ジル・ドゥルーズと神秘主義

ジル・ドゥルーズ(1925-1995)は、20Cの哲学、現代哲学を代表するフランスの哲学者であり、フェリックス・ガタリとの共著でも知られています。

ドゥルーズの哲学は、「差異の哲学」、「生成の哲学」、「多様体の哲学」、「流動の哲学」、「ポスト構造主義」、「ポストモダン哲学」などと称されます。

また、ドゥルーズは、ベルグソン主義者でもあり、自身の哲学の主要な概念として、ベルグソンが使った概念を多用しました。
ベルグソンは神秘主義者を持ち上げましたが、ドゥルーズはそのようなことは行っていません。
彼は、神秘主義者とは言われませんし、本人も否定するでしょう。

ですが、ベルグソン同様に、ドゥルーズは直観(直感)するしかないものを重視しますので、その点では、彼の哲学を神秘主義的と言えなくはありません。
でも、そう言ってしまえば、「差異」を重視する現代的哲学の多くが神秘主義になってしまいます。

このページでは、現代哲学を代表する一人であるドゥルーズの哲学が、神秘主義の現代性を考える上で重要であると考え、ベルグソンを仲立ちにしながら、両者の接点となりうるテーマを取り上げます。
具体的に言えば、神秘主義の「下降道(向下道)」、つまり、絶対者との一体化や神秘的な体験、あるいは空観からの日常への戻り方について、ドゥルーズ哲学が参考になるだろうこと、そして、その点が神秘主義に求められる現代性であろうと思っています。

ちなみに、ドゥルーズの概念を神秘主義思想や東洋思想、仏教と結びつけて論じることは、哲学者の井筒俊彦や宗教学者の中沢新一も行っています。

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<ドゥルーズと下降道>

ドゥルーズは、ベルグソンを継承して、存在・精神を、「持続」=「強度」=「差異」=「多様体」の一元論で捉えます。
これは、多様なものが互いに結びついて多様な生成を行っている状態です。

そして、その度合いである「強度」の違いを、本質的な違いとして問題としました。
この度合いの違いは、「深さ」と表現されることもあります。

ベルグソンは、その様子を逆円錐の図形で示しました。

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逆円錐の底面ABが「強度」が最も高い「精神(霊)」的な状態で、「純粋持続(純粋記憶)」と呼ばれ、頂点Sが「強度」の最も低い「物質」的な状態で、「純粋知覚」と呼ばれました。

そして、ベルグソンは、神秘家の神秘体験、直観の状態を、「強度」の高い状態と解釈しました。

ですから、神秘主義の「上昇道」、つまり、神=一者へと至る道は、ベルグソンにとっては、最も「強度」を高めることであり、これは、あるものが他のものと結びつき生成関係になることです。
一方、「下降」は、「強度」が低くなり、錯綜した生成関係が分離、取り消され、固定されることです。

ベルグソン自身は、「上昇」を「弛緩」、「膨張」と呼び、「下降」を「収縮(収約)」と呼びました。

・上昇:純粋記憶へ、弛緩・膨張
・下降:純粋知覚へ、収縮

ドゥルーズは、神秘主義についてはほとんど語りませんが、ベルグソンを仲立ちとすることによって、強引ではありますが、ドゥルーズの哲学を、神秘主義の「上昇」、「下降」の問題として考えてみます。

神秘的意識である「強度」の高い状態には、天に向かう「上昇」の方向とは逆に、大地的、身体的な方向に向かう場合もあります。
そして、ドゥルーズは、非身体的なもの(観念的なもの)と身体的なもの(感じられるもの)を区別して論じることもあります。

ですから、分かりやすく天への「上昇」と、そこから地上へ戻る「下降」の2つと区別して、大地的、身体的な方向に向かう場合を「潜行」、そこから日常へ戻ることを「浮上」と表現して、ドゥルーズの哲学を解釈します。

・上昇:観念的なものの高い強度へ
・下降:観念的なものの低い強度へ
・潜行:身体的なものの高い強度へ
・不浄:身体的なものの低い強度へ

神秘体験には、体験をした後、結局はもと通りの日常に戻るだけになってしまうとか、逆に、まともに日常を営めなくなってしまうことがある、といった問題があります。
そうならないためには、自由で創造的になりながら日常に戻る必要があります。

ベルグソンも同様に考えて、「真の神秘主義」の条件として創造的であることをあげ、それに対して、ギリシャの神秘主義を観照主義、仏教を生命否定的、現世否定的と批判しました。

ドゥルーズが戻り道で重視するのも、この創造性(差異の産出)であり、この点でベルグソンを継承しています。 

また、ドゥルーズは、「内在の哲学」であることを重視し、徹底的に「超越」を否定しました。
彼が神秘主義や東洋思想にあまり触れないのは、そこに潜む「超越性」を警戒していたからかもしれません。
神秘主義的な流出論が垂直軸で語ったことを、ドゥルーズは内在論的な奥行き(深さ)の軸で考えたのですが、この点も重要です。

