オーロビンド・ゴーシュのインテグラル・ヨガ

オーロビンドは、近・現代インドの聖者達の中で、ヨガを真に現代的視点から捉えた直した点で、特出した人物です。

オーロビンドは、進化を重視し、生命=進化=ヨガと捉えました。
そして、彼が提唱した「インテグラル・ヨガ(統合的ヨガ)」は、人間の全能力を変革し、それを生活の中で活かすためのものでした。

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<人生>

オーロビンド・ゴーシュ(1872-1950)は、カルカッタの医師の三男として生まれました。
父はブラフマ・サマージの指導者でした。

オーロビンドは、5才の時に、イギリス人の師弟のための学校に入学し、7才の時には、両親と共にイギリスに渡り、聖職者で語学者の家に預けられて、各種の教育を受けました。
1890年には、ケンブリッジのキングス・カレッジに入学し、主席で卒業しました。

1893年、オーロビンドはインドに帰国し、バローダ・カレッジの副校長に就任しました。
彼は、サンスクリット語を勉強して、マハーバーラタなどの古典、インド哲学、ヴィヴェーカーナンダなどを読んで学びました。
ですが、彼が一番興味を持っていたのは、詩作でした。

1904年頃から、ラーマクリシュナ・ミッションの関係者などにヨガを学び始めました。
1906年には、カルカッタの公民専門学校の校長に就任した後、日刊紙に執筆するなど、インド独立の政治活動に熱中しました。
その一方で、別の師からヨガを学び、サマディを体験したようです。

1908年、オーロビンドは逮捕されましたが、その勾留中に、「バガヴァッド・ギーター」、「ウパニシャッド」を熟読して影響を受けました。
また、瞑想中に疑問を持った時、ヴィヴェーカーナンダの声が聞こえて、アドバイスをしてくれたそうです。
この時、ヴィヴェーカーナンダは、すでに亡くなっていましたが。

1909年に釈放された後、週刊誌「カルマヨーギン」、「ダルマ」を発行しましたが、オーロビンドの興味は、内面的な真理へと移っていました。

1910年、オーロビンドは、南インドのボンディチェリーに移住しました。
1914年には、哲学雑誌「アーリア」を発行し、執筆に務めました。
「神聖な生活」、「ヨガの総合」などの彼の主要な著作は、ここで6年半の間に掲載したものです。


<内化と進化>

一般的に言って、インドの伝統的な世界観は、堕落論(展開説)と循環論であって、進化論ではありません。
ですが、オーロビンドは、西洋の進化論の影響を受けて、東西の思想を統合して「内化(インヴォリューション)」と「進化(エヴォリューション)」で考えました。

オーロビンドによれば、世界は絶対者が展開・下降して「内化」したものであって、世界はその内在化した絶対者が発現・解放するように「進化」し、上昇するのです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「西洋の進化の概念は…進化そのものの意味を発見しようとはせず…」
「「進化」という言葉は…先行する「内化」の必然性を示唆するもの」(以上、「スピリチュアル・エボリューション」)

また、進化における人間の意味について、次のように書いています。

「人間の出現によって、自然はこの手段(人間)の意識的な意志によって進化することが可能となった」(「シュリ・オーロビンドの教えとサーダナーの体系」)
「人間は…進化の意味そのもの、自然の主人公である」(「スピリチュアル・エボリューション」)
「精神の進化は…内在するものの発現…」(「スピリチュアル・エボリューション」)


<8つの存在要素>

オーロビンドは、次のように、存在を8つの要素で考えます。

(絶対者) (世界)
存在  - 物質
意識-力 - 生命
至福  - 霊魂
超心  - 心

右の世界(低次の存在)の4要素は、左の絶対者(高次の存在、精神)の4要素の投射であり、対応しています。

「存在・意識・至福」の3要素は、ヴェーダーンタ哲学で「絶対者」を表現する「サット・チット・アーナンダ」です。
「チット」を、オーロビンドは「意識-力(コンシャスネス-フォース)」と表現します。

この3要素は、「超心(スーパーマインド)」としても現れます。
また、これは、「最高の真理意識」とも表現され、それは「主観的知識」であもり「客観的認識力」でもあります。

