性を考えて注目されていました。

「改革」は、アポロンが世界の改革をしようとして賢者達と協議するのですが、改革案は実行不可能なものばかりで、改革者達はつまらない事に忙殺されて改革を断念してしまいます。
これは、プロテスタントとの分裂を回避せずに断罪した、ローマ教会のトリエントの宗教会議をパロったものです。
それで結論としては、博愛や隣人愛を人類に吹き込むことが救済策であると、最後にソロンに語らせます。

博愛による改革を目指す点では、「改革」は「名声」と共通します。
また、「改革」が架空の設定の物語であることは、「名声」も同様であることを暗示しているようです。


<友愛団の告白>

1615年に出版された「友愛団の告白」(以下「告白」)は、「名声」の新版の付録として出版され、サブタイトルは「あるいはヨーロッパの全学者に宛てて書かれた、薔薇十字のもっとも立派な結社の称えられるべき友愛団の告白」でした。

また、フィリップ・ア・ガベッラ作の「より秘密の哲学の短い考察」(以下、「考察」)を併載していいて、最初にこれを読むようにと記されています。
ガベッラは知られた人物ではなく、宣言書を書いたメンバーの偽名かもしれません。

「考察」の内容は、ジョン・ディーの「象形文字のモナド」を引用してのその解説であり、最後に、薔薇十字団メンバーによる祈りが付いています。
全体の構成から、薔薇十字団の哲学の核心が、ディーの思想と同じあることを示しています。
彼の思想は、科学技術と魔術が一体となった普遍的な知を志向するものです。

ディーが考案したモナドの図像は、中央に十字があり、上部の天から露が落ちると考えます。
「露(ルス)」は「薔薇(ローズ)」に通じ、錬金術的には黄金の溶剤です。
「薔薇十字」という名称は、これに由来するという説があります。

「告白」の内容は、「名声」の続編にあたり、友愛団の説明です。
ですが、ドイツ語で書かれた「名声」と異なり、ラテン語で記されているため、知識人を対象としています。

最初に辞では、ローマ教皇をアンチキリストと表現して批判しています。

本文では、友愛団が作り話ではない、教皇を断罪する、友愛団は異端ではない、世俗の支配をもくろんでいない、友愛団への加入については適正を判断する、といった内容が語られます。
さらには、アラビアには賢者だけが治める町がありヨーロッパでも同様となる、間もなく訪れる終末の前に神が真実と生命などを贈る決意をした、と。

また、秘密の隠された文字と記号が必要になる、神はそれらを被造物のうちに刻み込んだ、という主張もなされています。


<化学の結婚>

1616年に出版された「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」(以下「化学の結婚」)は、宣言書ではなく、幻想譚的な小説です。
サブタイトルは、「秘密を暴かれた秘法は価値を失い、神聖冒涜は恩寵を破壊する 豚どもに真珠を投げ与えるなかれ、ロバに薔薇の床をしつらえるなかれ」です。
そして、1459年という日付が記されています。

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この書は、後世の1779年に発見・出版されたヴァレンチン・アンドレーエの自伝で、自分が作者であることを認めています。
*アンドレーエのプロフィルについては、「薔薇十字啓蒙運動」を参照してください。

しかし、アンドレーエには出版する気がなく、本人の意志を無視して海賊版として出版されました。
「化学の結婚」は、「名声」以前に写本として読まれていて、「声明」の反響が大きかったためか、勝手に出版社に持ち込まれたのです。
この書は、アンドレーエの10代の作品であり、この書をもとに、宣言文書が作られたようです。

「化学の結婚」は幻想譚的な小説で、錬金術のイメージに溢れています。
また、タイトルページにディーのモナスの図像を掲載しています。
この書の具体的な内容は、ローゼンクロイツが、王と王妃の結婚式へ召命を受けて旅立ち、様々な体験をする7日間の出来事です。

2日目には、入城する際に、ローゼンクロイツは「赤い薔薇十字の同胞」であると答えます。

4日目には、3組の6人の王族(老いた王と若い王妃、浅黒い肌の王とヴェールをかぶった老夫人、高価な王冠をかぶった2人の若い人)が斬首され棺に入れられますが、5日目にオリンポスの塔へと船で行き、6日目に錬金術の作業によって彼らの遺体を変化させ、1組の王と王妃を生みだして生き返らせ、二人を船に乗せて送り出します。