以上の観点から、ドゥルーズが出版した著作から順にいくつか取り上げて、以下に簡単にまとめます。
ただし、本ブログは哲学がテーマではないので、ドゥルーズ哲学の解釈に際して、正確性を保つことを気にせず、なるだけ分かりやすく比喩的に解釈します。


<ベルグソニズム>

1966年に出版された「ベルグソニズム」は、ベルグソン哲学をテーマにした書です。

ドゥルーズは、この書で、「下降」に当たる「収縮」の2つの様相を区別して、「収縮-並進運動」と「方向付け-回転運動」と表現しています。
そして、後者を目指すべきと主張しています。

「並進運動」は、下降するに従って、「現実化」、つまり、自己同一性を持ったものとして、分離、固定化してしまう運動です。
これは、もと通りの日常に戻ってしまう道です。

これに対して、「回転運動」は、「上昇」と「下降」の回路を持ち、「下降」しても一定の「強度」を保って、内面の深層的存在の様々な変様を生み出す運動です。
これは、「下降道」において創造性を保つ道です。


<スピノザと表現の問題>

1968年出版の「スピノザと表現の問題」は、スピノザ哲学の表現をテーマにした書です。

ドゥルーズは、この書で、アカデメイア最後の哲学者、新プラトン主義のダマスキオスが使った概念、「繰り広げ(展開、エクスプリケーション)」と「包み込み(コンプリケーション)」を取り上げました。
これらの概念は、「差異と反復」でも使われます。

「繰り広げ」は、神が世界を創造する、つまり、「下降」における概念です。
ですが、ドゥルーズは、これらの概念の背景にある思想について、新プラトン主義における汎神論的表現であると解釈しました。
そして、これが中世・ルネサンスのキリスト教新プラトン主義を経て、スピノザにも影響を与えたのです。
つまり、彼らの世界観では、一者は、世界を流出するだけでなく、そこに「内在」します。

その時、重要なのは、結果(世界)が原因(一者)とは異なる、という点です。
強度的な多様体を「繰り広げる」と、同じものにはならない、似たものにはならない、ということです。
こう考えることによって、「下降道」が創造的となるように担保されるのです。


<差異と反復>

1968年出版の「差異と反復」は、ドゥルーズの最初の主著とされます。

ドゥルーズは、この書で、現代哲学=「差異の哲学」(本質を認めない立場)の側から、「同一性の哲学」(本質を認める立場)とされるプラトン哲学を転倒しています。
つまり、プラトンをベルグソン的に読み直します。

プラトンは「同一性(表象=再現前)」の哲学の方向性を示したのですが、それを完成させたのはアリストテレスであり、プラトン哲学の中にはこれに抗する側面もあったと、ドゥルーズは言います。
そして、プラトン哲学をその抗した方向に転倒します。

ドゥルーズは、「イデア(理念)」を「強度多様体」と捉え直して、多様体からの、個別的なものの分化、発生を論じます。

「理念」は、実在的、潜在的、観念的、差異的ですが、可能的、現実的、抽象的、本質ではありません。

・差異の哲学 :実在的、潜在的、観念的、微分的
・同一性の哲学:可能的、現実的、抽象的、本質的

そして、思考されるものの「理念」への「上昇」は、「差異化(微分-差異化、ディフェレンティエイション)」と表現されます。

一方、「下降」は、「理念」が個別的で「現実的」、固定的な「表象(概念、イメージ)」になることですが、これは、「異化(異化-分化、ディフェレンシエイション)」とも表現されます。

ですが、「上昇」と「下降」が、結局、もと通りの日常へ、「習慣」へと戻ってしまい、「理念」が「習慣」の「根拠」になってしまってはいけません。
このような「下降」を「時間の第1の総合」、「上昇」を「時間の第2の総合」と表現します。

この「下降」は、「多様体」としての「理念」が「差異」、「強度」を失って固定的な「表象」となり、「同一性」に限定されて「現実化」することです。

ですが、「下降」が「強度」を保ちつつ、個別化することも可能です。
この道は、「時間の第3の総合」と表現されます。
これは、ニーチェ的な永劫回帰する時間であるとも言われます。

・下降  :時間の第1の総合:異化-分化、収縮
・上昇  :時間の第2の時間:微分-差異、膨張
・永劫回帰:時間の第3の総合:強度を保った個別化

「時間の第3の総合」では、プラトン主義が転倒され、個物は「コピー」ではなく、「シミュラークル」になります。

つまり、個物(概念、イメージ)は、「イデア」という「モデル」に対する似像、模像(コピー)であれば、「同一性」に限定されます。
ですが、「モデル」を目指さない多様な変様体である「シミュラークル」になれば、純粋な創造、差異の産出が可能になります。

「差異と反復」では、言語やイメージの次元と、感じられるものの次元を分けます。

言語的な次元では、「理念」という多様体、差異が、「微分的」、「潜在的」という表現で語られます。
一方、感じられるものの次元では、「強度」という錯綜体が、「深さ」という表現で語られます。

