クロウリーの魔術思想、セレマ

前ページでは、アレイスター・クロウリーの生涯と「東方聖堂騎士団(以下OTO)」の歴史を書きましたが、このページでは、彼の魔術思想、「セレマ(テレマ)」についてまとめます。

テーマ、キーワードは、「真の意志」、「ホルスのアイオーン」、「セト=ホール・パアル・クラアト」、「ババロン」、「獣」、「性魔術」、「ヨガ」、「薬物」などです。


<クロウリーの魔術思想>

クロウリーの魔術思想、その教義は、「セレマ(テレマ、意志)」と表現されます。
彼の思想の根本は、「法の書」の次の言葉で表現されています。

「汝の意志することを行え、それが法のすべてとなろう」
「愛は法なり、意志の下の愛こそが」
「すべての男女は星である」

最初の文や、「セレマ(テレーム)」は、フランソワ・ ラブレーの長編小説「ガルガンチュアとパンタグリュエル 」に由来すると指摘されています。

また、クロウリーは、「法の書」の解題の中で、次のように述べています。



「「普遍的意志」は「愛」と同じ性質のものである」
「私の「愛への意志」という杖の動きに従い、諸君の「光を求める生」を燃え立たせるのだ」
「生の「本質」が純粋な「光」であり、何の束縛も印もない無形の恍惚である…」

つまり、「セレマ」の思想は、「意志」の肯定であり、それは「愛」であり、「生」であり、「光」であり、個人の「自由」です。

ちなみに、「テレマ(意志)」と「アガペー(愛)」、「エイワズ(「法の書」を伝えた存在)」は、ゲマトリアの数値が93で同じです。


また、クロウリーは、「魔術―理論と実践」の中で、次のように魔術を定義しています。
「「魔術」とは、「意志」に従って「変化」を起こす「科学」であり「業」である」
「すべての意図的な行為は「魔術的行為」である」

この定義は、通常の意味での魔術だけでなく、「意志」に従った行為がすべて魔術であるとするものです。

ですが、これらの「意志」とは、個人の日常的自我の意志ではありません。

魔術の定義のすぐ後に、
「意識的な意志と「真の意志」とか心中で葛藤している人は、自分の能力を浪費している」
「自らの「真の意志」を行っている人には「宇宙」の惰力という味方がいる」
と書いています。

つまり、「意志」とは「真の意志」であって、宇宙と合致するものであり、それは、「聖守護天使」がもたらすものなのです。

この構造は、「黄金の夜明け団(以下GD)」の教義と同じです。
ですが、「聖守護天使」の意味付けの点で、異なります。
この点は後述します。


また、「魔術―理論と実践」の中で、いわゆる「悪魔」について、
「「悪魔」は存在しない。…悪魔が統一を持てば「神」となるであろう。」
と書いています。
いわゆる「悪魔」に関しても、これが不均衡なエネルギーであるというGDの考えと同じです。

クロウリーは、よく黒魔術師であると言われます。
彼は、日刊新聞の記事で、「私は黒魔術を行うほどに下劣で馬鹿な人間が存在するとはほとんど信じられないくらいまでにその黒魔術とやらを軽蔑している」と書いていて、これを真っ向から否定しています。

そして、「魔術―理論と実践」の中では、黒魔術についても次のように定義しています。

「「唯一の至高の儀礼」は、「聖守護天使の知識と交渉」の達成である。それはまったき人間を垂直線上に上昇させることである。この垂直線から少しでも逸脱すれば、黒魔術となる傾向がある。これ以外のいかなる操作も黒魔術である。」

ですが、伝えられるクロウリーの人生を見ると、この定義から外れていることを行っていたのではないかと疑います。


<セレマの書>

クロウリーは、性魔術のパートナーや自分が、憑依の状態、あるいは、自動書記のような状態で、数々の書や魔術的な知識を得ました。

A∴A∴では、文書をA級からE級まで等級分けして分類しています。

「聖なる書物」とされるA級の文書は、「V.V.V.V.V.」や「エイワス(エイワズ)」によって与えられた文書です。

A級は13の文書がありますが、クロウリーが詳細な解説を書いているのは、「第220の書(法の書)」(1904年)と「第65の書(蛇に巻かれし心臓の書)」(1907年)だけです。

AB級の文書には、「パリ作業」と「霊視と幻聴」の二冊があり、B級には、「アレフの書』、「トートの書」、「777の書」などがあります。


<ホルスのアイオーン>

「法の書」は、キリスト教などの奴隷的な時代だった「オシリスのアイオーン」が終わり、人間が神性に目覚める「ホルスのアイオーン」が訪れたことを告げました。

「魔術―その理論と実践」では、「イシスのアイオーン」が女族長の時代であり、次の「オシリスのアイオーン」が父長の時代であり、「ホルスのアイオーン」は両性具有の時代であると説明されます。


「法の書」は、「ヌイト」、「ハディト」、「ホルス(ラー・ホール・クイト)」の言葉を、「ホール・パアル・クラアト」の使いである「エイワス」が代弁したものを、クロウリーが記したものとされます。
クロウリーのセレマの教義では、「ヌイト」、「ハディト」、「ホルス」の3神が至高の根源神です。

「法の書」、「魔術―理論と実践」などによると、女神「ヌイト」は、「無限の空間」であり、「円」、「0」です。
一方、「ハディト」は、「偏在する点」であり、「中心」、「顕現」、そして、「蛇」です。
「ホルス(ラー・ホール・クイト)」は、両者の統一、結合であり、「1」、そして、戦争と復讐の神です。

そして、OTOの文書(「神々の本性について」)によれば、「ハディト」は「男根」を身にまとっていて、子である「ラー・ホール・クイト」は、地上の「太陽―男根」です。

「魔術―理論と実践」では、「ホルス」を「ケテル」に対応させていますが、「777の書」の万物照応表では、「ハディト」を「ケテル」、「ヌイト」を「アイン」に対応させています。

ちなみに、一般に、エジプト神話では、「ヌイト(ヌート)」は夜空の女神であり、その配偶神は大地の神「ゲブ」です。
「法の書」では、「ヌイト」が「夜空」で、「ハディト」が「地球」と読み取れる部分もあります。
ところが、「ハディト」は「セト」のカルデア語らしいのです。
ですが、「セレマ」では、「ハディト」と「セト」とは別の神のように思えます。

一般に、「ラー・ホール・クイト(王冠を戴く制服する幼児のホルス)」は、鷹神「ホルス」の一つの姿であり、「ホルアハティ(東の地平線から昇る太陽神ホルス)」と一体とも考えられます。

また、「ホルス」は、「ホール・パアル・クラアト(ハルポクラテス、蓮の花の上に座る幼児のホルス)」という姿を取ることもあり、前者の姿と対照すると、こちらは「西の地平線に沈む太陽神ホルス」とも考えることができます。

・ラー・ホール・クイト(ホルアハティ)   :東の地平線から昇る太陽神ホルス
・ホール・パアル・クラアト(ハルポクラテス):西の地平線から沈む太陽神ホルス

「法の書」や「魔術―理論と実践」では、両者を統合した存在を、「ヘル・ラー・ハ」と呼んでいます。

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*中央にラー=ホール=クイト、薄くホール=パアル=クラアト、上部にヌイト
(クロウリー版トート・タロット)

