イスラム教には本来、理性を重視するような性質はありませんでしたが、やがて理性によって法的な問題を解決したり、神学的な問題を扱ったりする傾向が現われました。
12世紀以降はイスラム世界では理性を重視する立場は衰退しましたが、イスラムの理性主義的思想はキリスト教世界に受け継がれました。
イスラム哲学について紹介する前に、哲学と宗教をめぐる問題について書いてみましょう。
ユダヤ、キリスト、イスラム教の神学や哲学には、理性(その代表であるアリストテレス哲学)と信仰(啓示された聖典である聖書や『クルアーン』など)のどちらを重視するかという大問題があります。
それは、この2つの世界観には矛盾があるからです。
この矛盾が最も現われる問題は、宇宙は時間的に無限か、人間に神的な知性があるか、終末の復活はあるかという3つの問題です。
聖典では世界は神によって無から作られたもので時間的に始まりがあります。
一方、アリストテレスの自然学では世界に始まりや終わりはなく無限です。
また、一般のユダヤ、キリスト、イスラム教の考えでは人間と神には隔たりがありますが、アリストテレスは「能動的知性」という神的な知性が人間にも可能だと考えました。
また、聖典では終末に魂は肉体を得て復活しますが、アリストテレスによれば死後、魂と肉体は分離してその後は結びつくことはありません。
理性と信仰の矛盾に対する立場には大きくわけて3つの立場があります。
一つは、理性と信仰が一致すると考える立場です。
この立場はアリストテレス哲学と聖典は矛盾しないと無理やり解釈します。
もう一つは信仰を重視して、理性は形而上学的な問題には立ち入ることができないとする立場です。
最後は理性を重視して、啓示は間違いであって、民衆向きの教えであると考える立場です。
実際には、理性と信仰に加えて神秘主義的な直観的知性や想像的知性をどう考えるかという問題が加わってさらに複雑になります。
こういった問題に対してユダヤ、キリスト、イスラム教の神学者や哲学者は、異端宣告による処刑を恐れながら様々な立場をとってきました。
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