言語的な「理念」への道が「上昇道」、感じられるものの「強度」への道が「潜行道」であるとも言えます。

この書では、「強度ゼロ」のことを、ベーメ、シェリング由来の「無底」とか、「密儀」、「ディオニュソス」とも表現しました。

「強度」に関しては、ダマスキオスの使った、「繰り広げ(展開、エクスプリケーション)」と「包み込み(合わせ含み、交錯、コンプリケーション)」、及び、「巻き込み(折り込み、インプリケーション)」という3点セットの概念で語られます。

「巻き込み」は「潜行道」を、「繰り広げ」は「浮上道」を意味します。
そして、「含み込み」は様々な「巻き込み」の総体的なつながりを意味します。

「浮上道」、つまり、「繰り広げ」という個別化においても、強度を失う道ではなく、強度を保つ道が目指されます。

・上昇:理念へ、微分化、潜在化
・下降:表象へ、分化、現実化
・潜行:強度へ、繰り広げ
・浮上:延長へ、巻き込み


<意味の論理学>

1969年に出版された「意味の論理学」は、「差異と反復」を受けて発生を論じますが、非身体的な「表層」からの発生と、身体的な「深層」からの発生を区別し、その関係を語ります。

「表層」からの発生では、ルイス・キャロル的なパラドクス、ナンセンスや、ストア派が参照されます。
また、禅にも「表層」のナンセンスがあると書いています。
ちょっと意味合いが違うと思いますが。

一方、「深層」からの発生では、現代演劇の創始者とされるアントナント・アルトー的な分裂症的言葉や、前ソクラテス派が参照されます。
ちなみに、アルトーは、ルイス・キャロルは深層を持たないと批判しました。
また、「深層」の身体に関しては、「細分化された身体」と「器官なき身体」があるとします。

・下降:非身体的な表層からの発生:キャロル的パラドクス、ストア派、禅
・浮上:身体的な深層からの発生 :アルトー的分裂症、前ソクラテス派


<ミル・プラトー>

1980年に、ガタリと共著で出版した「ミル・プラトー(千の高原)」に、「いかにして器官なき身体を獲得するか」という章があります。

「器官なき身体(以下、CSO)」というのは、アルトーに由来する言葉で、「意味の論理学」でも論じられ、「アンチ・オイディプス」では重要な概念として扱われました。

「CSO」は、器官=構造を持たないのではなく、多様な構造が関係し、生成、変様、消滅している動的な多様体を意味します。
「CSO」は、強度の極限としての「強度ゼロ」とも表現されます。

また、「強度ゼロ」を、「タントラ的な卵」とか「タオ」とも表現しています。
「CSO」の構築について、カルロス・カスタネダが使うメキシコのシャーマニズムの言葉で「ナワール」とも表現しています。

また、「器官なき身体」を「大地」とも表現して地質学的な比喩表現も行います。
そして、「強度」を安定したシステムのうちに閉じ込めてしまうものを「地層」と表現します。

ドゥルーズは、「CSO」に関して、「タイプ」と「様態」、「総体」の3つを区別しています。

「CSO」の「タイプ」は、「CSO」の作り方、「強度ゼロ」の作り方のことです。
つまり、「潜行道」、「巻き込み」の種類のことでしょう。

「CSO」の「様態」は、作られた「CSO」の上に起こることです。
ベルグソンの三角錐と同じく、「CSO」は、様々な強度の違う領域を生み出すのです。
つまり、その「浮上道」で起こること、「繰り広げ」の種類のことでしょう。
これを、「強度の産出、流通、循環」と表現しています。

CSOの「総体」は、「CSO」の様々なタイプ、様々な様態をつなげたものです。
これは、「包み込み」のことでしょう。
これを「強度の連続体」とも表現し、この様々な「CSO」の「強度」がつなげられ、「強度ゼロ」という頂点に向かわない状態を「ミル・プラトー」と表現します。

・CSOのタイプ:作り方  、強度ゼロ  、巻き込み
・CSOの様態 :起こること、強度の産出 、繰り広げ
・CSOの総体 :つなげる 、強度の連続体、包み込み

そして、「諸強度の領域」と「強度の連続体」を持つような「CSO」を目指すべきとして、この「CSO」を「充実したCSO」と表現します。

これに対して、2種類の否定すべき「CSO」として、「空虚なCSO」と「癌のようなCSO」をあげます。
それらの「CSO」を持つ例として、それぞれ、麻薬中毒者とファシストがあげられます。

「空虚なCSO」は、「地層」を粗野に破壊してしまうために、諸強度を産出しません。
その結果として、「地層」が、日常の秩序が、再びより重くのしかかります。
強烈な神秘体験が、日常を否定し、日常と結び付けられないような状態はこれに当たるのでしょう。