ちなみに、GDでは、ラー・ホール・クイト(ホルス)は、入場と攻撃の合図、ホール・パアル・クラアトは、沈黙と防御の合図とされます。

また、一般に、「ホルス」は、その敵であり、悪神とされることもある「セト」と一体と考えられることもありました。

クロウリーの弟子のケネス・グランドによれば、「ホール・パアル・クラアト」は「セト」と同じ神であり、「セト」と「ホルス」は一対の神です。

「セト」は、決して悪神ではなかったのですが、「オシリスのアイオーン」において悪神とされてしまったのだと言います。
また、「セト」はシュメールにもたらされて「シャイタン」になり、ユダヤ・キリスト教では悪魔化されて「サタン」になったのだと。

そして、「セト」と「ホルス」の2神は次のように対象的な性質を持ちます。

・セト (ラー・ホール・クイト)  :受動的:吸収:回帰:南
・ホルス(ホール・パアル・クラアト):能動的:放射:顕現:北

ですから、「ホルスのアイオーン」においては、「セト」=「ホール・パアル・クラアト」は、「ホルス」と一対で一体の神として復権されるべき神であり、「ホルスのアイオーン」を代表する神なのです。
だからこそ、「法の書」を伝えた「エイワス」は、その使いなのです。


<V.V.V.V.V.>

クロウリー自身は、ほとんど説明をしませんでしたが、「ホルスのアイオーン」の救世主は、「V.V.V.V.V.」と呼ばれる存在でした。
これは、「Via Vita Veritas Victoria Virtus(径、生命、真実、勝利、美徳)」とか、「Vir Vis Virus Virtus Viridis(人、力、毒、大胆、緑)」と呼ばれることもあります。

これは、クロウリーの「聖守護天使」であり、魔法名の一つでもあり、「銀の星(以下「A∴A∴」)」を指導する存在なのです。
「V.V.V.V.V.」は、当然、ホルス=セトと直結する存在なのでしょう。
つまり、2元論が転倒されて一元化された、一元化する存在であり、それを強調する点が、GDの「聖守護天使」とは少し異なります。

「聖守護天使」は、GDでは、「真の自己」、あるいは「高次の自己」として、内なる存在としても考えることもありましたが、クロウリーにあっては、外なる客観的で個的な、進化した霊的存在です。

ちなみに、クロウリーは、8番目のアイテールで「聖守護天使」と出会っています。


<ババロン、獣、パン、バフォメット>

「ホルスのアイオーン」では、悪神化されていた「セト」が肯定的存在に転倒されます。
同様に、キリスト教「ヨハネ黙示録」に登場する大淫婦バビロンが、「ババロン(緋色の女)」として、転倒されます。
また、彼女が乗る666の数字を持つ竜、悪魔である「獣」も、肯定的存在として転倒されます。

つまり、「ババロン」は聖母マリアやイシスに代わる存在であり、「獣」はイエスやオシリスに代わる存在です。
そして、これは、性や欲望を肯定する思想の表現です。

クロウリーは自分を「獣」と見なしており、彼の多数いた性魔術のパートナーは「ババロン」の化身なのです。

また、クロウリーは、「魔術―理論と実践」で、「ババロン」を「生命の樹」のビナーに対応づけています。
ビナーは、「深淵」を渡って到達する「ババロン」の宮殿なのです。

ちなみに、クロウリーは、9番目のアイテールで、「ババロン」と出会っています。

この「深淵」を渡ることは、「ババロンの杯へすべての血を注ぐ」行為とも表現されます。
これは、日常的な自我のすべての個性、知識を捨て去り、「無」へと回帰することを意味します。

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キリスト教によって悪魔とされてきた「バフォメット」もまた、転倒されます。
「バフォメット」は、テンプル騎士団が信仰した神であり、ミトラ系イスラムの秘教では筆頭天使のアザゼルとされ、エリファス・レヴィも評価した神でもあります。

「セレマ」においては、クロウリーのOTOの魔法名でもありますが、OTOの第10位階の首領でもあります。
クロウリーは、「バフォメット」を、「獣」と「ババロン」の統合であり、「パン」でもあると考えました。
また、その語が、「父ミトラ」を意味すると解釈しました。

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一般には、「パン」は、牧神であり、下級の半獣神とされます。
ですが、「パン」は古い神であり、オルフェウス教では、原初の両性具有神エロス=ファーネスと同体の神です。

クロウリーは、ギリシャ語の「全(パン)」と解釈し、「777の書」の万物照応表では、「パン」は「0(アイン)」とされています。
そして、男根と女陰の結合とも解釈します。

また、「深淵」を越えることは、「パンの夜」とも呼ばれます。


「セレマ」は「ヨハネ黙示録」の「獣」を転倒しましたが、GDでは、この「獣」は、マルクトの下にある「殻(クリフォト)の王国」の「赤い竜」、ないしは「赤い竜」に食いつかれたアダムカドモンです。
これは、「赤い竜」は不均衡、非統一のエネルギーの象徴です。

つまり、キリスト教が二元論的に実体化した「悪魔」、「獣」を、GDはすでに「赤い竜」として転倒しています。

「セレマ」の「獣」は、GDでは「赤い竜」を眠らせた「啓発された達人」であり、「セレマ」とGDの思想には、根本的な違いはないのではないでしょうか。

「セレマ」の「獣」や「ババロン」という表現は、2元論の転倒を強調してそれを意識化する表現ですが、それゆえに、その表現自身が2元論を逃れ切っていません。


一般に、GD系魔術では霊的存在の召喚に際しては、五芒星を上向きで描きますが、黒魔術で悪魔(クリフォト)の召喚の場合は、下向きで描くとされます。

「セレマ」の場合、悪魔を肯定的な存在として捉え直すため、それを召喚しても、黒魔術とはなりません。
まず、「オシリスのアイオーン」で持っていた道徳観、罪の意識が取り除かれていることが、前提となります。
その上で、心の中で上向きの五芒星を観想した後で、下向きの五芒星を描きます。



<マアトのアイオーン>


クロウリーによれば、「ホルスのアイオーン」は、父権的なアイオーンを克服する「両性具有の時代」のはずです。

ところが、クロウリーは、女司祭が司祭のために儀式を行うのを禁じていたことからも分かるように、男性優位の考え方を持っていました。
ケネス・グラントも、「少なくとも彼自身はシヴァ派、つまり、父権的立場の方に大きく傾いていたのである」と書いています。

そのためか、弟子のフラクター・エイカドは、「マアト(娘、正義の女神)のアイオーン」が、「ホルス(息子)のアイオーン」と平行して、1948年に始まったことを宣言しました。
また、ほぼ同時に、「水瓶座の時代」も始まったと。

彼の主張は、フェミニズム的な女性の霊性の運動とも結びついていきました。

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<ガンサーによるA∴A∴の解釈>

J・ダニエル・ガンサー(ギュンター、フラターK.N.)は、マルセロ・モッタのA∴A∴における高弟であり、SOTOの代表的な魔術師でした。
彼は、2009年に、「子供のアイオーンへの秘儀参入(Initiation in the Aeon of the Child)」を出版し、この中で、A∴A∴の内部で口伝でのみ伝えられていた多くの概念を公開し、「セレマ」の教義の解釈を深化させました。

彼は、現在のアイオーンにおいては、「黄金の夜明け団(以下GD)」の「L.V.X.の術式」が時代遅れになっていて、「N.O.X.の術式」へと移行したことを強調します。

「L」は嘆きのイシスの合図、「V」はテュフォンとアポフィスの合図、「X」は蘇りしオシリスの合図です。
「L.V.X.」は、死と復活のオシリスを意味し、意識の光を意味します。

