鈴木大拙の日本的霊性と即非の論理

鈴木大拙の東方仏教と神秘主義」に続くページです。

このページでは、鈴木大拙の禅と真宗(浄土教)の解釈、そして、「日本的霊性」という言葉で、戦中・戦後の日本に対して彼が伝えようとした思想についてまとめます。

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*本文と関係ありません、大拙の顔写真が表紙に掲載された書です


<禅>

大拙の代表的な研究分野は、なんといっても禅です。

大拙は、渡米中の1927年から1934年にかけて、英文の「禅仏教のエッセイ」シリーズを3冊出版しました。
帰国後も、東方仏教徒協会から禅に関する英文の書の出版を継続しました。

これらは、欧米に禅を広く知らしめるきっかけとなりました。
欧米で禅が、日本語発音の「Zen」と呼ばれるのは、大拙の功績と言っても過言ではありません。

1940年からは、盤珪禅師に関する出版に尽くします。
同年に、まず「盤珪の不生禅」を出版し、続いて、1941年に「盤珪禅師語録」、1943年に「盤珪禅師説法」という2書の編校を行いました。

1943年には、「禅思想史研究」の出版を始め、また、「禅の思想」も出版しました。

「禅の思想」では、中国禅について、次のように書いています。

「中国では…平常の行動そのものの上に、禅をはたらかせようとするのである。禅はインド的静態性を離れて動態的方向をとるようになった」

つまり、禅は、日常の活動の中での悟りを重要する動態的なものであるということです。

また、禅の思想を「無分別の分別」、禅の行為を「無功用」という言葉などに代表させています。
単なる「無分別」ではなく、「分別」があること、そして、それが行為において働きとなることがミソなのです。

大拙は、「無分別の分別」は、人間の「霊的自覚」においてのみ可能であると書きます。
つまり、分別を超えている点が「霊性」であり、分別と無分別の矛盾を自覚していることが重要なのです。

「無功用」は、「ただその事を行じて、その他一切の利害得失を考えぬこと」と説明されます。
これは、親鸞の言葉の「自然法爾」と同じことだとも表現されます。
つまり、日常の行為の中の「あるがまま」です。

興味深いのは、大拙が、「宇宙霊」という言葉を使っていることです。
彼はこれを「法身」と同じものとして考えます。

「霊は力であり、はたらくが、自覚がないと霊ではない。自覚は霊が個多であるとき喚びさまされる。そうしてそれは人間でなくてはならぬ。宇宙霊というものも、人間がないとその霊たる所以を表現することができぬ」

つまり、禅の悟りを、個人の自覚の中での働き、つまり、主体的行為の中で捉え、その時に「宇宙霊」が顕在化するのです。


大拙は、自身が参禅し、思想的にも寄って立つ臨済禅(看話禅・公案禅)について、それが慧能以降の南宗禅、その動態禅の流れにあると考えます。
臨済禅は頓悟禅ですが、「禅思想史研究第一」では、慧能、神会に頓悟禅の起源を見ています。

大拙は、慧能の「見性」を、「定/慧」の、「知/行」の、「体/用」の不二であると書きます。
一方、南宗禅の中での比較としては、慧能の「見性」、神会の「知」、馬祖の「用」に対して、臨済がその3つを総合したと考えます。

一方、大拙は、日本の禅の到達地点を、盤珪禅師の「不生禅」に見ます。

「禅思想史研究第一」の最初に論じられたのも盤珪です。
この書では、日本の禅を三類型化し、盤珪の「不生禅」は、道元の「只管打坐(黙照禅)」と白隠の「公案禅(看話禅)」を止揚した日本禅の到達点とします。

大拙は、「盤珪禅師説法」中の解説「不生禅の特徴につきて」で、盤珪ほど独立独歩の禅者は禅史中でも稀有の出来事である、そして、盤珪のように自身の一貫した中心を持ちそれを「不生」という一言で表現した禅者は他にいない、と書きます。

大拙によれば、「只管打座」は悟りの「体」を得、「看話禅」は悟りの「用」を得ます。
ですが、盤珪は、打座も看話も不要とし、不生の一言で済ませます。
盤珪は、悟りを「不生」の二字で表現し、「生死を一棒に打殺せんとする」のです。

「仏心は不生にして一切事がととのひまするわひの」

盤珪は、日常語で説法し、仏教用語を使いません。

「みな人人今日の身の上の批判で相すんで、埒の明く事なれば、仏法も禅法もとかふやうもござらぬわひの」

大拙にとって、盤珪は、日本の禅の「あるがまま」を、究極的に体現した存在なのです。


<日本的霊性と真宗>

終戦直前の1944年に出版された「日本的霊性」は、一般に、大拙の代表作とされています。
「日本的霊性」という言葉は、戦時の日本が重視していた「日本的精神」に対するアンチテーゼの意味を持っていました。

「精神」が物質に対するもの、理念や道徳に関するものであるのに対して、「霊性」は精神と物質に二分化されない世界、道徳を超えたものであり、その働きです。

大拙がこの書で日本的霊性の代表として論じているのは、鎌倉時代以降の仏教であり、禅と浄土教(特に真宗)です。
彼は、「日本的霊性は鎌倉時代に始めて自覚の域に達した」と書いています。

神道ではなく、外来宗教であるはずの仏教を取り上げていることについては、次のように書いています。

「自分は第一、仏教をもって外来の宗教だとは考えない。…渡来したのは、仏教的儀礼とその付属物であった」
「神社神道または古神道などと称されて居るものは、日本民族の原始的習俗の固定化したもので、霊性には触れて居ない」

そして、日本的霊性の情性方面に顕現したものが、浄土系的経験であり、知的方面に顕現したのが、日本人生活の禅化であると。
「生活の禅化」というのは、「禅が日本人の生活の中に根深く喰いこんでいる」ということではなくて、「日本人の生活そのものが禅的である」という意味です。

大拙は、「霊性」を、智の問題ではなく、行為の問題として考えて、主体としての人を重視します。

「この人は、行為の主体である。霊性的直覚の主人公である。ここから「しかもその心を生ずる」のである。絶対無の場処という方に気をとられないで、はたらきの出る機を見得したいのである。そこに人があるのである。」

