シュタイナーのキリスト論とイエス論

神智学協会では、「キリスト」は白色同胞団の「世界教師」という一役職であり、イエスは「キリスト」が宿った何人かの一人に過ぎません。
ですが、シュタイナーにとっては、「キリスト」は「太陽ロゴス」であり、「イエス」はそれを宿した唯一の存在であり、ゴルゴダの秘跡は地球史における唯一の出来事です。

シュタイナーは、「神秘的事実としてのキリスト教と古代秘儀」以来、それぞれの福音書に関する講演、その他多くの書で、「キリスト」と「イエス」について語りました。

これは、シュタイナーの人智学の核心に関わるテーマであり、神智学協会の思想との違いでもあります。
この項では、シュタイナーのキリスト論、イエス論について、まとめます。


<キリスト>

シュタイナーは、イエスがヨルダン川の洗礼の時に「キリスト」が受肉し、ゴルゴダの十字架上で血を流した時に、「キリスト」が地球と一体化したと言います。

シュタイナーは、「キリスト」とは「太陽ロゴス」であり、地球と一体化して「地球霊」となり、人間の中にも入ったのだと言います。
そして、地球、大地は「キリスト」の肉体となりました。

ですが、シュタイナーの言う「キリスト」は、神智学が言う白色同胞団の「世界教師」という一役職でもなければ、キリスト教が言う三位一体の子なる神でもないようです。
また、「太陽ロゴス」も、神智学の言う「太陽ロゴス」、つまり、太陽系の最高神とは違うようです。

シュタイナーが「キリスト」を「太陽ロゴス」とするのは、「ヨハネ福音書」やフィロンなどのギリシャ系神智学、秘教的キリスト教の伝統を継承してはいます。

ですが、シュタイナーは「キリスト」を、太陽紀に人間の段階にまで進化した「火の霊」を率いた大天使(第8位格の天使)であると言っています。
そして、月紀に太陽が分離した時に太陽に移り住んだ6人の光の霊「エロヒム」達が「太陽ロゴス」の本質だとも言います。
そして、地球紀ヒュペルポレアス時代に、地球から太陽が分離した時にも、太陽に移り住んだ存在です。

神智学との対応については、よく分かりません。
もともと、神智学と人智学では、宇宙進化論の中での「太陽」の意味が違います。
また、神智学のサナート・クマーラ達は「炎の主達」と呼ばれますで、これと「火の霊(大天使)」は、対応しているのかもしれません。


シュタイナーによれば、ゴルゴダの秘跡以前の多くの宗教は、太陽神として「太陽ロゴス」たる「キリスト」を崇拝しました。
ゾロアスター教のアフラ・マズダ、エジプトのオシリス、ギリシャのゼウスも同様の存在であると言います。

そして、古代の秘儀では、3日間の仮死状態の中で、太陽神を見ました。
ですが、「太陽ロゴス」が「地球霊」になって以降、これを行うことができなくなったと言います。

シュタイナーは、ゴルゴダに秘跡は、従来は少数者だけが秘儀で体験した「太陽ロゴス」との合一を、全人類に開かれた認識の道に変えたと言います。

つまり、こうして、人間は、肉体を持った目覚めた意識の中で、言葉を通して霊的なものを認識し、「意識魂」を育てる時代になったのです。

また、「キリスト」は1909年にエーテル界に出現したと言います。
そして、人智学はエーテル体のキリストを見えるようにするため、人々の霊視能力の獲得に尽くす使命を持っているのです。


<イエスの生涯>

シュタイナーは、福音書が語るイエスは2人いて、「キリスト」以外に、仏陀やゾロアスターも宿ったと言います。
つまり、「キリスト」を宿すために、イエスには二つの霊統が流れ込んで、準備がなされたのです。

「ルカ福音書」が語る「ナザレのイエス」は、ダヴィデ家の司祭系、「ナータン系」の生まれです。
そして、もう一人は「マタイ福音書」が語る「ベツレヘムのイエス」で、ダヴィデ家の王系、「ソロモン系」の生まれです。

「ナータン系のイエス」の母は、浄化されたアストラル体を持っていました。
浄化されたアストラル体は「処女ソフィア」と呼ばれる存在で、「宇宙自我」=「聖霊」の光を受け取ることができます。

