ニュー・サイエンス

ニューエイジ思想に共鳴して、従来の実体主義的、機械論的、還元主義的、原子論的なアプローチの科学ではなく、関係主義的、有機体論・システム論的、階層的・全体的、場の理論的なアプローチをした科学が生まれ、これらが総称して「ニュー・サイエンス」と呼ばれます。

もともと、量子力学の世界観は、従来の西洋の原子論的な世界観では理解できず、ボーア、ハイゼンベルグ、湯川秀樹などのように、量子力学を作った物理学者の中には、タオイズムや仏教などの東洋思想の世界観に注目した人が多くいました。

このページでは、ニュー・サイエンスとして名前の挙がる科学者達、フリッチョ・カプラ、デヴィッド・ボーム、ルパート・シェルドレイク、アーサー・ケストラーの思想を簡単にまとめます。


<フリッチョ・カプラのタオ自然学>

物理学者のフリッチョフ・カプラは、現代物理と東洋思想の世界観の類似性を論じ、また、世界観のパラダイム・チェンジの必要性を主張して、ニュー・サイエンスの代表的な論客になりました。
カプラは、神秘主義という言葉も肯定的に使います。

カプラは、「タオ自然学」(1975年)で、東洋の諸経典などと現代物理学者の言葉を引用しながら、ヒンドゥー教、仏教、易経、老荘思想、禅といった東洋思想の世界観と、量子力学などの現代物理の世界観が類似性していることを示しました。

以下、「タオ自然学」の各章で、現代物理のどのような理論が、東洋思想の世界観と似ていると論じたのかを、簡単にまとめます。

「万物の合一性」という章では、量子力学の観測の問題を取り上げて、主客の分離ができないことを論じました。

「対立世界の超越」という章では、量子力学における粒子と波動の相補性を取り上げて、二項対立が成り立たないことを論じました。

「四次元時空」という章では、相対論などによる時空の相対性などを取り上げて、絶対時空の非実在性について論じました。

「ダイナミズム」という章では、現代物理の波動としての世界観と振動宇宙論が、動的で生成的な宇宙論であると論じました。

「空と形象」という章では、場の理論が形象の背後に実在を見ていることを論じました。

「コズミック・ダンス」という章では、素粒子物理学(場の量子論)における素粒子の生成・消滅などが、シヴァのダンスとして表現される宇宙論と似ていることを論じました。

「変化のパターン」という章では、S行列理論が、易経の体系と同様に、関係主義的(事的)世界観であることを論じました。

「無碍の世界」という章では、基本的構成要素を否定して要素の調和を説く量子力学のブーツストラップ理論を紹介しました。
カプラはジェフリー・チューのブーツストラップ理論を支持していましたが、残念ながら、その後の物理学の流れで主流とはなりませんでした。

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*以下、写真はすべて、顔が掲載された書というだけの意味で、本文で触れた書ではありません


<デヴィッド・ボームの内蔵秩序>

量子力学を専門にする理論物理学者のデヴィッド・ボームは、「内蔵秩序(Implicate order、内包秩序、内在秩序)」という概念を中心にして、ホログラム的な部分即全体の世界観を提唱しました。

ボームによれば、時空の各領域は、宇宙全体の構造を包み込んでいるのです。
そして、自然は内包された秩序ごと、全体として運動(ホロ・ムーヴメント)します。

それに対して、知覚される秩序は「表出秩序(Explicate order、外在秩序)」と表現され、内蔵秩序の中の特定の相を持ち上げたものなのです。
つまり、「思考」は「マインド」という内蔵的全体性を持つものから表出されたものにすぎないのです。

ですが、「思考」を停止させて生まれる「洞察」は、脳という物質に変化をもたらすと言います。

ちなみに、この内蔵/表出という考え方は、ベルグソン―ドゥルーズの哲学とも類似しています。

ボームは、量子力学のコペンハーゲン解釈に反対し、ド・ブロイのパイロット波理論を発展させ、内蔵秩序の隠れたパラメーターを導入した解釈を行いました。
彼の解釈(隠れた変数理論、ボーム解釈)には、現在でも一定の支持者がいます。