「超心」は、「心」が接している部分のようで、オーロビンドは次のように書いています。

「超心を通して神の存在へと上昇していく」
「心と超心がベール越しに出会う。このベールを取り払うことが、人間が神聖な生活の条件になる」(スピリチュアル・エボリューション)

世界は、基本的に、「物質」→「生命」→「心(マインド)」と順次に進化します。
これらは、階層をなしていると言えます。

また、「生命」は、金属→植物→動物→人間という進化の中で顕在化してきます。
「心」は「生命」の中だけではなく、偏在する存在であるとも書いています。

そして、「霊魂(ソウル、サイケ)」は、「心」、「生命」、「物質」の結節点に顕在化する第4の要素だと表現しています。
「魂」と「心」の進化、階層の関係ははっきりしません。
ですが、金属→植物→動物→人間という進化の階層と、8要素の対応関係を見ると、
「物質」→「生命」→「霊魂」→「心」という階層を考えたくなります。


絶対者に関しては、「存在・意識・至福」とは別に、「プルシャ(純粋意識)」、「アートマン(真我)」、「イーシュヴァラ(自在神)」という3つの側面を持ちます。

オーロビンドは、ヴェーダーンタ的な一元論の立場に立っているようで、サーンキヤの2元論に対しては批判しています。
彼は、「プラクリティ(純粋物質)」を、「プルシャ」の「マーヤー」、「シャクティ」としての一側面であると考えます。
また、「プルシャ」を「存在(サット)」、「プラクリティ」を「意識(チット)」であると考えます。

また、オーロビンドは、現世肯定的な思想の持ち主なので、その観点からは、「プラクリティ」を「マーヤー」と見て否定するヴェーダーンタよりも、「シャクティ」と見て肯定するタントラを評価します。

「イーシュヴァラ(自在神)」という側面に関して、神の人格性に関しては、その「意識」という側面までを認めますが、それ以上の人格性は認めません。


<進化とヨガ>

オーロビンドの世界観は、世界は絶対者が展開して「内化(involution)」したものであって、世界はその内在化した絶対者が顕在化して「進化(evolution)」する存在です。
ですから、生命とは、精神とは、人間とは、進化する存在なのです。

そして、ヨガとは、クンダリニー・ヨガに明瞭なように、その進化を凝縮した行為なのです。
つまり、オーロビンドは、クンダリニーを上昇させることが、世界に内化して眠れる絶対者を顕在化して上昇させることの象徴のように見なしました。

このヨガ観を、オーロビンドは、「生命全体がヨガである」と表現しました。

そのため、オーロビンドのヨガは、2つの特徴を持っています。
人間のすべての能力を伸ばすこと、それらを生活の中で活かすことです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「人間の内なる自然の通常の活動は、すべての要素が複雑にからみあった統合的な運動であり…私たちが追求するヨガもまた自然の統合的活動である」
「ヨーギのトランス状態は…目標では決してなく…見る、生きる、活動する意識すべての拡大と向上のための手段だ」(以上「インテグラル・ヨガ」)

このように、オーロビンドにとってのヨガは、絶対者との合一の体験を、人間の全能力を生活の中で生かすように変えていくべきものなのであって、隠遁するものではないのです。
この、現世肯定的で、総合的なヨガであり、オーロビンドは、それを「インテグラル・ヨガ」と呼びました。


<5つのヨガの弱点>

オーロビンドはヴィヴェーカーナンダの影響を受けましたが、そのヨガ観はまったく異なります。
ヴィヴェーカーナンダは、人の性格によって「バクティ・ヨガ」、「カルマ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」の4つから選択するという形で、ヨガを紹介しました。
「ラージャ・ヨガ」は古典ヨガ(8支ヨガ)ことで、「ハタ・ヨガ」はそのプラーナヤーマの支則として少しだけ紹介されました。

ですが、オーロビンドは、それぞれのヨガには弱点があり、偏りがあると考えます。

「ハタ・ヨガ」は、基本的に肉体と生命に働きかける方法であり、「ラージャ・ヨガ」は心、「バクティ・ヨガ」は心の中の感情に、「カルマ・ヨガ」は意志に、「ジュニャーナ・ヨガ」は知性に働きかける方法であって、他を伸ばしません。