また、仏陀は同情と愛を霊的領域から人間の中に流し込むことを任務としていたのですが、「ナータン系のイエス」のアストラル体に、仏陀の応身(アストラル体)が働きかけました。
ちなみに、仏教では、一般に「応身」は肉体の仏、「報身」がアストラル体の仏ですが、シュタイナーは反対の意味で使っています。
多分、この使い方は、神智学から継承したものでしょう。

ゾロアスターは、太陽神を説きましたが、死後、アストラル体はヘルメスに、エーテル体はモーゼに与えました。
そして、ゾロアスターの自我は、カルデアのザラトスを経て、「ソロモン系のイエス」に受肉しました。
「ソロモン系のイエス」は、エジプトに行って、ヘルメスとモーゼを通して与えられた力を取り戻しました。

12歳の時、ゾロアスターの自我は、「ナータン系のイエス」に移り、「ソロモン系のイエス」は亡くなりました。
同時に、仏陀の応身は「ナータン系のイエス」の母に結びつき、その後、母は亡くなりました。

仏陀の後を継ぐ菩薩は、エッセネ派のパンディラのイエス(異端として処刑された人物)に受肉して、イエスの準備をしていました。
ちなみに、この菩薩は3千年後に弥勒菩薩として仏陀になります。

「ナータン系のイエス(以下「イエス」)」は、エッセネ派から秘密を教授されました。
ですがその後、「イエス」に仏陀が現れ、自分がエッセネ派のような教団を作って、教えを少数の者に限定したのが間違いだったと伝えました。
また、「イエス」は、エッセネ派は教団から悪魔的存在の「ルツィフェル」と「アーリマン」を追い払っても、他の人間のところに行くだけだということを知りました。

「イエス」が20歳の頃、「ソロモン系のイエス」の母がイエスの義母になりました。
彼女は、ゾロアスターの教えをイエスに伝えました。
また、「イエス」は、ミトラス教が悪魔的な力の支配下に置かれるようになったことを体験して知りました。
シュタイナーはマニ教を評価しますが、その西方版ミトラス教は評価しないようです。

その後、「イエス」からゾロアスターの自我が去りました。
そして、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けました。
この時に「キリスト」が「イエス」に受肉しました。

同時に、「イエス」の母の霊(=聖母マリア)が義母に宿りました。
「キリスト」が受肉した「イエス」は、荒野で「ルツィフェル」と「アーリマン」と戦いました。

そして、ゴルゴダの秘跡に至ります。

シュタイナーの薔薇十字の修行法とイニシエーションの階梯

ルドルフ・シュタイナーは、1904-5年の「いかにして超感覚的世界の認識を得るか(以下「いかにして」と略す)」、1906年の講演「神智学の門前にて」、1907年の講演「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘主義概論」中の「高次の諸世界の認識」などで、修行法とイニシエーションの階梯について語っています。

これらでシュタイナーが勧めている修行法を、彼は薔薇十字会系のものであると語っています。
ただし、「いかにして」や「神秘主義概論」では、「薔薇十字」という表現は使っていません。

薔薇十字の修行法は、思考を通した認識や自由を重視するもので、シュタイナーは、この修行法が、現代の西洋人に適した道であり、人智学の「精神科学(霊学)」に合った道だと考えました。
この方法を説くことは、シュタイナーの歴史観の帰結であり、「東洋の道」を重視する神智学協会と根本的に相違する点でもあります。


<3種の道>

シュタイナーは「神智学の門前にて」、「薔薇十字会の神智学」などで、3種類の修行の道について述べています。
「東洋(ヨガ)の道」、「キリスト教の道」、「薔薇十字の道」の3つです。

「東洋の道」はパタンジャリの「ヨガ・スートラ」の八支則のことです。
シュタイナーは、単純にこれを「東洋の道」とします。
神智学協会が「ヨガ・スートラ」を重視していることが、その理由の一つかもしれません。
シュタイナーは、この道を、完全にグルに頼る方法であると言います。

「キリスト教の道」は、「ヨハネ福音書」を通して、ロゴスの力、キリストの生涯を内面的に魂で体験する方法です。
キリスト=ロゴスが地球の霊となり、肉体の中に入って私たちの下に住んだことを信じることが前提となる道です。
シュタイナーはこれを秘儀の7つの段階と考えます。

1 洗足   :謙虚さ、動・植・鉱物に感謝
2 鞭打ち刑 :断固として立ち向かう
3 茨の戴冠 :馬鹿にされても毅然と耐える
4 磔刑   :身体に対する無関心
5 神秘的な死:地上的なものに対する死、被造物の苦しみを体験
6 埋葬・復活:地上のすべてを自分の体と感じる
7 昇天   :魂が脳から自由に


