修験道の柱源法流と慧印法流


長年の間、秘伝とされてきた修験道の教義ですが、その内容は、密教と本覚思想をベースにしながらも、密教を超えようとするものです。

密教が象徴を利用する「有相の三密」による「即身成仏」を主張するのに対して、修験道は象徴を超えた「無相の三密」による「即身即身」、「本有の無作」を主張します。

このページでは、修験道の基本的情報と、台密系本山派の柱源法流と、東密系当山派の慧印法流の教義・儀礼について紹介します。


<修験道の成立>

修験道は、古来の山岳信仰(山中他界観念、山の神信仰など)に、神仙思想や陰陽道などの道教系の思想、雑密の陀羅尼信仰や法華信仰などの仏教、巫覡信仰などが折衷的に習合して生まれました。

秦氏などが持ち込んだ新羅系の山岳宗教(弥勒信仰、花郎道などを含む)の影響も大きく、北九州の彦山などで早くから修験道の原初的形態が始まったようです。

近畿では、葛城山、金剛山、吉野、大峰、熊野などで始まりました。

修験道は、葛城山で活動した役小角を開祖とし、竜樹菩薩が彼に秘密灌頂を与えたことが始まりであるとされるようになりましたが、実際には、役小角は仏教よりも道教寄りの修行者だったようです。

平安時代には、真言宗の高野山と天台宗の比叡山の開山によって、密教の修行僧が増加しました。
そして、東密(真言密教)や台密(天台密教)が修験道に理論を提供するようになります。

天台宗では、智証大師こと円珍(814 - 891)が大峰、葛城山で修行し、後の「本山派」では、智証大師を祖とし、彼が不動明王から「柱源法流」を授かったことを始まりとします。

その後、熊野では、熊野三社が大きな勢力になり、また、寺院では三井寺が拠点となりました。
11C末には、白河上皇の熊野詣を契機にして、増誉が先達を務め、円城寺が熊野の修験道を統括するようになりました。
そして、14Cに天台寺門派による「本山派」が宗派として形成されました。

一方、真言宗では、小野派の聖宝尊師(832 - 909)が大峰で修行して「慧印法流(最勝慧印三昧耶法流)」を興しました。
後の「当山派」は、聖宝尊師を祖とし、彼が竜樹菩薩から895年に「慧印法流」を授かったことを始まりとします。

その後、吉野では金峰山が弥勒下生の地とされ、金峯山寺が大きな勢力になりましたが、三十六カ寺もそれぞれに拠点となりました。
そして、14Cに、醍醐寺の三法院の管轄下に入り、真言醍醐派による「当山派」としてまとまりました。
また、15C初頭の満済の頃に、「慧印法流」が整えられました。

このように、修験道は、室町時代には、仏教を中心にした教義、修行儀礼、組織を持つ集団として確立されました。
両派は、全国の修験道の取り込みを行い、大きな影響を与えました。

 (派) (山) (宗派) (祖) (主な法流)
・当山派:吉野:真言醍醐派:聖宝大師:慧印法流
・本山派:熊野:天台寺門派:智証大師:柱源法流


<思想・教義>

修験道では、山中を浄土(観音浄土、弥勒浄土)や、両界曼荼羅に見立てて回峰行を行います。

大峰山系では、吉野よりの北側が金剛界曼荼羅、熊野よりの南側が胎蔵界曼荼羅に見立てられました。
また、熊野から吉野への道は順峰(仏に至る道)、吉野から熊野への道は逆峰(衆生への道)とされました。

一方、葛城山系は、法華経の二十八品に対応されました。

峰入りは季節ごとに行われます。
「春の峰」は山遊び、「夏の峰」は祖霊に会うこと、「秋の峰」は死と再生、「冬の峰」は山の神と会うことを特徴とします。

また、春・夏・秋の三峰修行の一巡が一阿僧祇劫に当たるとし、3年で成仏できるとします。

最も重要な秋の回峰の修行は、「十界(地獄界~仏界)」を巡りながら、死と再生を経て仏になるプロセスとされました。
最後には、重要な儀式として、灌頂が行われました。

吉野の金峰山の守護神は役小角が顕した金剛蔵王権現です。
この尊格は、釈迦、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体して忿怒尊のなったものです。
熊野の守護神は熊野十二所権現とされます。
この尊格は、熊野三所の権現で、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音の垂迹神です。


修験道の教義や実践は、基本的に秘伝であり、近年に至るまで公開されませんでした。
他の神秘主義の秘伝と同様に、その衰退、消滅を恐れて、一部、公開させるようになりました。

ですから、以下に記すものも、限定されたものですし、どの部分がいつ確立されたものであるか不明です。

修験道の思想は、基本的に仏教によって体系化されています。
特に、東密、台密、そして、その背景になっている如来蔵思想(本覚思想)です。

密教は、三密という形のある象徴を使うことが修行の基本となります。
ですが、生まれながらの(本有の)あるがままを重視する如来蔵的思想を突き詰めると、象徴を超える、あるいは不要とされるようになります。

空海には、真言と印と形像の観想からなる普通の三密である「有相の三密」とは別に、日常であらゆる行為が仏にあったものとなる「無相の三密」という考え方がありました。

密教が「有相の三密」であるのに対して、修験道(験乗)は「無相の三密」を基本とします。

ですから、例えば、修験道の念誦は、真言を唱えない呼吸法(修験数息観)となります。
具体的には、呼気を阿字と観じ、吸気を吽と観じ、自分をバン字と観じ、これを秘密の真言(ア・バン・ウン)とします。