ボームが哲学と物理学を結び付けて語った書には、「全体性と内蔵秩序」(1980年)、「科学、秩序、創造性」(1987年)などがあります。

ボームは、クリシュナムルティとの深い交友関係があり、ダライ・ラマとの対談も知られています。

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<ルパート・シェルドレイクの形態形成場理論>

ケン・ウィルバーは、ボームの世界観に階層性が欠けているという批判を行いました。
ケン・ウィルバーの世界観では、階層性は基本的要素です。

これに対して、独自の階層性を持った世界観の可能性を提唱したのが、ルパート・シェルドレイクです。
彼は、「形態形成場」という概念を、物理学や生物学といった領域を越えた仮設として考えました。

シェルドレイクは、自然科学や哲学、科学史を学び、ケンブリッジで生化学の博士号を取得し、細胞生物学を研究する科学者でした。
また、彼は、インドでも生物学の研究を行った時期があり、彼の最初の著作、「生命のニューサイエンス」(1981年)は、南インドのアシュラムで執筆されました。

「形態形成場理論」は、何らかの形態(物理的なものから生物的なもの、人間的な思考などまで含めて)が一旦生まれると、それが場として形成・保持され、さらに、反復によって強化されるという理論です。
特定の形態形成場が形成されると、それ以降、場の影響によって、空間を越えて、同様の形態が形成されやすくなるのです。

例えば、新しく合成されたばかりの化学物質は、非常に結晶化させにくいけれど、時間が経つにつれて(形態形成場が確立されて)結晶化しやすくなる、という経験的事実があるそうで、これが「形態形成場理論」の具体的な一例として、あげられます。

また、形態だけでなく、運動に関しても同様の場が発生するとして、「運動場」と名付けました。

「形態形成場理論」は、上位の世界(例えばアストラル界)が下位の世界(例えば物質界)のひな型・原因になるという、伝統的な神智学の思想を、科学の言葉に翻訳したような理論です。

シェルドレイクは、「形態形成場」には階層性があって、物質に対して精神は、「形態形成場」の「形態形成場」とも考えることができる、という仮説を提唱しました。

ですが、彼の理論は、数式にできるようなものではないようですし、例えば、微分だとか、あるいは、超準的数学とつなげて考えることもないようです。

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<アーサー・ケストラーのホロン>

アーサー・ケストラーは、ジャーナリスト、小説家、政治活動家、哲学者であって、科学者ではありません。

ですが、彼は科学にも詳しく、1967年に出版した「機械の中の幽霊」では、機械論的還元主義に反対して、「ホロン」という概念を提唱して、ニュー・サイエンスやケン・ウィルバーにも影響を与えました。
また、1978年の「ホロン革命」でも、その概念を発展させました。

ケストラーのホロン理論は、創造的・階層的なシステム理論で、宇宙は、原子のような最小の存在単位とその法則には還元できないという考え方です。

「ホロン」は、上位に対しては部分であり、下位に対しては全体である宇宙の存在単位です。
存在は「ホロン」が連なる階層構造になっていて、その構造は「ホラーキー」と呼ばれます。
「ホロン」は、同階層の他の「ホロン」に対して自立すると同時に共同することで、創造も行われます。

「ホロン」の世界観は、還元主義に対して打ち出されたという側面が強いので、各ホロン間の内外での矛盾性や否定性の力動的な関係については十分に論じていないように感じます。

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以上の他に「ニュー・サイエンス」と形容される学者としては、超常現象を認める生物学者のライアル・ワトソン、秩序の発生に関する「散逸構造」のイリア・プリゴジン、脳のホログラム的構造を提唱したカール・プリグラムなどがあげられます。
posted by morfo1 at 09:06Comment(0)現代

トランス・パーソナル心理学

ニューエイジ・ムーヴメントの一つの潮流である「トランス・パーソナル心理学」は、何らかの変性意識的状態を重視し、自己超越を目指すような心理学、心理療法です。

「トランス・パーソナル心理学」は、「人間性心理学」をベースにしながらも、東洋の諸宗教の瞑想法などを取り入れて発展しました。

このページでは、アブラハム・マズロー、スタニスラフ・グロフ、ケン・ウィルバー、ジョン・C・リリー、ジョン・ウェルウッドを中心にして、「トランス・パーソナル心理学」の概要について簡単にまとめます。


