アンリ・ベルクソンと神秘主義

アンリ・ベルクソン(1859-1941)は、一般に、「生の哲学」とカテゴライズされる潮流に属する、フランスの大哲学者で、「生命の飛躍(エラン・ヴィタル)」の概念が有名です。

ですが、彼が作った「持続」、「強度」、「異質多様性」、「潜在性」などの独特の概念は、ジル・ドゥルーズが引き継いだように、ベルグソンは真に現代的な存在論・形而上学を切り開いた哲学者として、再評価されています。

また、あまり知られていませんが、ベルグソンは、神秘家を「持続」や「エラン・ヴィタル」を体現した存在、人間が人間を越える存在になることを導く英雄、と捉えて評価しました。
ですから、ベルクソン哲学による神秘主義の解釈は、現代的な神秘主義を考える上で重要です。

ちなみに、彼の妹のミナ・ベルクソンは、儀式魔術結社ゴールデン・ドーンの首領であるマグレガー・メイザースの妻モイナ・メイザースであり、美術的才能を持つ、ドールデン・ドーンの主要な魔術師でした。


<「二源泉」における神秘家>

「道徳と宗教の二源泉」(1932)は、ベルクソンの最後の著作であり、彼の哲学の集大成となるものです。
この書で、彼は、「閉じた社会」とその「静的宗教」、「開かれた社会」とその「動的宗教」を区別し、後者を評価しました。
「動的宗教」とは、ほぼ、神秘主義のこと、あるいは、神秘家によって活力を取り戻された宗教のことです。

ベルクソンは、「静的宗教」を、「社会を解体させるものに対する防御的反作用」、「規律を与える」、「個人を社会に執着させる」などと表現しています。
それに対して、「動的宗教」を、「魂の高揚」、「歓喜の中の歓喜」、「ただ愛だけであるものへの愛」などと表現しました。

また、ベルクソンは、「真の神秘主義」、「完全な神秘主義」と、そうではない神秘主義を分けています。
「真の神秘主義」は、「行動」、「創造」、「愛」、「意志」、「意欲」を持つ神秘主義であって、そうでない神秘主義は、単に、観照・瞑想するだけの、生命力に欠ける神秘主義です。

そして、「真の神秘主義」は、具体的には、聖パウロ、聖カテリナ、聖テレサ、聖フランチェスコなどのキリスト教神秘主義であると書いています。

それに対して、ギリシャ神秘主義は、観照主義であって、行動や意志を欠くのです。
また、仏教は、生存意欲の滅却を特徴とし、全的な献身を知らないとして評価しません。
そして、ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダは、全的な献身を知っているけれど、それはキリスト教の影響を受けたからだと書いています。

また、ベルクソンは、神秘主義、神秘家について、
「偉大な神秘家とは、種に、その物質性によって指定されている限界を飛び越え、このようにして神的活動を続け、それを発展させるような個性のことであろう」、
「神秘的天才が一度出現すれば、…彼は人類を新しい種にしようと欲するだろう…」、
と書いています。

つまり、ベルクソンは、神秘家を、人類を別の種にまで進化させる存在であるとして、英雄視しているのです。
彼にとって、「生命」とは、「飛躍的な創造(エラン・ヴィタル)」を持つものであり、神秘家は、それを体現する存在なのです。

では、ベルクソンにとって、どういう体験が神秘体験ものなのでしょうか。
それを理解するためには、彼の哲学を理解する必要があります。
以下、ドゥルーズの解釈を参考にしつつ、神秘主義解釈と関係しそうな部分を、なるだけ簡単に説明します。


<「試論」における持続と直観>

ベルクソンは最初の著作、「意識に直接与えられたものについての試論」(1889)で、彼の哲学の基本となる概念、「持続」について語っています。

ベルクソンには、「物質」と「精神」の独特の二元論の考え方があります。
「物質」の特徴は、「空間」的観点から「延長」と表現され、「精神」の特徴は、「時間」的観点から「持続」と表現されます。

精神的な存在に対して「持続」という時間的な言葉を使った背景には、人間は、知覚・刺激に対して、直ちに予測可能な自動的な反応をするのではなく、精神的要素(情動や記憶)による時間的な遅滞を経て、不確定な行動をするという見方があります。

「持続」というのは、非常に分かりにくい表現ですが、彼は、「持続」の本質を「異質多様性」と表現しています。
これは、分かりやすく言うと、質的に生成変化し続ける、「明確な輪郭を持たない」、「錯雑」で「稠密」な「集塊」のことです。

また、情動などの「精神」の大きさの度合いを「強度」と表現しますが、これは、多くの心理的諸要素が「相互浸透」している度合いであるとします。
「強度」は、「精神」の本質的性質です。
この相互浸透は、「時間」的観点からも言えることで、生成変化する「諸瞬間が互いに浸透し合う」状態です。

つまり、「精神」は、特定の性質を保持する、不変で、固定的で、個別的なものではなく、生成変化し続け、相互浸透し合う存在なのです。
ベルグソンは、「精神」のそのあり方を「持続」と表現したのです。

