ピート・キャロルの混沌魔術

ピート・キャロルに代表される「混沌魔術(カオス・マジック)」は、オースティン・スペアやアレイスター・クロウリーの魔術思想を受けて、現代的な魔術を追求する一つの運動です。

「混沌魔術」は、伝統的な象徴体系やその階層秩序、一神教的な善悪観念を持つ魔術を、「ドグマ魔術」として批判します。
そして、魔術師が自身の魔術体系を自作するのが特徴です。
とは言っても、自分の潜在意識が信じる限りは効果があるとして、何でも使うという実践的な姿勢も持っています。

キャロルの「混沌魔術」は、ドグマを拒否し、確かに体系性は少ないですが、彼は形而上学的な志向も持っていて、新しい時代にふさわしい魔術思想の体系的な構築を行っています。

また、キャロルが作った魔術結社の「タナトエロス光明結社魔術同盟(IOT)」には、ウィリアム・バローズ、ティモシー・リアリー、ロバート・アントン・ウィルソンらも参加していたと言われ、「混沌魔術」は魔術シーンだけでなく、カウンター・カルチャーにも広く影響を与えました。


<ピート・キャロルと混沌魔術の歴史>

ピートことピーター・ジェイムス・キャロル(1953-)は、アイルランド系の家系に、心霊能力を持つ女性を母として生まれました。
そして、ロンドン大学で科学を学び、教師になりました。

ピートは、大学時代に幻覚剤を実験している時に、魂の核には「意志」と「知覚」の力しかなく、物質の背景には「混沌」があること理解し始めたそうです。

1976年、キャロルとレイ・シャーウィンが出会ったことが、混沌魔術が生まれるきっかけになりました。
二人は、ロンドンのイーストエンドのフェニックスという書店のまわりで発展していたオカルト・シーンに関わっていました。
そして、二人は「The New Equinox(新しい分点)」という雑誌を出版し、キャロルはそこで混沌魔術に関する文章を発表しました。

キャロルは、1978年に「無の書」を、1982年に「心霊飛行士」を発表して、混沌魔術の概要を公開しました。
前者は、一人で魔術作業をするための、後者は、グループで魔術を行い、社会奉仕するための参考書です。

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*「無の書」、「心霊飛行士」の併載版

また、1978年に、キャロルとシャーウィンは、従来の魔術結社のような階層構造を持たない、混沌魔術の組織の考えを公表しました。
ですが、これはすぐには、現実化しませんでした。

1980年、キャロルは、Frater Vegtanと、オーストラリアで「カオス教会」を設立しましたが、その活動は長続きしませんでした。

次に、1986年に、キャロルは、「無の書」のドイツ語訳の出版を行ったフラターU∴D∴(Ralph Tegtmeier)と、公開セミナーを行いました。
そして翌年、二人はそこで言及した結社を、「タナトエロス光明結社魔術同盟(以下IOT、正式名称は、The Magical Pact of the Illuminates of Thanateros、略してThe Pact)」として設立しました。
ですが、シャーウィンは、この組織の階層性のあり方に同意できずに、離脱しました。

1990年代に、ドイツIOTのHelmut Barthelが、ゲルマン神話をもとにした、氷から力を引き出「アイス・マジック」の教義を作成し、これを巡ってIOTは分裂しました。
そして、「アイス・マジック」を支持したフラターU∴D∴も、反対したキャロルも、IOTから離れました。

2005年、キャロルは、オカルト大学のArcanorium Occult Collegeを設立しました。


<カオス主義のアイオーンとIOT>

ピート・キャロルは、魔術革命を完成させたと主張しています。
「無の書」では、「一世紀以上もの間続けられてきた魔術の理論と実践における革命を、ついに完成させることになった」と書いています。

アレイスター・クロウリーは、「ホルスのアイオーン(時代)」を宣言しましたが、キャロルは、「カオス主義のアイオーン」を宣言しました。
彼によると、これは、「シャーマニズムと魔術のアイオーン」、「異教のアイオーン」、「一神論のアイオーン」、「無神論のアイオーン」に続く、5番目のアイオーンです。

このアイオーンは、ドクマや個人のアイデンティティから開放されることが特徴です。
そして、混沌魔術の達人は、カオスに住み、象徴体系を超越します。

キャロルは、「IOTはゾス・キア崇拝とA∴A∴の魔術的後継者である」(「無の書」)と書いているように、この2つ、特に前者から大きな影響を受けています。
また、タオイズム(道家思想)やタントリズム(密教)からも影響を受けています。