そのため、「即身成仏」とは言わず、「即身即身」と言い換えます。

また、「無相三密」は、「本有無作」などとも表現されます。
「本有無作」は、「自然智」を行為にまで落としたものとも言えます。

ですが、実際には、「本有無作」の教義を象徴的する、あるいはそこに導く様々な儀礼的所作を行います。

また、大日如来は「三身即一」で「六大縁起」として捉えられています。
このように、空海の言う「六大」が相互に作用しあう「六大縁起」を重視するのも特徴です。


以上、象徴主義を乗り越えて「本有」の「無相」を重視しようとする点は、インドにおいて、密教からゾクチェンやマハームドラーが誕生した潮流と同様です。

死・再生を成仏プロセスにするというのは、後期密教と似ています。
ですが、気(プラーナ)の操作がない点では異なります。

また、その再生の時に、父母の赤白二水(精液)と胎児(識、本覚)という3者(ア・バン・ウン)を重視する点でも後期密教に似ています。
ですが、やはり、心滴(ティクレ)という概念がない点で異なります。


<十界修行>

先に書いたように、大峰の秋の回峰の修行は、「十界」を巡りながら死を経て再生して仏になるプロセスとされました。

「十界」に対応する主要な修行内容は、流派などによって異なりますが、「柱源法流」では、以下の通りです。

 (界)  (修行)
1 地獄:業秤(丸太を秤にして吊るされて業の重さを秤る)
2 餓鬼:穀断(断食をする)
3 畜生:水断(飲水を断つ)
4 修羅:相撲(三毒を見つめ、相撲を取っもて結果を恨まない)
5 人間:懺悔(懺悔をする)
6 天 :延年(寿命延年の伎楽)
7 声聞:比丘形(四諦観、五停心観、四念住)
8 縁覚:頭襟形(十二因縁観)
9 菩薩:代受苦行(無相の六度、菩薩の十の誓い、本有無作の灌頂)
10 仏 :正灌頂(床堅・手一合)、柱源護摩

9の「無相の六度」は、通常の「六波羅蜜」である「有相の六度」の修験道版です。
「六波羅蜜」は「六大」と対応していて、六大法身の働きの中に「六波羅蜜」が顕れ、それが衆生身に実現していることを悟るものです。

「本有無作の灌頂」は、阿字不生の境地で、色法を法身、心法を報身、色心不二を応身として、自分が仏であると悟るものです。

10の「正灌頂」では、獅子乗座(悟りを得た仏の座)で、自身を両部不二のバン字の卒塔婆と観じて「本有無作」、「即身即身」を悟ります。
これは「十界」がすべて本覚から離れていないことを悟るものでもあります。

「正灌頂」と合わせて「柱源護摩」が授けられますが、これは後述します。


<柱源法流>

「本山派」の「柱源法流」は、次の四種の行儀で構成されています。

 (行儀) (場面)(内容)
1 生起行儀:受胎:閼伽
2 胎内行儀:胎内:本有印、手一合
3 胎外行儀:出胎:床堅
4 死滅行儀:死 :採灯(護摩)

「生起行儀」の「閼伽(水の意味)」では、二本の乳木(護摩の薪)を水輪に立てます。
これは父母の和合の赤白二水であり、金剛界と胎蔵界の不二、阿吽の象徴です。
赤白二水は、命息(気?)でもあり、天地の二気でもあります。
この和合によって、修行者は「受胎」し、「識」の作用が始まります。

この「閼伽」には別の方法もります。
それは、桶から水を汲んで地に注ぐというものです。
この水は、バン字であり、金剛界の智水と胎蔵界の理水であり、父母の和合の二水です。
これを注ぐことは煩悩を洗い流すことを象徴し、それによって五智が顕れます。

「胎外行儀」では、胎児の生育の五段階を象徴します。
胎児自体は、「本有無作」の象徴であり、それを印と真言によって示します。

「胎外行儀」の「床堅」では、獅子乗座で、「自身即五輪塔」、つまり、自身を五大を象徴する五輪塔(体の各部が五大に対応する)であると悟ります。
また、呼吸が阿吽の真言となり、自身は両部不二のバン字であり、こうして「ア・バ(ン)・ウン」という秘密真言となります。

「床」は、両部曼荼羅を象徴し、自身の心を「十界」の凡夫と聖者が同居して一体であると悟ります。
「堅」は、堅固な法身仏を象徴し、自分の色心がその働きの五大であると悟ります。

「死滅行儀」では、五大の分解によって死を体験します。


次に、「正灌頂」の時にも合わせて授けられる「柱源護摩」ですが、次の5段階から構成されます。

(次第) (対応行儀)  (内容)
1 導入:  ―  :法螺の音で煩悩を消す
2 床堅: 胎外  :成仏の可能性を確信する
3 柱源:胎内・生起:父母の交わりによる受胎
4 護摩: 死滅  :煩悩を焼却して大日如来として再生
5 終結:  ―  :中央の柱を合掌した指にはさみ、大日如来であることを確認