オーロビンドの「インテグラル・ヨガ」は、人間の全能力を伸ばすことを目指すので、どの種類のヨガを選んでも、それだけではダメなのです。

また、「ハタ・ヨガ」は生命と肉体を扱いますが、その並外れた完成によってそれを乗り越えて、精神(超心、絶対者)の次元に入ることができます。
ですが、「ハタ・ヨガ」は人間生活から完全な断絶を強いるのだと言います。

「ラージャ・ヨガ」も、心を扱いますが、その並外れた完成によってそれを乗り越えて、精神の次元に入れます。
オーロビンドは、「ラージャ・ヨガ」を基本的には古典ヨガ(8支ヨガ)として捉えていますが、「ハタ・ヨガ」の手法も利用し、クンダリニーを上昇させるものと考えています。
ですが、「ラージャ・ヨガ」の特徴を、集中とトランスとして捉えていて、トランスという例外的な状態に依存しすぎると言います。

・バクティ・ヨガ  :感情:愛
・カルマ・ヨガ   :意志:労働
・ジュニャーナ・ヨガ:知性:知識

・ラージャ・ヨガ  :心→精神
・ハタ・ヨガ    :肉体・生命→精神


<タントラの道>

オーロビンドは、以上の5つの道(ヨガ)以外に、「タントラの道」をあげて、重視しました。
彼は、「タントラの道」は、総合的ですが、独特で、他のヨガと違ってヴェーダ的手法と区別していると書きます。

彼の言う「タントラの道」が具体的には良く分からないのですが、「タントラ・ヨガ」とは表現せず、「ハタ・ヨガ」とも区別していることから、儀礼的な要素も含んでいるのでしょう。
逆に、「ハタ・ヨガ」に関しては、ヴェーダ的・バラモン的なものとして解釈しているのでしょう。

また、「タントラの道」の特徴は、自然的側面をヴェーダのように「マーヤー」として否定するのではなく、「シャクティ」として重視して、精神(絶対者)を見出すことです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「人間の中の自然(シャクティ)を精神の顕在化する力へと高めることが、タントラの手法である」
「プルシャ(絶対者)がエネルギー(シャクティ)エネルギーの活動に熱中している時、そこには活動、創造、生成の愉楽、つまり、アーナンダがある」(以上「インテグラル・ヨガ」)

また、タントラの左道に関しても、「徳と罪の二項対立の行き過ぎに不満を抱いて、それを行為の自然的な真正さという概念に置き換えた」と書き、その本来的な意味については否定はしていません。

オーロビンドは、このように、「タントラの道」を、統合的であること、現世肯定的であることで評価したのです。


<インテグラル・ヨガ>

オーロビンドの「インテグラル・ヨガ」は、誰もが歩むべき、一つの体系化されたヨガではないようです。
いくつかの法則、特徴がありますが、限定された方法ではありません。

最初に一つの道を選びますが、どれという決まりはなく、なるだけ早く絶対者のサマディに到達できる道が望まれます。
その後で、絶対者(精神)を、すべての能力に反映させることで、それらを伸ばし、統合するのです。
オーロビンドは次のように書いています。

「知性、意志、感情、感覚、肉体のそれぞれの活動の中に、神に由来する衝動を感じられるように…その時、人間は超人になる」(「インテグラル・ヨガ」)

オーロビンドは、「カルマ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」の3つのヨガが扱う「労働」、「知識」、「愛」を、神において統合して、三位一体とすべきであると書きます。
オーロビンドは、この3者について、次のように書きます。

「労働は知識においてその極致を見出し、知識は労働において成就を見出す」
「愛が成就さらえると…知識をもたらし、知識が完全であるほど愛の可能性はいっそう豊かになる」
「3つの道のいずれも、一定の広さとともに追求されたなら、その高みで、他の力を取り入れて、その成就にいたりうる…その一つから出発すれば十分であり…」(以上「インテグラル・ヨガ」)