<アブラハム・マズロー>

アブラハム・マズローは、心理学を大別して、フロイト派の精神分析学と行動主義心理学に対して、自分が提唱する「人間性心理学」を第3勢力、さらに、その発展形の「トランス・パーソナル心理学」を第4勢力と表現しました。

マズローは、行動主義心理学から転向して、5-6段階の「欲求の階層論」を提唱したことで知られる心理学者です。
彼の理論では、第5段階が「自己実現」の欲求で、その先に「自己超越」の欲求を想定しました。

分かりやすく定義すれば、フロイト派が病人の「治療」を目的にするのに対して、健康な人間の可能性を成長させ、「自己実現」を目指すのが「人間性心理学」であり、それを越えて「自己超越」を目指すのが「トランス・パーソナル心理学」です。

マズローのサポートで「クライアント中心療法」のカール・ロジャーズが、1963年に設立したのが「人間性心理学会」、マズローがスタニスラフ・グロフと共に1969年に設立したのが「トランス・パーソナル心理学会」です。

「人間性心理学」の心理学者として語られるのは、マズロー、ロジャーズの他に、「人間性回復運動(ヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント)」を提唱して「人間性心理学」を大衆レベルにまで広げた「ゲシュタルト療法」のフレデリック・パールズ、「サイコシンセシス(精神統合)」のロベルト・アサジョーリなどがいます。
他にも、実存主義的な心理学者も含めることがあります。

マズローは、最後の段階として「自己超越」欲求を設定し、様々な恍惚的な高揚の体験である「至高体験(ピーク体験)」やその後の「高原体験」について研究しましたが、具体的なヴィジョンを持つに至りませんでした。
彼は行動主義から来た人で、深層意識に対するアプローチには弱かったのでしょう。

「トランス・パーソナル心理学」は、そのマズローが、LSDを使った実験を行っていたスタニスラフ・グロフと出会うことで生まれました。

「トランス・パーソナル心理学」は、「人間性心理学」の延長線上にありますが、LSDなどによる意識拡大のショックと、東洋系宗教の瞑想法、体験的セラピー(グループ・ワーク、ボディ・ワークなど)、ユンク心理学などが交流することによって生まれました。


<スタニスラフ・グロフ>

スタニスラフ・グロフは、チェコスロバキアのフロイト派の分析医でしたが、1960年からLSDを利用した治療実験を始めました。
彼は、LSDを大量に投用して、目隠しして患者と対話する治療方法を「サイケデリック」と呼び、また、「トランス・パーソナル」という言葉も使っていました。

グロフは1967年にアメリカ移住しましたが、マズローが自分に足りなかった方向をグロフに見て、2人で「トランス・パーソナル心理学会」を設立したのでしょう。

LSDが違法化されて以降、グロフは、過呼吸的な早くて深い呼吸法を利用して変性意識状態に入る「ホロトロピック・セラピー」を開発しました。
この方法では、数時間に及ぶ呼吸法を行い、その後に、心理的問題が身体症状として現れた「ブロック」を解きほぐすボディ・ワークなども併用しました。

グロフは、多くの被験者の体験をもとに、「意識の作図学」として、変性意識体験が進むプロセスを、以下のように段階化しました。

1 感覚的障害領域(審美的領域):内面に向かうことで五感に心地良さが現れる
2 伝記的領域(フロイト的領域):過去の経験・抑圧が思い出される
3 分娩前後領域(ライヒ/ランク的領域):出産時の体験の再現
-1 BPM1(羊水に浸かっている状態):大洋的感覚
-2 BPM2(子宮収縮):圧迫感、渦巻きに飲み込まれる感覚
-3 BPM3(参道通過):死、葛藤や障害を感じる
-4 BPM4(出産後):再生、心地よい状態
4 トランス・パーソナル領域(ユング的領域):時空の制約を超える体験

「分娩前後領域」は、フロイト派のオットー・ランクに由来しますが、彼のように出産時の体験をトラウマとして考えるよりも、異なる自分に再生するプロセスとして注目しました。

出産を心理的再生の比喩として使うことは、世界の宗教儀礼で広く行われています。
ですが、グロフには、フロイト派の発想が残っているように感じてしまいます。

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<エサレン研究所>

アスコーナのカウンター・カルチャーは、モンテ・ヴェリタというサナトリウムでの自然療法が中心となったように、ニューエイジのヒューマン・ポテンシャル運動やトランス・パーソナル心理学は、エサレン研究所が中心的な拠点となりました。