「癌のようなCSO」は、「地層」の中に形成されて増殖します。
神秘体験でカルト宗教にハマってドグマチックに閉じこもるような状態は、これに当たるのでしょう。

これらを避けて、「充実したCSO」を獲得するためには、まず、一つの「地層」に落ちつき、そこから脱出することを試みて、新しい「大地」の小さな断片を手に入れることが必要だと言います。

また、カスタネダの言葉で、「トナール(日常意識の世界)」を一気に破壊するのではなく、「ナワール(変性意識の世界)」の攻撃をかわすために「トナール」を確保しつつ、時を良く選んでそれを縮小していく、とも書きます。

・空虚なCSO  :地層を破壊 、麻薬中毒者
・癌のようなCSO:地層内で増殖、ファシスト
・充実したCSO :地層から逃走、生成変化

このように、「いかにして器官なき身体を獲得するか」は、神秘主義の問題として考えれば、様々な「潜行」、「浮上」をつなげること、そして、神秘体験の後に、今まで通りの、あるいは、今まで以上に抑圧的な日常に戻ってしまうことを避けて、日常を創造的な状態に変えることをテーマとしている、と読み変えることができます。


(試論・初稿)


posted by morfo1 at 09:03Comment(0)現代

グルジェフのワークとムーヴメンツ

このページでは、「グルジェフの生涯と思想」、「グルジェフの宇宙論と人間論」に続いて、開放を目的とした「自己想起」などの実践的なワークについてまとめます。


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<グループとワーク>

グルジェフが教えた、修練の実践法は、「ワーク」と呼ばれます。
「ワーク」の中でも、舞踏(体操)に当たるものがあって、これは「ムーヴメンツ」と呼ばれます。

ワークは、師が指導し、グループで互いに助け合うスクールで行うことが望まれます。

グルジェフは、「自己想起や注意を促すためにありとあらゆるものを身につけてもみた。…(しかし)慣れてしまうと、すべては元のもくあみになってしまうのだった。…解決作は…一つだけあった。私の外部に、いわば「決して眠ることのない監視人」を置くことである」
と「私が存在する時にのみ生は真実である」で書いています。

つまり、常に自分を自覚し続ける「自己想起」を行うために、他者の助けとしてグループ・ワークが必要となるのです。

ワーク・グループは、互いに観察をして、「自己想起」を思い出させる役目を果たします。
メンバーは、成長するほど、他人が「自己想起」を行っているかどうかを判断できるようになるので、他人を見ると「自己想起」を思い出すことができるのようになるのです。

グルジェフは、人間は3つの世界(機能統合体)を持っていると言います。
外界の印象からなる「外なる世界」、それに対する反射運動からなる「内なる世界」、そして、その2つの要因を意図的に融合させる「人間の世界」です。
「自己想起」は、「外なる世界」と「内なる世界」を同時に意識することで、第3の「人間の世界」を生み出すのです。

ワークでは、まず、「自己想起」を行うために、エネルギーの無駄使いをやめる必要があります。
人間は、緊張、否定的感情、空想、センターの誤用などによってエネルギーの無駄使いをしているのです。
肉体的ワークの最初に必要なのも、筋肉の緊張を観察し、弛緩させることです。
無駄使いをやめることによって、余ったエネルギーを自己想起に振り分けることができるようになります。


<ワークの3種類>

ワークは大きく3つに分けることができます。

第一の系列のワークは、自分自身に関するワークです。
これは「第1のショック」を生み出すためのものだと言いです。

まず、「自己観察」を行うのですが、観察対象が動作から感情、思考に進むにつれて、「自己想起」になります。
「自己観察」、「自己想起」には、3センターすべてが関与します。
最初はその3機能を人為的に喚起して行います。

また、「自己観察」、「自己想起」と並行して、自分の習慣的な行動を変えていくことも試みます。

第二の系列のワークは、他人とのワーク、他人のためのワークです。
これは「第2のショック」を生み出すためのものだと言いです。

これは、他人との関係の中で、否定的な感情を抑制し、表現しないように心掛けます。
すると、感情の質が変化していきます。

第三の系列のワークは、ワーク自身のためのワークです。

これは、グループに対して無私の奉仕を行うもので、ある程度「人格」が縮小された後で行います。


<自己観察と自己想起>

「ワーク」の基本となるのは「自己観察」と「自己想起」です。

「自己観察」は、まず、自分を内省して、各センターの機能の区分の分析から始めます。

次に、それぞれの印象はどのセンターの働きに当たるか、そして、一つのセンターが他のセンターに代わって働こうとすることを分析します。
この時、空想と白昼夢をしっかり観察することも必要となります。

その次には、様々な習慣に気づくことが求められます。


「自己想起」は、自分の全体、真の自己を、意識することであり、常に継続して行うことが望まれます。

「自己想起」は難しいため、最初は、「自分観察」の時に、「自己想起」をしていると想像することから始めます。
この詳細については、後述します。

「自己想起」のための基本的な方法には、「注意力の分割」があります。
外部の対象への注意と、内部(反応)への注意を同時に行うのです。
そして、内外に意識を同一化しないようにすければ、「第三の世界(人間の世界)」として、「存在」、「真の自己」が現れます。