「柱源」は、水輪上に3つの柱を立てて行う儀礼ですが、次のような次第で行われます。

・水輪に水を入れる:天地の水が交わって、父母が生じることの象徴
・二本の乳木(栗・柳)をはずして重ねて虚心合掌にはさむ:父母(金剛・胎蔵両界)の交わりで胎児(本覚)を受胎することの象徴
・中央の柱(閼伽札)に供物を捧げる:胎児の育成の祈願

つまり、修行者自身が、本覚を本質とする胎児の象徴である中央の柱として再生したと観じるのです。


<慧印法流>

「慧印法流」の加行は、「七壇法」と「極壇護摩供」です。

「七壇法」は、それぞれが十八道立てで、7つの尊格に対して順に、金剛界・胎蔵界の順逆の峰を行います。
この加行は、加行であっても、「本有無作」を悟ろうとするものです。

潅頂である「慧印潅頂」は、次の3つで構成されます。

1 滅罪灌頂:4つの印と共に業障を取り除く
2 覚悟灌頂:無明を悟り成仏を目指す
3 伝法灌頂:三身の如来の秘印を受けて理智不二を悟る

「滅罪灌頂」では、招罪印で罪を招いて、摧罪印でそれを破壊し、業障除印で業障を除き、成菩提心印で菩提心を起こし、本尊除一切悪趣菩薩根本印で悪趣の業障を消滅させます。

「覚悟灌頂」では、覚台に上って曼荼羅に入ったと観じます。
そして、入門の印明で仏の菩提に入り、合門生印明で如来と凡夫が一体になったと観じ、法界塔印で理智不二になったと観じます。

「伝法灌頂」の後に「五重の口訣」によって空性を体得して、「本有無作」の無相を悟ります。
「慧印法流」は、空性を重視するのが特徴です。

posted by morfo1 at 09:21Comment(0)日本

空海の思想


空海の歩みと山岳仏教・神仏習合の潮流」、「真言乗と真言宗」に続くページです。

一般に、空海の思想として語られるもののほとんどは、中期密教の思想です。
それは「大日経」と「金剛頂経」の思想、そして、両界を不二とする思想です。

初めて密教が持ち込まれた時代ならそれでも良いのでしょう。

ですが、後期密教を知る現代の我々からすれば、それでは未発達な密教だとか、あれが足りないこれが足りないとかしか思えません。

このページでは、中期密教の標準的思想とは異なる、空海独自の思想は何か、という見方を重視しつつ、空海の思想を考えます。


<最初のまとめ>

空海の思想として語られるものには、密教以前からのもの、中期密教のもの、独創によるものの3種があります。
それらを最初に簡単にまとめてみましょう。

まず、密教以前からの仏教と共通する部分です。

例えば、すべての人間は仏性を持っている(一切衆生悉有仏性)は、如来蔵系の仏教に共通する考えです。
草も木も成仏している(草木国土悉皆成仏)は、中国、日本の多くの宗派に共通する考えです。
心と体は一体である(色心不二)は、天台宗などにもある考えです。 


次に、密教に共通する部分です。

例えば、「法身」が説いた密教は顕教よりすぐれている、「真言」や「曼荼羅」は真実を表現できる(果分可説)、世界は大日如来の現れである、「三密加持」によって現世でこの身のままに成仏できる(即身成仏)、などです。
あるいは、世界は波動(響き)であり、元型的な文字(種子真言)から生まれたものであり、象徴的な言語である、などです。
これらの中には、密教に限らず、インドのタントリズムや世界の神秘主義思想、神秘主義言語論の多くに共通する考えがあります。


最後に、空海独自の思想、あるいは、空海が独自に強調をしたと思われる部分です。

世界や仏が「六大」できている、仏身はすべて「法身」である(四種法身説)、「加持」は仏と衆生の両方の行為である、現象世界も「曼荼羅」であり、日常の行為も「三密(無相の三密、本有の三密)」である、などです。

最後の空海独自の思想に関しては、以下に詳細を書きます。


<三教と二教>

空海は、その生涯の中で、諸宗教、仏教諸宗派を比較した教相判釈的な論書を何冊か書いています。
「聾瞽指帰(三教指帰)」、「弁顕密二教論」、「秘蔵宝鑰」、「秘密曼荼羅十住心論(以下、十住心論)」などです。

「聾瞽指帰」は仏教と他の宗教との比較、「弁顕密二教論」は顕教と密教の比較、「秘蔵宝鑰」と「十住心論」は諸宗教・宗派と対応した10段階の精神を比較したものです。

797年に空海が最初の書いた書「聾瞽指帰」では、儒教、道教、仏教の三教を比較し、仏教を最高の思想としました。

ですが、孔子や老子は、釈迦が中国に派遣し、人々のレベルに合わせて教えを説いたものであると書いています。
つまり、三教を単に区別し、優劣づけるのではなく、仏教で他を包括する三教斉合、法界一味の観点を示しているのです。

この書を書いた時点で、空海はすでに密教と出会ってはいましたが、密教については書いていません。
そして、釈迦が後を任せた弥勒菩薩のいる兜率天へ行きたいが、どの道をたどればよいか分からないと書いています。
つまり、空海は、まだ、確信できる道を見出していなかったのでしょう。


著作年は不明ですが、帰国後に空海が著した「弁顕密二教論」は、密教と顕教の二教を比較した書です。
ここで、空海は、密教が顕教とは次元が違う優れた教えであると書き、それを日本の仏教界や朝廷に向けて明確に主張しました。