絶対者の体験を、諸能力に反映させるためには、サマディ体験を日常意識へとつなげることが必要です。
オーロビンドは次のように書いています。

「自分のサマディの主人になれば、忘却の深淵を通らず、内面から外側の目覚めへと移行することができる…内面で達成されたことを…目覚めた意識が獲得し、それを目覚めた生活の通常の経験、能力、心理状態へとたやすく転換できるようになる」(「インテグラル・ヨガ」)

そのためもあってか、「インテグラル・ヨガ」は、各人の中の「秘密の主人」、つまり、内的な導師を重視します。

ヴィヴェーカーナンダと普遍宗教

ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで行われた世界宗教会議での「普遍宗教」についての講演をきっかけに、世界的な名声を得た、近代インドを代表する聖者です。

ヴィヴェーカーナンダは、欧米に、ヒンドゥー教、特にヨガとヴェーダーンタ哲学を知らしめた活動と、国内における活動によって、近代におけるヒンドゥー教の伝統復興・改革の代表者の一人と見なされています。

ヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナの弟子でしたが、字を読めなかったラーマクリシュナが、民衆的なヒンドゥー教としてのカーリー信仰を核としていたのに対して、ヴィヴェーカーナンダは、ヴェーダーンタ哲学の不二一元論を核とした思想を持っていたのが特徴です。

また、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの中に芽生えとしてあった「普遍宗教」への志向を、不二一元論と4つのヨガの実践を介して、新たな次元で展開したと言えるでしょう。


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<人生と人>

ヴィヴェーカーナンダ(ナレーンドラナート・ダッタ、1863-1902)は、カルカッタのクシャトリアの家庭に生まれました。
1880年、キリスト教系大学に入り、独学も含めて西洋の思想・歴史・哲学を学びました。

その後、ブラフマ・サマージに加入しましたが、ブラフマ・サマージはヴェーダーンタ哲学やウパニシャッドの非偶像的・非人格的宗教への回帰を主張していました。
ですが、ヴィヴェーカーナンダは、神の姿を見たいと望みました。

1881年、ラーマクリシュナに出会い、彼の寺院に招かれました。
寺院での最初、ラーマクリシュナは、ヴィヴェーカーナンダをナーラーヤナと見なして、泣いて崇拝しました。
ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナをおかしな人間と思いましが、ラーマクリシュナが神を具体的に見ていると聞いて心を動かされました。

2度目にラーマクリシュナを訪ねた時は、ラーマクリシュナは冷静に対応し、ラーマクリシュナがヴィヴェーカーナンダに足を載せると、ヴィヴェーカーナンダは意識消失しかける体験をして、制止しました。

ですが、3回目の訪問時には、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに手を触れるだけで気絶させ、その間に、過去世や使命について質問して、ヴィヴェーカーナンダが特別な人間であると確信しました。

ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの元に通い続けましたが、教えを無条件的に受け入れることはせず、自分の考えを主張してぶつけました。

ヴィヴェーカーナンダは、父の死後、仕事を探しましたが、結局は、出家を決意しました。

1886年、ヴィヴェーカーナンダは、ブラフマンと合一して、無意識に至る三昧を体験しました。
三昧に留まり続けたいと思っていたヴィヴェーカーナンダに対して、ラーマクリシュナはこれを引き止めて、自分の喜びに浸らず、世の中で偉大な仕事をする使命があることを説きました。
これは、ラーマクリシュナ自身が、カーリー女神から説かれたことでした。

同年、ラーマクリシュナが亡くなり、ヴィヴェーカーナンダは後継者となりました。
ですが、1888年、彼は、放浪に旅に出ました。
彼は、その旅の途中で、今後に進むべき道に迷いましたが、夢にラーマクリシュナが現れ、人の中の神に奉仕することを選びました。

また、イギリス植民下のインドの貧困を見て、人々を宗教的に導くだけではなく、窮乏から救うことが重要と考え、この2つの使命に一生を捧げることを誓いました。

そして、1893年、インドを救うためにアメリカ行きを決意します。
シカゴで行われる世界宗教会議に出席するという具体的な目的もありました。
ですが、すでに出席者の締め切りは終わっており、何のつてもありませんでした。
それでも、関係者に彼の人格が認められて、講演者として認められました。