<薔薇十字の道>

「薔薇十字の道」は、知識によって信仰から離れた人のための道であり、霊視や霊聴を叡智の源泉とする道です。
グルは助言者に過ぎず、修行者は自立し、霊界との関係こそが第一とされます。
また、「いかにして」などのシュタイナーの著作は、書自身がグルの代りとなるように書かれています。

「薔薇十字の道」は、基本的にはクリスチャン・ローゼンクロイツによって作られ、指導されました。
シュタイナーは、彼を、高次な霊的存在が受肉した、歴史的に実在した人物であると言います。
ですが、より古くは、マニやディオニュソス・アレオパギタなども、この道の形成に力を尽くしたと言います。

もちろん、現在の知見では、クリスチャン・ローゼンクロイツは、ヴァレンチン・アンドレーエが創作した人物で、天使のヒエラルキアについて著した「天上位階論」のディオニュソスは、「偽ディオニュソス」とされます。
また、当時シュタイナーが知りえたマニの情報は限られていましたが、悪に対する考え方に共感しています。

「いかにして」では、最初に次の基本的な2つの道が説かれます。
一つ目は、「畏敬の道」で、真理と認識に対する畏敬の念を持つということです。
二つ目は、「内的生活の開発の道」で、毎日時間を確保して、内的平静を保ち、思考の瞑想を行うことです。

また、「神智学の門前にて」では、「薔薇十字の道」は2つの自己認識が基本であると言います。
一つは、低次の自己認識で、日常の自分を観察し、それが高次な存在でないことを認識します。
二つ目は、高次の自己認識で、高次な自己は外なる世界の中にあると認識します。


<特性を獲得する6つの行>

「薔薇十字の道」には、「6つの行」と呼ばれる方法があります。
また、イニシエーション(霊界参入)が7段階で語られ、それに対応する行法もあります。
「神智学の門前にて」では、この2つは平行して行うべきものと語られます。

「6つの行」は、「いかにして」、「神智学の門前にて」、「神秘学概論」などで語られます。
これは、「魂の特性」を獲得する行で、体と魂を分離させずに霊的に進歩するための基本的な方法です。
一見すると神秘主義や霊能力とは関係なさそうな、精神の基本的な能力を伸ばす訓練です。

具体的には、以下の通りです。

1 思考のコントロール(思考の行)
:一つの概念について論理的に考えていく
2 行動のコントロール(意志の行)
:毎日、決めた時間に決めた行動を行うなど
3 感情のコントロール(感情の行)
:平静を保ち、快不快、喜び・苦しみの表現を統御する
4 積極性
:あらゆる事物・人の中に善・良い点を見つけ、肯定的な態度を身につける
5 信頼・受容
:何事も過去の経験で判断せず、新しい体験に信頼を持って向かう
6 調和
:上の5つの行を通して能力の均衡を形成する


<イニシエーションの7段階と行法>

イニシエーションの7段階とそれに対応する行法については、「神智学の門前にて」、「薔薇十字会の神智学」、「神秘主義概論」などで語られます。
基本的には以下の順番に行いますが、人によって前後して異なる順番で行ってもかまいません。

1 学習、霊学の研究
2 イマギナチオーン認識(霊視的想像力)の獲得
3 インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)の獲得
4 イントゥイツィオーン認識(合一的直観)の獲得
5 小宇宙と大宇宙の照応
6 大宇宙との一体化
7 三昧(神的至福)

各段階の意味と、そこに至るための行法は、以下の通りです。

1の「学習」のための行法は、論理的に思考する、読書で著者の論理をたどる、思考展開・思考体系への沈潜などです。

2の「イマギナチオーン認識(想像力・霊視)」の獲得のための行法は、
象徴的形象へ沈潜する、すべて事物を霊の象徴的比喩と見る、植物の成長過程を瞑想するなどです。

象徴的形象へ沈潜は、シュタイナーが勧める方法は、まず、植物と人間の瞑想です。
これは、植物と人間の存在のあり方の違い、植物の完全性と、植物にない人間が持つ感情・欲望の高次性と不完全性をイメージするものです。
そして、植物存在をその緑の樹液に象徴し、人間存在を赤い血液に象徴します。

