1096年に、キリスト教の聖地エルサレムを、イスラム教徒から奪回しようとする十字軍が始まりました。
「テンプル騎士団」は、12Cに、聖地巡礼者を守るために、結成された十字軍の騎士の組織です。
テンプル騎士団は、表向きの目的とは別に、文化的な先進地だったオリエントの思想を取り入れた秘儀的な性質を持っていたと推測されています。
テンプル騎士団は、「バフォメット」を信仰していたという説があります。
「バフォメット」の正体ははっきりしませんが、スーフィズムでは「意識の変容を経験した人間」、「智恵の頭」といった意味があります。
イスラムの秘教においては、「バフォメット」は「アザゼル」と同一視されています。
「アザゼル」は、もともとカナン人の神で、ユダヤ教では堕天使的存在とされました。
ミトラ教やミール派イスラム教では、「アザゼル」は「アーリマン」と同一視される筆頭天使です。
「アーリマン」はもともとイランの民族神で、ゾロアスター教によって悪神化されますが、その後、ミトラス教などで、天上への復帰を許されたとします。
著名なスーフィー系哲学者のハッラージュも、「アザゼル」を守護天使とし、天上復帰を主張しました。
従がって、テンプル騎士団が「バフォメット」を信仰していたとすれば、それはもちろん悪魔崇拝ではなく、知恵と自由の大天使としてでしょう。
また、テンプル騎士団は、洗礼者ヨハネを崇拝し、マリアや女性原理に対する信仰も持っていました。
そして、ゴシック聖堂の建設に多くの寄与をし、そこに女性原理や秘教的な知識を盛り込んだようです。
テンプル騎士団は南フランスにも多くの領土を持ちカタリ派と関係を持っていたようで、アルビジョア十字軍がカタリ派を攻めた時も、これに参加せず、カタリ派をかくまうこともありました。
テンプル騎士団は14Cに異端として弾圧され、何人かは火刑に処され、1312年には絶滅されました。
またこの頃、聖杯伝説が南フランスを中心に生れましたが、この物語の誕生には様々ないきさつがあるのです。
洗礼者ヨハネはイエスに先んじてユダヤ王によって殺され、その首をはねられました。
そのため、この「首」やその首を乗せた「皿」が聖物として信仰されました。
このヨハネの首に対する信仰には、八つ裂きにされたオルフェウスの首に対する信仰を思い出させます。
また、これと同様に、最後の晩餐の時にイエスがワインを入れた、もしくは十字架上のイエスの血を受けた「杯」や、パンを乗せた「皿」も聖物として信仰されました。
マグダラのマリアが聖杯を南フランスに持ってきたという伝説もあります。
これらはいずれも象徴的にはほぼ等価な霊的な女性原理を現しています。
聖杯伝説は、もともとはケルト神話に出てくる「魔法の大釜」が一つのモデルだったと言われています。
これが洗礼者ヨハネの頭を乗せた「聖皿」に、さらに「聖杯」へと置き変えられて、キリスト教化して生まれたのです。
聖杯伝説には様々な異端思想が盛り込まれています。
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