常に「自己想起」を継続することは困難で、すぐに気が散って忘れてしまうため、それを思い出したり、継続するための様々な方法があります。

「目覚まし時計」と呼ばれる方法は、何かをする時に想起を思い出すことです。
例えば、鏡を見てひげを剃る時には自分の存在を意識するとか、コーヒーカップ手に持つ時はそれを感じるようにするとか、怒りを覚えた時はそれを意識する、といった課題、ルールを決めるのです。

また、「小目標」と呼ばれる方法は、まず、簡単な目標を設定してそれをクリアするように努力するものです。
例えば、歩いてる時に、この信号からあの信号までは気を散らさないようにするといったルールを決めて、自己想起の継続の努力をします。

また、「自己想起」に関わる、基礎的なワークに、「朝のエクササイズ」があります。
これは、いわゆるボディ・スキャンで、まず、順に身体の諸部分の感覚に集中し、次に、全体に集中し、次に、聞こえるものに集中し、最後に、見えるものに集中します。

また、「就寝前のエクササイズ」もあります。
これは、その日の行動を、分単位で時間をさかのぼって思い出すものです。
覚えていない時間帯があれば、その時、自己観察、自己想起がおろそかだったことが分かります。
寝る前には、朝と同様に、ボディ・スキャンも行ってから寝付きます。


<「私が存在する時にのみ生は真実である」で語られるエクササイズ>

「私が存在する時にのみ生は真実である」に収録された講和では、いくつかの基本的なエクササイズが語られます。

最初に語られるのは、「土壌整備」と名付けられた、一連のエクササイズの最初に行うべきもので、それは次のようなものです。

まず、注意力を3つに分けて、左右のどちらかの手の人差し指、中指、薬指に集中します。
そして、その一本の中で、「感覚的に感じる」と呼ばれる身体的なプロセスから生じる結果が進行するのを体験します。
次の指では、「感情的に感じる」と呼ばれるプロセスから生じる結果が進行するのを体験します。
三本目の指では、指をリズミカルに動かしながら、同時に、連想の流れに従って数を数えます。


また、上記のエクササイズとの関係は分かりませんが、「私(真の自己)」を獲得するための「準備的エクササイズ」が2つ書かれています。

その最初のものは、次の通りです。

「私は存在する」という言葉を発して、太陽神経叢に反響が生じていると想像する。
「私は存在する」、「私はできる」、「私は望む」という言葉を発し、まだ存在していないその「味わい」を知る。

具体的に唱える言葉は、次の通りです。
「私は存在する、私はできる、私は存在する・できる」
「私は存在する、私は望む、私は存在する・望む」

「私が存在する」なら、その時初めて「私はできる」、そして、「私ができる」なら、その時初めて私は何かを望むに値する人間になる、のです。
ですが、この「存在する」、「できる」、「望む」は、人間だけが持つ7つの心的要因のうちの3つに過ぎないとされます。

第2の「準備的エクササイズ」は、次の通りです。

注意力を2つの均等な部分に分けます。
そして、まず、その一つを、呼吸のプロセスに注意し、呼吸が有機体全体に広がるまで意識します。
次に、注意力の第2の部分を脳に向けて、自動的な連想(雑念)の流れ全体から生じる微妙な「あるもの」を意識します。
次に、自己全体を想起しながら、その「あるもの」が太陽神経叢に流れ込むのを助け、その流れを感じるようにします。
すると、もはや自動的な連想が進行しなくなり、そのことに気づけます。


<ストップ・エクササイズ>

指導者が前もって決めた言葉、ないしは合図を聞いた時、その時点に行っていた動作を止め、「それまで」と言われるまで、自身を想起するのが、「ストップ・エクササイズ」です。
このエクササイズでは、意志、注意力、すべてのセンターの機能に同時に働きかける必要があります。

スクールでは、指導者に相当する者だけが、ストップをかける資格を持っています。
この停止は、普通の生活では止めない動作で止められます。

このエクササイズを行う場合、絶えず、油断なく、準備をしておく必要があるため、常に「自己想起」を継続することを促がします。

グルジェフがそう語ったわけではありませんが、この「ストップ・エクササイズ」は、スーフィーの行に由来します。
一般に、スーフィーの中では、聖者のアッタールに結び付けられているエクササイズです。


<ムーヴメンツ>

「ムーヴメンツ」は、体操であり、舞踏です。
「ワーク」は、「ムーヴメンツ」はその中心となるものです。

「ムーヴメンツ」のレパートリーは200を超え、様々なタイプがあります。
中央アジアの秘教的スクールで行われていたものがもとになっているとされますが、その起源は不明です。

「ムーヴメンツ」では、手・足・頭などの身体の各部分を、別々のリズム、パタンで動かすことが一つの大きな特徴です。
その動きは、日常にはない動きでなので、思考・感情・動作の習慣的なつながりを立ち切ることになりますし、常に全体を意識する必要があります。