次が、薔薇と十字の瞑想です。
これは赤い薔薇をイメージし、それが緑の樹液が赤く変化したものであり、それを浄化された感情・欲望として感じます。
次に、黒い十字架の上に7つの薔薇をイメージします。
そして、前者を根絶された低次な感情、後者を浄化された感情として感じます。

重要なのは、イメージに感情を込めることと、イメージの内容よりも想像力自体を問題とすることです。

この認識によって、変化する存在を認識できるようになります。
この段階は「アストラル界参入」と呼ばれます。

3の「インスピラチオーン認識(霊感・霊聴)」の獲得のための行法は、上記の「6つの行」や、「逆向き瞑想」(毎日の出来事を時間を遡りながら客観的に振り返る)、感覚に捕らわれない「純粋思考」などです。
「イマギナチオーン認識」と違って、認識において感覚的な形象との結びつきをなくす必要があります。
また、この段階の認識を意味あるものとするには、宇宙的な象徴への集中や、理念への瞑想の行によって、魂を成長させる必要があります。

この認識では、変化する存在の内的特性、形姿の中に表現される存在同士の内的関係、天球の諧調を認識できるようになります。
また、文字の形の中にある象徴を理解することができるようになります。
そのため、この段階の認識は、「意味文字の解読」とも呼ばれます。
また、思考や概念が、生きた具体性を持ったものとして体験されます。
この段階は「神界参入」と呼ばれます。

4の「イントゥイツィオーン認識(直観・霊的合一)」の獲得のための行法は、形象的な体験だけでなく、霊聴的な体験も含めて、これまでの体験のすべてを消し去った時に、現れたものに対して没頭することです。
この認識では、存在の内面の認識ができるようになります。

また、この段階では、呼吸法によって植物のように炭素を酸素に変換することができるようになります。
そのため、この段階は「賢者の石の製造」とも呼ばれます。

5の「小宇宙と大宇宙の照応」の段階では、身体の各部分に沈潜することで、それが生まれることになった理由、それが照応する外部(大宇宙)を知ることができるようになります。

6の「大宇宙との一体化」は、5の延長上にあるもので、身体の各部分から出発して、それが拡大され、外部の世界の中に沈潜して、そこに神を見出すことです。

7の「三昧(神的至福)」では、6を通して、全宇宙の意志に応じた仕方で自分に対することができるようになります。
思考内容をなくした思考活動で、神的・霊的世界に安らぎます。


<イニシエーションの結果>

イニシエーションの結果として現れる事項に関しては、上記の著作、講演や、「いかにして」で語られます。

具体的には下記のような結果、現象が現れます。

A 霊的器官の形成
B 夢・睡眠中の意識の持続
C 高次の自我と人格の分裂・再結合
D 境域の守護霊との対面

Aの「霊的器官の形成」は、まず7段階の第2段階の結果として、アストラル体の次元でチャクラ(蓮華、輪)が輝き始め、次に回転を始めて、霊視能力が現れます。

シュタイナーはチャクラの種類を下記のように4つ数えます。

・喉のチャクラ :16弁:思考内容の霊視能力と関係
・心臓のチャクラ:12弁:魂の志向、動・植物の諸力の認識と関係
・腹部のチャクラ: 6弁:官能性と霊性の均衡に関係
・鳩尾のチャクラ:10弁:魂の才能や能力の認識と関係

心臓のチャクラは光を照射して、アストラル界を知覚することができるようになります。

次に、第3段階の結果として、エーテル体の次元で、心臓の回りに新しい中心点が意識されるようになり、それが認識器官になります。
これは、チャクラにエネルギーを流すようになり、外部に向かっては、光線を放つようになります。

次に、第4段階の結果としては、肉体の次元で変化が起こります。


Bの「夢・睡眠中の意識の持続」は、まず、第2段階の結果として、夢に変化が起こります。
最初に、物質世界を反映した夢も霊的世界を反映した夢も規則的になります。
次に、夢の中で目覚める(意識を保つ)ことができるようになります。
そして、物質界に属さない情報が夢の中に現れます。
また、夢のイメージが日常世界に入ってくるようになり、そのイメージを意識的にコントロールできるようになります。

次に、第3段階の結果として、夢のない眠りにも意識を持続させることができるようになります。
すると、イメージに音と言葉が加わり、イメージは自分が何者であるかを語り、霊的事項の「原因」が打ち明けられます。
日常と関係した事項の場合はそれが解明され、日常と無関係な事項の場合は喜びを感じます。