最終日には、ローゼンクロイツは「黄金の石騎士団」に入団し、王と共に宮殿に戻ります。

「化学の結婚」は、王と王妃の結婚式をテーマにしていますが、出版の2年前の1613年に、イングランド王女エリザベス・テューダーと、錬金術を研究していたファルツ選帝候フリードリヒ5世が結婚しており、それは反カトリック同盟の意味合いを持っていました。
「化学の結婚」は1613年以前に書かれていますが、1616年に出版された版には、2人の結婚を象徴する内容になっており、そのように書き直されたのでしょう。

薔薇十字関連書は、明言はせずとも、反カトリック的なプロテスタント同盟を求めようとするものであり、ファルツ選帝候フリードリヒを支持するものです。

フリードリヒは、イギリスからガーター勲章を授与されましたが、ガーター騎士団の紋章は白地に赤い十字であり、ローゼンクロイツが7日目に王を守りながら騎上で掲げた旗と同じです。
また、ローゼンクロイツの白と赤の装いとも重なります。

フリードリヒは、ローゼンクロイツのモデルの一人であり、「薔薇十字」はガーター騎士団の紋章に由来するという説もあります。

また、錬金術的には、ローゼンクロイツが身につけている薔薇は、聖処女の象徴、もしくは、赤化の過程や赤い賢者の石を象徴するのかもしれません。


<キリスト教神話>

1618年に、アンドレーエは「キリスト教神話」を出版しました。
彼はこの書で、喜劇、笑劇の道徳的教育効果を述べて評価しています。
もともと、彼が最初に書き始めたのは、イギリスの演劇に影響を受けた喜劇でした。

アンドレーエはこの書で、薔薇十字団を想定して、「ヨーロッパ中に喜劇を上演して歩くすばらしい友愛団」と書いています。

また、1619年に出版した「バベルの塔」では、「友愛団を待っていても無駄、喜劇は終わった」と書いています。

つまり、アンドレーエにとって、薔薇十宣言は、そのままに受けとられるべきものではなく、彼らの改革理念を、演劇的・喜劇的に表現したものだったのです。

ところが、宣言をそのままに、友愛団が実在すると受け取る者達によって、様々なつまらない論争がされるようになったため、アンドレーエは、薔薇十字運動から距離を取り、批判する側に回りました。


<クリスティアノポリス>

1619年に、アンドレーエはユートピア小説「クリスティアノポリスの理想的またはユートピア的都市の記述」(以下「クリスティアノポリス」)を出版します。
これは、賢者が治めるキリスト教徒の理想の都市の話で、カンパネッラの「太陽の都」のアンドレーエ版です。

この書の序文では、改革の必要性を説きながら、ある友愛団体がこれを約束したが、結果は、ペテン師や詐欺師によって、人々の間に完全な混乱の種を巻いてしまった、と述べています。

そして、船に乗り込んでクリスティアノポリスに向けて出港するように誘います。
このことは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが船で婚礼の場に向かったことを思い起こします。
また、「不当に薔薇十字の同胞を名乗るペテン師ども」は、クリスティアノポリスの門をくぐれないと記されています。
これは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが「赤い薔薇十字の同胞」と名乗って門をくぐったことを思い起こします。

つまり、「クリスティアノポリス」は、「化学の結婚」のヴァージョン・アップなのです。
そして、一番の違いは、今回は架空の喜劇ではなく、翌年から実現にするシナリオだった点です。


<キリスト者協会>

アンドレーエは1619年に「キリスト者協会の見本」、1620年に「さしだされたキリスト教的愛の右手」を出版します。
この両書は、薔薇十字宣言書のヴァージョン・アップと見なすことも可能です。

薔薇十字団は架空の存在でしたが、今回、アンドレーエは「キリスト者協会」という現実の組織を1620年に設立しました。
この協会には、「太陽の都」の独訳者のヴィルヘルム・ヴェンセやトビアス・アダミといったアンドレーエの友人も参加しました。
彼らは、薔薇十字文書に関わっていたメンバーかもしれません。

「キリスト者協会」の活動には、ヨハネス・ケプラーやライプニッツが興味を持っていたようです。
しかし、残念ながら、30年戦争のために活動は短い期間で終わりましたが、その後、継承者や分派を生みだしました。

*「薔薇十字啓蒙運動」に続く

ヤコブ・ベーメ

無学な靴屋だったヤコブ・ベーメ(1575-1624)は、幾度か体験した神秘体験をもとに、それを独自の思想として表現しました。

シェリングは彼を、「人類の歴史における、とりわけドイツ精神史における1つの奇跡的現象」、「彼が我々に記述する神の生誕でもって、近代哲学のあらゆる学問的体系に先行した」と評しました。
ヘーゲルも、「ドイツ最初の哲学者であり、その哲学内容は真にドイツ的である」、「最も生ける弁証法」と評しました。
また、ノヴァーリスなどのドイツ・ロマン主義者に与えた影響も多大です。