この書は、「釈摩訶衍論」などを根拠とし、顕教を「応・化身」による随機の説法、密教を「法身」の内証智の説法であるとします。

そして、顕教は真実の世界は言葉で表現できない(果分不可説)としているけれど、密教は真実そのものを説く(果分可説)のです。

・顕教:応化身の随機の説法、果分不可説
・密教:法身の内証智の説法、果分可説 

「果分可説」な「言語」は、特別な「言語」です。
密教において、真実を説く言葉は、真言、陀羅尼であり、曼荼羅です。

空海は、
「真言教法は一一の声字、一一の言名、一一の句義、一一の成立、各々、無辺の義を具せり」
と「秘蔵宝鑰」で書いています。

密教の「言語」は、普通の意味レベルから見れば、多義的なのです。

また、空海は、「梵字悉曇字母ならびに釈義」で、梵語、梵字は「自然道理の所作なり」と書いています。
ですから、真言・陀羅尼は翻訳しては意味がなく、原語で発音しなければいけないのです。
そのため、空海はサンスクリットの勉強を重視しました。


<十住心>

引き続いて、空海が著した教相判釈的な論書に関してです。

空海は、830年に、淳和天皇が各宗派に宗旨をまとめるように命じたことに応じて、「秘蔵宝鑰」を著し、合わせて「十住心論」も著しました。

両書は、各宗教・宗派に対応させて心のあり方を10段階(十住心)に分けて比較したもので、「大日経」巻第一の「住心品」(心の差別の章)を根拠としています。

「秘蔵宝鑰」は略本、「十住心論」は広本とされます。

また、「秘蔵宝鑰」は、十住心を区別して優劣をつけたもの(浅略釈)で、「九顕一密」と表現されます。
それに対して、「十住心論」は、他の九住心に関しても密教を見出す解釈(深秘釈)を合わせたもので、「九顕十密」と表現されます。

つまり、「聾瞽指帰」が仏教で他教を統合していたように、「十住心論」は密教で他を統合しているのです。

十住心は下記の通りです。

(住心名) (宗教宗派) (特徴)
1 異生羝羊心:教乗起因:動物的な本能、三悪趣
2 童持斎心 :人乗  :倫理、仏教の戒
3 嬰童無畏心:天乗  :宗教心
4 唯蘊無我心:声聞乗 :無我を知る
5 抜業因種心:縁覚乗 :無知を取り除く
6 他縁大乗心:法相宗 :利他の心を持つ
7 覚心不生心:三論宗 :一切は空であると知る
8 一道無為心:天台宗 :一切は清らかであると知る
9 極無自性心:華厳宗 :一切は無自性で互いに浸透していると知る
10 秘密荘厳心:真言宗 :曼荼羅の展開

1の教乗起因は、倫理以前の心です。
2の人乗は、儒教などが対応します。
3の天乗は、天に生まれ変わる教えで、バラモン教、ヒンドゥー教、道教などが対応します。

また、1~3を世間の心、4・5を小乗、6・7を菩薩乗(権大乗)、8・9を仏乗(実大乗)、10密蔵(真言密教)とします。

そして、第十住心は、「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝たちまちに陳じて、万徳すなわち証す」と説明されます。
つまり、密教は創造的なのです。

ちなみに、十住心は胎蔵界曼荼羅の区画には対応があり、1~3が最外院、4・5が釈迦院、6~10が中台八葉院の五仏四菩薩となります。


<十巻章>

真言宗では、真言教学の体系を説いた主要書を「十巻章」としてまとめています。
「弁顕密二教論」二巻、「秘蔵宝鑰」三巻、「即身成仏義」、「声字実相義」、「吽字義」、「般若心経秘鍵」(以上、空海著)、「発菩薩提心論」(龍猛菩薩著)です。

そして、この中の「即身成仏義」が身密、「声字実相義」は語密、「吽字義」は意密に対応するとされます。
この三書は、いずれも819年頃に著されました。

「吽字義」は恵果の口説に基づくとされますし、特徴的な内容の書とも思えないので、以下、「即身成仏義」と「声字実相義」について紹介します。


<「即身成仏義」と身体論>

「即身成仏義」は、空海の特徴的な思想を最も表現していて、彼の主著と言っても良いでしょう。

「即身成仏」という言葉は、龍猛菩薩著・不空訳の「菩提心論」に、「真言法の中にのみ即身成仏する」として現れます。
また、「即身成仏義」は、「大日経」や「金剛頂経」を引用して論を進めます。

密教は、現世のこの身のままに素早く悟れると説きます。
これが「即身成仏」の一つの意味です。

また、密教は、空の知恵によって「法身」を得るだけではなく、心身を消滅させずに「報身」、「応身」に変化させることを目指します。
このように理論化される前であっても、身体を否定しませんが、これがもう一つの「即身成仏」の意味のはずです。

さらに言えば、密教も空海も、如来蔵思想を継承しています。
つまり、衆生は本来悟っている、仏であるということです。
これは意識・心に関してはよく言われますが、身体に関しても同様ならば、「本来この身が仏」であるはずです。

実際、空海は、「即身成仏義」で、
「仏身即ちこれ衆生身、衆生身即ちこれ仏身、不同にして同、不異にして異である」
と書いています。

ですから、「即身成仏」にはこの意味もあるはずです。
つまり、「即身成仏義」とは、「いかにこの身のまま成仏するか」だけではなく、「いかにこの身が本来、仏なのか」でもあるはずです。

