漢代の道家思想の影響

漢代の初期には中央集権的な秦の政治に対する反動から、道家思想が盛んになりました。
ですが、その後、武帝による儒家思想の国教化と官吏による知識の独占によって、儒家思想の天下となりました。


秦代から漢代初期(-2~3C)に成立した「易経」の中の形而上学的な傾向の強い「繋辞伝」では、道家思想の影響を受けた流出論が語られます。
これによれば、「太極」から「両儀」が生まれ、次に「四象」が生まれ、次に「八卦」が生まれます。

・太極→両儀→四象→八卦

易は象徴体系であり、垂直的かつ水平的な構造を持つ宇宙論でもあります。


そして、この易は「理」を表現するものと考えられました。
易経の「理」は、道家の「理」と同様に、概念を超えた宇宙法則・本質です。
そして、象徴的、イメージな体系である易を支えるような、根源的なイメージの運動の本質なのです。


前漢時代後期(-1C)の「淮南子」は、道家の流出的宇宙論をベースにしながらも、儒家思想の倫理に対する関心を取り入れました。
こうして、自然が本来的に善なる性質である「仁義」を持つ存在であるとしました。
また、老子の「無為自然」ではなく、学問などの人為的な行為を重視しました。


また、同じ頃の「列子」も、道家の流出的宇宙論を受け継いで、「道」を「太易」と表現しました。
そして、万物の生成変化である「生・化」に対して、「太易」を「不生・不化」と規定しました。

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