ジョン・ディーとエノキアン・タブレット

ジョン・ディー(1527-1608)は、エリザベス朝を代表するルネサンス的万能人です。
諸科学とその技術に長じると共に、オカルト哲学(ヘルメス主義、カバラ)に詳しく、魔術師、占星術師、錬金術師でもありました。
彼は、この両分野で実際に活躍した最後の大物でしょう。

ディーは、ユークリッド「幾何学原論」の初の英訳本の序文を執筆し、また、イギリスの科学者の間での地動説の伝播につくした人物でもあります。
航海術にも詳しく、イギリスの北東航路発見のための指導的助言者であり、スペイン無敵艦隊を撃破する11年前に書いた書では、海軍の創設を提唱しました。 

一方、エリザベス女王のお抱え占星術師であり、戴冠式の吉凶を占う役目を任じられました。
オカルト哲学者に関しては、ルルス、フィチーノ、ピコ、ロイヒリン、フランチェスコ・ジョルジ、アグリッパ、パラケルススなどの影響を受けました。

また、霊媒役と共に、カバラ魔術を使って天使を召喚し、様々な秘密の知識を得ようとし、これが後世まで彼の評判を落とす原因となりました。
しかし、彼が天使から得た「エノキアン・タブレット」は、後に、ゴールデン・ドーンの最高レベルの魔術で使用され、また、アレイスター・クロウリーは、前世において、ディーの霊媒(エドワード・ケリー)であったと言っています。

ディーは、ルネサンスという時代の面白さを最も体現する思想家の一人です。


<数学に関する序文>

イギリスでルネサンスが興隆したのは、大陸ではルネサンス思想が下火になりつつあった時代です。
ディーが活躍したこの時代は、イギリスでは数学的諸学が復興した時期でもありました。
ディーは、4000冊の蔵書を有し、学者・技術者が自由に利用できるようにしていました。

1570年に出版されたユークリッド「幾何学元論」の英訳本の序文には、「数学に関する序文」を寄せており、大きな影響を与えました。
ディーはこれを、ピタゴラス、プラトンの象徴的な数の哲学から始めて、科学、オカルト哲学における数学、数学諸学の重要性を説きつつ、諸技術を論じます。

中でも重要なのは、共和制ローマ期の建築理論家、ウィトルウィウスを引用しながら、ルネサンスの建築概念を述べている点です。
つまり、建築は科学・芸術の中ですべてを包括する最高のものであり、万物照応に基づいて、神殿は人体のシンメトリーとプロポーションを土台にしていると。
そして、アグリッパを引きながら、照応を占星術や魔術の理論へと広げています。

この科学とオカルト哲学が一体となり、数学や建築を重視するディーのヴィトルーヴィウス主義的な照応論は、ルネサンス万物照応理論の最後の総合であるロバート・フラッド「両宇宙誌」にも受け継がれます。


<象徴的単子論>

1564年に出版した「象徴文字のモナド」は、オカルト哲学者としてのディーの独自の思想が始めて表現された書です。
この書は短い書で、おそらく意図して難解な表現で書かれています。

その内容は、彼が創作したらしい象形文字の解説です。
その象形文字は、占星術と錬金術を統合して、カバラ的解釈も加えた図像であり、世界の根源をなすモナド(単子)の表現です。
この象形文字の理解を通して自身をモナドとすることで、神へと上昇することができるのでしょう。

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ディーにとってモナドとは、数学的には1であり、物質的には光でもあり、哲学的にはあらゆる概念を単一体として含む存在です。

象形文字は、地球たる点、それを囲む円たる太陽、その上の月、下の十字、さらに下の白羊宮の記号で、構成されています。
十字は4元性だけでなく、2元性、3元性、7元性、8元性も表現します。
点と白羊宮の記号以外の部分は、水星の記号になっています。
象形文字は、7惑星の記号を含んでいます。

全体が卵型で囲まれており、これは錬金術の「哲学者の卵(=フラスコ)」であり、ヘルメス主義の全一、ウロボロスを意味します。
水星は水銀であり、白羊宮は火を意味します。