そして、肉体だけでなく、思考、感情、肉体を同時に意図的に働かせるものです。
体の感覚、そして、感情、頭によるリズムのカウントの3つを同時に意識します。

また、「ムーヴメンツ」は、様々に対立する力があり、その両方を意識して、緊張を手放し、動的な均衡状態でいる必要があります。

つまり、「ムーヴメンツ」は、「自己想起」が必要となり、それを促すものです。

「ムーヴメンツ」には、「エニアグラム(別ページ参照)」の幾何学的パタンを反映しているものもあります。
また、「オクターブの法則」からの意図的な「逸脱」が挿入されていて、それによって覚醒させる作用があります。
「エニアグラム」のソの「インターヴァル」は、この意図的な逸脱であると、解釈する者もいます。




*ムーヴメンツの例

 
*映画「注目すべき人々との出会い」の中のムーヴメンツ

グルジェフの宇宙論と人間論

このページでは、「グルジェフの生涯と思想」に続いて、グルジェフの宇宙論と人間論についてまとめます。


<宇宙の階層と法則数>

グルジェフによれば、宇宙は「絶対」から流出論的に、階層的に、順次、創造されます。
そして、その全体の連鎖を、「創造の光」と呼びます。

各階層にはそれぞれに法則数があり、下位の階層ほど、多くなります。
その階層と法則数は、下記の通りです。

(階層)(法則数)
・絶対 :1
・全宇宙:3
・全太陽:6
・太陽 :12
・全惑星:24
・地球 :48
・月  :96

全太陽というのは銀河系のことで、全惑星は太陽系の諸惑星のことです。

法則数は、その階層より上の全法則数(ただし、絶対の法則数1除く)に、その階層で生じる3つの法則を加えた数です。
例えば、太陽の法則数は、(3+6)+3=12、となります

各階層の素材である、「物質性」は、上位ほど密度が低く、振動数が高くなっています。

また、絶対は1つの原子からできていますが、全宇宙(法則数3)の原子は、絶対の原子3
つからなり、以下、それぞれの階層の原子は、法救数の原子からなります。

地球の法則数が48ですが、これは、地球にいる人間は48種の機械的法則によって、絶対の意志から隔てられているということを意味します。
もし、自己の内を観察し、これらの法則の半分から自己を解放できれば、24種の法則、つまり、1つ階層を上昇した全惑星界の法則に従うことになります。

逆に、人間が死ぬと、エネルギーの一部を解放して「創造の光」を月に送ります。
魂は月に行き、鉱物の生命の状態で96の法則に従うのです。
グルジェフは、「人間は月の食物である」、「我々の機械的な部分は月に依存している」とも語りました。


<進化>

宇宙の創造には2つの流れがあります。
一つは、上に述べた下降する創造の流れです。

これに対して、上昇し、回帰する流れもあります。
これは、進化でもあります。

1 創造、拡散、下降、分化
2 回帰、進化、上昇、統合   

2は、人間にとっては、高次の意識を成長させた個人が、上昇して戻るプロセスです。

創造主は、エネルギー変換システムを創造して、創造のある段階で、上昇の流れが生まれるようにしました。

進化には、創造主が定めた進み方があります。
普通の人間の機械的な状態は、現在における、その定めた状態なのです。

ですから、グルジェフの説く「第四の道」のような、「隠れた可能性の開発の道は、自然に背き、神に背く道」なのです。

また、グルジェフは、人類の進化は、あるグループの進化を通してのみ可能であるが、今の人類はその指導を受け入れられない状態にある、と言います。
彼はこのグループについて具体的には語りませんでしたが、神智学の「白色同胞団」に似た考え方です。


<3の法則と7の法則>

宇宙には普遍的な法則として、「3の法則」と「7の法則」があります。

「3の法則」は、「能動」、「受動」、「中和」の3法則からなります。

物質性に関しては、その能動的側面を「炭素」、受動的側面を「酸素」、中和的側面を「窒素」、そして、いずれでもないそれ自身の側面を「水素」と呼びます。

そのため、各階層の物質性についても、それをその階層の法則数をつけて「水素12」といった表現をします。


「7の法則」は、「オクターブの法則」とも呼ばれ、普遍的なものとされます。
これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの7音階(西洋のメジャー・スケール)として表現されます。

「オクターブの法則」は、運動、変化の法則であり、宇宙が非連続の振動からなっていることを表します。

ミとファの間、シとドの間の半音の場所は、「インターヴァル」と呼ばれます。

「インターヴァル」では、減速と脱線(進路変更)が起こってしまいます。
ですが、「付加的ショック」が加われば、オクターブは途切れずに進むことができます。

下降するオクターブでの「インターヴァル」は、意志疎通や現実化の困難として現れます。
一方、上昇するオクターブでの「インターヴァル」は、創造、成長の苦しみとして現れます。