エサレン研究所は、スタンフォード大学の卒業生マイケル・マーフィーとリチャード・ディック・プライスによって、1962年に、ネイティブ・アメリカンのエサレン族の聖地に設立されたリトリート施設です。

この研究所には、研究員が長期滞在できたため、様々な先駆的研究者、東洋の宗教家が招かれ、心理療法の様々な実験が行われました。

設立者の2人は、ビートニクに親しみ、オーロビンドや禅などの東洋宗教に傾倒していました。
2人がインドのオーロビンドのアシュラムを訪れてヒントを得たことを直接のきっかけとして、設立に際しては、オルダス・ハクスリーのアドバイスも受けました。

この研究所で初期に行われていたのは、ゲシュタルト療法、クライアント中心主義、ボディ・ワーク(バイオエナジェティックス、アレクサンダー・テクニーク)などで、多くが、グループ・ワーク(エンカウンター・グループ)として行われました。

エサレン研究所に対しては、早期にマズローが支持を表明しました。

この研究所は、例えば、グロフがカスタネダと出会ったり、ジョン・C・リリーがパパ・ラム・ダスと出会ったりと、研究者の交流の場にもなりました。

プライスは1977年にインドのラジネーシのアシュラムを訪れたことで、ラジネーシがセラピーに興味を持つことにもなり、エサレンとラジネーシのアシュラムの交流も行われました。
ですが、ラジネーシのアシュラムが過剰に感情の解放を行っていることから、エサレンは距離を置くようになったようです。


<ケン・ウィルバー>

グロフと並んでトランス・パーソナル心理学の代表的思想家として上げられるのは、ケン・ウィルバーです。

グロフが臨床心理的立場で理論構築と実践を行ったのに対して、ウィルバーは宗教哲学的な思想家、瞑想者の立場でそれを行いました。
ウィルバーは、禅やチベット仏教の瞑想修行を経験しています。

このように、トランス・パーソナル心理学の中には、2つの対照的な立場がありました。

ウィルバーは、禅やチベット仏教の瞑想修行を行いながらも、ヴェーダーンタ哲学やオーロビンドの影響を受けながら、トランス・パーソナルな意識論、成長段階論、文化進化論などを構築しました。

ウィルバーの思想は、初期には「スペクトル理論(スペクトル心理学)」と呼ばれましたが、後には「統合理論(インテグラル・セオリー、統合心理学)」と呼ばれるようになりました。

ウィルバーは、意識やその発達には階層性があって、それぞれの段階によって病気・障害や、その治療法が異なるとして、様々な心理学、心理療法、東洋の瞑想法などを、体系的に位置づけました。
それによって、トランス・パーソナル・シーン全体を俯瞰し、整理・統合する視点を提供しました。

また、個人の成長は進化のミニチュアであると考え、さらに、個人の内面だけにとどまらず、外面的活動や共同体などについても体系的に取り扱うことで、「トランス・パーソナル」という限定を越えて、統合理論(AQAL理論)、となりました。

ウィルバーは、著作活動と同時に、様々な教育研究機関を設立してきました。
1987年の「インテグラル・インスティテュート」、2005年の「インテグラル・スピリチュアル・センター」、2005年の総合大学「インテグラル・ユニバーシティー」の設立です。
また、2006年に設営されたハンガリーの「インテグラル・アカデミー」にも協力しました。

ウィルバーの最初の著作である、1977年の「意識のスペクトル」では、自己と非自己の境界をどこに見るかという観点から、意識の階層(スペクトル)を論じました。
これは、成長の前半に発達心理学を置き、その延長上の後半に東洋の霊的な求道の道を置くものでした。
ですが、前半の前個人レベルと、後半の超個人レベルが混同される難点を持っていました。

そのため、1980年の「アートマン・プロジェクト」では、個人の意識の発達段階の観点から、その違いを明確化して論じました。
この書では、進化もテーマとして上げながらも、実際には、文明の発展も生物進化も対象とせず、個人の心理的成長しか論じませんでした。