この会議で、ヴィヴェーカーナンダは、原稿なしに普遍宗教をテーマに講演して、評判を得ました。
彼一人が、自分の宗教ではなく、普遍宗教の可能性について語り、それがこの会議の意味だと主張しました
彼は、各宗教が、他の宗教を吸収して個性を伸ばす形で、普遍性へと至るべきだと説きました。

ヴィヴェーカーナンダは、この会議をきっかけにして、神との静かな交流が終わり、人々に教えを説く喧騒な生活が始まることを悟り、子供のように泣いたそうです。

ヴィヴェーカーナンダは、アメリカ各地で講演し、インドの宗教、ヴェーダーンタ哲学、そして、各種のヨガについて説きました。
彼がアメリカやロンドンで行った講演は、「ラージャ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」などとして出版されました。

1896年には、NYに「ヴェーダーンタ協会」を設立しました。

1898年には、インドで、ブラフマナンダ、ヨガナンダと共にラーマクリシュナ・ミッション設立し、古典の勉強会や慈善事業を行いました。
彼は、カースト廃止を訴え、他者への奉仕としてのカルマ・ヨガを主張し、弟子の教育にも尽くしました。

ヴィヴェーカーナンダは、「この世界に一人でも束縛されているものがあれば、解脱を望まない」とも語りました。
これは大乗仏教の精神ですが、彼は、ブッダを最も偉大な人物とも評していて、ブッダガヤで瞑想したこともありました。

1899年頃には、喘息や糖尿病で、病を壊しました。 

1901年には、岡倉天心の来訪を受けました。
体調を理由に、日本への講演の依頼は断りましたが、一緒にブッダガヤへ同行しました。

1902年、ベンガル暦で良き日を選んで、意図して入滅しました。
医者による死因は卒中か心臓麻痺となっていますが。


<普遍宗教>

ヴィヴェーカーナンダは、シカゴの世界宗教会議で講演して以来、「普遍宗教」というテーマを持っていました。
彼は、ヒンドゥー教やヴェーダーンタ哲学が「普遍宗教」である、という説き方はしませんでした。
彼は「普遍宗教」は、以下のように説きました。

まず、ヴィヴェーカーナンダは、世界の諸宗教は矛盾せず、相補的にあって、それぞれが普遍的真理の一部分を取り上げていると言います。
そして、次のように語ります。

「普遍宗教はすでに存在している…人間の普遍的同胞愛がすでに存在しているように、普遍的宗教もまた存在している。」
「…それぞれの宗教を説く…人々が…説教するのをやめさえすれば、普遍的宗教がそこにあるのを見出すだろう。」(以上、1900.1.28 カルフォルニアでの講演「普遍宗教」)

また、ヴィヴェーカーナンダは、「自分が理想とする宗教」に関して、次のように語ります。

「いかなる一つの普遍的哲学をも、いかなる一つの普遍的神話をも…いかなる一つの普遍的儀礼をも意味していない。」
「宗教の場合も…われわれの精神は容器のようなものであり、…神はこれら異なる容器を満たす水のようなものであり…けれども神は一つである、…これが、われわれが得ることができる普遍性の唯一の認識である。」

「私は普及させたいのは、…それは等しく哲学的で、等しく感情的で、等しく神秘的で、等しく行動の助けとなるものでなければならない。」
「四つの方向に調和よくバランスが取れることが、私の宗教の理想である。」(以上「普遍宗教の理想」)

そして、その実践方法として、4つのヨガについて語りました。


<4つのヨガ>

ヴィヴェーカーナンダは、人の性質の応じたものとして、4種のヨガ、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」を説きました。

「カルマ・ヨガ」は、行動的な人(働き手)向けで、無執着の状態で本務を遂行する、自分の生命を尊重することです。
ヴィヴェーカーナンダは、在家の無名のカルマ・ヨギに比べると、イエスやブッダも二流の英雄だと語っていて、これを重視しています。

「バクティ・ヨガ」は、情緒的な人(献身者)向けで、愛の対象をレベルアップしていく方法で、他の目的なしに神を愛し、善を愛すことです。
自分を放棄し、「神のもの」と感じます。
ラーマクリシュナは「バクティ・ヨガ」が現代人に一番適した方法として特別視しましたが、ヴィヴェーカーナンダはそうは述べません。