ですが、大拙は、次のように、禅者に対して批判をします。

「禅者は往々にして大慈大悲という心持ちを忘れることがある。…人そのものは、全体が悲であり智である。…人の一挙一動はことごとく悲智でなくてはならぬ」

この批判は、大拙の浄土系思想の解釈ともながっているのでしょう。
ちなみに、大拙は、「日本的霊性」を出版する2年前の1942年に「浄土系思想論」を出版しています。

大拙は、浄土系思想に関して、死後に浄土に行くことを目的にしたもの、自分の外にいる人格的存在である阿弥陀仏を信じ帰依するもの、とは解釈しません。
彼は、次のように書きます。

「浄土教は…絶対他力のところに、この教えの本質があるのである」(日本的霊性、以下同じ)
「浄土系思想の中心は念仏であって極楽往生ではない。」

大拙の解釈では、念仏を唱えることは阿弥陀仏と一体になること、他力とはあるがままに行動することです。
それは、主体を超えていると共に主体であり、受動的であるとともに能動的なのです。

また、大拙は、親鸞聖人が煩悩をそのまま肯定していることを評価して、次のように書いています。

「親鸞は罪業からの解放を説かぬ、即ち因果の繋縛からの自由を説かぬ。それはこの存在――現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして、弥陀の絶対的本願力のはたらきに一切をまかせると云ふのである」
「日本的霊性のみが、因果を破壊せず、現世の存在を滅絶せずに、而も弥陀の光をして一切をそのままに包被せしめたのである」

大拙は、親鸞聖人の「自然法爾」という言葉を重視します。
1958年「真宗入門」では、次のように書いています。

「自然法爾は、日本語で言えば、アナタマカセです」
「法爾は「ありのままにある」という意味である」

そして、大拙は、真宗の妙好人(在俗の信心深い卓越した信者)の浅原才市に、真宗の思想の理想の姿を見ています。
禅の「あるがまま」の究極の体現者が盤珪ならば、真宗は才市なのです。
ちなみに、大拙は、才市のことを西谷啓治から教えられたようです。

才市について、真宗における念仏の意味について、次のように書いています。

「才市の全存在が南無阿弥陀仏になって居るというのである」
「彼の主体が南無阿弥陀仏そのもので、彼の意識というのは南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏を自覚するという意味になるのである」
「その南無阿弥陀仏がふと個己に復るとき、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏せられる…」

そして、大拙は、あるがままの底にある大悲や利他が、真宗と日本的霊性にとって重要であると書きます。

「自然法爾底には無限の大悲がある、無尽の請願がある。日本的霊性的生涯の究竟も亦ここにある。」
「悲智円満の菩薩行が可能になる。日本的霊性も窮極において、この方向を指すものである」


<即非の論理、回互の思想>

大拙の親友の西田幾太郎は、仏教の体験的な知を、西洋の対象論理に対抗できるような普遍的な論理として体系化しなければいけないと考えていました。

大拙も西田に影響を受けて、西田が「矛盾的自己同一」という論理を作り上げていた頃、ほぼ同時に「般若即非の論理」を作りました。
西田も大拙も、「矛盾的自己同一」と「即非の論理」は、ほとんど同じであると述べています。

「即非の論理」は、初出は1941年の「禅への道」ですが、1944年の「日本的霊性」の「金剛経の禅」の章で詳説されました。

大拙は、「即非の論理」を、「般若系思想の根幹をなしている論理で、また禅の論理である。また、日本的霊性の論理である」と書いています。

「即非の論理」は、「金剛般若経」の「仏説般若波羅蜜 即非般若波羅蜜 是名般若波羅蜜」をもとにして、それを論理として抽出したものです。

形式化すると、次のようになります。

「AはAだと云うのは、
AはAではない、
故にAはAである」

これは、「否定を媒介にして、始めて肯定に入る」とも説明されます。

「金剛般若経」は、ごく初期の大乗経典で、「空」という概念も説きません。
大拙は、そのような初期の経典をテキストにしたのです。

ただ、これは不思議な論理ではなく、「仏の説く言葉と凡夫の言葉」は異なる、「Aは実体としては存在せず、現象として存在している」という合理的に理解できるものです。

ただ、禅はこの論理を論理の形式で取り扱わず、「普通の常識がまず否定せられて、その否定がまた否定せられて、もとの肯定に還る」とも書いています。

形式化してみると、例えば、こういうことではないでしょうか。

「Aではないと言うが、
そもそもAだという縛りはない
故にAでないことにこだわる必要もない」

大拙は、「即非の論理」を、単に論理や認識の問題ではなく、仏と個の関係や、主体的な人間に当てはめます。
大拙は次のように書いています。

「自分に言わせると、無とか有とかいうと、あまりにも論理的知性的になってしまうから、人という考えをそこへ入れてみたいというのである。この人は行為の主体である」(日本的霊性)
「臨済の言葉で云ふと、霊性は人である。「一無位の真人で」ある。…彼はこの人を「自省」したのである。…人は即非の論理を生きてゐるものである。」(「臨済の基本思想」1945)

これを真宗にあてはめると、「自然法爾」のあるがままの実践になります。


また、あまり知られていませんが、「即非の論理」とは別の禅の論理についても、「禅の思想」などで書いています。
これは、主語と述語、名詞と動詞、主体と対象を入れ替える「回互の思想」です。

大拙は、雲門の「東山水上行」や、道楷の「青山常運歩」などの曹洞宗系の禅師の独特の言葉使いや、道元による「山水経」でのその解説を取り上げます。
これらでは、動かないはずの山が、「流れる」、「歩く」と表現されています。

大拙は次のように書きます。

「…円環的、往還的、回互的、自己同一的に運歩するので、山が流れるのであり、流れる山があるのである」
「主語と述語とを別々のものとせず、主語と述語とを相互に回換させて…山が流れるともいい、流れるが山ともいう。体言と用言とが、どちらの方向からも、じかに結びつくというところに、禅家の物の見方があるのである。青山の運歩、東山の水上行などという表現はいずれもこれから出てくる」

ここには、中沢新一がマテ・ブランコの「対称的思考」をベースに主張する「レンマ的知性」と似た論理構造があります。


<現代性と華厳>

以上のように、大拙は、単なる無分別の認識だけではなく、「分別」や「主体的行為(人)」を重視します。
これは、従来から仏教、禅が説いてきたことです。

ですが、大拙は、それを、具体的に、現代に必要なものとして、つまり、西洋的な知識を学び、現代社会を運営するに必要なものとして考えていました。
それによって初めて、西洋と東洋が結びつき、新しい仏教、新しい日本的霊性となるのです。