キャロルが設立したIOTの目的は、新しいアイオーンを先導することです。
先に書いたように、混沌魔術は、個人主義でもあり、結社の組織構造の改革も重視しています。

彼は、これについて、「IOTには形式的な階層構造はない、能力に発達に応じた活動区分があるだけである」(「無の書」日本語訳の前書き)と書いています。


<グノーシスとトランスフォース>

クロウリーはヨガのサマディを重視し、スペアはシジルを潜在位意識に送って内面化する際の変性意識状態を重視しました。
これを受けて、キャロルも言葉のない状態、集中した状態を重視し、これを「グノーシス」と呼びます。
キャロルは「グノーシス」を「サマディ」であるとも表現します。

「グノーシス」の状態では、意識の検閲に遮られることなく、生命力、つまり、魔術的な力が顕現するのです。

キャロルは、これに、「抑制モード」と「刺激モード」の2つがあると書いています。
前者は、心を鎮めるものであり、感覚が欠如したものであり、スペアの「死の姿勢」がこれに当たります。
一方、後者は、心を興奮させるものであり、感覚が過剰な状態であり、性的オルガズムがこれに当たります。

また、「恍惚」の4頭戦車の性的記号として、4種の身体的なトランスを述べています。
超越に関わる「死の姿勢」、霊感に関わる「通常の性交」、具現化に関わる「自慰」、そして、疲労に関わる「後背位・肛門性交」です。

もちろん、性と死の重視には、クロウリーとスペアの影響があります。

ちなみに、現代の混沌魔術の魔術師は、「グノーシス」状態を得るために、ほとんどが性的オルガズムを利用していて、一部がスーフィーのような旋回運動を利用しているようです。


「無の書」の最初の部分である「MMMの書」は、クロウリーのヨガの瞑想書を継承したものですが、「魔術的トランス状態」と「トランスフォース(変容)」の訓練をテーマにしています。

「魔術的トランス状態」は、上記のサマディの状態です。

「トランスフォース」は、心を自分の意志によって再構成することで、伝統的には、「真の意志」を見出すための「大いなる業」と呼ばれてきたものです。
混沌魔術これには、3つの方法があると言います。

第1は「哄笑」で、魔術的トランス状態で起こる不均衡を防ぎます。
「哄笑」は、混沌魔術では、宇宙が宇宙自身をからかうという、宇宙論的な行為に当たります。
第2は「非執着・無関心」で、憑依に対抗することができます。
第3は「習慣を取り除く」で、これは個性を超えて、「カオス」に向けて自分を開放するものです。

ここにも、仏教や道家の思想、特にその風狂精神の影響を感じます。


<カオス>

キャロルの世界観、形而上学においては、「カオス」、「キア」、「バフォメット」などが重要な概念です。

「カオス」は、宇宙の根源であり、キャロルはそれを「タオあるいは神と呼んでも構わない」(「心霊飛行士」)と書いていて、また、「空(ヴォイド)」とも表現します。

「カオス」は無限の可能性であり、宇宙はそこから、自然発生的に、偶然に、生まれます。
「カオス」の創造は、作為のない自然的現象であって、「霊的な意識の力」などではなく、善悪とも無関係です。

そして、我々にとっては、「カオス」は、「心理的な無秩序状態」であって、「我々の信念体系を混乱させることによって、インスピレーションと啓発の機会を与えてくれる」のです。

以下、「心霊飛行士」からいくつか、引用しましょう。

「広大な宇宙全体に生命を与える力をカオスと呼ぶ。それは表現し難い、可能性に満ちた空(ヴォイド)であり、そこから存在、法則、形が発生する」
「すべてのものの本質は…自然発生的で、魔術的で、そして混沌とした現象である」
「宇宙を形成している作因はランダムでカオス的なものである」
「宇宙は絶え間なく自らを楽しませ、我々に同じことをするように誘いかける」

キャロルは、「タオ(道)」、「混沌」、「無名」、「恍惚」を根源とする道家思想や、「空」、「無常」をテーゼとする仏教思想・密教思想から影響を受けているようです。

キャロルは、魔術の目的は、2つの道を利用することだと言います。
それは、「光」の道と「闇」の道です。
「光」は溶解し、拡大する力であり、「闇」は凝固し、収縮する力です。