一般に密教では、後期密教でも、そのような説き方をしません。
ですが、空海が「即身成仏義」で書いていることは、そういうことでしょう。


「即身成仏義」の主張は、次の頌に集約されます。

 六大無礙にして常に瑜伽なり (体)
 四種曼荼羅、各々離れず   (相)
 三密加持すれば、速疾に顕わる(用)
 重重帝網なるを即身と名づく (無礙)

 法然に薩般若を具足して
 心数心王、刹塵に過ぎたり
 各五智無際智を具す
 円鏡力の故に実覚智なり   (成仏)

前半の4行は、身体に関して「即身」を表現するもの、後半4行は、心や智に関して「成仏」を表現するものです。
この前半の4行に特徴があります。

「体」は本体、「相」は性質、「用」は働きを意味し、中国仏教に特徴的な基本概念です。
「身」を「体」、「相」、「用」の観点から説明しています。
そして、「無礙」として書かれた内容は、結論としての「即身」の本質です。


「体」を説明する行の「六大」は、地・水・火・空気・虚空の「五大」に「識」を加えたものです。
空海は、「六大」を「大日経」と「金剛頂経」に求めます。
ただ、説一切有部にも「六大」の考え方があります。
ですが、空海が説く「六大」は独創的です。


物質的な元素と精神的なものを同列にすることは、空海の「色心不二」の思想を表現しているのでしょう。

また、「六大はよく一切の仏…を造す」と解説するように、「六大」は物質的を作る粗大元素を意味するだけではなく、仏をも作っているような本体的要素です。
ですから、「六大」は単なる素材ではなく、創造的な力です。

後期密教では、元素を粗大/微細/極微(本質的)と階層化しますが、元素が仏を作るという考えは空海の独創かもしれません。

また、空海は、この「体」を説明する中で、「四種法身」という言葉を使っています。
「自性法身」、「受用法身(報身)」、「变化法身(応身)」、「等流法身(神や鬼神など相手に応じて現れる身)」です。

一般に密教では仏身に関して三身説で考えることが多いですが、空海は四身で考えることが多く、しかも、驚くべきことに、すべてを「法身」と表現しているのです。
すべてを法身の現れとする世界観を強調した表現です。
「法身」でない仏身をいちいち「法身」と表現するのは、空海の独創かもしれません。

ちなみに、空海の法身論に関して付け加えるなら、「大日経開題」で、「自性法身」を「本地法身」と「加持身」に分けています。
「本地法身」が永遠に沈黙している法身であるのに対して、「加持身」は説法し加持を行う法身です。
この表現も空海の独創かもしれません。


「相」を説明する行の「四種曼荼羅」は、先に書いた通りです。
「大日経」は、「四種曼荼羅」を構成する字・印・形像・威儀事業のそれぞれを、「秘密身」であるとします。
それらは、「身」なのです。

空海は、それぞれを「大曼荼羅身」、「種子曼荼羅身」、「三昧耶曼荼羅身」、「羯磨曼荼羅身」と表現し、「曼荼羅身」であることを強調します。
それぞれの「秘密身」が「曼荼羅身」であるとは、個々の「字」、「印」、「形像」、「威儀事業」が、他と「離れず」な状態にあるということです。
このように、空海は、「曼荼羅」という言葉を、華厳的な意味で使うことが多いようです。


「用」を説明する行の「三密加持」について空海は、次のように説明します。

「一一の尊等しく刹塵の三密を具して、互相に加入し彼此摂持せり。
衆生の三密もまたかくの如し。故に三密加持と名づく。
…故に、早く大悉地を得る」

仏の「三密」と衆生の「三密」が互いに映し合うのが「三密加持」であり、それゆえに速く成仏できるのです。

「加持」という言葉は、密教では本来、仏が衆生に力を与えることを意味します。
ところが、空海は、衆生が仏の力を保持すること、あるいは、仏に力を与えることも含めて、衆生の側の行為としても「加持」という言葉を使います。


結論としては、あらゆる「身」が、その「体(六大)」、「相(四曼荼羅身)」、「用(三密)」が、「四仏身」が、「仏身」と「衆生身」が、重重帝網であること、つまり、互いに浸透して映しあった相入相即の状態であることが、「即身」なのです。

「無礙」を説明する行では、結論として、あらゆる「身」が、その「体(六大)」、「相(四曼荼羅身)」、が、「四仏身」が重重帝網です。
そして、「身」の「用」が三密加持すれば、「仏身」と「衆生身」が、重重帝網となります。
この重重帝網な、互いに浸透して映しあった相入相即の状態が、「即身」なのです。

それが、本来的(法然)に智の状態である「成仏」と一体の前提なのでしょう。


<「声字実相義」と言語論>

「声字実相義」は、「大日経」と「大日経疏」などを根拠としているとされます。

「大日経」の「具縁真言品」における真言の相を解釈して、「大日経疏」巻七に、「如来の一一の三昧門の声字実相は有仏無仏法として是の如くなるが故に」と説かれています。

「声字実相義」の主張は、次の頌に集約されます。

 五大は皆な響き有り
 十界に言語を具す
 六塵は悉く文字なり
 法身は是れ実相なり

空海は、表題について、
「内外の風気、わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声といふなり。…声おこって虚しからず。必ず物の名を表するを号して字といふなり。名は必ず体を招く、これを実相と名づく。」
と解説しています。

