フリードリヒ・シェリング(1775-1854)は、一般に、その前期の哲学によって、フィヒテとヘーゲルをつなぐ存在として知られています。
ですが、後期の哲学は、ヤコブ・ベーメの影響を受け、理性を越えた実存を扱い、神話がその偶然性を表現しているとする、神秘主義的な傾向の強い思想です。
また、後期の哲学は、マルクス・ガブリエルのような現代の新実在論の哲学者からも再評価されています。
ですが、後期の哲学は、ヤコブ・ベーメの影響を受け、理性を越えた実存を扱い、神話がその偶然性を表現しているとする、神秘主義的な傾向の強い思想です。
また、後期の哲学は、マルクス・ガブリエルのような現代の新実在論の哲学者からも再評価されています。
シェリングの哲学は大きく前期と後期に分けられ、前期は「同一哲学」、後期は「積極哲学」と呼ばれます。
「同一哲学」は、フィヒテの「自我哲学」とスピノザの汎神論的な「実体の哲学」を結びつけようとしたもので、芸術を重視したので、「美的観念論」とも呼ばれます。
「積極哲学」は、ベーメの影響を受けて、理性を越えた実存を扱おうとするもので、「神話」を重視しました。
また、シェリングは、イェーナで前期ロマン主義のメンバーと、ミュンヘンで後期ロマン派のメンバーと親交を持ち、それぞれ、自身の前期哲学、後期哲学の形成に影響を受けたようです。
シェリングは、チュービンゲン大学時代、寮で同室だったヘーゲルやヘルダーリンとともに、古代ギリシャの秘儀復興運動に参加しました。
彼の最初の論文は18歳の時の「神話、歴史的伝説、および最古の世界の哲学説について」であり、神話や秘儀に興味を持っていました。
また、スピノザの哲学に共感し、その特徴がギリシャ古典神秘哲学のテーゼ「ヘンカイパン(一即全)」である、という認識を学友のヘーゲルと共有しました。
彼の最初の論文は18歳の時の「神話、歴史的伝説、および最古の世界の哲学説について」であり、神話や秘儀に興味を持っていました。
また、スピノザの哲学に共感し、その特徴がギリシャ古典神秘哲学のテーゼ「ヘンカイパン(一即全)」である、という認識を学友のヘーゲルと共有しました。
ですが、卒業後にフィヒテに影響され、1795年に執筆した「哲学の原理としての自我について」は、ほとんどフィヒテ哲学です。
前期のシェリングは、スピノザの「実体」の哲学と、フィヒテの「自我」の哲学の統合を目指しました。
前期のシェリングは、スピノザの「実体」の哲学と、フィヒテの「自我」の哲学の統合を目指しました。
シェリングは、チュービンゲン大学卒業後、ライプチッヒ大学で数学や物理学などを学び、自然学への興味を具体的に持ちました。
1797年にはイェーナに移住して、前期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らの自然観にも影響を受けたのでしょう。
シェリングは、「自然」を扱った著作を、1797年に「自然哲学への理念」、1798年に「世界霊魂について」を発表します。
1797年にはイェーナに移住して、前期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らの自然観にも影響を受けたのでしょう。
シェリングは、「自然」を扱った著作を、1797年に「自然哲学への理念」、1798年に「世界霊魂について」を発表します。
シェリングは、フィヒテ哲学の「非我」が主観の構成する存在であるので、客観的な「自然」という観点がないと批判し、フィヒテから距離を取り始めました。
「自我」の哲学だけでは不完全であると感じ、「自然」を対象とした「自然哲学」を構想したのです。
「自我」の哲学だけでは不完全であると感じ、「自然」を対象とした「自然哲学」を構想したのです。
彼にとって「自然」は、「有限的自我」から独立した存在です。
フィヒテにおいては「自我」が「非我」に先行するのに対して、シェリングにおいては、「自然」が「有限的自我」に先行します。