象形文字の十字は、L、V、Xを含んでいて、これはLUX、つまり、光を意味します。
また、この十字には、Lが4つ、Vが4つ、Xが1つ含まれているので、ゲマトリアで文字を数字に置き換えて計算すると252となる。
そして、ディーは、この数字は「賢者の石」を意味すると主張します。

モナドの象徴としての象形文字は、宇宙創造を反映したものであり、その力を貯めて発するような魔術的に利用することができるハズのものです。
それは、錬金術的な効果も果たすことができるものと考えられたのです。

ちなみに、ディーは、新大陸から金がもたらされたため、錬金術による金の製造は経済的に無意味であるとし、錬金術の意味を精神的なものに限定しました

この書はかなりの評判を得て、ヴァレンチン・アンドレーエ、ロバート・フラッド、アタナシウス・キルヒャーらが、自身の書の中で、この象形文字を掲載しています。
また、この象形文字が「薔薇十字」の源泉にもなったようです。


<天使召喚とエノキアン・タブレット>

ディーは、霊媒としてケリーらの協力を得て、天使や精霊の召喚によって、様々な秘密の知識を得ようとしました。
ディーは複数の霊媒を起用しましたが、主たる霊媒は、錬金術師でもあったエドワード・ケリーケリーで、1582年から1587年にまで及びました。

その方法は、カバラに基づいた神の印章などを利用して、天使や精霊を召喚し、水晶を通して対話するものです。
このような魔術的な霊視・霊聴は「スクライング」、水晶を使う場合は「クリスタロマンシー」と呼ばれます。
実際に、霊視・霊聴するのは「スクライアー」と呼ばれる霊媒であり、ディーはそれを司る術師の役割でした。

ケリーのプロフィルについては、薬剤師の訓練を積んだとも言われていますが、はっきりしたことは何も分かっていません。
ですが、ルネサンス的万能人だったディーが、出会った当時26歳だったケリーを、学識豊かな人物と評しています。
後に、彼は錬金を成功した錬金術師として、神聖ローマ帝国とイギリスの宮廷から誘われ。神聖ローマ帝国には雇われると共に、拘禁されましたが、その理由は分かっていません。

ディーとケリーと天使らとの対話のやりとりは、ディーの記録を元に、1659年にメリック・カソーボンが「ジョン・ディー博士と聖霊との間に多年に渡り起きたる事の真にして忠実なる物語」として出版し、それ以外の記録は、1988年になって、クリストファー・ウィットビーが「ジョン・ディーの精霊召喚作業記録」として出版しました。
カソーボンは、ディーが詐欺師ケリーに騙されたと解釈しており、ディーとケリーの悪評が決定的に広がりました。

ディーが天使の召喚を行った目的は、知識を得ることです。
前提として、アダムが神から与えられた始源の言葉と知識があり、世界からそれがほとんど失われているという考えがあります。

1583年、天使はディーに向かって、新たな世界がやがて出現すると宣言して、「エノクの書」について語り、未知のエノク語とそのアルファベット、そして、それに基づく数々の方陣を伝え始めます。

当時、旧約偽典の「エチオピア語エノクの書」はまだ知られていませんでしたが、この書は、エノクがアダムから始源の知恵を伝えられて、それを書にしたもの、という伝えがありました。
このことをエチオピアの司祭がカバラ学者のギヨーム・ポステルに伝え、さらにポステルがディーにこれを伝えていました。

また、1583年は、占星術的に特別な年(土星と木星の合と、水の三宮一対から火の三宮一対への移行が重なる)であり、エノクの時代やキリストの時代のような大変革の時代が再来すると予想していた人が多くいました。

「エノクの書」として天使が伝えたのは、天界のエノク語の21のアルファベットと、それによって作られた49の表、19種の祈祷咒です。
この表は、49×49升の方陣が2組で構成され、1升には1文字、もしくは複数の文字が含まれます。
また、別途、7×3升の方陣が5表あります。
祈祷咒は250の単語から構成され、1文字ごとにエノク表から暗号的に得られました。