つまり、「声」とは音のことで、「字」とは名、つまり、「言語」の形象的表現のことで、「実相」とは「言語」の意味のことです。
ですが、空海が言う「言語」は、一般に使われる意味での「言語」、つまり、特定の社会で共有される意味内容・意味表現を持ったものではありません。

「必ず」と書いているように、すべての音が、「言語」の表現となり、意味を持つのです。

さらには、「六塵は悉く文字」なので、「言語」を表現するのは、聴覚的な「音」や視覚的な「字」だけではありません。
「六塵」というのは、5つの感覚対象と思考対象です。
これらが「言語」の意味表現となるということは、臭いも味も「言語」となるのです。

ですから、すべての対象領域で、存在が「言語」なのです。
このような、すべてが「言語」という世界観は、世界的に他にも存在しますが、空海にも特徴的な思想です。


「十界」とは、地獄や畜生から仏の世界までを指します。
それらそれぞれが「言語」を持つ、あるいは、「言語」であるということは、「言語」のあり方には様々な次元があって、動物的な「言語」から仏の智恵の「言語」までがあるということでしょう。

そして、次のように、空海は説明します。
「仏界の文字は真実なり。…梵には曼荼羅といふ。…すなはち、真言と名づくるなり」

つまり、仏の真実を表現する言葉は、「真言」であり「曼荼羅」なのです。

また、次にようにも書きます。
「いはゆる声字実相とは、すなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり」

すべてが「言語」であり、それが「三密」であるとは、どういうことでしょう。

空海は、「三密」には、2種類の「三密」があると言います。
普通に言う「三密」は、言語を真言とし、行為を手印とし、心に仏の形像などを観想することですが、これを「有相の三密」と言います。
これに対して、そのような形式を持たず、日常の言語、行為、心が仏に適うものになる(清浄なものになる)ことを、「無相の三密」と言います。
如来蔵的に言えば、これは「本有の三密」となります。

「無相の三密」は、おそらく「大日経疏」を論拠にして空海が概念化したものではないでしょうか?
密教は「三業」を「三密」へと浄化する思想ですが、「無相の三密」はあくまでも清浄なものであって、煩悩を認めるはけではありません。
「無相の三密」は、象徴を越えているので、その意味で密教を越えていて、ゾクチェンや南宋禅に近い方向性があります。


すべてが「言語」であるということは、それが「無相の三密」であるということでしょう。
そして、それが「衆生本有の曼荼」ということは、衆生が本来、仏であり、それが「本有の三密」であるということでしょう。


最後に、「法身は是れ実相なり」とあります。
つまり、それらはすべては、「法身」の現れなのです。

posted by morfo1 at 08:19Comment(0)日本

真言乗と真言宗


空海の歩みと山岳仏教・神仏習合の潮流」に続くページです。

空海が招来した「真言宗」は、中国で生まれた思想に、空海が命名して宗派としたものであり、「真言乗」の中の一宗派です。

「真言乗」は、空海以前に、最澄が日本に持ち帰りました。

このページでは、「真言乗」と「真言宗」について、簡単にまとめます。
その中で、空海と最澄との関係、インド、中国、空海の両界曼荼羅とその行法などについても触れます。


<真言宗と恵果>

「真言宗」は、「大日経」と「金剛頂経(真実摂経)」を不二として統合する立場の宗派です。

この思想が誰によって作られたかについては、諸説があります。
恵果という説、その師の不空三蔵という説、あるいは、インドですでにあったという説。
おそらく、徐々に形成されてきて、恵果によって大成されたのでしょう。

ですが、両経典は、もともとそのような意図で作られたわけではありません。

恵果は、「大日経」をインド僧の善無畏三蔵の弟子の玄超から、「金剛頂経」はインド僧の不空三蔵から伝授されました。

・大日経 :善無畏三蔵→玄超  →恵果→空海
・金剛頂経:金剛智三蔵→不空三蔵→恵果→空海

そして、空海がこれを継承して日本に持ち帰り、「真言宗」と命名しました。


<真言乗と真言宗>

日本の伝統的な密教史の区分では、「大日経」や「金剛頂経」より前の密教を「雑密」と呼び、以降の密教を「純密」と呼びます。
「純密」は、大日如来を主尊とし、主に成仏を目指す、体系化された密教です。

また、学問的な密教史の区分では、「雑密」を「初期密教」、「純密」を「中期密教」、そして、日本に招来されなかったその後の密教を「後期密教」と呼びます。

インドの伝統的な密教史の区分は、「クリヤー・タントラ」、「チャリヤー・タントラ」、「ヨガ・タントラ」、「マハーヨガ・タントラ」、「ヨーギニー・タントラ」という5段階とされ、「大日経」は2段階目、「金剛頂経」は3段階目に当たります。

 (インドの区分)   (日本の区分)
・クリヤー・タントラ :雑密・初期密教
・チャリヤー・タントラ:純密・中期密教 ⇒大日経
・ヨガ・タントラ   :純密・中期密教 ⇒金剛頂経
・マハーヨガ・タントラ:後期密教
・ヨーギニー・タントラ:後期密教

ですから、段階の違うこの二経典を不二統合とする考えは、インドにもチベットにも、ほとんどありません。
チベットで不二統合と言えば、「マハーヨガ・タントラ(父タントラ)」と「ヨーギニー・タントラ(母タントラ)」を統合する「不二タントラ」です。