「ジュニャーナ・ヨガ」は、哲学的な人向けで、普遍の存在と一つになり、また、下等な虫も最高の人間もすべては神の顕現と見ることです。
心に浮かんでくるものを否定し、ヴェーダーンタの不二一元論の見解に立って、究極の自分を「サット・チット・アーナンダ」と考え、そして、すべてに偏在すると瞑想します。

「ラージャ・ヨガ」は、心に対して分析的な人(神秘家)向けで、無数の思考を止めて精神を制御する、微細な現れを感じることです。

「ラージャ・ヨガ」という言葉は、本来は「ハタ・ヨガ」のサマディ段階のことを指しますが、ヴィヴェーカーナンダは、「古典ヨガ(八支ヨガ)」の意味で使っています。
ラーマクリシュナは、これを「カルマ・ヨガ」の中に含めていましたが、ヴィヴェーカーナンダは別のものとして分けました。

また、ヴィヴェーカーナンダは、「ラージャ・ヨガ」のプラーナヤーマの段階の説明の中で、「ハタ・ヨガ」という言葉を使わずに、「ハタ・ヨガ」的な方法を、次のように説きました。

・ムーラダーラ・チャクラの中にあるクンダリニーを、スシュムナーを開いて登らせる
・性的エネルギーを制御して、最高のエネルギーのオージャスに変えて、頭部に蓄える

ですが、彼は「ハタ・ヨガ」を理解していたようですが、重視することはありませんでした。

ラーマクリシュナのカーリー女神信仰

ラーマクリシュナは、近代インドの聖者を代表する人物、その最初を飾る人物です。

彼は、民衆的なヒンドゥー教をベースとして、カーリー女神へのバクティ、そして、見神を重視しました。
ですが、彼にとってそれは姿なき絶対者への三昧に至るものであり、ヴェーダーンタ哲学の不二一元論とも矛盾するものとは考えていませんでした。

ラーマクリシュナが生きた近代インドでは、イギリスによる植民地化によって、西洋化とインド伝統回帰が、インターナショナリズムとナショナリズムが、同時に生まれました。

例えば、1828年にラーム・モーハン・ローイによって設立されたブラフマ・サマージは、ヴェーダーンタ哲学やウパニシャッドの非偶像的宗教への回帰を主張しました。
ですが、歴代の会長の中には、キリスト教も評価して、普遍志向を示す者もいました。

ラーマクリシュナの思想も基本的に伝統的です。
ですが、ラーマクリシュナは、カーリー信仰(シャクティ教)だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
その傾向は、弟子のヴィヴェーカーナンダによって新たに展開されることになりました。

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<人生と人>

ラーマクリシュナ(ガダーダル・チャッタージ、1834-1886)は、ベンガルの貧しいバラモンに生まれました。

兄がカーリー女神の神殿の神官になったため、そのサポートを行って、カーリー女神を崇拝するようになりました。
そして、兄が急死しすると、ラーマクリシュナがカーリー寺院の寺院僧になりました。

ラーマクリシュナは、カーリー女神を見ることができないことに苦しみ、女神像の前で刃物で命を断とうとしました。
すると突然カーリー女神が現われて、気を失う体験をしました。

彼の信仰・実践の形は、カーリー女神を目の前に動く姿で見て、語り、供養するような、見神を伴うバクティ・ヨガでした。

ラーマクリシュナは、しばしば奇妙な振る舞いをして、一時、寺院僧を解雇され、遊行に出ることもありました。

ラーマクリシュナは、シャクティ派の女性行者バイラヴィー・ブラーフマニーに、タントラ系のハタ・ヨガを習いましたが、彼女をグルにはしませんでした。

その後、トーター・プリという不二一元論者の遊行者の弟子になり、遊行者になりました。
そして、姿を持ったカーリー女神を越えて、無分別の三昧として経験しました。
つまり、有形の神を対象とするバクティの延長で、無形の絶対者に至ったのです。

ラーマクリシュナの三昧は、ほとんど六ヶ月の渡るもので、体調を壊すほどのものでした。
ですが、三昧の中にカーリー女神が現れて、三昧に留まることをやめるように命令され、人々に奉仕することを目指すようになりました。