ですが、1995年「進化の構造」以降は、ホラーキーシステムとしての宇宙、人間、文化の進化と階層を、個と集団、内面と外面の4つの象限から論じるようになりました。

東洋の霊的な道を進化と結びつけるのは、インドの伝統というより、神智学やオーロビンドのような西洋の思想を取り入れた系譜のニュー・ヴァージョンと言えるでしょう。

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*以下、写真は顔が掲載された書というだけの意味で、本文で触れた書ではありません

*ケン・ウィルバーについては、別ページで紹介する予定です。


<ジョン・C・リリー>

トランス・パーソナル心理学の範疇で語られることは少ないのですが、ここに入れることができる科学者に、ジョン・C・リリーがいます。

リリーは、イルカとのコミュニケーションを研究して、映画「イルカの日」のモデルとなった科学者として知られています。
ですが、それ以上に、アイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)の開発者・実験者で、映画「アルタード・ステーツ」のモデルになった科学者として重要です。

リリーは、1954年からアイソレーション・タンクを用いて変性意識の実験を行い、1964年からは、LSDを大量に摂取してそれを行いました。

リリーは、1967年の「生物コンピューターにおけるプログラミングとメタプログラミング」で、変性意識を、脳のプログラミング、メタプログラミングの観点から論じました。
彼は、タンクの中で、「僕は、巨大な宇宙コンピューターの中の小さなプログラムである」という体験をしていたからです。

リリーは、人間コンピューターの構造レベルを10段階で考えています。

10:未知なもの
9 :本質のメタプログラミング
8 :自己メタプログラミング
7 :自我のメタプログラミング
6 :非制御システムのメタプログラミング全般
5 :プログラミング
4 :脳の諸活動
3 :脳
2 :身体
1 :外的現実

*「意識の中心」より

リリーは、1970年前後の頃に、エサレン研究所でワークショップを行うと共に、他の講師のワークショップにも参加もしました。

その後、リリーは、エサレンで話に聞いた、チリの秘教集団アリカを率いるグルジェフィアンのオスカー・イチャーソのもとを訪れました。
イチャーソは、パーソナリティ・システムとしてのエニアグラムの提唱者でもあります。
そして、彼の教えを受け、タンクで体験したものと同様の体験をしました。
イチャーソとの出会いによって、彼は、グルジェフの階層の理論を取り入れ、1972年に、「台風の目(意識の中心)」を著して、それを基にした意識論を論じました。

グルジェフの階層は法則数で表現され、法則数が少ないほど、上位の階層です。
ですが、リリーはそれを「振動数」と表現し、上位階層の意識を「+」、下位階層の意識を「-」とします。

地球、つまり、中立的な日常的な意識の状態はレベル±48です。
±48以上の階層の意識の特徴について、リリーは次のように書いています。

+3 :古典的な悟り、宇宙と一体化して宇宙コンピューターのプログラマーになる
+6 :身体のない点(個の本質)になってどこにでも行ける、思考やプログラムは不要
+12:至福、宇宙的愛の状態、体は透明になりエネルギーが出入りする
+24:初歩の悟り、必要な全プログラムが存在して機能し、楽しみながら行為する
±48:自己メタプログラマーになり創造的思考を行う

また、リリーは、1958年に、タンクによる変性意識状態の中で、高次な霊的存在と出会う体験をしました。
彼はその組織を「地球偶然制御局」と呼んでいて、さらに上位の階層の存在があると考えました。
彼らは地球の進化を管理する役目を持っていて、そのために使者を管理していて、リリーもその一人なのです。

リリーは、イルカとのコミュニケーションの研究も行いましたが、それはアイソレーション・タンクの入った人間の状態が、イルカと似ているからです。
彼は、イルカにLSDを摂取させたうえでの実験も行いました。

また、リリーは、タンクの中で、イルカやクジラのコミュニケーション・ネットワークにチャンネルが合うことがしばしばあったと書いています。
そして、彼は、イルカやクジラは、地球外情報の中継局の役割を果たしていると述べています。

まさに、マッド・サインティスと言われたリリーの面目躍如というところです。

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<ジョン・ウェルウッド>

あまり知られていない人物ですが、ジョン・ウェルウッドも、西の心理学と東の瞑想法をつなごうとした重要な心理学者です。

ウェルウッドは、「男女のスピリチュアルな旅」、「男女の魂の心理学」、「パートナーシップのマインドフルネス」などの著作が日本でも翻訳されていて、男女の心理学で知られています。
ですが、彼は、「東洋と西洋の心理学」という書を編集するなど、西洋の心理学に仏教やインド思想を取り入れること、特にチベット仏教の意識論を取り入れようとしたロジャーズ派、フォーカシング指向心理学派の学者です。