これは、「カオス」からの宇宙顕現と、宇宙の「カオス」への帰還に対応するのでしょう。

セレマで言えば、ホルス/セト、ラー・ホール・クイト/ホール・パアル・クラアトに対応するように思います。


<キア>

「カオス」が客体的概念であるのに対して、「キア」は主体的概念です。
「キア」は、スペアの用語であり、「空気のような私」という意味です。
つまり、無形で無境界で、言語的に表現できない真の主体のことです。

キャロルは、「キア」について、「無の書」で、「意志と知覚の統一体」、「自己意識を与える」、「二元性を持つ心の奥底に隠れている」などと形容しています。

重要なのは、「カオスとキアには精神的または倫理的なものなどまったくない」、「善性、憐れみ、霊性のような犠牲もなければその反対の特性もない」(「心霊飛行士」)ということです。
つまり、通常の意味での善悪の観念とは無関係な、生命的現象であるということです。

また、キャロルは、「魔術」と「キア」の関係について、「魔術とはキアに自由や柔軟さを与えること」、「(魔術は)キアがオカルト的な力を現すことができるような手段を提供する」(「無の書」)と書いています。

キャロルは、「キア」と聖守護天使との関係について、「二元的世界におけるキアの最も完全な媒介物」(「無の書」)、「人間という存在の中心にあるこの空(ヴォイド)こそ、本当の守護天使である」(「心霊飛行士」)と書いています。
彼によれば、それを「高次の自己」と考えるのは、「一神教の宗教から誤って流用された」誤解なのです。

また、キャロルは、人間の死後、「キア」は、「バフォメット」に再吸収されると言います。
彼によれば、「バフォメット」とは、「生命力の海」であり、「地球上の生命の流転そのもの」(「心霊飛行士」)です。


<カオスのミサ>

混沌魔術は、スペアのシジル魔術の影響を強く受けていますが、それ限定されるものではありません。
召喚魔術も集団による儀式的な魔術も行います。

混沌魔術には、「カオス」や「バフォメット」を召喚する「カオスのミサ」があります。

「カオス」の召喚では、円の上の空中にカオスの印形を描き視覚化し、性的霊液の供犠を行います。
その後の「バフォメット」の召喚では、逆五芒星を視覚化し、「汚れの接吻(尻への)」、クンダリニーの喚起や、聖餐などを行います。

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*カオスのシジル


<キャロルの欲望のアルファベット>

スペアに「欲望のアルファベット」があったように、そのキャロル版の「欲望のアルファベット」があります。
これは、スペアや混沌魔術における、例外的な一種の象徴体系です。

スペアのそれが性的な性質のものであったのに対して、キャロルのそれは、様々な感情や、抽象的な観念なども含まれます。

アルファベット(記号)は、自作が21種の他に、錬金術、四大元素、惑星の計35種から構成されます。
また、これら35種は、「生命の樹」に対応しています。

まず、錬金術記号は、「水銀(グノーシス)」、「硫黄(通常の感情)」、「塩(抑制)」の3種で、これらは上位3セフィロートと対応し、それぞれは「キア」、「意志」、「知覚」という属性を持ちます。

次に、二項対立的な二元的感情が、「性/死」、「愛/憎しみ」、「欲望/恐れ」の3組であり、さらにそれぞれの中に3組があって、合計9組18記号です。
これらは、ダートを含むティファレットの回りの6つのセフィロート対応します。

そして、二元性がない感情である「哄笑」と、その中の3つ「脱概念化」、「概念化」、「統合」が、ティファレットに対応します。

最後に、身体的感情の「苦痛/快楽」、「抑圧/高揚」の4種が、マルクトの4大元素に対応します。

このように、混沌魔術は象徴体系を超越すると言いながらも、キャロルには、まるで普遍的だと主張しているかのような、一つの象徴体系を持っているのです。
これは、「生命の樹」と対応を持ち、彼自身が考えた独自のものであり、シジル魔術などで利用します。


<参照としてのチベット密教>

混沌魔術の問題意識は、魔術に必要とされてきた象徴体系、あるいは記号体系からの開放と、魔術と現代的、ないしは東洋的な非実体主義的の生成哲学との融合の問題でしょう。
また、体系を個人の潜在意識から構成することや、組織の階層性を否定する問題です。

これらの問題は、かつて、インドの後期密教やチベット密教でも問題とされたことです。
ですから、現代的な魔術の問題を考えるに当たっては、これらを参照することが役に立でしょう。
以下はこのテーマで簡潔に述べます。

密教では、経典(タントラ)ごとに異なるマンダラが説かれます。
これは、それぞれの教義が異なる体系で説かれているということであり、魔術を行使しないとしても、修行実践においては、異なる象徴体系を観想して潜在意識に植え付けるということです。