また、大拙は、華厳教学の事事無礙法界の思想を評価し、「禅思想史研究第一」でも、華厳思想を最終的帰結と書いています。

そして、戦後すぐの1946年に出版された「霊性的日本の建設」や「仏教の大意」などで、その華厳思想を、戦後の新しい日本に必要な世界観であると訴えました。

「霊性的日本の建設」では、華厳的観点からライプニッツの思想を修正して、「モナッドは窓を十分に開け放って居る」ことで「モナッド間の連絡、回互、円融」が可能になると書きました。
ライプニッツは、世界を最善が実現され調和を持つものと考えますが、事事無礙法界の思想は、ライプニッツより動的なのです。

また、「事事無礙法界の曼荼羅にありては、天皇も事であり、我等も事である。事事が無礙に交渉し得るには天皇も曼荼羅の外に出ることを許されぬ」とも書いています。
つまり、中心がないのです。

華厳的な世界観は、日本を中心とする東亜共栄圏構想や、天皇を中心とする全体主義に対して、個人が抗する論理となりうる、ということです。

このように華厳思想に可能性を見い出すというのは、西田も構想していたようです。
西田は戦後を見ることなく亡くなりましたが、大拙は、西田の思いを継承したのだと言えます。

posted by morfo1 at 08:44Comment(0)日本

鈴木大拙の東方仏教と神秘主義

一般に、鈴木大拙は、アメリカや日本で、禅の紹介を行った人物として知られています。

ですが、彼は、禅だけではなく、真宗、そして、キリスト教神秘主義のスウェデンボルグ、エックハルトなども論じましたし、晩年には「神秘主義」というタイトルの書で、それらを結びつけて論じました。

大拙が「禅」として語る思想も、「真宗」として、あるいは「大乗仏教」として、「日本的霊性」として語る思想も、ほとんど同じです。
それは、「東方仏教」とも呼ばれ、キリスト教神秘主義や老子などとも通底するものでした。

また、大拙も妻のビアトリスも神智学協会委員であり、京都の自宅は神智学協会のロッジでした。

この項では、大拙の初期の仏教観を示す「大乗仏教概論」、そして、晩年の思想を示す「神秘主義」を中心に、彼の「東方仏教」、それが持つ普遍主義をテーマについてまとめます。

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<見性体験と渡米>

鈴木大拙(本名は貞太郎、1870-1966)は、金沢出身で、第四高等中学校時代の同級生には、日本を代表する哲学者の西田幾太郎がいて、彼とは生涯、思想的な影響を与え合った親友でした。

第四高等中学校を中退した後、もう一度勉強したいと思い、1891年に東京専門学校に、次いで1892年に東京帝国大学文科大学哲学科専科に入学し、へーゲルとカントを学びました。

同時に、大拙は、1891年頃から鎌倉の円覚寺で今北洪水、続いて釈宗演に参禅しました。
洪川からは「隻手音声」、宗演から「趙州無字」の公案を与えられました。

そして、1894年には、宗演から「大拙」という居士号をもらいました。
居士号というのは在家ということで、大拙は出家したことはなく、また、学者でもなく、寺院とアカデミズムの外で活動しました。

1896年、大拙は、見性体験を得て、無字の公案を突破しました。
といっても、これは白隠の公案体系の第一段階に過ぎません。


大拙の師の宗演は、臨済宗の優れた禅師ですが、伝統の枠に留まることなく、セイロンで上座部を学んだり、海外に講演に赴くような僧でした。
1893年には、シカゴ万博の世界宗教会議で講演し、これを機に禅が始めて欧米で知られるようになりました。
この時、英訳を担当したのは、大拙です。

宗教会議には、アメリカのポール・ケーラスという人物が、「科学的宗教」の代表として参加していました。
彼は、科学的研究の拡張で真理を探求すべきこと、特に仏教に期待していると訴えました。
そのため、彼と宗演ら日本の仏教団との間に交流が生まれました。

そして、1895年に、大拙は、ポール・ケーラスの「仏陀の福音」を日本語に訳しました。

その後、ポーラスは宗演に、「老子」の翻訳の協力者を求め、宗演は大拙を推薦しました。
この時、大拙は、「仏教を刷新するために、霊的な仏教を求めている」と紹介しました。
そして、1897年、大拙は、シカゴのケーラスの元に渡り、オープン・コート社で翻訳者として活動を始めました。

1898年、大拙は、アメリカで、「ひじ外の曲がらず」という公案の一句を読んで、ある種の悟り、合点を得ました。
大拙は、西洋哲学で問題とされていた自由と必然の関係を、自分の禅の体験にひきつけて解決することに悩んでいたのですが、不自由であってもそれが、自由即必然であるという理解に達したのです。

ただ、この公案の「ひじ外に曲がらず」の本来の意味は、単に「しょせん人は身内を庇うものだ」という意味なのですが、日本では「あるがまま」を意味すると誤解されていて、大拙の理解もその意味に沿ったものです。


<大乗仏教概論>

大拙が、アメリカで最初に英訳したのは、「老子道徳経」です。
大拙は、老子の思想を仏教と類似する思想であると考えて、晩年に至るまで重視しました。

続いて、1900年に、「大乗起信論」を英訳しました。
大拙は、「大乗起信論」が、BC1C頃のインドの馬鳴の作であり、大乗仏教の最初の概論書であると理解していました。
実際は、後世に中国で作られたものであり、中国的な如来蔵思想を表現した書なのですが。
大拙は、晩年に至るまでこの書を、大乗仏教にとっても自身にとっても重要な書であると考えていました。

大拙は、「大乗起信論」の核となる概念の「真如」を、「Suchness(あるがまま)」と訳しました。
そして、「如来蔵(=心)」が、バラモン哲学の「ブラフマン」と近く、その3つの側面である「体」、「相」、「用」が、スピノザの「実体」、「属性」、「様態」に近いとも書いています。


1907年に、大拙は、初めて鈴木大拙(Daisetz Teitaro Suzuki)名義で、「大乗仏教概論」を英文で著しました。
西洋には、大乗仏教は小乗仏教(パーリ語経典)の堕落したものであるという理解もあったので、その誤解を解き、大乗仏教を称賛することを意図した書だったのでしょう。

大拙の大乗仏教観は、「大乗起信論」をベースにしたもので、中国・日本的な如来蔵思想の仏教です。
大拙のそれは、自由意志と愛を持った絶対存在(真如・法身)が、宇宙を生み出しつつそこに内在し、個々人の中で活動する、というかなり汎神論的に表現されたもので、大乗仏教の概論としては偏っています。