ガンサーによれば、「L.V.X.の術式」は、「オシリスのアイオーン」のGDの魔術では、内陣に入る5=6アデプタス・マイナー(ティファレト)の術式でしたが、「ホルスのアイオーン」では、単なるマルクトの術式に変化したのです。

つまり、「L.V.X.」の術式は、ティファレットではなくマルクトにまで、「聖守護天使」を降臨させるための光による召喚の術式であり、A∴A∴では、0=0ニオファイト儀式となります。
「聖守護天使」は、落下する災いの星として、人間の魂の最下層に宿る存在なのです。
これは「セレマ」が性も含めた肉体を肯定、聖化することと関係するのでしょうか。

いずれにせよ、GD魔術を根本的に変えることになります。

一方、「N.O.X.の術式」は「ホルスのアイオーン」の術式であり、これは「深淵」を超えて「無」へと回帰する、そして、3rdオーダーに入るための術式です。
つまり、「N.O.X.」の三文字は、「パンの夜」を示し、「ババロンの杯へすべての血を注ぐ」ことを意味します。

また、ガンサーは、ホルスが両性具有の総合の神であることを強調しました。
ホルスは、その座を西と東の二つの地平線上に占める存在「ホルス=フルマキス」であり、これは両極を「統合」する存在です。

そして、ガンサーによれば、A∴A∴の道(大いなる作業のプロセス)は、「回帰の径」であり、「死→生→誕生→妊娠→受胎→統一化→無化」と進みます。
一方のOTOの道は、「永久の径」であり、「彷徨える自我の拘束→誕生→生→死→死後の世界への参入→消滅」と進みます。
この2つの道は、生と死の順番が反対になっています。

A∴A∴の道は、オシリスの死の祝祭から始まり、地下世界を旅し、やがて地平線から上昇する太陽と同一化します。
そして、深淵に至った志願者は自己を放棄した純粋無垢な新生児と見なされ、その誕生から更に回帰の道を辿って、やがてヌイトの子宮たるビナーにおいて受胎します。
そして、再生して「父」と合一し、虚無へと回帰し、消滅します。

A∴A∴の3つのオーダーは、次のような意味と課題があります。

1 G∴D∴:殻の中の均衡   :聖守護天使のヴィジョン
2 R∴C∴:小径における均衡 :聖守護天使の知識と会話
3 S∴S∴:立法石における均衡:深淵横断

1の「聖守護天使のヴィジョン」は、実際にはヴィジョンではなく、「聖守護天使」が破壊力を伴って、0=0ニオファイトのネフェシュ(動物魂)に降下して、未制御な魂を根底から変成する作業を開始するのです。
そして、「聖守護天使の知識と会話」のための強固な基盤 (イェソド) を形成していきます。

ちなみに、『H.H.H.の書』には、G∴D∴での三つの瞑想、「MMM」、「AAA」、「SSS」が記されています。

「MMM」の瞑想は、A∴A∴の1=10ニオファイトの課題である「聖守護天使の幻視」です。
ヨガの坐法で、次のような瞑想を行います。

夜の海が稲妻に引き裂かれる、毒蛇に22回噛まれる、自分を卵として観想する、赤と緑と銀と黄金の十字架に取り囲まれる。
そして、聖守護天使に一心に祈り、 L.V.X.の光で恍惚になる。

「AAA」の瞑想は、2=9ジェレイターの参入儀式「死体の書」のストーリーの瞑想です。
黄金の夜明け団の5=6 ジェレイター・アデプタス・マイナーの参入儀式に対応します。
次のような瞑想です。

死んで、ミイラとして防腐処理を施されます。
そして、長い眠りからの目覚め、生命である息と光、声と口づけが(聖守護天使からの接吻)到来します。
その後、地下世界を旅し、卵へと変成し、東の地平線から太陽として上昇します。

「SSS」の瞑想は、3=8プラクティカスに課された課題です。
この瞑想は、クンダリニーの覚醒を目指すものです。

まず、自分の脳が大いなるイシスの子宮、星々の女神ヌイトの身体そのものであると観想します。
そして、基底部をオシリスの男根、ハディートであると観想します。

2の「聖守護天使の知識と会話」は、5=6アデプタス・マイナーで始まりますが、本当に達成するのは、「深淵」を越えた後です。


<ヨガ>

クロウリーは、ベネットの影響を受けて以来、東洋の神秘思想を魔術に取り入れています。

早期の文献としては、1910年発行の『春秋分点』第一巻四号では、東洋の体系について、ヴェーダンタ哲学、各種ヨガの紹介と彼の実践記録、チャクラやムドラーの解説、仏教教義(八正道、マハサティパッターナなど)、易経などを紹介しています。

また、A∴A∴の位階にも、ヨガの八支則と仏教の「観(ヴィパッサナー)」の訓練を下記のように配当しています。

・2=9       :第3支アーサナ、4第支プラーナヤーマ
・4=7       :マハー・サティ・パッターナ(大念所) 
・ドミナス・リミニス:第5支プラティヤハーラ、第6支ダラーナ
・5=6       :第7支ディヤーナ
・8=3       :第8支サマディ

また、クロウリーは、諸界上昇の技法についても、ヨガの技法と関連付けて書いています。
見者は諸界への上昇の最中、常に安定したアーサナを保ち、ダラーナ(集中力)が必要であると。

クロウリーは、クンダリニーがスシュムナー管上のチャクラを上昇する過程と、見者が「生命の樹」の「中央の柱」のセフィラを上昇する過程が類似しているとして、その比較をしています。
そして、OTOの最初の「大地の男の三組」の6位階を、7つのチャクラ(第0は2つ)と対応させています。

また、現代のA∴A∴では、ヴィヴェー・カーナンダによる「ラージャ・ヨガ」や、ハタ・ヨガ系聖典の「シヴァ・サンヒター」、「ハタ・ヨガ・プラディピカ」、「道徳経(老子)」などを、読書カリキュラムに入れています。


<性魔術>

クロウリーは、1914年に、OTOの第7位階以上のための性魔術に関わる指南書を書きました。

第7位階のための「神々の本性について」では、大宇宙の中に存在する唯一の神は「太陽」であり、小宇宙には「太陽の副官」として男根を持つ人間がいる。
そして、様々な地上の神々を、男根や精子と関係づけて解釈しています。

第8位階のための「神々と人間との秘密の婚姻について」では、マスターベイションによる性魔術の3種類の方法について解説しています。
まず、「大いなる婚姻」では、女神を観想し、召喚し、強姦します。
「下等なる婚姻」では、エノク魔術で四大元素の霊を召喚し、ピラミッド型の護符に精液をつけます。
そして、「神聖王国」では、四大元素の男女の霊の魔除けを作って、2霊に多くの子供を産ませます。

第9位階のための「愛の書」では、異性間、及び同性愛の性魔術について解説しています。
ここでは、神への愛を高揚させて男女で性行為を行い、その男女の混合液を飲み干します。

また、「愛の書」の解説文「魔術の技法について」では、あらゆる性技、薬物を使用して性的興奮を与え続け、寝落ちと刺激による覚醒を繰り返し、覚醒とも睡眠とも言えない状態になって神と交信すること、究極的には、そのまま亡くなることを説いています。

第10位階のための「ホムンクルス」では、懐胎3ヶ月の女性を魔法円に入れて、霊を召喚して胎児に宿らせることで、ホムンクルス(人間の魂を持たない人間的存在)を作る方法を説きます。