ですが、仏教は非実体主義なので、それぞれの象徴・教義体系は、実践においても、それが「空」であること、つまり、方便であることを前提としています。

各宗旨・宗派では、中心となる経典を定めてはいますが、同時に多数の経典を学びます。
つまり、多数の体系を学んで、特定のものにこだわらず、また、個々の体系を幻のようなものとして受け取ります。

さらには、象徴体系としての教義を超えたところに、マハームドラーやゾクチェンのような上位の教えが置かれます。
マハームドラーは体系なき象徴を意味し、ゾクチェンにおいてはそれが常に生成・変化・解脱し続けるものとなります。
つまり、修行のゴールは、象徴や体系性を超えた地点とされ、その教義においても、象徴はほとんどなくなります。

また、伝統的な経典の教義だけでなく、ヴィジョンの中で霊的存在から潜在意識を通して受け取った教えを重視します。

寺院組織については、かつてのインド後期密教やチベット古派では、出家してもしなくても、寺院組織の外に学ぶことが重視されました。
また、特定のグルにいつまでも従事することを避け、宗派を越えて多数のグルを求めて各地を転々としました。


オースティン・スペアのキアイズム

オースティン・スペアは、「キアイズム」、「ゾス・キア(・カルタス)」などと呼ばれる、魔術を作った人物です。
その思想も、その技法も、まったく他に類を見ないものです。

技法においては、伝統的な象徴体系も、霊的存在の名前や召喚も、対応する印形も必要としません。
これは魔術における革命であり、ピート・キャロルらの「混沌魔術」の誕生の原点となりました。

スペアの魔術技法の中心であるシジル(印形)魔術は、願望実現魔術であり、その原理は潜在意識を働かせる心理的技術でしかないとも言えます。

ですが、彼の思想には、あらゆるドグマを否定し、魔術の源泉となる本来的な自分である「キア」を、言語が不在で、無形、言説不可能とするなど、仏教や老荘思想の主体論にも似たところを感じることができます。
また、「キア」を、原初的な性的原理とし、「自己-愛」的で快楽的なものとする点では、フロイトを越えてドゥルーズ=ガタリ的な機械状無意識論を感じることもできます。


<スペアの人生>

オースティン・オスマン・スペア(スパー、1886-1956)は、警察官を父としてロンドンで生まれました。

スペアは、セーラムの魔女の生き残りだというパターソン夫人から、様々な魔女術系の魔術の教えを受け、また、アストラル・ライトでのサバトにイニシエートを受けたといいます。
ですが、パターソン夫人は、スペアが創造した架空の存在かもしれません。
もし、そうだとすると、他に類を見ないスペアの魔術の思想と技法の由来は、まったく不明となります。

また、スペアは、若い頃には王立美術アカデミーに席を置いた画家であり、生涯に渡って作画し、時折、展示会を開きました。
また、彼の作品はヒットラーの目に止まり、ナチスの肖像画を依頼されましたが、最終的に断ったといいます。

スペアは、若い頃から、画家としての生活の一方で、ブラヴァツキー夫人、アグリッパ、エリファス・レヴィなどの書を読みながら、自身の独自の魔術思想を追求しました。

アリウスター・クロウリーはスペアの画家としての才能に惹かれ、1907年頃から数年の間、スペアと交流を持ち、A∴A∴にも招待しました。
また、スペアは、その機関誌「春秋分点」に線画を4点寄稿しました。

ですが、スペアは伝統的な儀式魔術には興味を持てなかったようです。
彼は、「なぜ儀式用の服と仮面を身に着け、神々の態度を真似なければならないのか」と書いています。

スペアは、自身の魔術思想を表現した書として、1913年の「快楽(喜び)の書」、1921年の「生の焦点」などを出版しました。
これらはとても難解な表現で書かれています。

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*左「喜びの書」、右「生の焦点」

1949年、スペアはクロウリーの弟子だったケネス・グラントと知り合いになり、交流を持ちました。
そして、グラントの結社「ニュー・イシス・ロッジ」の祭壇画を描きました。
グラントは、スペアが、蛇の女神を崇拝する中国系のオカルト一派の一員だったと主張していますが、真実は不明です。