ですが、この大乗仏教観は、必ずしも大拙独自のものとは言えません。
これは、世界宗教会議で日本団が配ったパンフレットを書いた黒田真洞や、講演した宗演の大乗仏教観を下敷きにしています。
つまり、当時の日本の仏教団が、世界に訴えようとした大乗仏教観の延長に、「大乗仏教概論」がありました。

「大乗仏教概論」では、「大乗起信論」を根拠に、「真如」と「法身」を大乗仏教の最高概念として紹介します。

また、「如来蔵」を、個別化した「真如」であると同時に、「宇宙的如来蔵」という言葉を使って個別性を越えたものとして、矛盾した表現をしています。
そして、「阿頼耶識(アーラヤ識)」は、その「如来蔵」が個別化したものであるとも書きます。

そして、「如来蔵」は「全宇宙的な無明と真如の結合体」であり、「阿頼耶識」は「欲望(煩悩)と智慧(菩提)から生まれるもの」だと。
また、「阿頼耶識」は、「サーンキヤで言うところの純粋精神と根本物質を統合したものに相当」するとも書いています。

そして、「法身」については、「個別現象の背後にある究極の実在」、「宇宙は法身そのものの現れ」、「仏教における神」、「歴史的人物性から切り離されて、最高の真理、実在と同一視される」などと表現しています。

一方、「業」に関しては、「ショーペンハウアーが言うところの意志」に相当するとも書いています。

また、大拙は、「法身」が、「知」、「愛」、「意志」という3つの側面を持つと書きます。
後述しますが、ここには、スウェデンボルグの影響もあるようです。

「愛(love (and compassion))」は「慈悲」の訳語で、キリスト教に寄せているのかもしれません。

「意志」については、大拙の独創的解釈と言うべきものですが、彼はこれが「自由意志」であって、「本願力」と呼ばれると書きます。

また、仏教の「三身説」を、キリスト教の「三位一体説」と対照させて、「法身」=神性、「報身」=天上の栄光を持つキリストもしくは聖霊、「応身」=肉体としてのキリスト、としています。
ちなみに、「三身説」と「三位一体説」の関係は、ケーラスが先に論じています。

また、大拙は、大乗仏教徒は、キリスト以外にも、ソクラテス、マホメット…などなどが仏陀であると考える、と書いています。

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<普遍主義と東方仏教>

大拙の「大乗仏教概論」に対して、ベルギーの著名な仏教学者ルイ・ド・ラ・ヴァレー・プサンが、批判的な書評を書きました。

大拙の説く大乗仏教は、大乗仏教の多様性を考慮せず、自身の特異な汎神論を大乗仏教として述べたものである。
そして、それは、ヴェーダーンタ哲学やドイツ哲学に染まったものであり、タントリズムの原理を認める真言宗の視点が影響している。
また、サンスクリットの理解に間違いがあると。

大拙は、密教についてはほとんど書いていませんし、評価もしていないと思いますので、自身の思想が密教だと書かれて、どう思ったでしょうか?

この大御所による批判のためか、大拙は、その後、「大乗仏教概論」の再版も翻訳も許しませんでした。
また、大拙は、これ以降、「大乗仏教」というくくりで論じることはほとんどなくなり、「禅」や「真宗」といったくくりで論じるようになります。


ですが、大拙は、仏教の解釈や紹介についても、仏教の未来についても、普遍主義的な志向を持ち続けました。

大拙は、「大乗仏教概論」で、大乗仏教は「その本来の視野を拡大した仏教なのであり、別の宗教的・哲学的信念を同化する…」と書いていて、大乗仏教が普遍主義ないし、折衷主義的に拡大してきたものだという認識を示しています。

また、大拙は、「大乗起信論」の注や「大乗仏教概論」で、仏教をキリスト教やヴェーダーンタ哲学や西洋哲学と比較しながら紹介しています。

実は、大拙は、「大乗仏教概論」の出版をさかのぼる1904年に、ウィリアム・ジェイムズの「宗教経験の諸相」を読んでその影響を受けています。
彼は、この書が、自分の最初の見性体験を、そのまま描いていると感じ、西田にもこの書を推薦しました。

ジェイムズは、この書で、キリスト教神秘主義、イスラム教神秘主義、ヒンドゥー教のヨガ、禅、神智学協会のブラヴァツキー夫人が書いた仏教経典「沈黙の声」などを同時に取り上げています。

また、大拙は、イギリスに行った時に、仏教経典の翻訳に興味を持っていたスウェデンボルグ協会から接触を受けました。
その関係で、大拙は、スウェデンボルグを読んで、彼の思想が大乗仏教と似ていると感じていました。

もちろん、ヴィヴェーカーナンダが世界宗教会議で、ヴェーダーンタ哲学を中心にした普遍的宗教を語っていたことも知っていたでしょう。
それに、ケーラスにも、仏教を普遍主義的に捉え直す思想がありました。

ですから、様々な宗教、神秘主義を普遍的な観点から同列で捉えるという視点を、大拙も持つようになっていて、「大乗仏教概論」でも、そのような表現の意図を持っていたのでしょう。


また、実は、「大乗仏教概論」の序文で、大拙は、ひなえめながら、「南方(小乗)仏教」/「北方(大乗)仏教」という従来の仏教の二分類に対して、浄土教などを特徴とする「東方仏教」を加えた三分類を主張していました。
実際、大拙が説いている大乗仏教は、「東方仏教」なのです。

大拙の大乗仏教観はプサンに批判されましたが、大拙は、自身の如来蔵的な「東方仏教」、そして、それを他の神秘主義的思想とつなげて普遍化しようという意図を、生涯、変えませんでした。

大拙は仏教学者ではなく、宗教思想家なのです。

大拙は、1908年に帰国し、アメリカのヴェーダーンタ協会で出会っていたビアトリス・アースキン・レーンと結婚しました。

そして、1921年には、大谷大学内に「東方仏教徒協会」を設立し、妻と二人で英文雑誌「イースタン・ブッディスト」を発行しました。
二人は「東方仏教」というコンセプトを共有し、それを重視していたのです。

ビアトリスは神智学協会員であり、二人は京都の自宅を、神智学協会の京都ロッジ「大乗ロッジ」としていました。
大拙が神智学に大きな興味を持っていたとは思いませんが、後に神智学協会のインドの本部を訪れた時、会員となっています。

ブラヴァツキーは、密教思想に関する知識を持ってはいなかったと思いますが、神智学を「エソテリック・ブッディズム」と称したことがあります。
大拙は、近代的インテリだったため、密教に興味を持たなかったようですが、ビアトリスは当然、密教の研究も行ったようです。


