イスマーイール派(7イマーム派)は12イマーム派以上に神秘主義的な性質を持っていて、スーパー・シーア派と呼ばれることもあります。
スーパー・シーア派は、ミスラ・マニ教の影響の濃く、アリーの教えよりも秘教の伝統を重視します。
12イマーム派が外面的な意味は秘教的な意味によって深められるべきと考えたのに対して、イスマーイール派などのスーパー・シーア派は秘教的な意味によって外的な意味は根絶させるべきだと考えたのです。
(イスラム教の諸派) | |||
スンニ派 | |||
シーア派
| ザイード派 | ||
12イマーム(イマーム)派 | |||
スーパー・シーア諸派 | イスマーイール (7イマーム)諸派 | ムスターリ派(ホジャ派・西方派) タイイブ派(ボフラ派・西方派) ニザール派(東方派) | |
グラート諸派 | ドゥルーズ派 アラウィー派(ヌサイリー派) |
イスマーイール派は9Cにイラク、シリアで生まれました。
シーア派として反アラブ、反アッバース朝的性質を持っていて、特に急進的社会改革を求める政治的・軍事的集団でした。
12イマーム派と違い、アリーをイマームと見なさず、イスマーイールをイマームであり再臨するマフディ見なします。
しかし、イスマーイールの息子ムハンマドをマフディと見なすカルマト派が分派として、初期に分離しました。
10C初めにイスマーイール派はファーティマ朝を興します。
しかし、イスラム世界全体の支配は達成されず、終末も到来しませんでした。
そして、ファーティマ朝が安定期に入ると、イスマーイール派の思想は急進性を失くしました。
シャリーア(コーランに基づく律法)を廃棄しない、終末を無限に先延ばしにする、といった妥協が求められました。
また、ファーティマ朝では、イマームは常に地上に存在するとして、ファーティマ朝の正当性を主張します。
そのため、6代カリフのハーキムを神格化したドゥルーズ派や、ニザール派(東方派)などの分派を生みました。
一方、ファーティマ朝の主流派はムスターリー派(西方派)と呼ばれ、その後、イエメンのスライフ朝のタイイブ派に受け継がれます。
初期のイスマーイール派の思想は、グノーシス主義的、終末論的な神話です。
しかし、ファーティマ朝以降、徐々に新プラトン主義や、ファーラビー以降のペルシャ学派の哲学の影響を受け入れ、神話と哲学の融合がなされていきました。
ファーティマ朝の哲学者キルマーニーにおいては神話的側面が減少しましたが、イエメンのタイイブ派では再度、神話性が取り戻されました。
イスマーイール派の神話は、7人の預言者に対応する「7周期」の歴史観と、終末におけるマフディ(カーイム)による救済が、ほぼ共通した要素です。
そこに、堕落神話や秘教的な文字学などの要素が加わります。
また、イスマーイール派の大きな特徴は、聖職者のヒエラルキー組織を持っていることで、
そのヒエラルキーは、宇宙論的な根拠を持っています。
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