キリスト教史上最大の霊視者、エマニュエル・スウェデンボルグは、「スウェデンボルグの神論と宇宙論」で紹介したように霊界を霊視しただけでなく、聖書の独自解釈をもとにした、人間論、救済論、歴史観を説きました。
<人間論>
スウェデンボルグは、人間には「原罪」は存在せず、自由意志で善を選択できる存在だと考えました。
そして、天使と同様、人間は、その中には神的なものはなく、神が発する神性を受け入れる受容器的存在です。
そして、天使と同様、人間は、その中には神的なものはなく、神が発する神性を受け入れる受容器的存在です。
人間は、次の3つの階層からなる存在です。
1 合理的なもの:霊的なものと自然的なものの中間で働く理性
2 自然的なもの:自然界の内面
3 感覚的なもの:自然界の外面
2 自然的なもの:自然界の内面
3 感覚的なもの:自然界の外面
人間の霊的成長は、内奥の「合理的なもの」を開き、「自然的なもの」を「合理的なもの」に従わせていくプロセスです。
それは、イエスが「人性」を「神性」に一致させたプロセスと同じです。
それは、イエスが「人性」を「神性」に一致させたプロセスと同じです。
「合理的なもの」の「善」が、「自然的なもの」の理解力の中に「真理」として働きかけ、「自然的なもの」の「善」を新生させるのです。
ですが、人間の成長は、霊界の天使になっても、永遠に終わりません。
つまり、「神性」との完全な一体化は不可能なのです。
ですが、人間の成長は、霊界の天使になっても、永遠に終わりません。
つまり、「神性」との完全な一体化は不可能なのです。
人間は「意志」と「理解力」で「神性」を受け取ります。
「意志」で受け取るのは、神の「愛」であり、それは「善」にもあります。
「理解力」で受け取るのは、神の「知恵」であり、「信仰」と「真理」となります。
「意志」で受け取るのは、神の「愛」であり、それは「善」にもあります。
「理解力」で受け取るのは、神の「知恵」であり、「信仰」と「真理」となります。
また、地上の人間は霊界や天界、または地獄とつながっていて、知らないまま、霊たちと交流しています。
一方、霊たちも、人に近づくと、人間の記憶と思考の中に浸透し、それに気づかずに、自分のものであると思っているのです。
一方、霊たちも、人に近づくと、人間の記憶と思考の中に浸透し、それに気づかずに、自分のものであると思っているのです。
<聖言と照応>
天界、霊界は人間と照応しています。
天界全体と等しい「最大の人間」は地上の人間の精神と照応し、その頭は「善」、胸は「信仰」と「愛」、手足は「真理の能力」、目は「知性」などと照応します。
霊界の「精神」、「理性」、「意志」は、人間の肉体、感覚、行動と照応します。
第1天界は人間の心臓、第2天界は肺の照応物です。
霊界の「精神」、「理性」、「意志」は、人間の肉体、感覚、行動と照応します。
第1天界は人間の心臓、第2天界は肺の照応物です。
これら照応の根本となるのは、神から発する真理であり、「聖言」と呼ばれます。
これえは、「愛」であり「知恵」でもあります。
これえは、「愛」であり「知恵」でもあります。
「聖言」には、「天的意味」、「霊的意味」、「自然的意味」という、3層の階層的な意味の体系があり、それぞれが「照応」していると考えます。
例えば、霊的意味における「愛」は、自然的意味における物理的な「暖かさ」と照応します。
つまり、神秘主義的な照応理論、創造理論としての、客観的な象徴関係です。
つまり、神秘主義的な照応理論、創造理論としての、客観的な象徴関係です。
地上で霊的なものを「照応」によって反映したものは、「表象」と呼ばれます。
そして、厳密な照応関係に基づいて書かれた文書があり、「聖言」の中の「創世記」や「福音書」、「ヨハネ黙示録」などがこれに当たります。
<聖書解釈>
スウェデンボルグは「天界の秘儀」で、独自の「聖書」の解釈をしました。
つまり、その「聖言」としての意味を読み解いたわけです。
つまり、その「聖言」としての意味を読み解いたわけです。
「創世記」の1-12章は、人間の成長のプロセスの表現と解釈します。
つまり、感覚的な経験、知識の獲得から、イエスが示した「栄化」へ向かうプロセスです。
7日間の天地創造は、人間の成長の7段階とされます。
つまり、感覚的な経験、知識の獲得から、イエスが示した「栄化」へ向かうプロセスです。
7日間の天地創造は、人間の成長の7段階とされます。