<スウェデンボルグ>

大拙は、1910年から1915年にかけて、スウェデンボルグの翻訳、紹介に尽くします。
直接的には、スウェデンボルグ協会から翻訳を依頼されたからですが、スウェデンボルグの思想が仏教(東方仏教)と似ていると考えていたから、受けたのでしょう。

大拙は、「スウェデンボルグ」(1913)で次のように書いています。
「大に仏教に似たり。我を捨てて神性の動くままに進退すべきことを説くところ、真の救済は信と行との融和一致にあること、神性は、智と愛との化現なること…」

また、大拙は、スウェデンボルグの説く霊界の太陽たる主は、仏教の「法身」に当たると言います。
大拙は、スウェデンボルグの説く霊界は、華厳経が説く法界や、浄土系経典が説く浄土の描写と似ていると考えたのでしょう。

大拙の弟子の証言によれば、先に書いたように、「大乗仏教概論」で「法身」の3側面を「愛」、「知」、「意志」としたことには、スウェデンボルグの影響もあるようです。

スウェデンボルグは、神の「愛」と「知」を重視していて、大拙はスウェデンボルグの「神知と神愛」を翻訳しています。
大拙は、この2つを仏教の「大悲」と「大智」に対応すると考えました。
また、スウェデンボルグは、「意志」も重視し、「意志」は「愛」を含む概念でした。

大拙は、スウェデンボルグの神への愛を、「霊性」と訳しました。
大拙は、晩年まで「霊性」という言葉を重視して使い続けましたが、この言葉は、スウェエンボルグの翻訳で多用した言葉です。
大拙の「霊性」という言葉には、スウェデンボルグの影響もあり、宗教を超えた文脈にあります。

ちなみに、大拙がこの時点で意識していたかどうか分かりませんが、「霊性」という言葉は、古くは、大拙も評価した中国華厳宗の宗密が、禅、華厳、道教、儒教を統合する中で使っています。
大拙は、ここにキリスト教を付け加えたことになります。


<神秘主義、エックハルト>

大拙は、晩年の1957年に英文で出版した「神秘主義―キリスト教と仏教」で、改めて、仏教とキリスト教神秘主義を、統合的に論じました。

つまり、大拙の基本的な仏教観、そして、それを他の宗教とつなげようとする意図は、晩年まで変わらなかったのです。

この書は、禅、真宗とエックハルトを主要な対象とし、また、「神秘主義」という言葉を前面に出しています。
これまで、このように「神秘主義」という言葉を肯定的に使って強調することはなかったのですが。

ただ、その後に出版した「東方的な見方」(1963)では、「「神秘」なるものは東洋的考えにはないのだ。何もかも露堂々であり、浄裸々である」とも書いています。
つまり、東洋においては、「神秘」は秘されていないというわけです。

大拙によれば、エックハルトと仏教の共通点は、次のようなものです。
神を「無」、「沈黙」、「砂漠」、「静けさ」といった否定的・寂静的な表現で表したこと、神と自己の内面を通した一体化を語ったこと、そのためには物質的・現象的なものから「離脱」する必要があること、などです。

例えば、大拙は次のように書いています。

「エックハルトの名もなき無なる神は仏教の言葉で言えば万物の実体なきこと、移り行くものに捉われぬ心、すべての渇愛の止滅に当たる」

大拙は、エックハルトが使う「isticheit」という言葉を、「あるがまま」と訳し、それが「いかなる言葉も表現し得ぬ」と書きます。

そして、大拙は、エックハルトが、自己が神と合一しても、自己を失わないと主張したこと、「神性」と「神」とを区別して、後者を前者の「働き」の面として説いたことを評価しました。

また、大拙は、エックハルトを老子と結びつけて紹介したレイモンド・B・プレイクニーの解釈にも影響を受けていて、エックハルトの「無」を老子の「無」とも結びつけています。
ブレイクニーは、エックハルトの「砂漠」を「母胎」と表現していて、これは、「如来蔵」とも通じています。


また、この書で興味深いのは、仏教の「渇愛」に関する解釈です。
大拙は次のように書きます。

「渇愛こそは宇宙の創造主なのだ。創造主であるからして、渇愛こそ個性化の原理なのである」
「渇愛は…われらの存在そのものなのだ」
「後期の仏教徒達は、…渇愛こそ…あらゆる生類の幸せのために必要なるものである、と強く主張したのである」

本来の仏教教義からは離れた、宇宙論的で、かつ、極めて現世肯定的、煩悩肯定的な思想です。


*大拙の禅と真宗の解釈に関しては、「大拙の日本的霊性と即非の論理」に続きます。
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ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト

ケン・ウィルバーこと、ケネス・アール・ウィルバー・ジュニア(1949-)は、トランス・パーソナル心理学の代表的論客として知られていますが、彼は、トランス・パーソナル心理学の領域を越えたインテグラル理論の提唱者でもあり、ニューエイジを代表する思想家でもあります。

彼の思想の中心にあるのは、ヒンドゥー教や仏教を中心して想定した「永遠の哲学(永遠の心理学)」に、進化論や発達心理学を結びつけたものであり、神智学の現代版の一つであるとも言えます。

ウィルバーの思想の特徴は、大きな枠組みを構築して、その中に様々な心理学・心理療法や、東洋の諸宗教・瞑想法を、強引に解釈し、位置づけることです。

ウィルバーについては、「トランス・パーソナル心理学」でも簡単に紹介しました。
このページでは、ウィルバーが個人の意識のトランス・パーソナルな発達を体系化した「アートマン・プロジェクト」の思想を中心に、簡単にまとめて、評価します。


<スペクトル理論>

まず、ウィルバーの最初の著作であり、主著の一つである「意識のスペクトル」(1977)についてごく簡単に紹介します。

「意識のスペクトル」は、「永遠の心理学」をもとにして、西洋の諸心理学の考察に広い視野を与える意識のモデルを提示しようとしたものでした。

近代以前に、地域を越えて、普遍的で伝統的な神秘主義的な世界観があったという考え方があり、これを「永遠の哲学」と表現します。
この言葉は、最初にスピノザが使い、ニューエイジ思想のバックボーンの一人であるオルダス・ハクスリーも、このテーマ、タイトルで著作を出版しました。
「永遠の心理学」は、その心理学ヴァージョンです。