「オクターブの法則」は普遍的法則なので、様々なものに多重に存在します。
まず、「創造の光のオクターブ」は、絶対から始まる下降のオクターブです。

・ド :絶対
・シ :全宇宙
・ラ :全太陽
・ソ :太陽
・ファ:全惑星
(インターヴァル:有機生命体)
・ミ :地球
・レ :月

有機生命体は、全惑星(ファ)と地球(ミ)の間の「インターヴァル」にある、力の伝達所としての機械装置です。
下降するエネルギーの中継点であり、人間は高次エネルギーを受け取れる存在です。

また、「創造の光のオクターブ」には、より小さな「従属的なオクターブ」があると考えることもあります。
次のような「太陽に始る下降のオクターブ(側方オクターブ)」もあります。

・ド :全陽
・シ :全惑星
・ラ・ソ・ファ:有機生命体
・ミ :地球
・レ :月


<4つの意識と4つの体>

人間には4つの意識があります。

1 客観的意識
2 自己意識、存在の意識
3 覚醒
4 眠り

3は、普通の起きている時の意識です。

2の「自己意識」は、「自己想起」を行うことで生まれる、行っている時の意識です。
1の「客観的意識」は、世界をあるがままに認識できる意識です。

1、2、修練によって高次センター(後述)の機能が働いて初めて生まれます。


また、人間には4つの階層の体があります。

1 原因体   :意志:主人:全太陽:6
2 メンタル体 :思考:御者:太陽 :122
3 アストラル体:感情:馬 :全惑星:24
4 肉体    :感覚:馬車:地球 :48

それぞれの体の名称は、神智学の言葉を使ったりしますが、グルジェフは、「原因体」を「第四の体」とも呼んでいます。

グルジェフが良く使う「馬車」の喩えでは、肉体が「馬車」、アストラル体(感情)が「馬」、メンタル体(思考)が「御者」、として「第四の体」が「主人」となります。

ですが、グルジェフは、通常の人間には皆、感情や思考、意志は存在しても、体として最初から存在するのは、肉体だけだと言います。
他の体は、修練することによって、順次、獲得されるのです。

これは、神智学や伝統的な秘教の考え方とは異なる、彼の思想の特徴です。

肉体しか持たない場合、感覚→感情→思考という具合に、下位の機能が上位の機能を自動的に生み出します。
ですが、より上位の体を獲得すると、逆に、上位の機能が下位の機能をコントロールして、それらの機能を生み出します。

グルジェフは、「四つの体を持つ人間だけが、本当の意味で「人間」と呼ばれうる」、「第四の体の獲得によって人間は不死性を獲得する」と言います。
「第四の体」は太陽系を超えているので、太陽系の領内では不死なる存在であると言えるのです。

彼は、高次な身体を形成できると、死後、高次の身体から順に肉体から離れていき、その最高次の部分は「絶対の太陽」へと戻り、最高の意識性を帯びたその脳細胞の一部になる、とも語っています。


<人間論の7つのセンター>

人間には、それぞれに固有の機能を持つ7つのセンターがあります。
それらは、大きく、3つの階に分けられます。

・3階:思考センター、高次の思考センター
・2階:感情センター、高次の感情センター
・1階:動作センター、本能センター、性センター

ただし、「高次の思考センター」、「高次の感情センター」は、修練によって初めて、働き始めます。
ちなみに、神話は「高次感情センター」にとどく表現で、象徴は「高次思考センター」にとどく表現だとされます。

また、「動作センター」、「本能センター」、「性センター」はまとめて考えることもできるので、人間は1階から3階の「3つの脳を持つ生き物」とも表現されます。
それぞれの肉体上の源泉は、太陽叢、脊柱、脳の一部に位置しています。

これらの7つのセンターは、3重に「3の法則」に従っていると捉えることができます。
まず、1階の動作・本能・性センターの3つ組が「3の法則」に従っています。
次に、それを一体として、感情・思考センターとの3つ組が「3の法則」に従っています。
最後に、さらにそれを一体として、高次感情・高次思考センターとの3つ組が「3の法則」に従っています。

これらの7つのセンターとは別に、「磁気センター」と呼ばれるものがあります。
これは、秘教的な教えの影響が集積して生まれるもので、人の態度を良い方向性に変えて進ませ、道を探させます。

また逆に、人間の成長を阻害する器官があり、「クンダバッファー」と呼ばれます。
これは、ウソや幻想によって、人間の心理的なショックを和らげ、自分の愚かさを隠す器官です。
道徳も「クンダバッファー」でできているとされます。

「クンダバッファー」は、人間が創造された初期の発達段階の時に、成長より生存が重視されたために、意識を制限して、日常の単調な行動パタンを守る器官として与えられたました。
本当は、「クンダバッファー」はすでに除去されているのですが、まだ影響が残っているのです。

ちなみに、「クンダリニー」について、グルジェフは、空想の力、どのセンターでも働くことができ、人間を現在の状況に留めておくために注入されたものだと言っています。
これらの表現は、「クンダバッファー」とほとんど同じです。