当時のアメリカには、チベット僧のタルタン・トゥルクがゾクチェンを、チョギャム・トゥルンパがマハームドラーを伝えていました。
ゾクチェンやマハームドラーは、仏教、インド思想の意識論の最終奥義であり、世界の仏教学者にも知られておらず、彼らの話を聴いても、ほとんど理解できなかったと思われます。
ウェルウッドは、それを取り入れようとした数少ないニューエイジの思想家です。

ウェルウッドは、無意識を、有機体の構造や関係のパターンであり、「焦点注意」の階層的な「背景」として考えるという、新しい意識-無意識論を提唱しました。

焦点化する注意が特徴の日常的な意識に対して、背景としての意識の階層は、下記の通りです。

1 状況の場:「感じされる意味」(ジョンドリン)、「移行的部分」(ウィリアム・ジェームス)
2 個人的場:ユンクの「影」は有機体の全体平衡機能
3 超個人的場:ユンクの「元型」は世界内身体の普遍的パターン、阿頼耶識
4 開かれた基本的な場:仏教の「原初の知覚・心」

*番号は当ブログ主がつけたもの
4が一番、奥にある背景です。

ウェルウッドの階層論には、ケン・ウィルバーのそれと似ているところもありますが、ヴェーダーンタ哲学よりも仏教を参照しています。

ウェルウッドは、日常的な「焦点化する注意」ではなく、瞑想的・直観的な「拡散する注意」によって、様々な背景の平面を結びつけることができると考えました。

また、ウェルウッドは、意識における仏教の「空」の意味に、3種があると解釈しています。

一つは、思考と思考の間としての「空間」です。
これは、雲の間の青空と比喩表現するゾクチェンの考え方と似ています。

もう一つは、フォーカシング指向心理学の概念の「感じされる意味」、つまり、まだ言葉にならない直感的なものです。

最後は、トゥルンパを引用して「あるがままに見られる広がり」とか、「大きな心」と表現されます。

最後の場についてウェルウッドが語っていることで興味深い点は、彼がトゥルクを参照しながら、感情を否定するのではなくその中に飛び込むことで、その固まりが、活発になり、変化し、氷解すると語っているところです。

これは、ゾクチェンの自己解脱の考え方に近いものです。
この場についての説明で彼が表現している「原初の知覚・心」は、ゾクチェンの「明知(リクパ)」や「原初の境地」を背景にしているのかもしれません。

ウェルウッドが、「背景」とか「広がり」といった言葉を使う点には、仏教的な非実体主義的思想を感じます。
posted by morfo1 at 08:50Comment(0)現代

ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム

意識拡大や自然志向を特徴とするヒッピー、ニューエイジ思想は、瞑想的なヒンドゥー教や仏教を指向する「ネオ・オリエンタリズム」や、幻覚剤を使用する中南米のシャーマニズムを指向する「ネオ・シャーマニズム」の潮流と結びつきました。

このページでは、これらの合流域を簡単にまとめます。


<パパ・ラム・ダス>

ニューエイジの一潮流としての「ネオ・オリエンタリズム」の象徴的人物は、パパ・ラム・ダスことリチャート・アルパートです。

彼はLSDを摂取して神秘的な体験をしても、やがては元の自分、もとの世界に戻ってしまうだけの繰り返しになることで、その限界を感じました。

そして、インドに道を探し、本物のグル、ニーム・カロリ・ババに出会いました。
その後、彼が発表した「ビー・ヒア・ナウ」(1971)、「覚醒への旅」(1978)などは、「ネオ・オリエンタリズム」へ若者を導く道標になりました。

ラム・ダスは、特定の宗派の立場から語ることはせず、ヒンドゥー教、仏教、スーフィズム、キリスト教など、様々な伝統、瞑想法を俯瞰して紹介しました。
そして、特定の方法にこだわらないこと、自然に様々な方法に興味が向かうこと、道のプロセスは個人によって異なることを説きました。