西洋魔術における性魔術には、様々なものがあります。

一般に、魔術の実践では、変性意識状態を引き起こし、潜在意識に象徴などを伝える必要があります。
性魔術は、この変性意識を、性的なオルガズムによって引き起こします。
これが、性魔術の一つの意味です。

ですから、性的なオルガズムの状態で、象徴的なイメージや印形を観想して、霊的存在を召喚、一体化したり、護符を聖別します。

また、人間がイメージを思い描くと、それがアストラル・ライトの中に創造されますが、魔術は、そこに力を注ぎ込んで、長く存在させます。
オルガズムの時に思い描いていたものは、大きな力が注がれるわけです。
また、自分にとっての何らかの性的なタブーを初めて破ると、その時にエネルギーが開放され、それが利用できます。

もう一つの意味は、精液や女性の性液、その混合物、あるいは、そこに含まれるものの利用です。
たとえば、護符を作る時に、精液や混合液を護符につける、液で護符に図形を描くなどです。

さらに次の意味は、子供を作ることです。
例えば、四大の精霊を召喚して、射精を伴う性魔術によって霊的な子供を生み、使い魔にしたり、他の霊的存在との間のメッセンジャーにします。

精液や男女の混合液などについて、クロウリーは、
「神はある種の分泌液を食べている」(「エネルギーとなった熱狂」)
「「男根」は唯一の「光」の与え主なのである」(「神々の本性について」)
「霊薬は…全「宇宙」に存在する中で最も強力で…「太陽」そのものである」(「神々と人間との秘密の婚姻について」)
と書いています。

OTOやクロウリーは、タントリズムを取り入れていると言われます。
ですが、密教やヒンドゥー系のタントリズムでは性ヨガを行うことがありますが、魔術は、密教用語で言えば雑密という低い段階に固有なものです。
房中術を行う仙道でも同じです。

性ヨガは、直接的には中央管にプラーナを入れる、あるいはクンダリニーを上昇させる、あるいは心滴(ビンドゥ)を溶解して、心身を変容させるために行います。
仙道の房中術は、男女が互いに先天の陰陽の気を補って「胎」を形成するために行います。

後期密教の赤白の心滴(ビンドゥ)を融解して金剛身を作ることや、仙道で命門の先天の精・気から仙胎を作ることは、霊的生理学と霊的修行道を一体化させて理論化されています。
ですが、西洋の性魔術には、それに対応するものはありません。
クロウリーは、東洋の秘教が内に向かう道であるのに対して、西洋の魔術は外に働きかける道であると考えていたようなので、その志向性の違いによるものかもしれません。


<薬物>

クロウリーは、性魔術を行う時に、多くの場合、意識や感覚に刺激を与える他の方法を伴わせていました。
音楽、ダンス、酒、薬物などです。

クロウリーは、あらゆる薬物を摂取して、魔術に役だつかどうか実験しました。
ちなみに、当時、それらは違法ではありませんでした。

もともとは、師匠だったベネットが喘息で、その治療のために、アヘン、モルヒネ、コカイン、クロロフィルムを使っていたので、クロウリーは、彼の影響を受けたのが始まりでしょう。

クロウリーは、「ヘロインとコカインの場合は、あまりありがたいとは思えない。…それでも、私が求めているものは、それらであり、それらだけなのである。」と書いています。
また、ジ・エチル・エーテルにも好感を持って評価しています。

もちろん、クロウリーの後継者の中には、後に、LSDなどの他の薬物を実験した者もいます。


クロウリー関係の日本で出版されている書籍の他に、下記サイトも参照しました。
HierosPhoenixの日記 


クロウリーとO∴T∴O∴の歴史

アレイスター・クロウリーは、魔術結社「黄金の夜明け団(以下GD)」を脱退した後、独自の魔術を追求した人物です。

彼はパートナーを霊媒として、あるいは、自身が変性意識状態となり、霊的存在から様々な書、魔術的知識を受け取りました。
そして、自身を、「ホルスのアイオーン」という父権的道徳から開放された新しい時代の預言者と見なしました。
彼が受け取り、形成した魔術的教義は、「セレマ(テレマ)」と呼ばれます。

また、クロウリーは、「東方聖堂騎士団(以下OTO)」と関係を持ち、その性魔術を取り入れて、発展させました。

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<GD>

クロウリーは有名人で、その生涯もよく知られていますが、当サイトの観点から、限定して紹介します。

アリウスター・クロウリーことエドワード・アレクサンダー・クロウリー(875-1947)は、ビール酒造業を営む裕福な家庭に生まれました。

両親は、ダービー派のアクスクルーシブ・プレスレンという、キリスト教の極端な原理主義的厳格派を信仰していて、クロウリーは、同派の寄宿学校に通いました。
この学校は告げ口を推奨し、嘘でも反駁できないようなところで、クロウリーは校長や母親からは、言われのない疑いと虐待を受けて、体を壊し、退学を余儀なくされました。

クロウリーは、この家庭と宗派への反発心からか、生涯、反キリスト的教な思想を持ち続けたようです。

A・E・ウェイトの書を読んで手紙を書いたことをきっかけに、魔術結社に関心を持ち、1998年に、GDに入団しました。

GDでは、団員達に落胆しましたが、実力者のアラン・ベネットの弟子となりました。
ですが、ベネットは喘息が悪化したため、療養のためにセイロンに移住しました。
ベネットは、神智学協会員で東洋にも関心のあったためですが、彼は後に、仏教の僧院に入りました。

1899年、クロウリーは、ロンドンの団員からその性格を問題視され、アデプタス・マイナーへの昇格を拒否されたため、パリのマサースを頼って、昇格を果たしました。
ですが、マサース派と反マサース派の対立抗争に巻き込まれ、マサースにも失望し、1900年、彼は世界旅行に出かけました。


<法の書とA∴A∴>

クロウリーは、旅行中のメキシコで、エノク魔術によるアイテール(aethyr、エーテル)の上昇を企て、30番目、29番目の参入に成功しました。

また、セイロンに立ち寄り、ベネットからヨガを習い、「ディヤーナ(8支則の7番目で、集中力を維持する瞑想段階)」に成功しました。
以降、彼は自身の魔術において、ヨガを重視し続けました。

1903年、クロウリーはローズ・ケリーと出会い、結婚して新婚旅行に出ました。
エジプトでの魔術を行っている時、偶然、ローズに霊が降りました。
この霊は、「エイワス」という名で、ホルス神(ホール=パアル=クラアト)の使いであると名乗りました。
クロウリーは、エイワスの声を直接聞けるようになり、「法の書」を授けられました。

この書は、キリスト教などの、人間が奴隷となっていた時代「オシリスのアイオーン」が終わり、人間が神となる新しい時代「ホルスのアイオーン」が来ることを告げるものであり、クロウリーは、その預言者であると理解しました。

この書は、クロウリーの人生を決定づけるもので、彼はこの書の意味を解釈し続けましたが、晩年になっても、完全には理解出来ていないことを認めています。

また、同年の覚書で、「哲学にあっては頑固なまでの唯名論者となった。私は真正な仏教徒の一員と言えば言えるような位置にまで至っていた」と書いています。
道徳的な反キリスト思想が、仏教的な反実体主義の哲学へと拡大されたのでしょうか。