Cの「高次の自我と人格の分裂・再結合」は、はっきりとどの段階とは言えませんが、まず、第2段階の結果として、「高次の自我」が形成されます。

その後、従来の「意志」、「感情」、「思考」の結びつきがバラバラになり、それぞれが独立して働くようになります。
「高次な自我」が、それらを制御し、育てて、再度、結びつけます。

普通、覚醒時には高次の世界の刺激は無意識に受け取っていて、自分より上級の霊的存在に導かれています。
ですが、これを意識化すると、自立することになるので、この時、「意志」、「感情」、「思考」の再結合が行われるのです。
そして、人は自分の責任で行動して、霊的な世界の事項を地上に移し入れる使命を果たすようになります。

Dの「境域の守護霊との対面」もはっきりとどの段階とは言えませんが、「小守護霊」と「大守護霊」の2段階があります。

「境域の守護霊」は、人が霊的な世界に入る時に出会う存在で、「ドッペルゲンガー」とも呼ばれます。
人がまだ準備ができていない場合は霊界に入ることを拒否したり、忠告をして、進める状態に促したりします。

「小守護霊」は、エーテル体とアストラル体で、「意志」、「感情」、「思考」の結びつきが解け始めた時に現れます。
「小守護霊」は、醜い姿をしていて、「死の天使」とも呼ばれます。
この醜い姿は、その人自身の過去に生活の結果です。
そのため、「小守護霊」を美しい存在にしようという欲求が生まれます。
そして、自分を浄化していくに従って、「小守護霊」の姿も変わっていきます。

「小守護霊」は、人が前に進むと、その人をこれまで導いてきた高級霊が離れることを打ち明けます。
前に進もうとする人が、民族霊や種族霊の力を身につけていなければ、孤立した存在になってしまいます。

「大守護霊」は、「意志」、「感情」、「思考」の結びつきが解けることが、肉体にまで及ぶ時に現れます。
「大守護霊」は「高次の自我」の理想の姿で、壮麗な姿をしています。
そして、人に、他者の救済のために働くべきことを告げます。
人がさらに進んでいくと、やがて「大守護霊」と合一します。


<「いかにして」のイニシエーションの3段階と行法>

「いかにして」では、次のような、イニシエーションの3段階とそれに必要な行が語られます。

I 準備
II 開悟
III イニシエーション(霊界参入)

これらは、大体のところ、上記した7段階の最初の3段階に相当するようです。

Iの「準備」では、植物の成長・開花を観察、それに集中し、そこから生まれる感情と思考に集中します。
また、自然の発する音に集中します。
そして、他人の言葉に集中し、自分の賛否の判断なしに没我的・脱自的に、相手の言葉に没入して傾聴します。

IIの「開悟」では、鉱物、植物、動物を考察して、それぞれから流れてくる感情を感じます。
そして、その霊的な色彩(オーラ)を見るようにします。

IIIの「イニシエーション」は、3つの「試練」の段階を経過する必要があります。

最初の試練は「火の試練」です。
これは、鉱物、植物、動物の本質について真実なる直観を獲得するものです。
これを通して、事物のヴェールが脱げ落ち、これまでに知覚できた霊的事物の秘密言語、秘密文字が理解できるようになります。

次の試練は「水の試練」です。
秘密言語が教えてくれた規準に従がって、義務を正しく認識して遂行しなければいけません。
それを通して、霊眼、霊耳が成長し、また、自制心や判断力などが鍛えられます。

最後の試練は「風の試練」です。
この段階では、自分で道を見つけて、「高次の自我」を見い出します。
そして、無条件な霊の顕現を実現する必要があります。


シュタイナーの人間の本質と霊界の階層

ルドルフ・シュタイナーは、人間の9本質(7本質)や、霊界の階層構造について、1904年の「神智学」、1906年の「神智学の門前にて」、1907年の「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などでまとめて述べています。

この項では、ルドルフ・シュタイナーの人間本質論と霊界構造論について、まとめます。


<人間の9本質>

シュタイナーは、下記のように人間の9本質を考えます。

・霊
1 霊人(アートマ) :インツゥイツィオーン認識(合一的直観)
2 生命霊(ブッディ):インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)
3 霊我(マナス)  :イマギナチオーン認識(霊視的想像力)
・魂
4 意識魂       :霊我と一体になった魂
5 悟性魂(自我・私) :覚醒意識(人間的・対象的意識)、思考力 
6 感覚魂       :アストラル体と一体になった魂
・体
7 アストラル体(魂体):夢の意識(動物的意識)、感覚・感情
8 エーテル体(生命体):睡眠意識(植物的意識)、形成力
9 肉体(物質体)   :昏睡意識(鉱物的意識)