「真言乗(マントラ・ヤーナ)」という言葉は、密教全体について使える言葉です。
ですが、インドの第3段階以降の「金剛頂経」系の密教については、「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」と表現します。

ですからこのページでは「真言宗」という言葉は、両経を不二とする恵果、空海らの宗派について使い、「真言乗」という言葉は密教全体について使います。


<真言乗と最澄>

「純密」段階の「真言乗」を正式に、最初に日本に招来したのは、空海ではなく最澄です。
彼は、インド僧の善無畏の法系を継ぐ順暁から、金剛界系の灌頂(五部灌頂曼荼羅壇)を受けて経典などを持ち帰りました。

そして、806年、桓武天皇は、天台法華宗に、「大日経」を学ぶ「遮那業」と、「摩訶止観」を学ぶ「止観業」の年分度者(国が割り当てる出家得度者)を各一名、公認しました。
つまり、最澄の「真言乗」を国家として公認したのです。

天台宗は法華一乗の立場から仏教諸派を統合する思想を持っています。
ですが、中国の天台宗は、そこに密教を含んでいません。
最澄は一行の「大日経疏」を読んで、天台と真言乗の一致を確信していたため、密教を統合すべきものと考えていたのです。

ですが、最澄が順暁と出会ったのは帰国直前であり、彼が持ち帰った密教は不十分なものでした。
彼は空海の「請来目録」を見て驚き、空海の助けを得て、天台の密教(遮那業)を完全なものにしようとしました。

809年、嵯峨天皇が即位して、空海が上京すると、最澄は高雄山寺へ空海を誘い、空海から経典の借り受けを始めました。
最澄は、身分も歳も空海より上でしたが、空海の書状に「永世弟子最澄」と記したように、密教に関しては空海には礼を尽くし、弟子として接しました。

そして、812年に、空海から両部の受明灌頂を授かりましたが、伝法灌頂は受けられませんでした。

そして、翌年、最澄が「理趣釈経」などを借り受けようとした時、空海はこれを拒否して、二人の関係は途絶えました。
空海からは、最澄が書で密教を勉強しようとしているように見えたのでしょう。
密教のルールでは、伝法灌頂を受けていな者には、貸し出せない書があります。

もちろん、最澄が天台一乗の中に密教を包括すると考えていたのに対して、空海は密教の中に顕教を包括すると考えていたので、この点でも、根本的に密教観が異なります。

ちなみに、空海が真言宗としての年分度者を申請し、公認されたのは、亡くなる直前の835年で、金剛頂業、胎蔵業、声明業が各一名でした。
空海は、821年に隠棲を申し出て断られていたり、827年に仏教界の最高位の大僧都に任命されたりしていますから、なぜか、それまで年分度者にこだわっていなかったようです。

また、天台の密教(台密)は、三代目座主の円仁が、金・胎の二経に加えて「蘇悉地経」を最も重視して、三部秘経としました。
ちなみに、「蘇悉地経」は、真言宗も、インド、チベットの密教でも高い評価はしません。

そして、五代目座主の円珍は、「理劣事勝」という実践重視の姿勢から、事実上、密教を優位として、密教の実践を充実させました。

そしてその後の安然が、台密教学を大成しました。
安然は、「真言宗」という呼称を使って密教を重視し、「即身成仏義」や「声字実相義」などの空海の著作を引用するなど、空海の影響も受けています。
ですが、空海の「真言宗」とは異なり、「一教」として顕教と密教を統合する立場でした。


<両界曼荼羅>

「大日経」に基づく「胎蔵界曼荼羅(大悲胎蔵生曼荼羅)」は、初期の形式である三尊形式の流れを引きながら、「金光明経」の四仏と、八菩薩信仰を取り入れて五部化、三層化したものです。
また、三密に対応して、尊格の形像を描く「大曼荼羅」と、「種子曼荼羅」、「三昧耶曼荼羅」の三曼荼羅を説きます。

ですが、空海が招来した「胎蔵界曼荼羅」は、「大日経」の通りではなく、おそらく恵果らが「不空羂索神変真言経」、「一字仏頂輪王経」などを取り入れて改変したものです。

主尊を「法身大毘盧遮那如来」としますが、経典に忠実なチベットの解釈では「現等覚身の毘盧遮那仏(華厳経に基づく成道直後の仏)」です。
また、「大日経」に忠実なチベットの胎蔵界曼荼羅は、上下左右が対称(90度の回転対象)ですが、空海が招来したものは、三尊形式を残していて上下と左右が異なります。

一方、「金剛頂経」に基づく「金剛界曼荼羅」は、密教で始めて五部の体系化がなされたものです。
三十七尊を中心とし、陀羅尼をその三昧耶形の尊格、明王を憤怒形の尊格、変化観音を蓮華部菩薩形の尊格として体系化しています。
また、三曼荼羅に羯磨曼荼羅を加えた四曼荼羅となります。
羯磨曼荼羅は菩薩を供養天女の姿で描きます。