<センターのエネルギー>

人間の各センターは、下記のように、それぞれの階層のエネルギー(水素)で働きます。

水素6 :高次思考センター         …メンタル体
水素12:高次感情センター、性センター   …アストラル体
水素24:動作・本能センター、感情センター …肉体
水素48:思考センター

「第四の体」は、全センターの調和のとれた働きが必要とされます。

「思考センター」のエネルギーが、「本能センター」や「感情センター」より低いこと、「性センター」のエネルギーがそれらより高いことが、特徴的です。

また、思考-高次思考と感情-高次感情が、上下対象の構造になっている点も興味深いところです。
シュタイナーの身体の階層の上下対象の発想に似ています。
後述するように、シュタイナーとは、下位のものを意識することで、それが微細に変容すると考える点でも同じです。

各センターには、本来的なそれぞれの役割の機能があり、それぞれのエネルギーがあります。
ですが、通常の機械的な人間の場合、それらの誤用があり、各センターは分裂した状態になっています。
ですから、各センターに正しいエネルギーで正しい役割の機能を果たさせ、各センターを調和・統合する必要があります。

例えば、「性センター」は、本来のエネルギーである水素12で働く時、他のセンターが受け取ることができない非常に微細は印象という食物を受け取ることができます。
ですが、「クンダバッファー」が「性センター」の機能を妨害し、他のセンターが「性センター」のエネルギーを奪って様々なことを行います。
「性センター」は、逆に、他のセンターの粗悪なエネルギーを使わざるをえなくなります。

思考、感情、本能、動作センターには、肯定的な働きと否定的な働きがあるのですが、「性センター」には、本来、肯定しかありません。
ですが、「性センター」が他のセンターと結びつくと、否定的なもの、例えば、嫉妬が生まれるのです。

「性センター」が正しい形になると、「高次感情センター」のレベルに立ち、他のセンターはこれに従って、自分自身のエネルギーを使って正しく働くことができるようになります。


<食物の変性>

各センターを働かせるために、人間は3種類(3つの階層)の「食物」を取ります。
普通の「食物」と、「空気」と「印象」です。
それぞれの階層(法則数)は下記の通りです。

・水素48 :印象
・水素192:空気
・水素768:普通の食物

人間は、これら「食物」を順次、高次なものに変換し、高次な体を形成していきます。
人間は粗悪な水素を取り入れ、一連の複雑な錬金術的過程を通して、純度の高い水素に変える工場なのです。

ですから、アストラル体は、元をたどれば、肉体と同じ素材、物質から生まれます。
食物は変換され、それが肉体全体に浸透した時、結晶化してアストラル体を形成します。
余剰分があれば、それを使って、さらに上位の体が作られます。

3つの食物の変性は、それぞれに上昇オクターブを持っています。
普通の食物は、ドに始まってミに至った時点で、インターヴァルとなります。
この時、空気を摂取することがショックとなって、さらに変性してきます。

空気も、ドに始まりミに至った時点でインターヴァルとなります。
この時には、印象を摂取することがショックとなって、さらに変性してきます。
ただし、単なる印象ではなく、「自己想起」された印象でないといけません。

さらに、印象を変性して完成させるには、外界からもたらされる否定的感情を変性する第2のショックが必要となります。


<エニアグラム>

「3の法則」と「7の法則」を合わせて表現した図形「エニアグラム」は、円を9分割し、その点を結んだものです。
これは、普遍的シンボルであり、恒久的運動であり、賢者の石にもなるものです。

ちなみに、グルジェフは、「エニアグラム」は重要なので、秘教グループの間で完全に秘密にされてきたと言っています。
実際、グルジェフが公開する以前にも、以降にも、グルジェフの教え以外からは見つかっていません。
ということは、これがグルジェフの独創である可能性も否定できないということです。

「エニアグラム」の各点は、「オクターブの法則」の音階とも対応しています。

9:ド(インターヴァル)
1:レ
2:ミ
3:インターヴァル
4:ファ
5:ソ
6:インターヴァル
7:ラ
8:シ

enneagramshock.jpg

点9・6・3が「インターヴァル」であり、それを結んだ三角形は、「3の法則」と「7の法則」を結び付けています。

点9(ド)は、より高次のオクターブとの「インターヴァル」に当たります。

ですが、「エニアグラム」には大きな謎があります。
本来、シとドの間にあるはずの「インターヴァル」が、ソとラの間にあります。
この謎の答えについて、グルジェフは明言せず、自分で考えるように促しました。

ウスペンスキーによれば、食物変性の3つのオクターブにおいて、点3をドとして第2オクターブを始めると、点6はミとファの間のインターヴァルに当たり、また第3オクターブの始まりのドのインターヴァルにも当たるからだと書いています。

また、「エニアグラム」では、シがソに引っ張られるため、「第二のショック」はソの段階から準備が始まり、ソで内向と外向の流れの分岐が生まれるのだと解釈する人もいます。
また、これは法則からの意図的逸脱でもあり、それは「ムーヴメンツ」でも存在するのだと。