これは、情報化時代に相応しい姿勢だったのでしょう。

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<インドのグル達>

インドやチベット、日本などのヨギ、僧侶のアメリカでの活動も、「ネオ・オリエンタリズム」を牽引しました。

ヒンドゥー系では、以前から活動していたクリシュナムルティに加えて、マハリシ・マヘッシ・ヨーギ、バグワン・ラジニーシらが人気を得ました。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギはシャンカラ派のヨギですが、1959年にアメリカに団体設立し、マントラ・ヨガのTM瞑想を説き、その実践のしやすさからヒッピーに人気となりました。

バグワン・ラジニーシ(和尚)は、ジャバルプール大学の哲学教授でしたが、様々な伝統を広く勉強して、西洋的なセラピーのテクニックも取り入れて、現代人に向けて新しい瞑想法を多数生み出しました。
感情の解放や、性に対するオープンな姿勢は、彼の方法の特徴の一つです。

インドのプーナのアシュラムの周辺には、コミューン的な状況が生まれ、1981年にはアメリカのオレゴン州にアシュラムを移しました。
ですが、1985年、運営メンバーの起こした事件をきっかけに、アメリカから追い出されました。


<チベットのグル達>

アメリカで活動したチベット人のグルには、チョギャム・トゥルンパやタルタン・トゥルクがいます。
トゥルンパはマハームドラーを伝え、トゥルクはゾクチェンを伝えました。
これらの思想は、当時、仏教の専門家にとってもほとんど未知の思想でした。

チョギャム・トゥルンパは、転生ラマ11代目トゥルクとして育てられ、チベットから亡命後はオックスフォード大学で比較宗教学などを修め、1967年にはスコットランドで西洋初のチベット仏教瞑想センターを設立しました。
ですが、左半身麻痺となる大きな自動車事故に会ったことをきっかけにして、還俗して結婚しました。

これに対する批判もあって、1970年にはアメリカに活動の拠点を移し、コロラドの「ヴァジュラダートゥ」を中心にして各地に瞑想センターを設立しました。

彼は、禅の他に、生け花、演劇など多くの芸術に関心があり、アレン・ギンズバーグらと詩の朗読会も行うなど、多面的に活動しました。
また、1974年には、「タントラへの道」、「タントラ―狂気の叡智」を出版するなどしました。

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一方、タルタン・トゥルクは、ニンマ派の転生ラマとして育てられ、1960年に、ダライ・ラマの要請によって、インドのベナレス・サンスクリット大学で教鞭を取りました。

1969年には、カルフォルニアに移住し、バークレーにチベタン・ニンマ・メディテーション・センターを設立し、アメリカでの活動を開始しました。

1973年に始めた「ヒューマン・デベロップメント・トレーニング・プログラム」では、現代的で総合的なアプローチを行い、超心理学者チャールズ・T・タート、人類学者のクラウディオ・ナランジョなどのニューエイジ系の学者も参加しました。
彼も多くの著作を残しています。

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<禅師達>

アメリカで活動した禅師では、鈴木大拙による禅の紹介という土壌に加えて、1962年に「サンフランシスコ禅センター」などを設立した鈴木俊隆、1967年に「ロサンゼルス禅センター」などを設立した前角博雄が大きな影響を与えました。

鈴木俊隆は、曹洞宗の只管打座を説き、とビートニクのスナイダーやギンズバークらとも交流を持ちました。
また、1970年に発表した「禅マインド、ビギナーズ・マインド」は分かりやすい語り口で、大きな影響を与えました。

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前角博雄は、曹洞宗の只管打座と臨済宗の公案禅の療法を教えました。
前角はアル中や性的スキャンダルもあって、彼の元から出た複数の弟子が、それぞれに組織を作って活動したことが特徴です。

また、ベトナムの禅宗のティク・ナット・ハンは、禅やニューエイジという範囲を越えて、世界に大きな影響を与えました。

1966年に渡米して、ベトナム戦争終結の和平提案を行いましたが、ベトナムに帰国することができなくなり、欧米で活動を続けました。
彼はキング牧師にも影響を与えました。

1982年には、南フランスにプラムヴィレッジ・瞑想センターを設立し、また、アメリカ連邦議会やグーグル社で瞑想の指導も行いました。

彼の瞑想法は、上座部のヴィパッサナー瞑想に大乗仏教や禅の利他や現世肯定の思想をミックスしたもので、また、社会参画を重視する姿勢は、「エンゲイジド・ブッディズム」と呼ばれます。