ベルクソンは、「持続」を対象とする認識を「直観」であると言います。
つまり、「直観」とは、単なる「表象」のような静的なものを対象とするのではなく、動的で錯綜した「持続」を対象とする認識を指すのです。

また、ベルクソンは、「物質」、あるいは、物質に近い単純な心理を、「自動運動」する存在であるとします。
それに対して、「持続」である「精神」は、「自由」なのです。

・物質=延長:自動運動
・精神=持続:自由、直観、強度


以上のように、ベルクソンは、神秘体験を、「持続」を「直観」する体験であり、「自由」を生むものと理解しました。
つまりは、「霊的存在」(「spirit」は「精神」とも「霊」とも訳せます)とは「持続」であり、「叡智」とは「持続」を対象とする「直観」であり、動的で生成的なものなのです。


<「物質と記憶」における意識論>

ベルクソンは、難解なことで有名な主著、「物質と記憶」(1896)で、分かりやすく言えばですが、意識の深層と表層の違いを、心理学的、形而上学的に理論化しました。

「試論」では、「精神」と「物質」の二元論を展開しましたが、「物質と記憶」では、「精神」と「物質」は程度の違いとされます。
そして、日常的な表層の意識は、「物質」に近いものだとされます。

つまり、「精神」には、「純粋持続」である「精神」的特徴が強い極と、外界に接して「知覚」し、「行動」する、「物質」と言って良いような極があるのです。

表層の「知覚」は、「イマージュ」と表現される固定的・個別的な表象でなされますが、この「イマージュ」は物質的存在で、外界や身体と区別されず、外界の対象物の場所にあるとされます。

「イマージュ」を物質的存在として使い、それが外部にあると考えたのは、観念論や実在論を避け、見たままを受け取って哲学化するというベルグソンの特徴があります。

表層は、外界に接して、現在の意識を構成し、「自動運動」で行動をする状態の精神です。
一方、深層は、過去の無数の「記憶」が、相互浸透し、常に全体で生成変化しながら働いている状態の精神です。

ベルクソンは、「表層意識」という表現は使っていないのですが、それを単に「意識」と表現することはあります。
同様に、「深層意識」という表現も使っていませんが、それを「深み」といった比喩で表現したり、「無意識」と表現することはあります。
ちなみに、ベルクソンの影響を受けたメルロー・ポンティは、これを「奥行き」表現し、ドゥルーズも「奥行き」という表現を継承しました。

ベルクソンは、「純粋記憶」と「純粋知覚」の二極の関係を、「強度」の度合いの違いであるとしました。
つまり、「精神(持続)」と「物質(延長)」の二元論が、「強度」の異なる「持続」の一元論に統合された、とも言えます。

ベルクソンは、認識し、知覚する時、対象(物質)と精神が、回路を作ると言います。
外界の「知覚」は「記憶」を呼び起こし、「記憶」が「知覚」に重なる、という回路が作られるのです。
そして、この回路を、何度も新しく拡張していくことで、意味の豊かさが生まれ、存在の深層を認識できるのだと言います。

そのため、観念や記憶されたイマージュは、「純粋記憶」と「純粋知覚」の間を運動します。

ベルクソンは、下のような図式を使います。

bergson_ensui.jpg

Pは外界である物質、円錐が人間の精神です。
そして、頂点Sが現在である「純粋知覚」、底面ABが過去である「純粋持続(記憶)」です。

・AB:無意識(深み):記憶
・S :意識     :知覚

ベルクソンは、深層(AB)の「純粋記憶」の状態の「記憶イマージュ」が、表層(S)の「知覚イマージュ」になる運動を「収縮(濃縮、集中、結晶)」、その逆の運動を「膨張(弛緩、分散)」と表現します。
あるいは、前者を「活動化(現実化)」、後者を「潜在化」とも表現します。

つまり、「膨張」、「潜在化」は、深層化、強度化、錯綜化であり、「収縮」、「活動化」は、表層化、固定化、個別化です。

・↓:収縮・現実化
・↑:膨張・潜在化

これを神秘主義の問題、用語と結びつければ、「叡智(イデア)」的認識は、「持続(純粋記憶)」、「潜在性」への「膨張」であり、「叡智的存在」による創造は、「持続(純粋記憶)」からの「収縮」、「現実化」です。

ベルクソンにとっては、普遍概念は単に表層的存在であり、深層にある「叡智的存在(イデア)」は、錯綜した強度ある存在です。

「叡智」的認識が「記憶」であるというのは、プラトンが「叡智」を「想起(魂がかつていた霊界を思い出すこと)」と表現したことと似ています。


<「創造的進化」における人間論>

ベルクソンは、「創造的進化」(1907)で、「持続」を本質とする「生命」は、「物質」の中に入って、進化をしながら、それ自身の本来の性質を発現するものであるという考えを述べています。
そして、生命は人間の「意識」において、その「持続」としての本質を十分に発現し、「自由」になったのです。