<神秘体験と執筆>

ベーメが住んでいた当時のドイツのゲルリッツでは、キリスト教の宗教改革派・反改革派の争い、両派による異端への攻撃が激しく、また、ペストの流行があり、30年戦争前夜で戦争の足音も聞こえていました。
そして、コペルニクスの地動説によって伝統的な世界観が崩れて、文字通り足元が揺らいでいました。

ベーメは諸悪を現前に見て、時代そのものの憂鬱と悲嘆の中にいました。
彼は、この精神的な暗黒の状態で、光明を希求した時、神秘体験をしました。

ベーメは、遍歴をしていた18歳頃、神の光によって捉えられ、7日間、神的省察と歓喜の中に留まり続けました。
また、25歳の時には、暗い錫器に太陽の光が反射して、突如、錫器が明るく輝くのを見て、神秘体験をします。
この時のことを、「自然の最内奥の誕生の内へと至り、花婿がいとしい花嫁を抱くように、愛に包まれた…死の真只中で生が生まれる時以外の、何ものとも比較されず、死者の復活に比される。この光の中に、私の霊はたちまち一切を見通した。そして、木や草にいたるまで、すべての被造物に神を認識した。神が何者であり、神がいかにあり、その意志が何であるかを認識したのである」、と書いています。

しかし、彼は、すぐにそれを表現することはありませんでした。
彼は学者でも聖職者でもなく、ラテン語も読めません。
ですが、友人と通して、パラケルススやカバラ、そして、プロテスタントの霊性主義者のヴァレンティン・ヴァイゲルやセバスチャン・フランクを教えられて、その影響を受けたようです。

そして、25歳の時の神秘体験から12年後、1612年に初の書、「アウロラ」を仕上げます。
これは写本で友人達の間から徐々に広く読まれるようになります。
しかし、異端的な内容のために、教会によって執筆禁令が出され、ベーメは、その後6年間断筆します。

ところが、30年戦争が勃発した1918年に、ベーメは執筆を再開しました。
1619年には、「神の本体の3つの原理について」、「人間の3重の生」など、1620年には「神智学の6つのポイント」などを著します。
「アウロラ」の思想はこの間に発展、修正され、この時点で彼の思想の体系がほぼ完成します。
1624年には、「キリストへの道」が匿名で初めて出版されますが、またもや教会から異端視され、町から追放されてしまいます。
この書は彼の生前に唯一出版された書となりました。

その後、ベーメは、故郷に帰還し、美しい音楽が聴こえると言いながら、亡くなりました。

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<無底>

ベーメは、1620年頃から、根源的な神的存在を、「無底」と表現しました。
彼は、「無底」について、「神は…立ち処のないまなざし…顕霊へのあこがれであり意志である」、「万物の根底であり永遠の一者であって、そこには根底も場所もない」と書いています。

根源的存在を否定的に表現することは、神話の時代の「混沌」、「深淵」などからあり、キリスト教でも「無」と表現する否定神学の伝統があります。
しかし、ベーメはエックハルトなどの否定神学を読んでいないと思われます。
おそらく、カバラの「無限(エンソフ)」の影響を受けたのでしょう。

しかし、「無底」というインパクトある表現を使った人は、ベーメが初めてでしょう。
彼の後でも、シェリングを例外として、ほとんど使われていません。

この言葉は、「内奥の無限」、そして、「無根拠」を表現すると共に、「奈落の底」としてイメージされる鬱病的な心情とつながった表現でしょう。
「無底」は善と悪、光と闇、愛と怒りを内に含む存在、「母」で、普通に言う「善なる神」は、そこから生まれた存在です。


<宇宙論>

「無底」は展開して、諸世界とその歴史が生まれると考えます。
ベーメは、「光の世界(天国)」と「闇の世界(地獄)」と、この我々の地上の「光と闇の混ざった世界」の3つの世界があると考えます。
ですが、詳しく見ると、次の5つの世界になります。

1 透明な「意志の世界」
2 不透明な「欲の世界」=「永遠の自然」(第1の創造)
-1 第1原理(性質1~4)=「闇の世界」=「不安の輪」
-2 第2原理(性質4~7)=「光の世界」=「愛のたわむれの輪」
3 ルシフェルの「闇の世界」(第2の創造)
4 第3原理=「光と闇の世界」=「自然の輪」(第3の創造)
5 キリストによって回復される世界