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特別なアルファベットや書法については、アグリッパが「オカルト哲学について」で、ヘブライ語の太古の書法として「天界の文字」「聖霊の文字」、「河の流れの文字」を記しています。
また、エノク語のアルファベットについては、錬金術とカバラを結びつけたジョヴァンニ・パンテオが述べています。
ですが、ディーが受け取ったアルファベットの元ネタは見つかっていません。

また、文字の方陣に関しては、中世からルネサンス期頃の「ソイガの書」に、1升にラテン文字1字を記した36×36升の方陣36枚が掲載さています。
この表は、現在のコンピュータの解析によって、複雑な法則によって規則正しく作られた暗号の一種であることが確かめられています。

「オカルト哲学について」にも、22×22、22×10のヘブライ語アルファベットの方陣が載っています。
これはヨハナンネス・トリテミウス(1462-1516)の暗号書「暗号記法」から借りたもので、この書は暗号作成法とゲマトリア、天使・精霊召喚術を結びつけた書です。
この書は何らかの理由で未完となりましたが、最後の言葉は「この技法で得られる惑星霊の協力によって、創造された万物について知ることができる」です。

アグリッパは、直接トリテミウスからその方法を教えてもらい、その信憑性を確信しました。
ディーはトリテミウスに興味を持ち、当時の暗号技術も知っていました。

ですが、現在まで、ディーが受け取った表の意味については、解読されていません。

これら一連の召喚による霊視・霊聴に関しては、伝えられたものの複雑さ、やりとりの様々ないきさつなどからして、単にケリーの意図的な詐欺によるものというより、2人の意識、無意識が複雑にからみあって創造されたもの、という解釈をする専門家もいます。

また、召喚作業の晩期には、裸の女性の精霊が現れて、対話が性的・反道徳的な内容になり、精霊はディーとケリーに妻の交換・共有を命じました。
この時、精霊は、「お前たちは解放された、最も好むところをなせ」、「神聖なものたちにはすべてが可能で許されている」、「神のようであれ」と言っています。
まるで、アレイスター・クロウリーのようです。

パラケルススと錬金術

テオフラストゥス・ホーエンハイム・パラケルスス(1493-1541)は、スイス生まれ、ドイツ、イタリア、フランスの大学で、医学、冶金などを学びました。

1515年から1524年にかけてヨーロッパ中を放浪して、各地の民間の医療法を学びました。
その後、ドイツ各地などを転々として、著書も「オプス・パラミールム」、「フィロソフィア・サガクス」など多数の書を出版しました。

シュトラスブルクではエラスムスと知り合いになり、診断したこともあります。
バーゼルでは、非公式ながらバーゼル大医学部教授と市医を勤めました。

パラケルススは、錬金術思想を介して医学に化学療法を持ち込んだ人物とされます。
彼は医者であり、実際に金属変性を試みる錬金術師ではありませんでしたが、医薬の精製を錬金術と同様の作業と考えました。

また彼は、医薬の精製過程だけではなく、自然や人間の成長プロセス全体を錬金過程と同様なものと考えました。
また、医者やイエスを錬金術師と同様の存在であるとしました。

パラケルススは、新プラトン主義やヘルメス学に親しみ、自然哲学を志向しましたが、宿命論的な占星術を否定し、天体の影響は疫病の流行など集団的現象にしか認めませんでした。
個人への天体の影響については、子供は星辰の影響が大きいが、成長するに従って、その影響を脱すると考えました。

また彼は、占星術によって、福音書の終末論に基づいた、偽りの王国の没落と正しいキリスト教的な神の国の到来を予言しました。

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<本草学と医薬>

パラケルススの思想のバックグラウンドになっているのは、本草学です。
といっても、植物に限らず、動・植・鉱物の自然全体を薬局、薬剤として見ました。
薬草は、神が慈愛によって人間のために創造したもので、医師はキリスト同様の存在であるとしました。

パラケルススは、ギリシャ以来の正規の医学教育を受けています
しかし、民間医療にも通じ、自らの治療経験から、大学でも、ヒポクラテス、ガレノス、アヴィケンナなどの伝統的な権威を批判し、時にはその書を焼き捨てるパフォーマンスもしました。