この考え方は、近代神智学や人智学の神秘主義的な進化観と似ています。
先に書いたように、「持続」は、神秘主義の「霊」を解釈した表現といっても良い概念ですから。

ベルグソンは、進化は、「分化」によってなされると考えます。
「持続」としての生命は、まず、植物と動物に分化します。
動物は、本能的動物と知性的動物(人間)に分化します。
そして、人間に至って、「持続」の本来の「強度」が発現されるのです。

ただ、分化といっても、それは「持続」なので、互いに他の性質を少しは持っています。
これは、神秘主義の「万物照応」の考え方に結びつけて考えることもできるでしょう。

また、ベルクソンは、「持続と同時性」(1922)で、個々の種、個々の個体の「持続」は、孤立したものではなく、全体としての「持続」とつながっていると書いています。
この考え方も、神秘主義的です。

最初に述べた神秘家の役割に戻れば、神秘家は、神秘体験という「純粋持続」の体験をすることで、「生命の飛躍(エラン・ヴィタル)」を体現して、「持続」の「強度」を増すように、人類を新しい種へと進化させる、というのが、ベルクソンの考えです。

井筒俊彦の東洋哲学2(類型と意識の構造)

井筒俊彦の東洋哲学1(コトバと言語アラヤ識)」からの続きです。

この項では、井筒俊彦の主著、「意識と本質」以降に語られる「東洋哲学」について、まとめます。


<東洋哲学>

「東洋哲学」、「精神的東洋」は、井筒のキーコンセプトです。
この言葉は、地理的な東洋を示すとともに、それを越えた理念的な意味を持っています。

本来、「東洋」は、「神秘哲学」で示されたように、ディオニュオスがやってきたギリシャよりも東の地域を指すのでしょう。
「意識と本質」では、カバラも扱っているので、ユダヤ、イスラムからインド、中国、日本までを指します。
ですが、「意識と本質」には、マラルメやリルケのような近代ヨーロッパの詩人までもが扱われていて、地理的、時代的な枠には収まりません。

イスラムの哲学者イブン・スィーナーに「東洋哲学(東方神智学)」という概念があったように、井筒が研究していたイスラム哲学には、すでに「東洋哲学」という概念があります。
これは、地理的な概念ではなく、「東洋=叡智=照明」として、「西洋=物質=闇」に対する理念的な意味を持っています。
井筒の「東洋哲学」にも、その影響が及んでいるのでしょう。

井筒は、「イスラーム哲学の原像」などで、象徴的な逸話として、若きイブン・アラビーが、アヴィセンナと会った時に、神秘哲学・神智学の立場から、アヴィセンナの合理主義的な哲学を否定した逸話を取り上げています。
イスラム哲学では、この後、神秘哲学が主流となりましたが、一方、西洋では、アヴィセンナの哲学がスコラに受け入れられ、西洋哲学では合理主義が主流となりました。
井筒は、ここに「西洋」と「東洋」の分離を見ているのかもしれません。

井筒の「東洋哲学」は、東洋哲学の共時的構造を対象とします。
ですが、それは「伝統主義」とは異なります。

井筒は、「著作集」の刊行にあたって書いた序文で、「思想とは私にとって最初から永遠不易・唯一普遍(ペレニアル)な、哲学的組織体系としてではなく、言語や風土や民族性を軸としてその周辺に現象し結晶する有機的にして実存的意味構想体、として措定されている」と書いています。
「ペレニアル」という言葉は、ルネ・ゲノンや、イラン王立哲学研究所で井筒の同僚だったイスラム学者のナスルのような「伝統学派」と、そのキーワードである「永遠の哲学(philosophia perennis)」、「原初の哲学」を意識して、自分の立場を差別化したものです。

井筒は、「意識と本質」の後記で、「与えられたままの東洋哲学には全体的統一もなければ、有機的構造性もない」、「未来志向的に哲学的思惟の創造的原点となり得るような形に展開させるには、…人為的操作を加えることが必要になってくる」と書いています。

具体的には、「東洋哲学の諸伝統を、時間軸からはずし、範型論的に組み変えることによって、…多極的重層的構造をもつだろう。…幾つかの基本的思想パターンを取り出してくることができるだろう」ということです。

井筒が目指したのは、東西の出逢いであり、現代的な再構築でした。
その方法として、彼は、「現代に生きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識のち塀において考究さえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまう」と書いています。


<類型>

「意識と本質」では、「東洋哲学」が、類型化されています。

井筒が、冒頭で、「人間意識の様々に異なるあり方が「本質」なるものをどのようなものとして捉えるかを、…「本質」の実在性・非実在性の問題を中心として考察してみたい」と書いているように、「本質」の実在性に対する哲学的立場の違いから類型化されました。