1907年、クロウリーは、ヨガの「サマディー(8支則の最後の、無概念の集中を持続する瞑想段階)」に成功し、これは大きな達成であると考えました。

それもあってか、クロウリーは、自身の結社、「銀の星(Argenteum Astrum、以下A∴A∴)」を設立しました。

この団は、GDのように首領に反対するグループが生まれないことを配慮してか、あるいは、個人主義の反映か、団員の教育は師が一対一形式で行い、団員同士の交流をほとんどさせませんでした。
その中核を為すのは「法の書」の教えであり、ヨガも取り入れました。
初期のメンバーには、後に魔術界で有名になったオースティン・スペアもいました。

1909年には、機関誌「The Equinox(春秋分点)」を始めました。
これは一般人にも魔術的知識が普及するようにと、破格の安値で頒布しました。

また、この年、アルジェリアで、エノク魔術によるアイテールの上昇の挑戦を再開しました。
そして、クロウリーは、15番目のアイテールの天使に秘儀参入を受けて、「8=3マジスター・テンプリ」に昇格したと判断しました。

14番目のアイテールにはなかなか到達できなかったのですが、同性愛関係にあったヴィクター・ノイバーグを相手に、マゾ的な同性愛の儀式を行うと、これを通過できました。

また、「深淵」を越えるために、10番目のアイテールの「コロンゾンの悪魔」を召喚する儀式を行ったのですが、この時、クロウリーが魔法の三角形の中で悪魔を憑依させて一体化し、魔法円の中にいたノイバーグがこれと戦いました。

アイテールの上昇のヴィジョンは、後に「霊視と幻聴」として公開されました。

1911年、パリでメアリー・デスティという女性と親しくなり、彼女を通して「アブ・ウル・ディズ」という霊から、「アバの書(第四の書)」をクロウリーが書くための準備を与えるとのメッセージを受け取りました。
そして、イタリアで、クロウリーが口述、デスティが筆記と言う形で書き始めました。

第一部はヨガを中心とした神秘主義がテーマの書、第二部は儀式魔術の道具の作り方を中心とした魔術の基礎をテーマにした書となりました。
ですが、二人が喧嘩別れをしてたため、この第二部で終わりました。

ちなみに、第三部は1929年に出版された「魔術-理論と実践」として、第四部は1936年に「春秋分点」第三巻三号「神々の春秋分点」として限定で出版された「セレマ-法」として書かれました。


<OTO>

1912年、「春秋分点」で公開した内容が、GDの秘密の公開に当たるとして、マサースがクロウリーを訴えるという事件が起こりました。
マサースはこの裁判で自分が薔薇十字団の真の首領であると主張したため、多くの薔薇十字系の団体からマサースは反発を受け、マサースの敵であるクロウリーに名誉位階が贈られるといった現象が起こりました。
OTOも、クロウリーに名誉位階を授与しました。

その後、クロウリーは、「虚言の書」の中の六芒星儀式「サファイアの星の儀式」の部分で、性魔術について比喩的な表現で書きました。
ところが、これが、OTOの性魔術の秘密の公開に当たるとして、OTOの首領のセオドア・ロイスが、クロウリーの元を訪れて、糾弾しました。

ですが、クロウリーはOTOからその教えを受けておらず、独自で、確信を持たずに書いたものでした。
クロウリーは、ロイスの指摘を受けて初めて、OTOの性魔術を理解し、その重要性に気づきました。

ロイスは、クロウリーの言い分を認めて、クロウリーにイギリス支部(「ミステリア・ミスティカ・マキシマ(M∴M∴M∴)」)設立許可を与えました。
また、クロウリーも、ベルリンに赴いて、OTOの高等秘密文書を学習しました。

1914年、クロウリーは、OTOの第7位階以上のための性魔術の指南書、「神々の本性について」、「神々と人間との秘密の婚姻について」、「愛の書」、「ホムンクルス」を書きました。
*詳細は次のページを参照

第一次大戦後の1915年、クロウリーは、「9=2メイガス」の位階に達したと宣言しました。

また、「法の書」に書かれていた、「彼の後より来る者こそ、一切の「鍵」を発見する者となる」の、「後より来る者」を自分の息子であると思い、二人の女性を相手に、性魔術の儀式を行いながら、自分の子供を作ることを企てました。
しかし、子供を得ることはできませんでした。

ところが、1916年、OTO団員でありクロウリーの弟子だったフラター・エイカドが、神秘体験をして、自分が8=3の位階の存在になったと、クロウリーに伝えたました。
エイカドは、この時点で、まだ、2=9の位階でした。

ですが、この連絡が、クロウリーが「息子」を作るための儀式を行ってから、ちょうど9ヵ月後でした。
また、エイカドが「法の書」の解釈の鍵(LA(無、ヌイト)=AL(神、ハディト)=31)を発見したことから、クロウリーはエイカドこそが自分の「魔術的息子」であると考えました。

ですが、後に(1925年)、エイカドは全裸で街を歩いて逮捕され、クロウリーは彼を破門にしました。

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<セレマの僧院>

1920年、クロウリーは、シシリー島でコミュニティ的な「セレマの僧院」を設立し、二人の恋人と、その子供たちと生活を始めました。

翌年には、最高の位階「10=1イプシシマス」に昇格したと宣言しました。
この時、かなり薬物を使って、試練を越えたと判断したようです。

1923年、野良猫を生け贄として殺害し、その血を飲むという儀式を行い、それがもとでメンバーに死者が出て、クロウリーも病気になりました。
その後、イタリアから国外退去命令を受けます。

1925年、クロウリーは、テオドール・ルイス亡き後のOTOの3代目の首領になりました。

1929年、フランスからも国外退去命令を受け、ロンドンに戻り、「魔術―理論と実践」などを出版しました。
1944年には、「トートの書」と、クロウリー版のタロットカードを出版しました。
ですが、1947年、クロウリーは、心臓疾患、気管支炎で死亡しました。


<死後>

1951年、クロウリーの遺産管理人だったジョン・シモンズが、クロウリーを冷笑的に描いた伝記を出版しました。
ところが、逆にこれによって、ダーク・ヒーローとしてクロウリーに注目が集まることになっていきました。

一方、クロウリーの弟子達も、クロウリーの伝記やクロウリーの魔術解説書を出版するようになり、クロウリーに対する理解が進みました。

ケネス・グラントは、1960年に「アレイスター・クロウリー」、1972年に「魔術の復活」、1983年に「アレイスター・クロウリーと甦る秘神」などを出版し、彼自身しか知らないとされる独自資料を元に、独自の解釈を行いました。 
彼は、クロウリーのOTO系、左道系の魔術に関心を示しました。

また、イスラエル・リガルディーは、1970年に「三角形の目」を出版しました。
彼は、グラントと反対に、GD系の正統流の魔術に興味を持つ人物です。

クロウリーは生前にはさほど大きな影響力を持つことがありませんでしたが、1960年代以降のカウンター・カルチャーの潮流の中で人気が出て、ロック・スターのジミー・ページや、映画監督のケネス・アンガーらにも支持されました。

また、2009年には、J・ダニエル・ガンサーが、「子供のアイオーンへの秘儀参入」を出版し、A∴A∴の内部で口伝でのみ伝えられていた多くの概念を公開しました。
この書によって、クロウリー魔術の解釈は深化され、新しい段階に入りました。

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<A∴A∴とOTO>

クロウリーが首領を務めた「A∴A∴」と「O∴T∴O∴」の2つの結社は、どちらも「法の書」で示された教義「テルマ」に基づくものでしたが、この2つは、まったく性質が異なる結社でした。