創造以前の「混沌」、「深淵」は日常生活に埋没する状態を表現し、「光あれ」の言葉によって、霊性の自覚が始まります。
そして、7日目には、天界的人間となります。
「エデンの園」は新生した人間の秩序であり、そこからの追放は、自然的なものが霊的なものを支配する状態の表現です。
そして、7日目には、天界的人間となります。
「エデンの園」は新生した人間の秩序であり、そこからの追放は、自然的なものが霊的なものを支配する状態の表現です。
次に「創世記」の13-50章は、イエスの「栄化」のプロセスの表現と解釈します。
これは、人間の堕落後のイスラエル民族の父祖の歴史に当たりますが、例えば、ヨセフは、「合理的なもの」から発現する「霊的なもの」の象徴です。
また、エジプトは、「自然的なもの」の象徴であり、それを従属させるのです。
これは、人間の堕落後のイスラエル民族の父祖の歴史に当たりますが、例えば、ヨセフは、「合理的なもの」から発現する「霊的なもの」の象徴です。
また、エジプトは、「自然的なもの」の象徴であり、それを従属させるのです。
<終末論と歴史観>
本来、霊界は善悪が均衡していますが、周期的に、悪の力が優勢になる時があります。
この時、神によって霊界で「最後の審判」が行われ、均衡を取り戻します。
これが、やがて地上にも及び、新しい時代、人間、教会が生まれ、人間が進化します。
この時、神によって霊界で「最後の審判」が行われ、均衡を取り戻します。
これが、やがて地上にも及び、新しい時代、人間、教会が生まれ、人間が進化します。
過去においては、ノアの箱舟を作った大洪水の時代、アブラハムの時代、そして、イエスの時代がこれに当たります。
そして、スウェデンボルグが「天界の秘儀」の出版を終えた翌年の1757年にも、審判が行われたとします。
そして、スウェデンボルグが「天界の秘儀」の出版を終えた翌年の1757年にも、審判が行われたとします。
つまり、下記のように、過去に4つの時代があり、1757年から第5の時代が始まったとしたのです。
1 黄金時代:原古代教会 :アダム以降 :照応で思考
2 銀の時代:古代教会 :ノア以降 :照応の知識で思考
3 銅の時代:イスラエル教会:アブラハム以降:自然の善で生きる
4 鉄の時代:キリスト教会 :イエス以降 :外面的で善が存在しない
5 新時代 :新しい教会 :1757年以降 :普遍宗教
2 銀の時代:古代教会 :ノア以降 :照応の知識で思考
3 銅の時代:イスラエル教会:アブラハム以降:自然の善で生きる
4 鉄の時代:キリスト教会 :イエス以降 :外面的で善が存在しない
5 新時代 :新しい教会 :1757年以降 :普遍宗教
・原古代教会の時代
「原古代教会」の時代は、原始的な生活をしていた時代ですが、高度な宗教的資質に達した人間がいました。
「原古代教会」はオリエント地域にあったようです。
「原古代教会」はオリエント地域にあったようです。
アダム以降の時代に当たりますが、アダムは人間の始祖ではなく、人間は成長した結果、この時代を迎えたのです。
アダムは「原初の宗教」の象徴です。
アダムは「原初の宗教」の象徴です。
この時代の人間は、「天界的」な資質の人間です。
神への愛と隣人愛を特徴とし、無垢で、夢や幻視の中で天使と交流していました。
神への愛と隣人愛を特徴とし、無垢で、夢や幻視の中で天使と交流していました。
彼らは、道徳や真理を、夢や幻視の中で内的直観により把握し、自然界には霊的なものの象徴を視ました。
また、感情は表情に現れて、言葉を必要とせずに直接的にコミュニケーションをしました。
また、感情は表情に現れて、言葉を必要とせずに直接的にコミュニケーションをしました。
しかし、外的なものを基盤としはじめ、利己的知性が働くようになって、堕落しました。
「聖書」の楽園追放、ネフィリムは、このことを示します。
そして、ノアの洪水の審判で滅びました。
彼らが体験した楽園喪失は、すべての人間の成長過程でも繰り返されます。
「聖書」の楽園追放、ネフィリムは、このことを示します。
そして、ノアの洪水の審判で滅びました。
彼らが体験した楽園喪失は、すべての人間の成長過程でも繰り返されます。
・古代教会の時代
「古代教会」は、洪水以降に新しく作られ、オリエント諸国にありましたが、各国の文化にはそれぞれに違いがありました。
この時代は、「霊的」な資質の人間の時代です。
理解力を通して道徳や真理を把握し、音声言語によるコミュニケーションが発生しました。