まず、「本質」を実在と見る「本質実在論」と、非実在とみる「本質非実在論」に分けられます。

さらに、「本質非実在論」は、絶対無分節の状態を、「無」と見る立場と、「有」、つまり唯一絶対の本質と見る立場に分けられます。
前者には「空」思想の仏教があり、後者には「ブラフマン」を絶対有と見るシャンカラの「不二一元論」があります。

1-1 絶対無的本質非実在論:仏教
1-2 絶対有的本質非実在論:シャンカラの不二一元論
*類型の番号と名称は当サイトによる

これらにおいては、日常の分節された世界は、「非分節的分節」、「無本質的分節」の世界です。
分節世界は「煩悩」の見る世界であり、「幻(マーヤー)」です。

そして、井筒は、禅などの仏教では、絶対的無分節の存在と、分節された存在を同時に見るのだと言います。
道元禅師の「鳥、飛んで鳥のごとし」や、華厳哲学の「理事無礙法界」は、この「無本質的分節」を表現しているのです。


もう一方の「本質実在論」は、個々の事物にある「個的本質」を実在とする立場と、個物を超えて「普遍的本質」が実在するとする立場に分けられます。
前者には、本居宣長、そして、東洋ではありませんが詩人のリルケがいます。

後者の「普遍的本質」が実在するとする立場は、さらに3つに分けられます。

最初が、深層意識においてのみ、「普遍的本質」を認識することができるとする立場で、程伊川らの宋学、そして、東洋ではありませんが詩人のマラルメ、そして、中期のプラトン哲学がこれに当たります。

次に、深層意識の「根源的イマージュ」に、本質の実在を見る立場で、シャーマニズム的な楚辞、易、ユダヤ神秘主義のカバラ、空海、スフラワルディーなどがこれに当たります。

「根源的イマージュ」は、ユンクの「元型的イメージ」、アンリ・コルバンの「想像的世界」のイメージのことで、易の「爻」、カバラの「セフィロート」、空海の「マンダラ」、スフラワルディーの「形象的相似の世界(中間世界)」がこれに当たります。

「根源的イマージュ」は、原則として外界に対応物を持たない、存在リアリティそのものの象徴的分節です。
そして、これは、神話形成的発展性と構造化(曼荼羅やセフィロートの図形配置のような)への傾向を持ちます。
そして、日常的分節にも関与していますが、隠れています。

「根源的イマージュ」は、「言語アラヤ識」が生み出すものであり、「言語アラヤ識」の次元から、文化によって違いがあるとされます。

最後の立場は、意識の表層で、「普遍的本質」を認識することができるとするもので、インド哲学のヴァイシェーシカ派、ニヤーヤ派、そして、後期プラトン哲学がこれに当たります。
この「本質」を「普遍概念」とするかどうかについては、議論を避けています。

しかし、最後の立場は、意識の深層の意味を認めず、一般の日常的な立場とほとんど変わらないので、これを「東洋哲学」の一類型として良いのかは疑問です。

2-1 個的本質実在論    :本居宣長、リルケ
2-2 普遍的本質実在論 
 -1 深層的本質実在論  :宋学、中期プラトン、マラルメ
 -2 根源的イメージ実在論:楚辞、易、カバラ、空海、スフラワルディー
 -3 表層的本質実在論  :儒教、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤ、後期プラトン
*類型の番号と名称は当サイトによる

「意識と本質」では、1-1の「絶対無的本質非実在論」と、2-2-2の「根源的イメージ実在論」に多くのページを割いています。
そのため、井筒が一番関心があったのは、この2つの立場であると思われます。

ちなみに、井筒の一番の専門と言うべきイブン・アラビーの「存在一性論」に関しては、あいまいな評価をしています。
シャンカラの「不二一元論」と比較しながら、シャンカラは分節世界の実在性を認めない「仮現説」であるのに対して、アラビーは絶対者の自己分節として、それを半ば認める「展開説」です。
それゆえ、アラビーの「存在一性論」は「本質実在論」と「本質非実在論」の中間的な立場であるとしています。


<意識の階層構造>

「東洋哲学」では、意識の多層性が前提となります。
「意識と本質」では、下のような図とともに、「東洋哲学」における意識の構造が語られます。
ただし、これは、2-2-2の「根源的イメージ実在論」の説明として出てきたものです。

図の上方が意識の表層、下方が意識の深層です。

bjk16.jpg

Aは日常的な意識、通常の分節世界です。
Mが「根源的イメージ」の世界です。
Bは「言語アラヤ識」、つまり、「根源的イメージ」が「種子」として存在する元型自体の次元です。

Cは「言語アラヤ識」も存在しない「無」意識。
最下の〇は、井筒が「意識と存在のゼロポイント」と呼ぶ、絶対的な無の状態です。
ゼロポイントとC領域は一体の存在であり、宋学の表現では、「無極」と「太極」、仏教の表現では、「真空」と「妙有」に当たります。


M領域の「根源的イメージ」の世界は、「深層意識的言語哲学」や「文字神秘主義」と関連していると語られます。
言語呪術は、深層意識の「根源的イマージュ」の呼び出しです。