また彼は、ギリシャ・ローマなどの古典書に掲載された異国の薬草ではなく、ドイツに生えている薬草を重視しました。

植物などは、生きている間は星辰と作用し合うので、内在する効能の本質は時間とともに変化します。
ですが、摘み取られた後、星辰の作用が刻印された効能となると考えました。

ですから、適切な時期に摘み取り、その効用となる物質を抽出・精製することが重要です。
本来、自然が時間をかけて熟成・精製しますが、この自然に隠れた医薬を医師は精製することは、広義での錬金術なのです。
この点でも、従来の本草学を批判しました。

パラケルススは、錬金術的な医薬の精製に関する書「アルキドクシス」の中で、薬草などの中にある効能となる本質的な物質を、「第5精髄(クインタ・エッセンティア)」と呼びます。

西洋錬金術では、天上の第5元素「アイテール」が地上に降りて事物の中に入ると「第5精髄」になるとします。
ですが、パラケルススに違う意味でこの言葉を使います。
事物は「4大元素」で構成されますが、各事物において主要な元素があります。
医薬としては、他の3元素は余計な混合物であり、主要な元素を抽出する必要があります。
彼はこの特別な元素の中にあるものを「第5精髄」と呼びます。

また、パラケルススは、医薬の中でも特別な秘薬を「アルカナ」と呼びます。
「プリマ・マテリア」、「哲学者の石」、「生命のメルクリウス」、「ティンクトゥーラ」の4種がこれに当たるとします。
ただ、彼は「アルカナ」という言葉を、「第5精髄」と同じ意味で使うこともあります。


<創造と堕落>

パラケルススは、「オプス・パラミールム」で、従来の錬金術理論の「水銀・硫黄理論」に、新たに「塩」を加えた「3原質理論」を唱えました。
そして、「水銀・硫黄理論」が金属だけを対象としたのに対して、彼は「3原質」を万物の構成要素としました。

彼によれば、世界は次の順序で作られます。

第一質料→3原質(硫黄、水銀、塩)→4大元素→万物

世界の基体である始源物質を、パラケルススは様々に表現しています。
「第一質料」、「イリアステル」、「マトリクス」、「カオス」、「ミステリウム・マグヌス(大いなる神秘)」などです。

また、彼は世界を次のような3階層で考えました。

 神的世界(霊魂)→天上(精気)→月下・地上(肉体)

人間は天と地に由来する「土塊」から作られたので、不可視で精神的な天上の要素と、可視で動物的な地上の要素からなります。

そして、パラケルススは、自然には天上に由来する「自然の光」が、人間には「自然の光」と神的世界に由来する「聖霊の光」が備わっていて、どちらを通しても神的世界に導かれることができると説きました。

また、パルケラススは、第一質料が変質して悪化したものが、悪魔の働きであると考えました。
神は、ルシフェルが堕落した後に世界を再創造し、世界は堕天使の牢獄であり、また、再上昇のための場であると考えました。

そして、アダム(人間)の堕落は、ミコロコスモスとしての人間が、ルシフェルの堕落を繰り返したものと考えました。
また、堕落前のアダムはイリアステル(第一質料)の体を持っていたと考えました。


<3原質>

パラケルススによれば、「3原質」は、事物に内在する不可視の「原理」であり、「3原理」の結合で事物は構成されています。
それぞれの本質は次の通りです。

・硫黄:組織性、結合性
・水銀:流体性、活動性
・塩 :形態性、物塊性

事物を構成する原質は、同じ原質でも、様々に質が異なります。

「第一質料」は、「3原質」の結合体であり、「種子」であり、「種子」は1つの原質として発現すると考えました。

それに対して、「元素」は「大地」であり「母」であると表現します。
つまり、「3原質」は「種子」として、元素の「大地」の中に入り、成長するのです。
その成長を加速させるのが、錬金術師です。