宗教的には、「照応」の知識に基づく表象的な礼拝を行いました。
古代の「聖言」は韃靼(タタール、モンゴル)に保存されていたとされます。
理解力を通して道徳や真理を把握し、音声言語によるコミュニケーションが発生しました。
宗教的には、「照応」の知識に基づく表象的な礼拝を行いました。
古代の「聖言」は韃靼(タタール、モンゴル)に保存されていたとされます。
エジプトの文化(ハムの系統)は、内なる礼拝を陳腐化し偶像崇拝と魔術に陥ったとします。
本来、象形文字は照応の知識を反映していました。
ですが、感覚的な記憶の知識が支配的になり、情愛や思考を追い出し、「照応」の知識が廃棄されました。
本来、象形文字は照応の知識を反映していました。
ですが、感覚的な記憶の知識が支配的になり、情愛や思考を追い出し、「照応」の知識が廃棄されました。
ギリシャの文化(ヤフェトの系統)は、「照応」した外なる礼拝を行っていました。
しかし、偶像崇拝を経て自然崇拝に堕落しました。
しかし、偶像崇拝を経て自然崇拝に堕落しました。
ギリシャ文化は、古代の「聖言」を寓話の形にしてギリシャ神話を生みました。
ゼウスは「天界的」、ポセイドンは「霊的」、ハデスは「自然的」な世界の象徴でした。
ゼウスは「天界的」、ポセイドンは「霊的」、ハデスは「自然的」な世界の象徴でした。
ヘシオドスは、黄金時代から鉄の時代に至る5つの時代を記しています。
スウェデンボルグの言う5つの時代は、これに影響を受けて読み替えたもののようです。
ヘシオドスの5つの時代は、退化のプロセスですが、スウェデンボルグは成長のプロセスと読み替えました。
スウェデンボルグの言う5つの時代は、これに影響を受けて読み替えたもののようです。
ヘシオドスの5つの時代は、退化のプロセスですが、スウェデンボルグは成長のプロセスと読み替えました。
1 黄金時代=原古代教会の時代
2 白銀時代=古代教会の時代
3 青銅時代=イスラエル教会の時代
4 英雄時代=対応なし
5 鉄時代 =キリスト教会の時代
6 新時代 =新しい教会の時代
2 白銀時代=古代教会の時代
3 青銅時代=イスラエル教会の時代
4 英雄時代=対応なし
5 鉄時代 =キリスト教会の時代
6 新時代 =新しい教会の時代
また、彼は、「ダニエル書」のネブガドネツァル王が見た夢の巨像の各種の金属でできた部分とも対応させました。
その他の文化に関しては、イスラエル(セムの系譜)は霊的な精神性を、アッシリアは合理的な推理力を、エルサレムは「天界的」な精神性を、ソドムは悪しき欲望を持っていたとします。
・イスラエル教会の時代
「イスラエル教会」は、セムの子孫のアブラハムの系統の教会で、「表象教会」とも呼ばれます。
儀式や戒律など、表面的なものを信奉し、その霊的意味は理解しませんでした。
一神教を保持し、セムは内なる礼拝を持っていましたが、徐々に偶像崇拝に陥りました。
儀式や戒律など、表面的なものを信奉し、その霊的意味は理解しませんでした。
一神教を保持し、セムは内なる礼拝を持っていましたが、徐々に偶像崇拝に陥りました。
周辺諸国の文化に関しては、バビロニアは支配愛、ペルシャ、メディアは仁愛から発する信仰、ギリシャは仁愛を欠く信仰を持っていたとします。
・キリスト教会の時代
すでに書いたように、イエスが「受肉」し、「栄化」を達成しました。
そして、聖言が「聖書」という形で文字にされました。
そして、聖言が「聖書」という形で文字にされました。
しかし、神性を分割する三位一体説という間違った教義が生まれ、徐々に教会は形骸化しました。
宗教改革も正しい改革ではありませんでした。
宗教改革も正しい改革ではありませんでした。
・新しい教会の時代
「新しい教会」の時代は、1757年以降ですが、スウェデンボルグ以降の時代ということかもしれません。
彼は、この時代について、今後、教会はより自由に考えることができるようになると言っています。
彼は、この時代について、今後、教会はより自由に考えることができるようになると言っています。
スウェデンボルグは、自ら新しい教会や宗派を設立することには興味を持っていませんでしたが、彼の信奉者が、「新エルサレム教会」を作りました。
各地の文化と人種を単純にまとめて、進化論的に配列することは、ブラヴァツキーの神智学やシュタイナーの人智学にも受け継がれました。
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