3分説では、1から3が「霊」、4から6が「魂」、7から9が「体」です。

そして、4と3は一体で、6と7も一体なので、全部で7本質となります。

また、5が「自我」だと言う場合、この「自我」は日常的な「自我」ですが、目覚めた「自我」は、5と4が一体の「自我」と捉えられます。

また、5の「自我」を中心にして、上下が対象の構造になっています。
つまり、「自我」は7から9を感覚によって知覚しそれを言語化し、1から3を直観によって知覚しそれを言語化します。

そして、7、8、9は、それぞれに、3、2、1が変化したものであるとも言うことができます。

「自我」を3「霊我」で満たすと、それが7「アストラル体」を照らし、それによって「自我」が「アストラル体」を支配することで、そこに「霊我」が現れるのです。
つまり、「アストラル体」を意識化して働きかけることで、その部分が「霊我」になるのです。
こうして、「アストラル体」は変化していない部分と、変化した部分(霊我)から構成されるものになります。

変化させることはより難しくなりますが、2と8、1と9の関係も同様です。

この上下対称性は、ブラヴァツキー夫人の神智学にはありません。
過去の神智学では、唯一、プロクロスときわめて類似しています。
ただ、シュタイナーがプロクロスについて語っているのを知りませんし、プロクロスには下位のものが上位のものに変化するという関係はないと思われます。


「魂」は「体」を通した「体験(印象)」を「表象」に作り変え、それを「霊」に受け渡すと、「霊」はそれを「能力」に変換して成長します。

また、シュタイナーは、「人間は思考存在であって、思考から出発するときにのみ、認識の小道を見つけることができる」と言い、「悟性魂」が行う「思考」を重視します。
ですが、単なる「抽象的思考」は超感覚的認識の息の根を止めると言います。
そうではなく、「生きた思考」が、超感覚的認識の土台を築くのです。

超感覚的認識というのは、「魂」、「霊」の諸感覚で、それぞれ、魂的、霊的存在を直接、知覚します。

思考を「生きた」ものにするには、外界に対して偏見を排して帰依する態度で、自分自身を空の容器にして、事物や出来事が自分に語りかけてくるように、外部のものに思考内容を作り出させることが必要です。

シュタイナーは、霊界の法則が思考存在としての私自身の法則と一致している時、はじめて私は霊界の法則に従うことができる、と言います。
そのような「魂」の中の不死なる部分、真・善を担うのが「意識魂」です。

そして、「私」として生きる霊は、「自我」として現れるから「霊我」と呼ばれます。

また、独立した霊的人間存在が「霊人」で、「霊人」に働きかける霊的生命力、エーテル霊が「生命霊」です。

ちなみに、動物の「自我」はアストラル界に1つの種類の動物の1つの群魂という形で存在します。
同様に、植物の「自我」は低次の神界に、鉱物の「自我」は高次の神界に存在します。


<夢と睡眠と死後>

睡眠時、「自我」と「アストラル体」は、「エーテル体」と「肉体」から離れます。
離れても、結びつきは残ります。
睡眠時の「アストラル体」を霊視すると、絡み合う2つの螺旋でできているように見えます。
1つは肉体に消えていく螺旋、もう1つは大宇宙に消えていく螺旋です。

また、夢を見る時には、「アストラル体」が、より「エーテル体」と結びつきます。
覚醒すると、大宇宙に消えていく螺旋はなくなります。

睡眠時の「アストラル体」は、宇宙的なアストラル界から法則を受け取り、それをエーテル体の建設に使います。

死後の人間は、まず、「肉体」を脱ぎ、次に「エーテル体」を脱ぎ、最後に「アストラル体」を脱ぎ、それぞれの死体はやがて消滅します。

「エーテル体」以上の存在は、心臓のところの結びつきを解いて、「肉体」を脱ぎ捨てます。
その直後、生前の体験が眼の前にパノラマのように現れます。

「エーテル体」を脱ぎ捨てた後には、先前の体験を、死ぬ時から誕生までを逆回転で遡って、3倍速で、霊的な眼前に体験します。
この時、自他の関係も逆に、つまり、自分が相手に与えた苦しみがあれば、それを自分の感情として体験します。
こうして、自分の欲望の結果を目の当たりにして見ることで、それを焼き尽くして消滅させます。