そして、パラケルススは、病気の原因は、ガレノスが言う「4体液」バランスの乱れではなく、「3原質」の機能低下などである考えました。


<4大元素>

パラケルススは、「4大元素」に関して、「4大元素の発生と初産についての哲学」、「4大元素の哲学」などで記しています。

パラケルススは、「4大元素」を、「母」であり「霊魂」であり「養分」であると表現します。
「火」、「空気」は精神的栄養であり、「水」・「土」は身体的栄養です。

また、「4大元素」は月下の世界で、4層をなしています。
空間の「空気」層は、上層の「火」層と、下層の「水」層・「土」層を媒介します。

そして、「4大元素」は、「火→土→水→空気」という関係で、別の元素に実りを与えます。
中国の五行の相生説に似ています。

アリストテレス哲学の伝統では、「4大元素」は、「4性質」の2つの組合わせで構成され、それぞれの元素は同質です。
しかし、パラケルススは、「4大元素」はそれそれが「4性質」の組み合わせで構成され、特定の元素、例えば、「火」にも、様々な割合で性質が構成された多種の火があるとしました。

また、事物は、4元素から構成されますが、主要な1つの元素があります。
例えば、鉱物は「水」の元素から、動植物は「土」の元素から、露は「空気」の元素から、天体や気象現象は「火」の元素から成り立ちます。
すでに書いたように、個々の事物の主要な元素の中にあるものを「第5精髄」と呼びます。

しかし、人間だけは、「4大元素」の抽出物である「土塊」(創世記に記載されている)から作られています。


<錬金術としての生命現象>

パラケルススは、宇宙の多くの現象が錬金術と同じであると考えました。
逆に言えば、錬金術は、普遍的な宇宙の法則なのです。

自然、生命が存在し、成長すること自体が、錬金術的プロセスです。

自然は、原初の状態へと向かい、神に、単一性に戻ろうとする傾向を持っています。
すべての金属は金になろうとしています。
最も粗雑な物質も、生きた有機的なものになろうとしています。

しかし、人間にも自然・物質にも堕落性があるため、十分な成長を自力ではできないので、上方からの援助が必要です。
そして、成長はゆるやかにしか行われません。
錬金術は、成長を加速させるものです。
また、この堕落性は病気の原因にもなります。

生物の消化作用も、錬金術のプロセスです。
消化は、身体に入ってくる物質を有益なものと無益なものを分ける働きであり、これが内なる錬金術師の働きと考えました。
これを助ける物質を医薬として与えることが医療となります。

人間の霊的再生も、錬金術のプロセスです。
人間にとってはキリストが、金属にとっての「賢者の石」と同じです。
キリストは、人間の変性を助ける存在だからです。

惑星においては水星(メルクリウス)が、物質における「水銀」と同じです。
太陽(金)と月(銀)を媒介する存在だからです。

中世~ルネサンスの錬金術

<中世の錬金術>

アレキサンドリアで生まれアラブ世界で継承された錬金術は、12Cに、チェスターのロバートがスペインで「錬金術の後世について」を翻訳したことを1つのきっかけに、ヨーロッパ世界に到来・復興しました。
彼は、錬金術を「アルケミア」と訳しました。

ヨーロッパの錬金術は、アレキサンドリアやイスラム世界とは異なり、秘密主義はなく、大学の教程にも採用されました。

ヨーロッパの錬金術は、ジャービルの「水銀・硫黄理論」を継承しましたが、13Cイタリアのフランチェスコ会修道士、タラントのパオロが唱えた新しい理論が主流となりました。
彼は、ジャービルをラテン語化した「ゲベル」の名で、錬金術の包括的な教科書「完成大全」などを著しました。

彼は、2原質の微小部分が結びついて金属が生成されると考えました。
各金属は粒子の大きさが異なり、金は微小で精密に充填されていますが、非金属は土性の粒子が混入しているのです。

また、14Cに、ルペシッサのヨハネスや偽ルルス文書などで「第5精髄(クィンタ・エッセンチア)」が重視されるようになりました。
これは生命力の元となるもので、錬金術はこれを扱うのです。