A∴A∴は、GDを継承するものですが、個の啓発に焦点を絞り、師から弟子へ一対一で秘儀伝授を行なう組織であり、「ロッジ」や「テンプル」という概念を持ちません。
位階構成は次の通りです。

・団に属さない位階:「学徒」、0=0
・1stオーダー G∴D∴(黄金の夜明け団):1=10から4=7
・中継位階:「境界の主」
・2ndオーダー R∴C∴(薔薇十字団):5=6から7=4
・中継異界:「深淵の嬰児」
・3rdオーダー S. S.(銀の星団):8=3から10=1

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A∴A∴日本WEBサイト

一方、OTOは、イニシエーションの階梯と儀式魔術を通して集団を訓練する組織です。
下位の位階はフリー・メイソン的な儀式を持つ位階で、上位位階は性魔術が置かれています。
現在の位階構成は次の通りです。

・大地の男の三組:第0-4、「完全なる参入者またはエルサレムの王子」
・すべての三組に属さない位階:「東と西の騎士」
・恋人の三組:第5-7
・隠者の三組:第8-9
・三組に関与しない特別位階:第10-12

これらの位階は、基本的にはセフィロートと対応していませんが、「大地の男の三組」の6位階は、7つのチャクラ(第0は2つ)と対応しています。

また、OTOは、教会部門として、公の組織「グノーシス・カトリック教会」を持っています。

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<クロウリー以前のOTO>

OTOは、オーストリアの裕福な製紙化学者のカール・ケルナー(1851-1905)によって、1895年に結成されました。
世界を幅広く旅行して回ったケルナーは、旅先でスーフィーとヒンドゥーのタントリズムの達人らと出会ったそうです。
ですが、その性魔術には、アメリカの「光のヘルメス友愛団」のパスカル・ビバリー・ランドルフ(1825-1874)の影響が指摘されています。
ケルナーは、「メイソン大学」というコンセプトを持っていました。

1905年にケルナーが亡くなった後、OTOの2代目の首領は、セオドア・ロイス(1855-1923)が継承しました。
彼は歌手で、ジャーナリスト、そしてプロシア警察のスパイとしても活動していました。
彼は、1906年に、OTOの憲法を交付しました。
また、英国薔薇十字教会のウェストコットとも、儀式のやり取りや相互公認などのやり取りを行っていました。
また、彼は、バーバリアン・イルミナティの復活を画策していたこともあって、OTOの位階には、その影響も取り入れています。

このように、OTOは、非公認メイソンリー儀礼のコレクターが、「メイソン大学」のコンセプトをもとに結成した結社でした。
そして、下位位階には、「メンフィス・アンド・ミツライム」や「古代公認スコティッシュ儀礼」などのメイソン系の儀式を配し、上位位階には性魔術を配する、という独特な構成を持った結社でした。
また、ハタ・ヨガも取り入れていました。


<クロウリーのOTO>

先に書いたように、1912年に、クロウリーが第10位階に就任し、イギリス支部「M∴M∴M∴」を結成しました。

彼はその後、OTOに彼の教義「セレマ」のエッセンスを注ぎ込んで、第5位階以上の儀式を改変しました。
第5位階の儀式は、キリスト教を否定して、「ホルスのアイオーン」を受け入れることを象徴するものでした。

1925年、ロイスの亡くなった後、クロウリーがOTOの第3代の首領になりました。

また、1944年、近代魔女術の父となるジェラルド・ガードナーがOTOに参加しました。


<クロウリー後のOTO>

1947年にクロウリーが亡くなった後には、ドイツのクロウリーの代理人だったカール・ゲルマーが首領を継承しました。

クロウリーの弟子だったケネス・グラントは、1951年に、イギリスのOTOを運営する権限があると公言しましたが、ゲルマーは1955年にグラントをOTOから破門しました。
ですが、これに対して、グラントは、自分がOTOの首領であると宣言しました。
彼の団体は、「タイフォニアンOTO(TOTO)」と呼ばれています。

ゲルマーは1962年に亡くなりました。

クロウリーにOTOの第9位階授けられていたグラディー・ルイス・マクマートリーは、1970年代にOTOの首領を宣言して、その復興を手掛けました。
このOTOは、他のOTOを名乗るグループと区別して「カリフェイトOTO」と呼ばれることもあります。

1985年には、ゲルマーの弟子だったマルセロ・ラモス・モッタと、マクマートリーのカリフェイトOTOの間に法廷闘争が勃発しました。
そして、マクマートリーが、正統なOTO(クロウリーの著作権所有者)として認められました。

ですが、マクマートリーは、モッタがA∴A∴の首領であることは認めました。
モッタの組織は、「東方聖堂騎士団協会(SOTO)」と呼ばれています。
先に書いたダニエル・ガンサーは、この出身です。

同年に、マクマートリーは息をひきとり、フラター・ハイメナウス・ベータが6代目の首領となりました。
ハイメナエウス・ベータは、かつてモッタのA∴A∴のプロベイショナーだったこともあり、かつての両団の抗争は終結して、盟友関係が回復されました。


もちろん、上記以外に、勝手にクロウリーの影響を受けたと主張するグループ、勝手にOTOを名乗っているグループは多数あり、中には、スキャンダラスな話題をふりまいたものもあります。

フォーチュンとリガルディーとその弟子たち

「黄金の夜明け団(以下GD)」が分裂した後に入団した魔術師を、GD第二世代とすれば、その代表は、ダイアン・フォーチュンとイスラエル・リガルディーでしょう。

二人には、心理学を学んで取り入れたこと、通信教育や書物などを新しい教育手段として用いたこと、GDの秘密の公開を行ったこと(二人には差はありますが)、ブラヴァツキーの神智学に影響を受けたこと、などの共通点があります。

こうして、GD系の魔術は、第2世代、及び、その弟子たち(第3世代)によって継承され、通信や出版を通した教育というだけでなく、場合によっては、位階制度の廃止、あるいは、個人参入といった新しい形態が生まれました。


<フォーチュンと内光協会>

ダイアン・フォーチュン(ディオン・フォーチュン)ことヴァイオレット・メアリー・フォース(1891-1946)は、ヨークシャー出身の孤児で、クリスチィアン・サイエンスを信奉する家族に育てられました。
彼女の関心は、心霊主義から神智学へと進みました。

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フォーチュンは、二十歳の時、オカルト的知識を持つ職場の上司から、催眠術を使った攻撃を受けて、精神を壊しました。
それに気付いた彼女は、心理学とオカルティズムの勉強の必要性を感じました。

彼女はロンドン大学で心理学、心理分析を学び、フロイト、ユング、アドラーらの理論に夢中になり、1918年には、素人診療家になりました。

そして、フォーチュンは、心理学とオカルティズムの密接な関係を確信するようになりました。
彼女は「オカルティズムは心理学を、心理学はオカルティズムを再照合し、解き明かす」(「心霊的自己防御」)と書いています。

と言っても、その一方で、「心霊現象と主観的幻想を非常に注意深く区別しなければならない」とも書いて、彼女は魔術を心理現象に還元しているわけではありません。

フォーチュンは、1919年にブロディ=イネスの「A∴O∴No.2」に加入し、1920年にはロンドンのモイナ・マサースの「A∴O∴No.3」に移籍しました。

すぐに、フォーチュンは、「秘密の首領(マスター)」から文書を受け取ったと主張するようになりましたが、それが神智学的な内容だったこともあり、モイナはこれを否定しました。
その後、フォーチュンは、「オカルト・レビュー」誌などに記事を発表しましたが、これが「A∴O∴」の秘密を公開したとモイナから批判され、彼女と決別します。