ウィルバーは、この意識のスペクトル・モデルで、西洋の発達心理学(ジャン・ピアジェや「意識の起源史」のエーリッヒ・ノイマンなど)の延長上に東洋の諸宗教(ヴェーダーンタ哲学、仏教など)をつなげました。
これによって、様々な心理学・心理療法と東洋の諸宗教の道を、俯瞰的かつ体系的に整理して位置づけました。

「意識のスペクトル」の意識モデルは、自他全体をスペクトルと見て、自他の境界をそのどこに置くかで、階層的に考えます。
そして、ウィルバーは、様々な心理学・心理療法、東洋の諸宗教を、それぞれのレベルの治療法として対応づけました。

具体的には、下記の通りです。

 (レベル)         (自他の境界)  (治療法)
・ペルソナのレベル      :ペルソナ/影 :カウンセリング
・哲学的帯域
・自我のレベル        :自我/身体  :精神分析的自我心理学
・生物社会的帯域               :社会心理学、基礎家族療法
・実存(ケンタウロス)のレベル:有機体/環境 :実存心理学、人間性心理学、ハタ・ヨガ
・トランス・パーソナルの帯域         :ユング派、ヴィジャ・マントラ
・心(宇宙的意識)のレベル  :宇宙(無境界):一元論的な神秘主義

つまり、自己のアイデンティに関して、まず「無境界」なレベルが存在し、それが「有機体/環境」と2分され、次に「有機体」が「自我/身体」に2分され、最後に「自我」が「ペルソナ/影」に2分されるのです。
また、その各レベル内(各レベル間)にも、帯域として違いが存在します。

この分化は、人間の生後の成長(心理発達)と共に進みますが、その後のトランス・パーソナルな霊的成長によって分化は統合へと反転します。
分化・上昇は「進化(エヴォリューション)」、統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれます。

階層・スペクトルの移動は、まず、二元的分裂(上昇・進化)から反転して統合(下降・内化)へと進む、大きなタイムスケールで行われます。
ですが、それと同時に、個人の意識の中での、瞬間瞬間に揺れ動くプロセスもあるのです。

また、意識には階層構造は、決してはっきりと分かれたものではなく、各レベルは重なり合っていて明確に分離できるものではない、と言います。

意識の発達・成長は、特定のレベルに障害があっても、その段階に対応する治療が行われて正常な成長を果たすと、自然に次のレベルに移行します。

ですが、次のレベルの移行には、治療が必ずしも必要とは限りません。
東洋の心理学は、「心」のレベルに関心を集中し、他のレベルの治療には無関心であると言います。

また、あるレベルに対応する心理学や心理療法は、その下位レベル(より成長するレベル)に対して無理解で、それを病的なものと見る傾向があります。
つまり、そのレベルへの、心理的な還元主義の発想があるのです。
このことは、「意識のスペクトル」が、その心理的還元主義を克服する理論として重要な意味があったということでもあります。

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<アートマン・プロジェクトの段階論>

「意識のスペクトル」では、意識の発達は、「プレ・パーソナル」から「パーソナル」、そして、「トランス・パーソナル」へと進みます。
このスペクトル理論では、境界をどこに置くかということを重視していましたので、個人化の前後、つまり、「プレ・パーソナル」なレベルと、「トランス・パーソナル」なレベルが混同されるという難点に対して、十分な記述を尽くしていませんでした。
ウィルバーは、この混同を「前・後の混同(Pre/Post Fallacy)」と呼びます。

そのため、1980年の出版の「アートマン・プロジェクト」では、個人の意識の発達段階の観点から、その違いを明確化して論じました

それに伴って、「進化(エヴォリューション)」、「内化(インヴォリューション)」が意味するものが変わりました。

「意識のスペクトル」では、成長の前半に当たる分化・上昇が「進化(エヴォリューション)」と呼ばれましたが、「アートマン・プロジェクト」では、これは「外向する弧」と呼ばれるようになりました。
「外向する弧」の分かりやすい表現は、英雄物語です。

これに対して、成長の後半に当たる統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれましたが、これは「内向する弧」と呼ばれるようになりました。
「内向する弧」は、聖者の回帰の道です。

  (3つの段階)        (表現・特徴)
1 プレ・パーソナル(潜在意識) :外向する弧
2 パーソナル(自我意識)    :外向から内向への折り返し
3 トランス・パーソナル(超意識):内向する弧

そして、前後半を合わせた成長の全体が、「進化」と呼ばれるようになりました。
これに対して、人の誕生以前のプロセス、輪廻で言えば死後から再生に至るプロセス、宇宙輪的に言えば創造のプロセスが「内化」と呼ばれるようになりました。

ウィルバー自身が書いているように、この言葉の使い方は、オーロビンドと同じです。
ウィルバーは、個人の成長は進化のミニチュアであると考えます。
つまり、個体発生が系統発生を繰り返すという考えがあるように、個人の意識の成長は、進化と同じ様に起こると考えているのです。


「アートマン・プロジェクト」で語られる階層は、語る場面によって分け方の細かさが違いますが、大きくは、次の通りです。

 (レベル)          (特徴)
1 プロレーマ的自己     :自他未分化
2 ウロボロス的自己     :最初の自他分化
3 テュポン的自己      :感覚運動、身体感覚
4 言語的メンバーシップの自己:神話的思考
5 心的―自我的自己     :自我・概念的思考
6 生物社会的帯域      :社会的プログラム
7 ケンタウロス(実存)的自己:人間性・実存派心理学、高次の空想・超言語
8 サトル(微細)自己    :ESP、体外離脱、直観、元型的神
9 コーザル(原因)自己   :無形性、最終神
10 アートマン(真我)    :無形性の中心であり全形象世界

「プロレーマ」はグノーシス主義由来の名称ですが、このレベルは、自他未分化な幼児、絶対的非二元論、原初的楽園の状態です。
ピアジェの「原形質的」な段階、ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「ウロボロス」はノイマン由来の名称という側面が多く、このレベルは、最初の自他分離、自我意識の芽生え、口愛的なレベルです。
ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「テュポン」のレベルは、感覚、感覚運動、身体感覚、快不快のレベルです。
ヒンドゥーの「プラーナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。
また、「中軸的身体・プラーナ」と「中軸的イメージ」の2段階に分けられます。

「言語的メンバーシップ」はカルロス・カスタネダ由来の名称ですが、神話的思考はこのレベルです。
フロイトの「二次過程」、ピアジェの「現実的思考」の段階です。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、このレベルからが当たるとされます。

