プラトンは彼の哲学を体系的には述べませんでした。
そのため、弟子達には様々な解釈が生まれました。
プラトンの学園アカデメイアの初代学長スペウシッポスは、プラトンの「一」を徹底的に超越的な性質のものと解釈しました。
それはすべてを、善、美、知性などをすら超えた存在なのです。
彼は「一/不定の二」から生まれるイデア数を「霊的知性(ヌース)=神」と考えました。
つまり、イデアの中で3つの階層を区別したのです。
彼の思想はその後に受け継がれませんでしたが、後の新プラトン主義の巨匠、プロティノスに影響を与えたようです。
一方、第2代の学長、クセノクラテスは、アリストテレスの影響を受け入れて、「一」を自らを観照する霊的知性(ヌース)、イデア、イデア数と考えました。
そして、「不定の二」は魂であって、それはイデア数を受け入れた「動く数」でもあるのです。
彼の解釈はアカデメイアのプラトン主義の正統派となりました。
また、彼はイデアを至高神の思考と考えました。
(スペウシッポスの存在の階層) | (クセノクラテス存在の階層) |
一 | |
不定の二 | |
イデア数=霊的知性 | 一=霊的知性=イデア=イデア数 |
幾何学図形 | |
魂 | 不定の二=魂=動く数 |
自然 | 自然 |
プラトンの弟子達は、プラトンの教説がピタゴラスに由来するものと考え、さらに自分達が解釈・発展された考えをもピタゴラスの思想であるとしました。
そのため、これ以降、実質上、思想的にはピタゴラス主義とプラトン主義は区別できないものになりました。
プラトンとアリストテレスの思想はその後の西洋やイスラムの哲学、そして、キリスト教やイスラム教の神学に大きな影響を与えました。
神秘主義的で実践的なプラトンと、理性的で自然学的なアリストテレスは対照的です。
後世、プラトンかアリストテレスかという論争が起こると同時に、2人の哲学の統合が目指さました。
ですが、後期プラトンとアリストテレスは、ともに存在を「形・性質」という側面から捉えました。
そして、個物はその不変な「形・性質」に枠づけられる存在なのです。
これに対して、ソクラテス以前の哲学者の多くは、存在を「生成」として、もしくは「生きた素材」として捉える傾向が強かったのです。
プラトンはイデアを「不変」で真に存在するものとして、物質世界の存在を「生成」する真の存在ではないものと考えていました。
この「生成するもの」とは、生成運動そのものではなくて、形・性質を持ったものとして生まれてもやがて消滅するもの、という意味なのです。
存在を「形・性質」やその枠にはめられる「素材」という側面から捉えると、世界は整然とした分かりやすく、理性にとって捉えやすいものになりますが、世界は静的な姿になってしまいます。
そのため、プラトンやアリストテレスは現代の哲学者達から否定的な評価をされることが多いのです。
ニーチェやハイデッガーも、このような観点からプラトン以降の哲学を否定してソクラテス以前の哲学を評価しました。
ですが、2人がソクラテス以前の哲学者が考えた至高存在を理解していたとは思えません。
「生成」という側面を徹底して世界を捉えると、「形・性質」と「素材」という側面から世界を捉えることができなくなります。
どんな「形・性質」も「素材」も、一時も止まることなく生成変化するからです。
「生成」をどう哲学化するか、また、「形・性質」を基準に階層性を考えることから生まれる矛盾をどう解決するか、こういった問題は後の哲学に引き継がれました。
予告編的に書くと、ローマ期の中期プラトン主義やヘレニズム期の新プラトン主義では、至高存在を「形・性質」を越えた無相なものと捉え、神秘主義哲学史上の大きな転換点となりました。
途中からは、階層を上がるほどに実質的には素材性が高まるような考え方に至ります。
また、ソクラテス以前の哲学と同様にオリエント色の強かったストア派は、「形・性質」ではなく「生成力・緊張」という観点から階層を考え、認識においても「形・性質」の普遍性というものを認めず、相互生成的な運動として捉えました。
ギリシャ哲学を受け継いだイスラム哲学では、「素材⇔形・性質」ではなく「存在⇔本質」という観点に移され、どちらが実在的かについて大きな論争点となりました。
また、「素材」と「形・性質」の両方に階層性を立てる考え方も生まれました。
この記事へのコメント
ロクリアン正岡
そして、下記の通りの批評文をしたためました。
よろしかったらお開きくださいませ!
こういうのはどうでしょう。
「われ、敵を愛する
のみならず、
なおかつ
何時の友を憎む」
(その心は、「大切なものを無視するのが一番よくない!」)
あなた様方のようなご関心とご造詣ある方には、
下記の拙作をご紹介せずにはおれません。
私の名前でもあるロクリア旋法(音階)は
二重螺旋的であり、なおかつ、メビウスの輪的
深層構造を持っておりますゆえ-
ロクリアン哲学創建!
哲学は動詞だ!
真の「哲学する」を世に問う、
哲学の祖、パルメニデス以来の挑戦
「八木哲学*の生体解剖からロクリアン哲学へ」
(*八木雄二氏の「生態系三部作」に対しての批評文)
全部95ページ、堂々公開です。
2015年8月29日に
アップしました。
以上、作曲家、ロクリアン正岡