そして、1922年、フォーチュンは、「内光の友愛(後に「内光協会」に改名)」を設立しました。

ですが、フォーチュンは、「A∴O∴」と決別していたため、団設立の認可状を持っていませんでした。
そのため、彼女は、1925年に「暁の星」系の「ヘルメス・ロッジ」に加入して、正式に認可状を得ました。

その一方で、1925年には、彼女が「秘密の首領」から受け取ってきた文書を、「コズミック・ドクトリン」として発表しました。
そして、神智学協会キリスト教神秘主義ロッジの会長(1927年まで在任)になりました。

「内光協会」は、魔術結社として初めて通信教育制度を取り入れて、魔術の新しい時代を切り開きました。
これは魔術の歴史において、大きな変革でした。

「内光協会」は3階級の位階を持ち、第2段階以上の弟子はロンドンの本部に集まり、儀式魔術を行いました。

ちなみに、開業医だった夫のエヴァンスも、団員であり、魔術のパートナーでした。
マサース夫妻から始まって、フォーチュン夫妻、その後も、ノーウィッキ夫妻、ザレウスキー夫妻、キケロ夫妻など、GD系には、一緒に魔術を行う夫妻が多くいます。

フォーチュンは、魔術、心理学などの多数の著作、小説を発表しています。
魔術関係では、1935年に発表した「神秘的カバラ」が名著として知られています。

フォーチュンの後期の魔法小説は、古代の異教と性をテーマにしたものです。
彼女は、アレイスター・クロウリーとも交流があり、その影響があるとも言われています。
彼女は、シャクティや「黒いイシス」に象徴される女性的なエネルギーを、また、男女2原理の両極性を重視しました。

先に書いたように、フォーチュンは、魔術の心理側面に関して、心理学的に説明することがあります。
例えば、「「神」の霊を呼び出す手段として見れば、儀式はまったくの迷信である。しかし、人間の霊を呼び出す手段として見れば、それは純然たる心理学である」(「神秘のカバラ」)と、書いています。

GD(マサース)は、「自動的意識」という言葉を使いましたが、フォーチュンは、「潜在意識」という言葉を使います。
「この2つ(潜在意識と意識)が結び付けられて対極的機能を果たす時、超越意識を生む。これが秘伝家の目標なのである」とか、
「個々の魂と最も原初的な潜在意識の深層に隠されている「宇宙の魂」との間には、潜在意識的な結びつきがある」、とも書いています。


<フォーチュンの弟子たち>

1946年、フォーチュンが亡くなると、その後、「内光協会」は位階制度を廃止し、キリスト教神秘主義の団体と化していきました。
ですが、「内光協会」の魔術志向の弟子達は、通信教育制度を継承して活動を始め、GD系魔術を継承する、大きな潮流を形成しました。
ウィリアム・バトラー、ガレス・ナイト、ウィリアム・グレイ、ジェラルド・ガウ、ノーウィッキ夫妻などです。

ウィリアム・E・バトラー(1898-1978)は、インドで陸軍に勤務した時代に、神智学協会員となり、帰国後の1925年に「内光協会」に入団しました。

そして、彼はサウサンプトン大学のエンジニアとして働く一方、魔術師、そして、魔術の著作家として活動しました。 

バトラーは、1952年には「魔術―その儀式と効力と目的」、1959年には「魔術師―その訓練と作業」を発表し、魔術の著作家として知られるようになります。

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そして、1962年に、彼は、ガレス・ナイトと共に、通信教育の魔術講座「ヘリオス・コース」を始めました。
ナイトが離脱すると、1965年に「光の侍従(SOL)」を設立しました。

「光の侍従」は、弟子の魔法日記を元に手紙で丁寧な指導を行なうことが特徵です。
また、「中央の柱」、「パス・ワーキング」の技法を発展させているようです。

「内光協会」から「ヘリオス・コース」、「光の侍従」と、常にバトラーと活動を共にし、彼が亡くなった後には「光の侍従」を率いたのがドロレス・アッシュクロフト=ノーウィッキとマイケルの夫妻です。
ドロレスは、儀式魔術の入門書やパス・ワーキング関連の著作も発表しています。



<バトラーと心理学>

バトラーは、魔術の心理的側面に関して、心理学的な説明を良く行います。

「魔術師が現代思想と最も近いつながりを見出すのは現代心理学、特にC・G・ユングの名に結びついた心理学的発想である」
「C・G・ユングの著作はかなり魔術の伝統と同一線上にあり…」
(以上、「魔法―その儀式と効力と目的」)

バトラーは、このように、ユングが魔術と近いことを評価していました。
そして、彼は、「元型的イメージ」、「集合的無意識」といったユングの用語を使って説明します。

「魔法はその象徴や儀式の元型的イメージを通じて人類の潜在的意識的精神に語りかけ、それによって魔術師の求める「意識の中の変革」を生み出すのである」(同上)

「集合的無意識の深みの中にはある力やエネルギーが存在しており、それを我々は意識における変革という効果を引き起こすために、我々の意識的な自己の中に出現するように呼び起こそうと試みること、これが「魔術」であり…」(「魔法使い―その訓練と仕事」)

つまり、バトラーによれば、魔術とは、「元型的イメージ」を通して「集合的無意識」のエネルギーを刺激して、意識を変革する技術なのです。

魔術の心理学的説明について、もう少しバトラーの説明を聞きましょう。

彼によれば、魔術を行なうには、まず、意識の閾値を下げることが必要です。
そして、逆に、「潜在意識を持ち上げる」(魔法使い―その訓練と仕事)必要もあります。

魔術儀式では、多数の象徴によって「累進的な暗示が精神的なギアの入れ換え」(魔法―その儀式と効力と目的)を行ないます。

その象徴は元型的イメージであり、潜在意識は集合的無意識です。

そして、「潜在意識層が意識の中へ昇ってきて、任意の目論見をひきおこす暗示的な力を利用できるのである」(魔法―その儀式と効力と目的)

バトラーが心理学的説明をすると言っても、フォーチュンと同様に、魔術を心理学に還元しているのではありません。
彼は、魔術によって、ある種の実在する力が召喚されると考えます。

「心理的方法は極めて大切なものではあるけれども、それが大切なのは、「中央の柱」のような訓練を通じて導入された魔術のエネルギーによって補充された時に限る」(魔法使い―その訓練と仕事)とも書いています。

ですが、彼は、その力の見える姿は、主観的に投影したものであると言います。
そして、召喚された力が、人の内面の力を喚起すると。

また、「元型的イメージ」=神は、アストラル・ライトの中に、人間が長年に渡って作り上げてきた「集団表象」であり、それは実在です。

そして、結社が打ち立てた「集合表象(思念像)」は、その民族の「集団表象」と介してエネルギーに満たされます。

そのため、魔術師がイメージを観想、もしくは、霊視すると、それが「集合的に形成された「神」の形象との接触線として働き、これが次に、それが象徴する宇宙的エネルギーと結びつく」(魔法―その儀式と効力と目的)のです。


<リガルディー>

イスラエル・リガルディー(1907-1985)は、ロシア系ユダヤ人で、ロンドで生まれ、アメリカに移住しました。

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最初、ブラヴァツキー夫人の神智学に影響を受けましたが、その後、クロウリーに傾倒しました。
そして、リガルディーは、1928年にパリでクロウリーの秘書になり、彼のもとで魔術の勉強を行いました。