<シジル魔術>

シジル魔術とは、特定の図形である「印形」を使った魔術です。
スペアのシジル魔術は、基本的に願望実現魔術です。

重要なのは、伝統的な魔術では願望に対応する霊的存在に固有の決まったシジルを使うのに対して、スペアのシジル魔術では、その都度に自作します。

次のようなプロセスで行います。

1 願望を文にする(アルファベット大文字)
2 複数出てきた文字は消して一つだけにする
3 すべての文字を組み合わせて簡素化しながら図形化する
4 出来上がったシジルを変性意識状態で凝視して潜在意識に送る
5 願望とシジルを忘れて意識から消し去る

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*スペアによるシジル

1は日本語なら漢字でもカタカナでも可能です。
文章は、原則的に、潜在意識が理解しやすい文にします。
「THIS IS MY WISH…」といった定型文を使います。
潜在意識は否定文を理解できないので肯定文にします。
ただ、日本人・日本語の場合は否定文でも問題ないという意見もあります。
曖昧過ぎず、具体的過ぎない、適当な具体性を持った文章にします(例えば、時間の指定など)。

2は、シジルを単純化するために行います。

3は、場合によって、文章を部分に分けて一つずつシジルにして後から組み合わせるとか、大きな一つのシジルを単純化すると良い場合があります。
最後に、シジル全体を円や四角で囲みます。

4は、願望を思い浮かべずに、シジルだけを凝視して、内面化します。
変性意識状態は、言語がなく、意識と潜在意識の壁がなくなった状態で、シジルをしっかりと潜在意識に届けることができます。

瞑想や観想が得意でない人でも簡単に変性意識状態になる方法には、マスターベーションによるオルガズムや、短時間に過激な運動を行う、呼吸を限界まで止める…などによって一種の放心状態になる方法があります。

最後の方法は、「死の姿勢」と呼ばれる方法で、スペアは重視しました。
深呼吸の後、両手を使って目、耳、内をふさぎ、体の緊張を高め、ギリギリ限界まで呼吸を止め、その後、目を見開いて、呼吸をして、シジルを凝視します。

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*上部のスペアの自画像部分は「死の姿勢」(「快楽の書」より)

5は、4の内面化の後、笑って、シジルを心の中からなくし、すぐに他のことを考えます。
そして、シジルを書いた紙を捨てるとか、あるいは、逆に目に付きやすいところに貼ります(いつも見えると、意識しなくなるため)。


<魔術が働く理由>

伝統的な魔術では、願望によって、それに対応する象徴(霊的存在)のシジルが決まっていましたが、スペアの方法では、都度、自作しても効果があるのです。
ということは、重要なのは、シジルの形ではなく、作業プロセスであるということになります。

そして、この製作方法は、作業が複雑すぎないので、潜在意識がシジルと願望を理解していて、また、作業が単純すぎないので、意識がそれを忘れてしまいます。
ということは、意識が介入せずに、無意識を自動的に働かせることで魔術が働く、ということです。

また、伝統的な魔術のように、特定の霊的存在をその名前を使って召喚しなくても、効果があるのです。
霊的存在を召喚してもしなくても、働いている仕組みは同じであり、名前や姿を持たせるかどうかという違いだけなのです。
つまり、魔術を働かせるためには、潜在意識が働けば良くて、象徴は不要であり、外的な霊的存在の要不要に関わらず、それに直接語る必要がない、ということです。

以上の点で、スペアのシジル魔術は、まったく革命的です。
そして、伝統魔術がなぜ効果があるのか、その本当の本質がどこにあったのか、を理解する根拠になります。

スペアの方法は、無意識を重視してそのメカニズムを利用するものですが、彼はフロイトやユングに対しては、「詐欺とジャンク」であると批判しています。


<シジル魔術の応用>

シジルを作る時に、文字だけではなく、イメージ(象形文字的記号)を一つの素材として使うこともできます。
例えば、特定の人間を表現する場合に、人の形にイニシャルを入れるとか。

また、文字ではなく、旧来の記号を一つの素材として使うこともできます。
例えば、「愛」を表現するために占星術の金星の記号を使うとか。
これは、既存の象徴を使うことになります。

シジル魔術と同様な方法によって、シジルではなく、呪文を作ることもできます。
つまり、願望文の文字を図形化するのではなく、願望文を適当に組み合わせて、呪文を構成するのです。

また、シジルにせよ、呪文にせよ、良く使う言葉を、定型化しておいて、それらを組み合わせて文章を作ることもできます。


<願望のアルファベット>

スペアのシジル魔術には、「願望のアルファベット」という方法があります。
これには、次の2種類があって、それぞれ、まったく異なるものです。

1 構造原理としての「願望のアルファベット」
2 精神の鏡としての「願望のアルファベット」

まず、「構造原理」としての「願望のアルファベット」は、一種の象徴体系です。
これは、潜在意識の性的な性質を持つ元型的な力の類型で、22の絵文字として表現されます。
この詳細は不明ですが、22字ということは、カバラの影響があるのかもしれません。