後に、論文「意味分節理論と空海」では、このような言語・文字に関して、「シニフェの側に起こる異常事態」、「一定のシニフィアンと結びついていない不定形の、意味可能態の如きものが、星雲のように漂っている」と表現しています。

そして、密教の「阿字」に関して、「特定のシニフェと結ばれていない純粋シニフィアン」と表現しました。
これは、上記図で言えば、M領域とB領域の境界面に位置します。


<分節の変容>

「意識と本質」では、上昇道(意識の深層への下降)の前の、通常の日常的な分節のあり方を「文節I」と表現します。
そして、「無分節」に至り、そこからの下降道(表層への上層)における分節のあり方を「文節II」と表現します。

分節I →(上昇道)→ 無分節 →(下降道)→ 分節II

この「分節I」は、「有本質分節」、つまり、分節を実体視する分節ですが、「分節II」では「無本質分節」、つまり、それを実体視しない分節です。

そして、この「分節I」は、局所的限定を受けた分節、つまり、「部分A=部分A」という分節です。
ですが、「分節II」は、全体をあげての自己分節であり、そのつど新しい、他の一切を内に含む分節、「部分A=全体」という分節になります。

井筒は、禅の「無本質的分節」や、華厳哲学の「理事無礙法界」、「事事無礙法界」に、東洋哲学の下降道の到達する意識、世界観の典型を見ます。


<アンチコスモスとポスト・モダン哲学>

井筒は、フランスの現代思想家、ジャック・デリダと親交を持っていました。
デリダの方が年下なので、デリダが井筒を慕っていたというべきなのでしょうか。

井筒は、デリダの中心概念で、後に「脱構築」と翻訳されることになる「デコンストラクション」をシンプルに「解体」と訳していました。

井筒は、論文「スーフィズムと言語哲学」の中で、「神秘主義といいますものは、ある意味で伝統宗教の中における解体操作である、と私は考えております」と書いていて、「東洋哲学」あるいは神秘哲学とデリダの「デコンストラクション」を結びつけています。

また、井筒には、「コスモスとアンチコスモス」という講演をもとにした論文があります。
ここで彼は、日常の意味秩序である「コスモス」を否定・破壊するエネルギーになったカオスを、「アンチコスモス」と呼んでいます。

そして、「東洋哲学の主流は、昔から伝統的にアンチコスモス的立場(存在解体的立場)を取ってきた」と書いています。

井筒は、古代ギリシャにおけるディオニュソス秘儀にも「アンチコスモス」があるとし、また、ディオニュソスの精神を体現したニーチェ以降の西洋の近・現代思想、ポスト・モダン哲学にも、「アンチコスモス」の傾向が強いと言います。

つまり、井筒は、自分が「東洋哲学」に見出した「アンチコスモス(解体されたコスモス)」が、デリダの「解体」や、ポスト構造主義の思想と似ていると論じました。

彼は、「空」や「無」を思想に組み込んだ、「東洋哲学」の「本質非実在論」、「無本質的分節」、神秘主義の下降道の世界観が、現代思想の「ロゴス中心主義」の否定の思想と似ている、あるいは共通すると理解していたのです。

ちなみに、「コスモスとアンチコスモス」では、ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」にも言及しながら、それを「密集する無数の意味粒子のざわめき」と表現しています。
ドゥルーズの存在概念は、もともとベルクソンの「持続」の影響下に生まれたものですし、井筒は「神秘哲学」の時点で、「持続」を持ち出していますから、これは不思議ではありません。

井筒は、常に、現代的な存在概念、意識論を意識してきたのでしょう。


<東洋哲学の課題>

井筒の「東洋哲学」が持つだろう課題や問題点について、思いつくままに書いてみます。

「意識と本質」で示した意識の構造(AMBC領域の構造)は、2-2「普遍的本質実在論」の2型の「根源的イメージ」に関わるものです。
ですから、1型、つまり、西洋神秘哲学の「叡智界(イデア界)」を認める深層意識論との関係は語られません。
イスラムの哲学者の中では、両者は宇宙論の中で、様々に総合されてきたはずです。

ちなみに、井筒にとっては、意識の深度と、分節の有無・様態、そして、存在の階層の対応が基本です。
ですが、一般に、存在の階層は宇宙論的なものとして、空間的な場所と結びついて、また、存在の微細度によって表現されることが多かったようです。
これは、意識の深度とは、必ずしも対応しないため、一定の論考が必要ではないでしょうか。

また、仏教で言えば、阿頼耶識や如来蔵は深層意識的な存在であると考えられますが、如来蔵思想は、仏性が潜在的ではなく顕在的に存在しているという思想へと発展します。
ゾクチェンでもそうで、日常的な意識の中で、分別と分別の合間に無分別意識が顕在的に存在していると考えます。
禅の直指の考え方も同じです。
このように、東洋哲学は必ずしも無分別な意識を深層意識と捉えません。