「心的―自我的」のレベルは、自我、概念のレベルであり、「構文的―メンバーシップ的」とも表現されます。
仏教の「意識」はこれに当たるとされます。

また、このレベルは、「初・中期の自我」、「後期の自我」、「成熟した自我」の3段階に分けられます。
「初・中期の自我」は、男根期、ピアジェの「具体的操作的思考」が当たり、身体の分離・操作が行われます。
「後期の自我」は、思春期、ユングの「ペルソナ」、ピアジェの「形式的操作」が当たります。

次の「生物社会的帯域」の段階は、「意識のスペクトル」でも語られたものですが、「アートマン・プロジェクト」ではほとんど語られません。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、ここまでが当たるとされます。

「ケンタウロス」は、心身の統一を目指すレベルです。
心理学・心理療法では、人間性・実存派心理学、ゴールドスタインの自己実現、ロジャーズの有機体的価値付けなどが、このレベルに当たります。
仏教の「応身」は、ここまでが当たるとされます。

高次の空想、超言語的なものがこのレベルの言語となります。
超言語は、前言語的段階(一次過程)と言語的段階(二次過程)の魔術的総合です。
感覚意識は自我的文化的覆いを取り除かれると、高次の諸エネルギーが流入した超感覚意識になっていきます。

次の「サトル」のレベルは、仏教の「報身」、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」に当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位サトル」は、サイキックな領域であり、アストラルと呼ばれてきた領域です。
「上位サトル」は、インスピレーション、音と光の開示、元型の頂点としての神格、などに当たります。
また、仏教の「末那識」であり、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。

ちなみに、ウィルバーは、「元型」という言葉を使っていますが、これはユングと異なる意味で、「微細な種子的形態」とも表現しています。
これは、ストア派の「種子的ロゴス」、シュタイナーの「霊的原像」、インドの「種子」概念に近いようと思います。
それに対して、ウィルバーは、ユングの「元型」は、魔術的・神話的構造の中にある古代的イメージにすぎないと考えています。

「コーザル」のレベルは、仏教の「法身」であり、ヒンドゥーの「アーナンダマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位コーザル」は、最終神、すべての元型形態の点源です。
仏教の「阿頼耶識」、ヒンドゥーの「サヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされます。
「上位コーザル」は、無形性の領域です。
ヒンドゥーの「ニルヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされまます。

最後の「アートマン」のレベルは、無形性の中心であり、それは全形象世界でもあります。
仏教の「自性身」、ヒンドゥーの「サハジャ・サマディ」はここに当たるとされます。

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<発達の法則>

「アートマン・プロジェクト」の一連の成長は、最初のレベルから最後のレベルまで、同一の法則で行われます。
新しいレベルの構造が自然に浮上し、意識は古いレベルの構造に対して脱同一化します。
そして、新しい構造に同一化し、新しい構造は古い構造を統合します。
統合というのは、古い構造を含み込んで、操作できるようになることです。

「アートマン・プロジェクト」という概念は、意識が究極的なアートマンを実現しようとする衝動を持って成長することを示すものです。
ですが、ここには、2つの傾向があります。

まず、この絶対的な統一を探求するのが、「アートマン傾向(アートマン・テロス)」と呼ばれます。
これに対して、各レベルに制限があって、その中で探求するのが、「アートマン拘束(アートマン収縮)」と呼ばれます。
この両者の妥協、総合が「アートマン・プロジェクト」です。

ウィルバーは、意識の「表層構造」と「深層構造」を区別します。

「深層構造」は、あるレベルを定義づける基本的な構造です。
「深層構造」の変化は、「変容」と表現されます。
つまり、新しい階層の構造が発現することが「変容」です。

「表層構造」は、「深層構造」の一部が発現したものです。
「表層構造」の変化は、「変換」と表現されます。
「表層構造」の「変換」は、学習によってなされますが、「深層構造」の「変容」は、すでに存在するものを「想起」することで行われます。

つまり、新しい階層(上位のレベル)の構造は、下位から作り出されるのではなく、最初から内包されたていたものが現れるだけです。

ウィルバーは、意識の最深層に「基底無意識」があるとし、そこにすべての段階の構造が潜在的に内包されているとします。
そして、その「基底無意識」からまだ浮上していない「深層構造」を「発現無意識」と表現します。
「発現無意識」を「想起」することで、新しい構造が浮上し、それに同一化することができるようになります。


<瞑想と発達>

ウィルバーは、様々な瞑想修行を行った経験があるようです。
いつであるかは知りませんが、ロサンゼルス禅センターの前角禅師のもとで禅を学んだこともりあります。
また、1980年代後半頃だと思いますが、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったこともあります。

ウィルバーによれば、瞑想は、トランス・パーソナルなレベルの発達のための方法です。
彼は、瞑想について次のように書いています。

「瞑想は単に持続された発達ないし成長」
「瞑想とは進化である、それゆえに変容である」
「トランス・パーソナルな領域は実は発現無意識の一部であり、瞑想はその発現を加速するにすぎない」

また、次のようにも書いています。
「瞑想は…現在の変換を行き詰まらせ、新たな変容を鼓舞することを意味する」

つまり、瞑想では、概念的思想を無効にするのですが、ウィルバーは、「心的―自我的」のレベルの概念的思考を止めると、下位レベルへの退行と上位レベルの諸側面の侵入が同時に発生すると書きます。
精神分裂症には、両者の混合が見られますが、統合に失敗して、自我的リアリティに戻ってくることができないと、病的な退行をしていまします。

また、サトル・レベル以上の各レベルに対応する瞑想の種類、病的障害としては、次のような対応があります。

  (レベル)        (瞑想)            (病気・障害)
・下位サトル(応身クラス):ハタ・ヨガ、クンダリニー・ヨガ:霊的体験への執着
・上位サトル(報身クラス):ナーダ・ヨガ、シャブダ・ヨガ :至福体験への執着
・コーザル (法身クラス):ラマナ・マハルシ、禅     :下位構造の残存


<内化>

ウィルバーは、「ヒンドゥー教によれば」と書きながら、オーロビンドのみが主張する「進化」と「内化」の概念を紹介します。
「内化」は、「進化」と反対で、ブラフマンによる現象世界の創造プロセスです。

そして、ウィルバーは、「チベット死者の書」が死後から再生するまでを語るプロセスを、「内化」の過程であると解釈します。
それは、法身の意識状態から、報身、そして、粗大な領域を反映して、テュポンやウロボロスといった身体に束縛されたあり方に向かうプロセスです。