四曼荼羅を構成するのは、形像(身体の姿)、印(象徴)、字(種子真言)、威儀事業(以上の三種に備わる働き)です。
「大日経」は、これらを「秘密身」と表現します。

 (曼荼羅)  (相)  (秘密身)(三密)
・大曼荼羅  :形像  =大曼荼羅身:意密
・三昧耶曼荼羅:印・標識=三昧耶身 :身密
・種子曼荼羅 :字   =法曼荼羅身:語密
・羯磨曼荼羅 :威儀事業=羯磨身

空海が招来した金剛界の曼荼羅は5種ありますが、その中の「九会曼荼羅」の現在伝わるものは、以下のような九会の曼荼羅を3×3に配置したものです。

・成身会 :大曼荼羅
・三昧耶会:三昧耶曼荼羅
・微細会 :法曼荼羅
・供養会 :羯磨曼荼羅(象徴で供養と表現)
・四印会 :形像が五仏のみの簡略形
・一印会 :形像が大日如来のみの簡略形
・理趣会 :金剛薩埵を主尊として理趣経を表現
・降三世羯磨会 :降三世品の曼荼羅
・降三世三昧耶会:降三世品の三昧耶曼荼羅

九会の曼荼羅の配置は、上記の順に、中心の「成身会」から下に降りて右回りに右下の「降三世三昧耶界」に至る方向で下向を、反対の方向で向上(修行による悟りへの過程)を意味するとされます。
この上の4つの配置は、空海による独創のようです。


空海の「十住心論」などによれば、両界曼荼羅には、次のような対照性があります。

・胎蔵界:理:本覚:即身:自身の数量の証悟
・金剛界:智:初覚:成仏:自心の源底の覚知

一般に、日本では、慈悲の展開としての胎蔵界を女性原理、金剛界を男性原理として捉えます。
ですが、インド密教の考えでは、逆で、慈悲・方便は能動的が男性原理(仏)、智恵は静的な女性原理(仏母)とされます。


曼荼羅は、高野山や東寺に表現されています。

高野山には、両界に対応する二塔の仏塔があり、それぞれに5仏が配置されています。

一方、東寺の講堂には、「金剛界曼荼羅」を再現していますが、諸尊をそのままに配置せず、中央に如来、右に五菩薩、左に五明王を配置しています。
拝観者から見やすくしたからかもしれませんが、空海が、曼荼羅の構造そのものをさほど重視していなかったからかもしれません。


<両界曼荼羅の行法>

真言宗の主要は行法は、「十八道」としてまとめられています。
これは恵果の口説による18の印明に基づいています。

これは基本的に、仏を招いて供養し、送り返すもので、次の9段階にまとめられています。
「荘厳行者法(護身法)」、「普賢行願法」、「結界法」、「荘厳道場法」、「勧請法」、「結護法」、「供養法」、「念誦法」、「後供方便法」、です。
この「念誦法」の時に、「本尊加持」や「入我我入観」などの仏との一体化を行います。

両界曼荼羅には、複雑な次第の行法があり、三密加持を行じます。

「金剛界曼荼羅」の中心的な行法としては、「成身加持分」で「五相成身観」を行じます。
また、「供養讃嘆分」では大日如来となって三十七尊の三昧に入ります。

この時、身密としては「入我我入観」を行じます。

語密としては「正念誦」で阿・鎫・吽の三身の種子、本尊の真言を念誦しますが、この時、真言が口から出て法界に遍じて、自他の業障を破ると観想しながら108回行います。

意密としては「字輪観」で、心月輪中(球体)に阿字を中心に四字を観じ、また、阿字より万物が生じて帰す、阿字が息として入り心月輪の阿字となり、宇宙に展開して、万象の息と一つになって阿字となり、息として鼻から出る、と観じます。

一方、「胎蔵界曼荼羅」の中心的な行法は、「念誦修習分」で、身密として「入我我入観」ではなく「入本尊観」を行じます。
この時、法界定印(胎蔵界と一体に)、大日剣印(五仏・五智の宝冠を頂く)、無所不至印(福智の集積、六大・四曼荼羅・三密を蔵する)を行じます。

語密としては「正念誦」は、五つの種子で行う以外は、「金剛界曼荼羅」の行法と同じです。

意密の「字輪観」では、九重の満月輪を心内に観じますが、これは中台八派の九尊に対応し、九識を積み上げて如意宝珠の形にします。


<密教錬金術と水銀薬の可能性>

空海を高く評価した嵯峨天皇は、不老長寿や錬丹術に興味を持っていました。
天皇は、この分野でも空海に期待したものがあったのかもしれません。

「大日経」を初めとしていくつかの密教経典には隠語で錬金術が説かれているという説があります。
錬金術は世界的に隠語で記されますし、仏教経典は性ヨガについては隠語で記しています。

「虚空蔵求聞持法」にも、銅器の中でいくつか材料を撹拌して神薬を得てこれを飲めば聞持(記憶力)を得ると書かれていて、錬金術、あるいは煉丹術を表現しているように読めます。
ヒンドゥー教では、シヴァ神が錬金術の主宰神ですが、仏教では虚空蔵菩薩がこれに相当するとする説があります。

錬金術ではなくても、仏教医学やヒンドゥー教のシッダ医学では、水銀を薬の素材として使います。

高野山は鉱脈地帯で、銅や水銀が多く取れます。
高野山の北西には丹生都比売神社(総本社)があり、金剛峯寺を建立するにあたって丹生都比売が勧請されました。
丹生都姫は水銀の女神です。


*「空海の思想」に続きます。
posted by morfo1 at 09:56Comment(0)日本