井筒は、意識のゼロポイントとC領域について、あるいは、東洋哲学の「空」や「無」について、しっかりと区別を行なっていません。
例えば、アビダルマ仏教では、対象以外は無分節の瞑想である「三昧」と、無分別・無対象の瞑想「非想非非想処」と、心そのものが止滅した瞑想「滅尽定」は、まったく別のものです。

また、井筒は、M領域の「根源的イマージュ」に関して、それが神話的に展開されるとことは語りますが、東洋における多様な展開の具体的な分析は行なっていません。

同様に、「根源的イマージュ」は構造化すると語りますが、カバラのセフィロートの複数の図を紹介するだけで、その構造の比較は行っていません。

また、井筒は、密教(のマンダラ)を2-2「普遍的本質実在論」の2型に分類しますが、密教では、マンダラのイメージや種子を、実体ではない、「空」であるとします。
ですから、これは「無本質的分節」に当たります。
後期密教においては、マンダラなどの観想における「無本質的分節」は、「無相ヨガ」と「有相ヨガ」の「深明不二」の問題として体系化されています。


井筒は、きわめて幅広く、東洋哲学を研究しました。
それもで、東洋哲学の共時的構造を構築するに当たっては、偏りがあったと言わざるを得ません。
それは、当サイトや姉妹サイトの目次を見ていただければ分かります。
時代の限界という部分もあったのでしょう。

仏教に関して言えば、井筒は、アビダルマ仏教、般若学(中観派)、インド密教、後期密教、そしてもちろん、ゾクチェン、マハームドラーは取り上げません。

例えば、禅の「無本質的分節」について語りますが、この問題は、それ以前にインド仏教の中で、「等引智」と「後得智」の問題として、理論的にも瞑想実践的にも、詳細に体系化されてきました。
哲学的観点で考えれば、まず、これを取り上げるべきでしょう。


また、井筒は、座禅に親しんでいましたが、実は、禅宗は、瞑想の修行体系や理論体系をほとんど、持っていません。
そのため、井筒は、瞑想の実践理論の分析をほとんど行なっていません。
これらは、東洋哲学の本質を構成する要素ではないでしょうか。

インド密教、チベット密教におけるマンダラの意味や瞑想法についても、ほとんど語りません。
この分析なしには、密教が根源的イメージに対してどうような立場に立っているのかは理解できません。

もちろん、井筒が、タントラ系の瞑想や道教の内丹法については語りません。
つまり、身体論(霊的生理学)が欠如しています。
これらは、東洋哲学の本質を構成する要素ではないでしょうか。


また、井筒は、「東洋哲学」における「アンチコスモス」性を、現代思想(ポスト構造主義)の特徴と共通視しました。
ですが、ポスト構造主義は、西洋神秘哲学において、「東洋哲学」と類似する、否定神学やプラトン主義と対決し、それを批判してきました。
「東洋哲学」、あるいは神秘哲学を真に現代的なものにするのであれば、その部分をしっかりと論じる必要があるのではないでしょうか。


井筒俊彦の東洋哲学1(コトバと言語アラヤ識)

井筒俊彦は、近代日本の最大の思想家であり、世界で最も有名な日本の哲学者の一人であり、現代的な意味で、プロティノス、イブン・アラビーらを継承する神秘哲学者であると言っても過言ではありません。

一般に、井筒は、イスラム哲学の専門家として知られていますが、彼は、言語哲学者として、「意味」が消滅し、「意味」が生まれる深層意識における神秘体験を焦点にして、哲学、宗教、言語学、詩学、文学、文化人類学などの領域を越えた研究を行いました。

そして、神秘哲学、東洋哲学の共時的構造、もっと言えば、人間の意識の普遍的構造を、「東洋哲学」として抽出、構築しようとしました。

井筒俊彦.jpg


<井筒俊彦の生涯>

井筒俊彦(1914-1993)は、東京の四谷に生まれました。
父は、石油会社に務めていましたが、禅に親しみ、幼い頃から俊彦に、座禅と、禅書の読書を強いました。
また、最初に書かれた「心」という文字を凝視し、次に心中の「心」という文字を凝視し、最後に、無に帰没する、という独自の内観法を教えて、実践させました。

1931年、慶應大学経済学部に入学するも、3年後に英文科に移動、シュルレアリスティックな詩人の西脇順三郎に従事しました。
折口信夫にも魅力を感じたけれど、「曳きずりこまれたら、もう二度と出られなくなってしまう」と思ったと、井筒は書いています。
その後、ヘブライ語、アラビア語、ロシア後、ギリシャ後、ラテン後など、次々に諸言語を習得しました。
井筒本人によれば、50ほどの言語を習得したと言います。

1937年には、文学部助手になり、「ギリシャ神秘思想史」の講義を行いました。
井筒は、禅の「不立文字」、つまり、言語を否定した体験に親しんで育ったのですが、ギリシャ哲学という、神秘体験から語り、それを哲学化する思想に出会って、衝撃を受けました。