そして、この「内化」の法則は、「アートマン拘束」や「エロス」によって機能するもので、変容が下方に向かいます。

また、「内化」は、人の誕生以前だけではなく、覚醒している時にも、瞬間ごとにその全過程を体験します。
これは「意識のスペクトル」でも語られたことで、また、実際、チベット仏教でも説かれることです。
人は本来的にブッダでありアートマンですが、思考の瞬間ごとに分離した自己となるのです。
これをウィルバーは、「ミクロ発生」と表現します。

ウィルバーは、この時、その人が進化した分だけ想起できると書きます。
つまり、例えば、一般の人は、自我は想起できても、法身の意識は想起できない、ということです。


<インテグラル理論>

「アートマン・プロジェクト」までは、個人の内的な心理・意識を対象にして、その発達・進化を理論化しました。

ですが、「エデンより」(1981)以降、より本格的には「進化の構造(Sex, Ecology, Spirituality)」(1995)以降、ウィルバーは、ホラーキー・システムとしての宇宙、人間、文化の進化と階層を、総合的に捉えて体系化しました。
これらは、「トランス・パーソナル」という領域を越えたもので、「インテグラル(統合)理論」、「AQAL(All Quadrants, All Levels)理論」などと呼ばれます。

この統合理論について、その枠組だけをごく簡単に紹介します。

前提として、ウィルバーは、アーサー・ケストラーの「ホロン理論」に従って、世界の存在を「ホラーキー・システム」であると考えます。
つまり、ある存在は、「ホロン」であり、つまり、独立した全体であると同時に、上位システムの部分です。
ホロンは、水平軸では、全体としての「独立性」と、部分として他の部分との「交流」という2つの動因を持ち、垂直軸では、高いレベルへの「自己超越」と、低いレベルへの「自己崩壊」という2つの動因を持ちます。

そして、ウィルバーの統合理論は、このホラーキー・システムとしての世界を,「レベル」、「ステート」、「象限(クアドラント)」、「ライン」、「タイプ」という5つの観点から捉えます。

「レベル」は、発達段階です。

「ステート」は、発達段階とは別の、瞬間瞬間の意識状態のことです。
例えば、一日の中で循環する覚醒、夢見、熟睡の3状態です。
「永遠の心理学」がそうであるように、統合理論では覚醒以上に、熟睡の意識状態を重視します。

「象限」は、思考、感情、感覚などの「個人の内面」、行動、身体、脳・神経など「個人の外面」、文化、相互理解などの「集団の内面」、社会制度、物理的環境などの「集団の外面」という4つの領域です。
この4象限あることで、「トランス・パーソナル」を超える観点を獲得することになります。
人間の進化は、個と集団が相補的に影響し合いながら進むと考えます。

「ライン」は、認知、自我、感情、世界観、実存、スピリチュアリティ、セクシュアリティ、ジェンダー、経済、科学などの発達の領域です。

「タイプ」は、性格や行動傾向の類型のことです。
例えば、ユング系のMBTIの16タイプや、エニアグラムの9タイプなどです。

以上の5つの観点から万物、つまり、個人と社会、歴史などをトータルに捉えるのがウィルバーの統合理論です。

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<ケン・ウィルバー思想の評価>

心理学・心理療法が、東洋の諸宗教・神秘主義思想を十分に理解しない状況があったのに対して、ウィルバーの理論が、その意味を西洋人に分かりやすく説き、位置づけたことは評価すべきでしょう。

一方、東洋の諸宗教・神秘主義思想の中にある、現世否定や一面的な価値観に対して、総合的な発達という観点を重視したことも、現代的で評価できます。

ですが、ウィルバーは、「永遠の哲学」という観点から様々な宗教思想・神秘思想を捉えて、自身の思想の根拠とします。
そのために、諸思想の差を見ずに、強引に、彼自身の観点から同一視することになってしまいがちです。

ウィルバーが、東洋宗教の霊的な道と進化を結びつけるのは、インドの伝統ではなく、神智学やオーロビンドのような西洋の思想を取り入れた思想の系譜のニュー・ヴァージョンであると言えるでしょう。
そのため、ウィルバーは、進化を認めず、堕落論的な宗教思想に対しては、「回顧的浪漫主義者」であると批判します。

ウィルバーの思想は、「原初の智恵」と「永遠の哲学」の違いはあれ、一つの普遍的な伝統を根拠にする点で、ブラヴァツキーの神智学と同じです。
その意味で、ブラヴァツキーの神智学が「近代神智学」の代表とすれば、ケン・ウィルバー理論は「現代神智学」の代表であると捉えることもできるのかもしれません。
ちなみに、ウィルバーは神智学に関しては、ほとんど言及しません。

ウィルバー理論では、あらかじめ基底無意識に、進化・成長のすべての構造が内包されていると考えます。
彼は、「永遠の哲学」がそう考えるからそうなのだと語りますが、実際には、発達心理学的な発想から来ているのではないでしょうか。

また、ウィルバーは、成長・進化のレベルに対して、仏教の言葉の「応身」→「報身(末那識)」→「法身(阿頼耶識)」を当てはめます。
ですが、これはかなり適当です。

仏教においては、「応身」、「報身」、「法身」は仏になって初めて獲得できる身体です。
「死者の書」に即して言っても、例えば、バルドで法性の光を体験しますが、その本質を認識しない限り「法身」を獲得することはできません。
次のバルドでも、「報身」(のイメージ)を見ますが、その本質を認識しない限り「報身」を獲得することはできません。
「報身」を見ている者が持っているのは「意成身」にすぎません。

それに対して、「末那識」や「阿頼耶識」は、これらと違う煩悩性のもので、決してウィルバーの言うようなトランス・パーソナルなものではなく、単に潜在意識です。

ちなみに、ウィルバーは、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったことがあるにも関わらず、後期密教やゾクチェン、マハームドラーのような高度な仏教の思想を取り入れることはなかったようです。

ブラヴァツキーの神智学や後期密教などをしっかり吸収しないかぎり、本当の意味で現代的な神智学とは言えません。

一方、ウィルバーの思想が、過去の神秘思想と類似する興味深い点は、次の点です。

ウィルバーの理論では、成長の前半と後半、つまり、プレ・パーソナル段階とポスト・パーソナル段階が、パーソナルな自我段階を折り返しとして対称的な構造があります。

こういった対象性は、新プラトン主義のプロクロスや、シュタイナーのような、西洋の神智学に見られるものです。
特に、順次下位レベルを意識化することで上位レベルの意識が生まれるとする点で、シュタイナーと似ています。
posted by morfo1 at 09:00Comment(0)現代