彼の言によれば、クロウリーに惹かれたのは、ブラヴァツキー夫人の道徳的厳しさに対する反抗だったそうです。
それでも、彼は、ブラヴァツキー夫人の著作を愛読し続けましたが。

リガルディーは、1932年に「柘榴の園」、続いて、魔術の技法の紹介を含む「生命の樹」を出版しましたが、この書の件でクロウリーと喧嘩別れすることになりました。

ですが、フォーチュンはリガルディーを擁護し、1934年、リガルディーは彼女の紹介で「ヘルメス・ロッジ」に招待されて加入し、ここでGD流の魔術を学びました。

その後も、「我が薔薇十字団の冒険」(1936)を出版すると、秘密を漏らしたとしてクロウリーや「A∴O∴」から攻撃を受けました。

1937年、リガルディーは、アメリカに戻りました。
そして、1937-40年にかけて、「ヘルメス・ロッジ」で入手した文書などを元に、「黄金の夜明け」4巻本をシカゴ・アリーズ・プレスから出版し、GDの教義、儀礼体系のほとんどを公開してしまいました。
これによって、GD系の結社は壊滅的な打撃を受けました。

リガルディーは、公開に際して、「体系全体を世間一般に公表し、人類がこれを失うという事態を回避することが重要だった…またすでに団の教義は部分的かつ無責任な状態で公開されてきたという経緯もある」と書いています。

また、インタビューでは、「(大異変が起こっても)この本がほんの2-3冊でもいい、どこかで難を逃れて残っていれば、この知識は地上から消滅してしまうことはない…この本のお蔭で、こういう形でのオカルトの知識、「光への参入」の一つの方法が、あと何千年かは残ることになる」(「黄金の暁会 最後の覚書」掲載)と語っています。

その後も、リガルディーは、GDの文書の蒐集を続け、上記4巻本の増補改訂版を、69年、86年にルロウリン社から、84年にファルコンプレス社から出版し続けました。


リガルディーは、アメリカで心理学、心理療法、そしてカイロプラクティックの勉強をし、心理学の博士号も取得しています。
1947年には、ロサンゼルスに引っ越し、そこでカイロプラクターとして活動を始めました。

彼は、「一年間はユング派、二年間はフロイト派、そして四年間はライヒ派だった」と述べています。(「黄金の暁会 最後の覚書」)
そして、魔術を志す人には、サイコセラピーを受けるように勧めています。

リガルディーは、「分析心理学と魔術は同じ技術体系の半分同士」であるとも書いています。

「「魔術」というものが主に現代心理学とまったく同じ世界と関わっていると言える。…「魔術」とは我々のより深い部分を探ることが可能となるように考案された一連の心理学的手法なのである」(同上)とも。

また、リガルディーは、心理学のコンプレックスと魔術の「悪霊」が同じもので、魔術ではそれらを人格化し、視覚化し、目の前に召喚するのだと書いています。
このようにして、意志や意識でコントロールすることで、「コンプレックスは再び意識に併合される」(以上「魔術の技法」)のだと。

ですが、リガルディーは、晩年のインタビューで、「ユング派の研究をしていた一年間は、まったくの無駄だった。…いわば、精神的なマスターベーションだよ」(「黄金の暁会 最後の覚書」掲載)とも述べています。
彼は、ユングの能動的想像力とスクライングなどを比較して、前者は幻想的なマスターベーションだけれど、後者は客観的なものだと考えていました。
彼は、こういった点でユングの限界を感じていたようです。


リガルディーは、1950年代には、一旦、魔術界から引退しました。
また、彼は、科学的にLSDを使用する実験を行って、その精神に与える影響の研究を行いました。

ですが、ジョン・サイモンズが出版したクロウリーの初めての伝記「大いなる獣」が、あまりに無理解な内容だったため、リガルディーは、クロウリーと自身を擁護するために、「三角形野中の目」(1970)を出版しました。
彼はこの書の中で、クロウリーに「法の書」を与えたエイワズは、クロウリーの精神の一面であると書いています。


<リガルディーの弟子たち>

1969年に、リガルディーの「黄金の夜明け」4巻本の改訂版が出版されました。
いわゆるニュー・エイジの時代に入っていたので、この改訂版は初版時よりも売れました。
そして、アメリカ各地でGDの影響を受けた結社が作られるようになりました。

リガルディーは、自身の結社を作りませんでしたが、弟子はいました。

その代表的人物である、チック・キケロ、サンドラ・タバサ・キケロ夫妻は、リガルディーの4巻本の影響を受けて、「自己参入」で魔術の研修をしました。

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そして、1977年に、ジョージア州で家を借りて神殿を作り、これを「イシス・ウラニア・テンプルNo.18」と称し、「黄金の夜明けヘルメス団(The Hermetic Order of the Golden Dawn、H.O.G.D.)」を結成しました。

1980年に、彼らはリガルディーに連絡を取って交流を計り、アリゾナ州セドナのリガルディー宅に通って教えを受けました。
1982年に、彼らがアデプトの地下納骨所を完成させた時、リガルディーがそこを聖別しました。

ですが、リガルディーは、1985年に亡くなります。

キケロ夫妻は、1988年に団を非営利団体として公式に登録しました。
そして、1995年には、GDの伝統を不正な金儲けに使おうとする者から守るためとして、「The Hermetic Order of the Golden Dawn」の名前と、GDのマークを商標として登録しました。

また、彼らは、「黄金の夜明け伝統への自己参入」(1995)、「「黄金の夜明け団」入門」(2003)、などを出版しています。
特に前者は、魔術の「自己参入」の時代を象徴する著作でしょう。

もちろん、彼らは、通信教育を行なうだけでなく、インターネットを通した募集などの活動も行なう世代で、WEBサイトも運営しています。

また、キケロ夫妻と一緒に活動していた人物に、クリス・モナスター(パトリシア・バーマン)とデヴィッド・ジョン・グリフィンがいます。
モナスターは、リガルディーの200点に及ぶ魔術関係の遺品を保管しているそうです。

彼らは、1982年にリガルディーの指導の下にO∴K∴A∴(Osiris Khenti Amenti)を設立し、それが母胎になって、1994年に「黄金の夜明けヘルメス団(Hermetic Order of the Golden Dawn、サイトでは「Authentic」をつけていたので「A.H.O.G.D.」と略される)」を結成しました。

この団体は、1995年に、「H.O.G.D.」に対してその商標登録に関する公式の抗議と和解調停を行い、「The」抜きの名前で商標登録しました。

また、「永遠の黄金の夜明け団」という結社に対しては名称及び紋章の使用停止勧告を行い、この結社は、「国際黄金の夜明け団」と改名しました。

「A.H.O.G.D」は、「アルファ・オメガ薔薇十字団」に所属するパリのアハトゥール・テンプル、「薔薇十字の同朋連合」などとも連携をしています。
そして、「ルビーの薔薇と黄金の十字架団(Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis)」も商標登録し、WEBサイトでは「Alpha Omega Rosicrucian Mystery School」とも名乗っています。

彼らは、通信教育を行わず、年会費も取らない形で運営を行っています。

このように、魔術界は、ネット上でも団員の取り合い競争を行う時代となりましたが、これは、信頼をアピールすると同時に、過剰なアピールのために怪しさを招くという現象も起こしているようにも思えます。

*「黄金の夜明け団」の法的闘争などに関しては、こちらを参照しました。