その後、井筒はイスラム研究に傾倒し、1941年に「アラビア思想史」を発表します。
1942年には、語学研究所の研究員になり、また、戦時中は、大川周明の依頼を受けてイスラム研究に専念しました。

1949年には、井筒の最初の主著「神秘哲学」を発表します。
この書は、プラトン、アリストテレス、プロティノスを中心に、ギリシャ哲学の本質を、東方から到来したディオニュソス秘儀の影響を受けた、神秘哲学として捉えるものです。

井筒は新版のまえがきで、「形而上学的思惟の根源に伏在する一種独特の実在体験を、ギリシャ哲学という一つの特殊な場で取り出して見ようとした」と書いています。
また、この書には、ニーチェ、ハイデッガー、西田幾多郎らのギリシャ哲学観を意識しつつ、その乗り越えを意図したという側面もあるでしょう。

ちなみに、「神秘哲学」は、当初は3部構成で、第1部がギリシャ、第2部がヘブライ、第3部キリスト教神秘主義を扱う予定でしたが、第1部のみで終了しました。
当時の井筒は、「ギリシャ神秘主義は、それ自体では完結せず、…キリスト教に入って本当の展開を示し、…十字架のヨハネにおいて発展の絶頂に達する」と考えていのですが、新版のまでがきでは、それを「きわめて偏頗な想念に憑かれていた」と振り返っています。

この書で、井筒は、ディオニュソス秘儀の本質に関して、「エクスタシス(脱魂)」と「エントゥーシアシス(神充)」の2語で捉えています。
また、ヘラクレイトスの「動的な一者」を、アンリ・ベルクソンの概念の「持続」であると表現しています。
そして、プロティノス哲学は、プラトンとアリストテレスの総合、密儀宗教的霊魂神秘主義とイオニア的自然神秘主義の総合と捉えています。

井筒は、1949年から西脇の後任として、「言語学概論」の講義を行い、56年には、英文で「言語と呪術(Language and Magic)」を発表しました。
この時期の井筒は、言語学者です。
この講義・著作では、フレイザー、マリノフスキー、タイラー、モース、デュルケムなどの文化人類学、折口、柳田の民俗学、リルケ、クローデルを対象にした詩学、哲学アナクシメスの霊魂観、発生心理学を元にした言語観、デノテーションとコノテーションによる意味論、などを元にして、呪術的な言語論、言語発生論を展開しました。

1957年には、「コーラン」の初の邦訳を行います。
そして、1959-60年には、ロックフェラー財団研究員となり、レバノン、エジプト、シリア、ドイツ、パリで研究活動を行いました。
1961年には、イスラム研究のメッカだったカナダのマギル大学の客員教授となり、イブン・アラビー、モッラー・サドラーを継承するサブザワーリーなど、イスラム哲学の研究を行いました。

1966年に、英文の「スーフィズムとタオイズム(Sufism and Taoism、改題後のタイトル)」を発表。
この書により、井筒は、世界から哲学者として認知されました。

そして、翌年には、イスラム神秘哲学の専門家、アンリ・コルバンの紹介で、「エラノス会議」(東西の霊的伝統の統一的理解を目指す学者の会議体)に参加しました。
エラノス会議には、アンリ・コルバンがイスラム哲学の枠で参加していたので、井筒は「哲学的意味論」の専門家として参加になりました。

井筒の「エラノス会議」への参加は、1982年までの15年間に及び、正に中心メンバーでした。
彼が講演したテーマは、禅の他に、老荘思想、孔子、ヴェーダーンタ哲学、華厳、唯識、易、宋学、楚辞のシャーマニズムなど、幅広いものでした。

1975年には、イラン王立研究所教授になりますが、イラン革命により、帰国を余儀なくされます。
これを期に、井筒は、東洋哲学の共時的構造を身近な日本語に移す、という目標を抱くようになりました。

1980年には、「イスラム哲学の原像」を岩波新書で発表。
これは講演をもとにした書で、神秘主義思想の基本、そして、イスラム神秘主義哲学を分かりやすく紹介するものです。

1980年6月に、井筒は、彼の主著となる「意識と本質」の連載を、雑誌「思想」で開始しました。
当初の予定では、2回ほどの予定でしたが、8回の連載になり、1983年には、書籍として出版されました。

この書は、「東洋哲学」の共時的構造をテーマにしたものです(詳細は別項を参照)。
ですが、基本概念の定義はなく、目次も章タイトルも註もありません。
井筒は、この書を「東洋哲学」の「序論にすぎない」と考えていました。
「意識と本質」を見れば、「エラノス会議」での15年の研究が「意識と本質」につながったことが分かります。

その後、1985年に「意味の深みへ」、1989年に「コスモスとアンチコスモス」、1991年に「超越のことば」を発表。
91年には、中央公論で「井筒俊彦著作集」の刊行が始まりました。