1は、「無底」、そして神の三位とソフィアに対応する神の至高の世界です。
2は、神の7つの性質の内部展開であり、大きく2段階の世界に別れます。
カバラで言えば、セフィロートの世界で、破壊が及ぶ第4~第10セフィラの領域でしょう。
3は、2-1が2-2に向かわずに閉じた世界です。
4は、天球を含む我々の物質世界です。
5は、キリスト以降の4の世界、終末に至る未来です。

1から5にかけては、上から下への下降や、外から内への収縮ではなくて、内から外への拡張としてイメージされます。


<意志の展開>

最初の「意志の世界」は、次のように、「無底」と7つの段階からなります。
「無底」が「意志」に至るのは2の段階ですが。

0 無底、混沌、何も映さない鏡、愛と怒りの根源
1 求め、あこがれ(ソフィア1)
2 微細な意志、視線(父)
3 無限の円、何も映さない鏡(ソフィア2)
4 把握、底(子1)
5 第二の太い意志、霊(聖霊)
6 閉じた円、鏡となった鏡(ソフィア3)
7 心臓、中心、ロゴス(子2)

0の「無底」は、カバラの「エンソフ(無限)」に相当する存在です。

1は、まだ主体も対象もない、「求める」という衝動です。
2は、「無底」たる神の衝動が、自己を顕示しそれを見たいという、外へ出ていく「意志」、「父」となったものです。
「父」は、「鏡」である3の「ソフィア」の中に自分を見て、4の「子」を生みます。
「子」は、神の自己認識であり、「無底」が「底」を持つ存在になります。

1、3、6は、女性原理の「智」、「鏡」であり、「ソフィア」に相当します。
「ソフィアの鏡」は、「形象」を映しますが、これは意味や対象とは無縁の、「力」であり「響き」であり、「自由な戯れ」です。
これは、「霊」となり、「理」となります。


<欲の展開>

「意志」は次に、「欲」に展開します。
「欲の世界」=「永遠の自然」は、7つの「欲」による神の内部運動であり、「第1の創造」と呼ばれます。
7つの存在は、「性質(流出)」、「霊」と呼ばれます。

先に書いたように、第3~10のセフィロートに対応する次元ですが、カバラとは違う独自性があります。

これは大きく「第1原理(性質1~4)」と、「第2原理(性質4~7)」に別れます。
これらは、4で反転して表裏に分離した2つの世界です。

以下、7性質を代表的な表現で見てみましょう。

「第1原理」は「左」、「闇」、「怒り」、「悪」の世界です。
これらは直線的な層状になっているのではなく、輪状にもなっているので、「不安の輪」とも呼ばれます。

1 収縮、第一物質or塩
2 拡張、水銀
3 不安、硫黄
4 熱、火

性質1の「収縮」は、「渋さ(辛さ)」といった味覚でも表現されます。
2の「拡張」は、最初の書「アウロラ」の時点では、「甘さ」、「緩和」と表現しましたが、後に「苦さ」、「拡張」へと変化します。
3は、最初は「苦さ」、「浸透」、「歓喜」と表現していました。

味覚のような触覚的表現をする点には、ベーメの思想の独自性、内面体験の生々しいリアリティが現れています。
1から3の性質に「3原質」を取り入れているのは、もちろん、パラケルススの影響です。

1の「収縮」と2の「拡張」は、根源的に相反する2つの性質です。
両者の闘争が3、そして4を生み出して、3つの性質、4つの性質になります。

1と2の闘争は輪を描いて回転し、多数の固まった存在物・本質を生みます。
そして、その周りを「意志」が包み込んで、「心情」となります。
これらの統一体が、性質3の「不安」です。

性質3の「不安」の緊張が高まって、閃光を放って性質4となります。
4は、「死」を経て「生」を与える「火」です。
4の閃光、「火」によって、1~3も生命を持つものに変質します。

したがって、4は、「移行」であり、1~3の「振り返り」です。
4からは、光を求めて7に進む運動と、それを恐れて1へ戻る運動があり、自由に意志が選択できます。

4から7へと進むことで、「第2原理」が生まれます。
「第2原理」は、「右」、「光」、「愛と喜び」、「善」の世界であり、「愛のたわむれの輪」、「ソフィアの鏡」とも呼ばれます。
そして、輪の中心には、「光の子」=キリストがいます。