その後、ラーマクリシュナは、カーリー信仰だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
もちろん、これは近代固有のことではなく、シーク教などにもあったことですし、神秘主義思想に広く特徴的なことでもあります。

1872年頃から、ラーマクリシュナの回りに、人が集まるようになりました。
1875年には、瞑想中に、インド・ブラフマ・サマージのケーシャブ・チャンドラ・セーンを見て、彼と交流を持つようになりました。
ケーシャブのおかげで、ラーマクリシュナはカルカッタで知られるようになり、ヴィヴェーカーナンダとも出会いました。

ラーマクリシュナは、サンスクリットも英語も分からず、本も読みませんでしたが、ヴェーダーンタなどへの知識と深い理解を持っていました。

ラーマクリシュナは、何かを見たり聞いたりしたことをきっかけにして、しょっちゅう三昧(神と一体化する意識の状態)に入りました。
多くの場合は、開眼で、立ったままで、通常の意識を失う状態になりました。
やがてその神の意識が遠ざかると、半分神の意識の半意識状態になって、人と語ることができるようになりました。

ラーマクリシュナは、通常の状態ではすべての人を神として見ていましたが、神の意識が訪れると、自身が神人のように振る舞いました。

また、しょっちゅう、まるで子供のように天真爛漫に振る舞いました。
ラーマクリシュナによれば、神を見た人は、子供のようになるのです。

1885年、ラーマクリシュナは、咽頭癌になりました。
彼の前にカーリー女神が現れて、多くの悪業を持った人と関わったために、そのカルマを引き受けたのだと言われましたが、彼は、人に奉仕してきたことを後悔していないと答えました。

1886年、死期が近いと感じたラーマクリシュナは、一人一人の弟子に触れて三昧に導きました。
また、自分が神の化身であると告げました。

病床では、
「もし、この体が後数日間この世に留まることを許されるなら、大勢の人の魂が目覚めさせられるであろうに」
「私は私と母なる神がはっきりと一つになっているのを見ている…私は見る、私には分かる、すべてのもの、考えられるかぎりあらゆるものは、これから出ているということが」
と語りました。

そして、ヴィヴェーカーナンダに後継を託して亡くなりました。

ラーマクリシュナの言動は、弟子のマヘーンドラナート・グプターが書き留めて「ラーマクリシュナの福音」(邦訳書名)として出版されました。
このページの彼の発言の出典はこの書です。
ただ、この書では、ラーマクリシュナが持っていたタントラ的側面や性的側面を書かなかったのではないか、という疑惑をかけられています。

ラーマクリシュナは、女装したり女性的なしぐさをしたりすることがあったそうです。
ですが、女神信仰の風狂な行者にとっては珍しいことではありません。

また、結婚をしていましたが、妻も含めて、女性と関係を持つことはなかったようです。
男性の弟子ばかりに囲まれていたこともあって、ラーマクリシュナの性的志向を疑う人もいます。
ですが、女神信仰の集団が閉鎖的な男性結社となることは、世界的に良くあることです。


<ラーマクリシュナの宗教観>

ラーマクリシュナは、無形の絶対者(超人格神)と、有形の創造神(人格神)を一体の存在であると考えました。
つまり、ブラフマンやアートマンは、姿を持つシャクティであり、カーリー女神なのです。
カーリー女神は、姿を持つ存在でもあり、姿を越えた絶対者(シャカラ・ルパ)でもあるのです。

ですから、カーリー女神を姿を持った存在としてバクティの対象とすることは正しく、それを通して、無形の絶対者の三昧(ニルヴィカルパ)にも自然に到達できるのです。

「わが聖なる母(カーリー)は絶対者(ブラフマン)以外の何ものでもありません。…エゴが母によって取り除かれると、三昧の中で超人格的存在の悟りができます。」
「しばしば、彼女は、その個我を彼女の信者たちの内部に残しておき、人格として彼らの前に現れて、彼らの話し合うことをお楽しみになります。」
「カーリーは遠くから見ると、褐色の肌の色の人格神で、近くから見ると属性を持たぬ絶対者です。」


ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なし、「人間に奉仕することは神に奉仕することに他ならない」と考えていました。
ラーマクリシュナは、「この世に執着のない「解脱をとげた人(ムクタ)」に対して、「永遠に自由な人(ニティヤ・ムクタ)」は、他者のためにこの世に住んでいる人々である」と語っています。
そして、他者のために生きることは、カーリー女神の望むところなのです。


ラーマクリシュナは、カーリー女神を「母」と呼びましたが、時には、「婆さん」と呼ぶこともありました。
彼は、「(カーリ-女神は)一方ではヴィディヤー・シャクティとして現し、他方ではアヴィディヤー・シャクティとして現していらっしゃいます」とも語ります。
創造神であるカーリーは、智恵でもあり、マーヤーでもあるのです。

また、ラーマクリシュナは、世界がカーリー女神の玩具であると考えました。
そして、人間が世界の中で無知に縛られた状態にいる理由について聞かれて、カーリー女神が「隠れん坊遊び」をしていて、人間は彼女を探して走り回らなければいけないのだと答えました。

ですから、在家でカーリーを求める人に対して、
「遊び相手としては、お前たち(在家)の方がずっとりこうだ。…遊びはなお続けられる。」
と語りました。

そして、悲観的な人間観を批判して
「絶え間なく、「私は束縛されている」と言っている馬鹿者(ブラフマ・サマージなど)は、ついに本当に束縛されるのだ。
いつまでも「私は罪人です。私は罪人です」と言い続ける哀れな人(キリスト教徒)は、罪人になってしまうのだ」
とも語りました。


<実践>

ラーマクリシュナは、「ジュニャーナ・ヨガ」、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」の3つの実践があると説きました。

「ジュニャーナ・ヨガ」は、「これではない、これではない」と、一つ一つ非実在を意識から捨てていく方法です。
ラーマクリシュナの分類では、「カルマ・ヨガ」には3つあって、在家が執着なしに努めを果たすこと以外に、「アシュタンガ・ヨガ」も、礼拝的儀礼やジャパ(マントラ念誦)の行為も「カルマ・ヨガ」です。

ラーマクリシュナによれば、「バクティ・ヨガ」が、現代に合った方法、一番簡単な方法です。
現代人には、執着なしに行為を行うことも、儀礼などの勤行の時間もないからです。
また、「母のところまで行くとバクティだけでなくジュニャーナも手に入る」とも語ります。

「バクティ・ヨガ」には様々な段階があって、神に言葉を失う「バーヴァ」を越えて、狂人のようになる「プレマ」、さらには、世界も自分も忘れる「マハーバーヴァ」に至ります。


<ヴィヴェーカーナンダ>

ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なしていました。
ですが、その現われ方には差があるのです。

特に、ヴィヴェーカーナンダに対しては、彼を神の化身として、特別な思いを持っていました。

ヴィヴェーカーナンダが初めてラーマクリシュナの寺院を訪れた時、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダをナーラーヤナであると見なして、泣いて崇拝しました。

ヴィヴェーカーナンダが3回目に訪問した時には、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに手を触れるだけで気絶させ、その間に、過去世や使命について質問して、ヴィヴェーカーナンダが特別な人間であると確信しました。

ラーマクリシュナは、幾日も「ナレンドラ、ナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダの愛称)」と言って泣いていたこともありました。
ラーマクリシュナは、「ナレンドラを見ると、私は絶対者の中に没入してしまう」と語りました。
ナレンドラをじっと見て「これが二者の中の一つ(人間)で、これがもう一つ(神?)だ」と語ったこともありました。

ヴィヴェーカーナンダが、初めてブラフマンとの合一し、無意識に至る無分別三昧を体験した時には、三昧に留まり続けることを引き止めて、世の中で偉大な仕事をする使命があると説きました。
また、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに神通力を与えようと申し出ましたが、ヴィヴェーカーナンダは断りました。

そして、先に書いたように、ヴィヴェーカーナンダを後継者としました。
ラーマクリシュナは、死ぬ直前には、自分が持っているパワーを彼に渡したそうです。
ヴェーダーンタのその後の活躍を考えると、ラーマクリシュナの見立ては正しかったのでしょう。


*ヴィヴェーカーナンダについては「ヴィヴェーカーナンダと普遍宗教」をお読みください。