しかし、1993年1月、井筒は亡くなります。

そして、死後、3月には、遺稿として「東洋哲学覚書その一」という位置づけの、「意識の形而上学―「大乗起信論」の哲学」が発表されました。
ちなみに、「その二」以降の予定は、言語阿頼耶識、華厳哲学、天台哲学、イスラムの照明哲学、プラトニズム、老荘・儒教、真言哲学でした。
つまり、これらは、いつか書かれるべき「東洋哲学」の「本論」に向けた、準備的なシリーズだったのでしょう。

2008年には、マレーシアのクアラルンプールで、井筒俊彦のイスラム学をテーマにした国際会議が開催されました。
また、2011年には、慶應義塾大学出版局で「井筒俊彦英文著作集」の刊行が始まりました。


<神秘主義の世界観>

「イスラム哲学の原像」は、イスラム神秘哲学の紹介をテーマにした書ですが、井筒はその導入として、神秘主義の世界観の基本的な構造を説明しています。
これは、井筒の世界観、「東洋哲学」を理解するための第一歩となります。

井筒が語る神秘主義の世界観の特徴は、まず、存在世界のリアリティが多層構造であるということです。
そして、意識も同様に多層構造です。

両者は対応していて、特定の意識の階層からは、それに対応する階層の世界が見えるのです。
また、意識と存在、主体と客体の区別は、深層に至るほどなくなります。

つまり、意識が深層化すれば、自我意識や世界の意味の分節が消滅するのです。
井筒は、意識の深層・表層という深度と、世界の「意味」の「分節」の有無、そのあり方の違いが対応しているという観点で、神秘主義の世界観を捉えています。

そして、神秘主義には、意識のあり方を変えるための、方法的・組織的な修行法、瞑想法が存在します。
また、この修業には、「上昇道」と「下降道」があります。
「上昇道」は、意識の深層へ向かう道であり、「下降道」は表層へ戻る道です。

「神秘哲学」のプロティノス論でも、「上昇」と「下降」が、一者への「帰還」と「流出」・「浄化」という2つの方向が語られました。
ですが、プロティノスにおいては「上昇」に重点がありました。

「イスラーム哲学の原像」では、これがスーフィズムの言葉で「ファナー(消滅)」と「バカー(存続)」、あるいは「スウード(上り)」と「ヌズール(下り)」として語りなおされます。

イスラム教は人格神の宗教なので、「上昇道」の「ファナー」は、自我意識が消滅して神に向かうプロセスです。

意識の深層に向かうと、カール・ユングが集合的無意識と呼んだ、「根源的イメージ」の世界が現れます。
さらに進むと、光の世界、「照明」の体験に至り、その頂点では、すべてが消滅して、「絶対的一者」となります。

そして、「下降道」である「バカー」に向かう時点で、「神的我」の一人称の「酔言(シャタハート)」、つまり、「我は神なり」が現れます。

さらに下降すると、「汝(神的我=神)」と「我(神現的我)」の二人称の「対話(ムナージャート)」が現れます。

哲学的には、「絶対的な一者」から、「多を統一する総合的一者」を経て、「多」の世界が顕現します。

「上昇道」と「下降道」は、単に、意識の深度の移動と、意味分節の消滅・発生を辿ることではありません。
その体験によって、分節の様態に変化が生じます。
ただ、「イスラーム哲学の原像」では、まだ、この点はほとんど語られません。


<コトバと言語アラヤ識>

井筒は、宗教、神秘主義、哲学、詩などの幅広い領域において、根源的な意識から生まれる言葉に興味を持っていました。
その言葉は、「神懸かりの言語」とでも表現すべきものでした。
彼の専門が、「言語哲学」とか、「哲学的意味論」となったのは、そのためです。

井筒は、「意識と本質」の頃から「コトバ」と表現される概念を使うようになりました。
これは、概念やイメージだけでなく、生物学的な次元も含めて、あらゆる「意味」を担う存在でしょう。
仏教、仏教学で使われる「分節」とほぼ同じ意味であり、井筒もこの2つの概念を同様に使っているようです。

井筒は、「ヨハネ福音書」の「初めに言葉があった…言葉は神であった」という言語観、あるいは、空海の「五大に皆響き有り、十界に言語を具す。六塵悉く文字なり」という言語観に出会って衝撃を受けたようです。
こういった神秘主義的な言語観や文字神秘主義は、世界的に存在します。

井筒の「コトバ」には、言語が即存在、世界であるといった言語観が背景にあります。

「言語アラヤ識」という概念も、井筒独特のものです。
この概念は、もちろん仏教の唯識思想の「阿頼耶識」から来たものです。

「言語アラヤ識」は、「コトバ」が、種子レベルで存在する深層意識です。
つまり、世界と存在を生む種子が存在する意識です。

井筒が、唯識派の「阿頼耶識」をそのまま使わないのは、「阿頼耶識」が煩悩を生む意識として、否定的に捉えられることが多いからでしょう。

遺稿となった「意識の形而上学」では、「大乗起信論」を素材として、否定的側面の「(狭義の)阿頼耶識」と、肯定的・創造的側面の「如来蔵」が、一体のものであると説いています。