5 愛、光
6 音、言葉
7 体、器

性質4から5へと進むことは、闇から光へと進むことです。
5では、4大元素が揃い、5感が生まれ、「喜び」、「優しさ」が生まれます。

6では、「響き」が外に向かって出て、自然の「理」があらわになります。
6で多様性が生まれて、7で統一されます。
6までは霊的存在であり、7は物質的存在です。


<ルチフェルによる闇の世界>

一方、性質4の「火」を恐れて、1に戻るのは、エネルギーの逆流であり、収縮であり、「第1原理」の閉じた空間=「地獄」、「闇の世界」、「闇の鏡」を作ります。
これは「第2の創造」と呼ばれます。
この道を自由意志によって選択したのは天使の中の王であった「ルチフェル(ルシファー)」です。
それは「我性」であり、「悪」です。

このルチフェルの意志による「闇の世界」は、キリストの意志による「光の世界」の裏返しです。
2つの世界は互いに存在を知ることができず、「闇の世界」は「光の世界」から見れば「怒り」の世界ですが、「闇の世界」から見れば「喜び」の世界なのです。


<自然の輪>

ルチフェルの逆流した創造に対して、神はそれらを浄化するために、地上の物理的世界を「第3の創造」として創造します。
ルチフェル堕落後の神による世界の(再)創造という考えには、パラケルススの影響があるかもしれません。
ルチフェル「闇の世界」は閉じてその外に空間が広がり、その外側に物質世界が作られます。
これは、「意志の世界」、「欲の世界」の外側です。

しかし、「闇」の汚染は、この世界にも残っています。
大地はルチフェルの凝縮エネルギーによって凝縮したものです。

大地以外には、「第2原理」からの光が差し込んで、「第3原理」が生まれました。
これは、「自然の輪」とも呼ばれます。
この我々のいる「第3原理」の世界は、「第1原理」、「第2原理」を含み、神の中にあります。

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この世界には、宇宙的存在、原人間である「アダム(天上のアダム)」が作られます。
「ルシフェル」が自由意志で反抗した後に生まれた「アダム」は、神の自己顕現エネルギーが結ぶ最後の完全な像です。

この点では、「人間が神の似姿で創造されたのは神が自己を啓示するためである」と考えた、ヴァイゲルの影響を受けたのかもしれません。

それゆえ、第1~3原理の3世界を含んでいて、善悪、男女、精神と体を含む点で神と同じ完全な存在であり、天使でもあり悪魔です。
彼は神の意志の回復をになう「第二のルチフェル」であり、万物にエネルギーを与える存在です。
アダムは、男性の火の魂と「ソフィア」の光の体から構成され、神と同じ「自然の言葉」(言葉=存在)を使っていました。

ですが、「アダム」は自然の多の世界に心を惹かれたために転落し、「ソフィア」は天に飛び去ります。
ちなみに、女性原理の「智慧」が飛び去る話は、ユダヤの知恵文学にあります。
そして、宇宙も統一から分離した多なる存在となってしまいました。

そのため、神は「エヴァ」を作りましたが、二人は4大の霊と星辰の実を食べて、第2の転落を起こします。


<キリストへの道>

アダムと自然、人間が転落した地上には、世界を回復するために、「第二のアダム」である「イエス・キリスト」が送られてきます。

「イエス・キリスト」は、「意志の世界」では、「ロゴス」=「神の子」であり、「欲の世界」では、「光の子」であり、「ソフィア」のパートナーです。

堕落した人間は、「闇の世界」の暗い火を通って、「光の世界」へ帰る必要があります。
つまり、転落した古い「アダム」は焼け死に、新しい「光のアダム」が復活するのです。

イエスは、受難・死と復活によってこの道を示しました。
人間は、イエスを真似て、「我意」を殺して、神の内に復活する必要があります。
ベーメは、十字架のなねびとして、完全な受動性、「我意」の放棄を説きます。

この点では、「キリストを真似て自己自身に死ななければならない」と考えた、ヴァイゲルの影響を受けたのかもしれません。

また、合理的な理性を捨てて、直観によって自然の「理」を理解し、神の意志・運動を知ることが重要です。
それは、「ソフィアの鏡」に現れる透明な形象の戯れです。

キリストの十字架の死とそれによる人間の堕落からの復活は、神と世界の展開の折り返し点なのです。

この点では、「十字架のキリストを宇宙の歴史の転換点であり、キリストは単なる贖罪ではなく人間を神とするために現れた」と考えた、スコトス・エリウゲナの思想と似ています。

また、宇宙論全体としては、「エンソフ」の中に「裁き」という否定的存在があり、宇宙の歴史を「収縮」、「破壊」、「修復」の3原理で語った、カバリストのイサク・ルーリアの思想との類似も感じます。