<その他の宗教>

その他にも、ヒッピー、ニューエイジ思想では、スーフィズムやグルジェフ、タオイズムへの関心も起こりました。

また、「ネオ・オリエンタリズム」と連動して、西洋の秘教への関心も高まりました。
例えば、神智学、人智学、魔術、カバラなどです。

中でも、魔術に関しては、カウンター・カルチャーの文脈では、アンチヒーローとしてアレイスター・クロウリーに注目が集まり、ジミー・ページや映画監督のケネス・アンガーらにも支持されました。
よりラディカルなところでは、ピート・キャロルが作ったカオス魔術結社の「IOT」には、ウィリアム・バローズ、ティモシー・リアリー、ロバート・アントン・ウィルソンらが参加していたと言われています。

また、キリスト教の修行体系の掘り起しも行われました。
それを行ったのは、サンフランシスコ州立大哲学教授のジェイコブ・ニードルマンや、ハーバード神学科のハーヴェイ・コックスらです。
ジェイコブ・ニードルマンは、幅広く秘教を研究する比較宗教学者でもあり、グルジェフィアンでもあり、「ロスト・クリスチャニティ」の著者です。


<ネオ・シャーマニズム>

ヒッピーやニューエイジ思想の自然回帰的志向、そして、ドラッグなどによる変性意識への関心は、必然的に、メスカリンなどを使う中南米のシャーマニズムの研究を促し、「ネオ・シャーマニズム」の潮流と接点を持ちました。

「ネオ・シャーマニズム」に類するヨーロッパの運動では、「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」の「ウィッカ(魔女宗)」や、「ネオ・ドゥルイディズム(ケルト宗教)」、「ゲルマン・ネオ・ペイガニズム」などへの関心も高まりました。

ニューエイジと関係が深かったネオ・シャーマンは、カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーでしょう。


カルフォルニア大学の人類学の学生だったカルロス・カスタネダが発表したドン・ファン・シリーズ(「ドンファンの教え」1968年-1999年)は、ヒッピーらに熱狂的に受け入れられました。
彼は、この研究で博士号を取得したのですが、多くの専門家がフィクションだと判断しています。

ドン・ファン・シリーズは、ヤキ・インディアンのシャーマンに弟子入りしたカスタネダが、その体験とトルテカに由来するとされる教えを語ります。

ドン・ファン・シリーズが高い評価を得たのは、その思想が、単なる部族シャーマニズムではなく、特定の世界観を越えようとする哲学を持っていたからでしょう。
カスタネダが提示したのは、呪医や司祭ではなく、知者の道、求道としてのシャーマニズムでした。

カスタネダは、1973年に、タイム誌で特集されたり、批判を受けたりした後、世間から隠遁しました。
彼は、同じドン・ファンの弟子として著作のあるフロリンダ・ドナー・グラウ、タイシャ・エイブラーらと集合住宅を共同購入し、そこに住みました。
また、彼らは1993年に、彼らの「テンセグリティ」と呼ばれる教えの指導と出版を行うCleargreen Incorporatedを設立しました。

カスタネダの書は、研究者がフィールドワークで、あるいは、一般人が、シャーマンに弟子入りするという流れを作り、それによてネオ・シャーマニズムの潮流を大きくしました。

カスタネダ.jpg

人類学者のマイケル・ハーナーは、1960年に、アマゾンのフィールド調査で幻覚植物アヤワスカを体験しました。
そして、1970年代初頭から、コネチカットでドラムを使ったシャーマニック・トランスのワークショップを始めました。
1980年には、「シャーマンの道:力と癒しのガイド」を出版し、大きな影響を与えました。

ハーナーは、アメリカのネイティブ・アメリカンのシャーマンの技法をベースにして、現代の西洋人が実践できる成長と治療のシステムを作り、それを「コア・シャーマニズム」と名づけました。

ちなみに、カルロス・カスタネダに本を書くようにアドバイスしたのはハーナーで、カスタネダは一緒にドン・ファンに会いに行こうと誘われたそうですが、忙しくて行けなかったそうです。

harner.jpg

*カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーに関しては、別ページで紹介する予定です。

posted by morfo1 at 10:36Comment(0)現代