「第5精髄」は、天上の「第5元素(アイテール)」が下降して、月下の自然物に入ったものと考えられました。
あるいは、「第一質料」(=「生きた銀」、「水銀」とも考えられました)が地上で「4大元素」に変化した時に、どれにもならずに「第5精髄」になったものとも考えられました。

また、当時、アルコールが「燃える火」、「生命の水」とされ、医療でも消毒剤などで、錬金術でも油脂の溶解剤などとして重視されました。
アルコールには、「第5精髄」を抽出した液と考えられました。

14Cの偽アルナウによる「比喩的考察」は、キリストと水銀が似た存在であるとして、錬金術とキリスト教を結びつけました。
彼は、キリストの4段階の苦悩、人類を救済して救世主になることが、水銀が非金属を癒やして「賢者の石」になるプロセスと同様であると考えたのです。
また、物質が蒸留器の頭部の十字まで上昇して結晶化することが、キリストが十字架に昇ることと類似しているとも主張しました。

中世の有名な錬金術師には、フランス生まれのニコラ・フラメル(1330-1418)や、ドイツ生まれで15C初頭の人物とされるヴァシリウス・ヴァレンティヌスなどがいますが、両者ともにその名で偽書が書かれました。
特に、後者は実在が怪しまれています。


<ルネサンス期の錬金術>

ルネサンス期には、次のような金属と惑星の対応が定着し、金属学(錬金術)は地上の星学(占星術)となります。
金属はこの順で成長して最終的に金になります。

鉄=火星 →銅=金星 →鉛=土星 →錫=木星 →水銀=水星 →銀=月 →金=太陽

また、「賢者の石」を作るプロセスが次のように定式化されます。

1 黒化:材料を30-40日加熱すると黒くなる
2 白化:さらに数週間加熱すると、短期間に色彩変化(孔雀の尾)をした後、「白色の賢者の石」ができ、これに銀を加えると、すべての金属を銀にする変性剤になる 
3 赤化:さらに強く加熱すると黄色を経て濃い赤色の「赤色の賢者の石」になる
4 発酵:これに金、水銀を加えると完成した「賢者の石」になり、すべての金属を金にする変性剤になる

2までが「小作業」と呼ばれ「月の木」で象徴され、白化は「白鳥」で象徴されました。
4までが「大作業」と呼ばれ、「太陽の木」で象徴され、赤化は「不死鳥」「ペリカン」で象徴されました。

「賢者の石」が普遍的な金の変性剤である理由としては、金の「形相」を過剰に持つ金以上の金であり、あるいは、金の「種子」を持っていて、それを他の金属に与えるからと考えられました。
また、水銀派の錬金術師は、水銀に霊魂を注入して「賢者の水銀」にすると、それが金の「種子」を開放する、と考えました。

また、パラケルススは医師であり実際に錬金を行う錬金術師ではありませんが、医薬の精製を錬金術と同様の作業であると考えました。
そして、「水銀・硫黄理論」に「塩」を加えてた3原質を理論化するなど、独自の錬金術理論を作りました。
彼は、「3原質」を金属だけではなく、すべての事物を構成する「原理」であると考えました。
また、彼は、自然・人間の成長全体を、錬金過程と考えました。
詳細は、「パラケルススと錬金術」をご参照ください。


<種子>

錬金術で使われる「種子」の概念は、遠くはストア派の「種子的ロゴス」に由来します。
これは事物に内在する形相因です。

これを受けて、アラビア錬金術では、硫黄・水銀の「2原質」が金属の「種子」とされました。

一方、ヨーロッパでは、アウグスティヌスが「種子的理性」と言い換え、神が「種子的理性」によって世界を種子の形で創造したと考えました。

ルネサンス期にはフィチーノが、「種子的理性」を新プラトン主義化して受け継ぎ、「世界霊魂」が「世界霊気」を通して自然に「種子的理性」を「第5精髄」とともに与えるとしました。

また、パラケルススは、4大元素を「大地(母)」と表現し、「3原質」を「種子」と考えました。
特に、3原質の結合体である「第一質料」を「種子」であると表現しました。
「種子」は1つの原質として発現します。
「種子」の成長を加速させるのが錬金術です。