スペアは、原初的な段階の精神を性的なものと考えていて、それが魔術の大きな力になると考えています。
「構造原理」としての「願望のアルファベット」を使うことで、その原初的な精神の一部を活性化して、利用するのです。

一方、「精神の鏡」としての「願望のアルファベット」は、文字を使わず、自動書記で潜在意識から受け取った図形です。

具体的には、特定の願望に関わる概念を思い浮かべながら、無心で手を動かして、線を落書きします。
その中から、その概念を意味すると思える特定の部分を図形として抜き出して、使うのです。

つまり、既存の言葉や記号を一切使わず、すべてを潜在意識から受け取って、それをシジルとして魔術に利用するのです。


<先祖返り的復活>

スペアの魔術には、「隔世遺伝的復活」、あるいは、「先祖返り的復活」、「隔世遺伝的ノスタルジア」と呼ばれる方法があります。

スペアは、進化論のダーウィンを高く評価していて、ダーウィンが執筆を行ったゆかりの地を訪れたほどでした。

スペアは、我々の潜在意識の中には、進化上の過去の精神の状態が残っていると考えました。
つまり、様々な動物の意識であったり、究極的には単細胞生物の意識があるのです。
彼は、潜在意識の構造を、「進化の順序における地層」と表現しています。

そして、スペアは、進化論的に古い段階の心は、強い魔術の力を持っていると考えました。
そのため、このような前人間的な心を、シジルを使って、活性化して引き出すことによって、願望実現のエネルギーに利用します。
シャーマンがスピリット・アニマルに変身するのと似ているのかもしれません。

願望文としては、例えば、「爬虫類を経験したい」といった文章でシジルを作ることで、その心を体験することができます。
いきなり、日常でこれを体験するのは危険なので、まずは、「夢で…」と指定するのが適当です。

「直ちに…」とすれば、儀式や、願望実現のシジル魔術で利用できます。
シジルを潜在意識に届ける時に、その願望に関係する動物の意識になって行うと効果的があります。


<ゾス・キア>

スペアの魔術思想は、「ゾス・キア」、「キアイズム」と呼ばれます。
「ゾス」も「キア」も、スペアの造語のようです。

「ゾス」は、「統一された体」を意味します。
語源は不明ですが、スペアのイニシャルが「AOS」で、この最初を意味する「A」を、最後を意味する「Z」に変えたのが「ゾス」だという説があります。

「キア」は、「空気のような私」という意味で、「中間性」という属性を持っています。
「快楽の書」では、「どちらにも非ず-どちらにも非ず」とか、「理解不可能」、「形態なし」、「属性なし」などとも表現しています。
つまり、「私」の本質は、形も境界もなく、二元論的な言語で規定できない存在であるということです。

「ゾス・キア」と合わせると、形も境界もなく、多様で分裂なき統一された体、ということになります。

このスペアの思想は、仏教や道家に似ていて東洋的でもあり、また、現代的でもあります。

自我の側から見れば、自分の信念や欲望を開放し、自分を無限に広げたのが「キア」です。

スペアは、上記した「死の姿勢」という言葉に関しても、単なる肉体的な姿勢のことではなく、それが導く精神状態、「キア」の状態を含意しています。
彼は「快楽の書」で、「死の姿勢」について、「我々が信じるすべてのものの死体」、「死の姿勢」に到達すると「満足させられた全能な愛の意味を把握することができる」と書いています。

また、スペアは、「キア」について、「原始の性的原理」とも書いていますが、それは「自己-愛」的な「知覚不可能なエクスタシー」なのです。
おそらく「キア」は何か外部のものを欲望の対象とするのではなく、本来的にそれ自身で充足する欲望であり、エクスタシーであり、その意味で「自己-愛」的存在なのでしょう。
我々が「キア」を受容し、普通の意味のナルシズムではない「自己-愛」的になることで、「キア」は顕現するのでしょう。

「死の姿勢」や「先祖返り的復活」による変性意識状態は、この「キア」の状態を理解するきっかけになります。
「キア」は、自由であり、創造の源であり、魔術的な力を持つ状態なのです。
伝統的な魔術の目的としての自己超越、大いなる作業という側面は、スペアにあっては、この「キア」に向けて自我を開放していくことなのでしょう。