アストラル体を脱ぎ捨てた後は、霊界を認識してその世界を体験しますが、また、地上世界にも働きかけて、それを変化させます。

その後、やがて、霊界から流れてくる諸力を受けて、新しくアストラル体を形成し、再生します。
再生は、約1000年後に、異なる性別に転生します。
転生する直前には、次の人生で克服すべき障害、課題が目の前に絵のように現れて示されます。


<宇宙の階層構造>

シュタイナーは、神智学を継承して、宇宙の存在の階層を、7階層とそれぞれの7亜階層の構造で考えます。
亜層は上位3層、中間層、下位3層に分けて考えることもできます。

シュタイナーが詳細を語るのは、1「アティ界」、2「モナド界」、3「アートマ界」、4「ブッディ界」よりも下位の世界です。

5 神界(デーヴァ界、メンタル界、理性界)
・高次の神界(没形態界、霊芽・思考種子)
-1 生命核(霊人と生命霊)
-2 真実の行動
-3 意図と目標(霊我=自我の真の姿)   :霊界の光
・低次の神界(形態界、霊姿)
-4 思考の原像(下位3層の原像の統率)   :霊界の熱・火
-5 魂の原像(アストラル体を構成する諸力):霊界の大気圏(霊言)
-6 生命の原像(エーテル体を構成する諸力):霊界の大洋(霊的音響)
-7 物質の原像(肉体を構成する諸力)   :霊界の大陸(霊的色彩)

6 魂界(アストラル界、欲界、元素界、煉獄)
-1 魂の生命の領域    
-2 魂の活動力の領域  :ひとつのものが放射し他の中へ流出する活動性
-3 魂の光の領域    :外に向かって輝く、他の存在の光で自分を照らす
-4 快と不快の領域   :快(共感)と不快(共感の減少)
-5 願望の領域     :反感<共感
-6 流動的感応力性の領域:反感=共感 感覚に対する一時的感情
-7 燃える欲望の領域  :反感>共感 

7 物質界
-1 生命エーテル
-2 音エーテル
-3 光エーテル
-4 熱・火
-5 空気
-6 水
-7 地


<魂界(アストラル界)>

アストラル界は、欲望、要求の世界です。
その根本的な力は、他と融合する「共感」と、他を反発、排除する「反感」です。
下位の4層はその割合などで分かれます。

5、6、7は互いに浸透し合っていて、4は「熱」のようにそれらを貫き、1、2、3は「光」のようにそれらを照らす存在です。

アストラル界では、自分の感情、衝動は、自分に向かっていくように見えます。
ただし、特定の人間への悪意はその人に向かいます。

また、アストラル界は、色彩を通して語りますが、物質界とは明暗が逆で、色は補色で見えます。

そして、結果が先、原因が後で見えます。

死後、肉体を離れた霊魂は、物質界への執着の部分を低いものから順に消滅、浄化していきます。


<霊界(メンタル界)>

霊界は人間の思考内容を織りなす素材と同じ素材で織りなされています。
ただし、人間の思考内容の中に生きている素材は、この素材の真の本性の影、図式にすぎません。

霊界では、物質界と魂界にあるすべての事物の「霊的原像」が存在します。
「霊的原像」は、プラトンの「イデア」に当たる概念ですが、「イデア」よりも動的・創造的存在です。
シュタイナーはこれが「抽象概念」ではないと名言していることが重要で、その点で(後期)プラトンと違います。
ユングの「元型」にも似た性質も持ちます。

「霊的原像」は、抽象概念とも感覚像とも似ていません。
創造が本性であり、「霊的原像」の形態は急速に変化し、無数の特殊形態を取る可能性が存在します。
そして、「霊的原像」と別の「霊的原像」は互いに親密な関係にあります。

霊界の下層には「霊視」される「物質の原像」があり、その上層には「霊聴」される「生命の原像」が、さらにその上層には「霊言」として聞き取られる「魂の原像」があります。
これらは、死者の回りに形をとって現れます。

高次の神界である上位3層は、「原像の創造力」の世界、原像が「生きた胚種」の状態、「思考種子」が存在する世界です。
それは、世界の根底にある「意図」と「目標」の世界です。
ここに至るとアカシャ年代記(過去の記録)が読めるようになります。