フィヒテにおいては「自我」が「非我」に先行するのに対して、シェリングにおいては、「自然」が「有限的自我」に先行します。
シェリングは、「自然」を生きた一つの「有機体」であると考えました。
自然の根底に「世界霊魂」という無意識的な精神的な原理があり、それが自然を有機させる原理なのです。
それによって自然は、低次なものから高次なものへと発展過程をなします。
自然の根底に「世界霊魂」という無意識的な精神的な原理があり、それが自然を有機させる原理なのです。
それによって自然は、低次なものから高次なものへと発展過程をなします。
また、シェリングは、「自然」には二性(二重性)があるとしました。
その二元性は、例えば、電磁気のプラスとマイナスであり、収縮と拡張、感受性と興奮性などの原理です。
その二元性は、例えば、電磁気のプラスとマイナスであり、収縮と拡張、感受性と興奮性などの原理です。
<同一哲学>
シェリングの「自然哲学」は、すでにフィヒテ哲学から離れた思想ですが、1800年の「超越論的観念論の体系」、1801年の「わが哲学体系の叙述」によって、はっきりとフィヒテとは異なる「自我」の思想を表明しました。
シェリングは、フィヒテの「絶対的自我」が自己を対象化する自己意識であると批判し、その意識以前、主客以前の「絶対的自我」を立てます。
これは、「有限的自我」と、「自然」の根底に存在する、無差別な同一性としての「絶対者」、唯一の神です。
そのため、このシェリングの哲学は「同一哲学」と呼ばれます。
「絶対的自我」はすべてを内に含み、「非我」による阻害も存在しません。
そのため、このシェリングの哲学は「同一哲学」と呼ばれます。
「絶対的自我」はすべてを内に含み、「非我」による阻害も存在しません。
「絶対的自我」の創造・産出活動は無意識です。
ですが、それを意識化することは、「知的直観」と呼ばれます。
哲学は、無意識的なものを「知的直観」によって反省する、「内へ向かう道」です。
この「知的直観」は、創造(産出)と直観(制限)が同時であるような自覚的行為です。
ですが、それを意識化することは、「知的直観」と呼ばれます。
哲学は、無意識的なものを「知的直観」によって反省する、「内へ向かう道」です。
この「知的直観」は、創造(産出)と直観(制限)が同時であるような自覚的行為です。
人類の歴史は、「絶対的同一性」からの堕落と帰還であり、帰還は「絶対者」が徐々に姿を現す啓示の歴史であると考えました。
自然の産出行為は無意識ですが、人間の「有限的自我」に至って意識的となります。
自然の産出行為は無意識ですが、人間の「有限的自我」に至って意識的となります。
人間の「有限的自我」は、次第に自己に目覚めて「絶対者」に近づきますが、到達はできません。
永遠の努力によっても「絶対者」には到達できない、という否定性によってのみ「絶対者」は認識されます。
ここに至って「自我」は喪失され、有限と無限が無差別になっている状態が「知的直観」です。
永遠の努力によっても「絶対者」には到達できない、という否定性によってのみ「絶対者」は認識されます。
ここに至って「自我」は喪失され、有限と無限が無差別になっている状態が「知的直観」です。
シェリングは、スピノザやフィヒテの「知的直観」を批判し、それを、神秘主義一般に広げました。
スピノザは「絶対者」の中に自己の喪失を体験したと考えたが、実際には、自己を直観する中に客体を喪失しただけだった、とシェリングは言います。
これは、神秘主義が直観の対象を外化することへの批判です。
これは、神秘主義が直観の対象を外化することへの批判です。
フィヒテの「知的直観」に関しても、「自我」の働きを対象化する自己意識でしかないとしました。
そして、シェリングの「知的直観」は、フィヒテ的な自己意識そのものを生み出す働きの直観なのです。
そして、シェリングの「知的直観」は、フィヒテ的な自己意識そのものを生み出す働きの直観なのです。
ですが、哲学の「知的直観」は、理論的な「自我」を基礎づけても、実践的な「自我」は基礎づけることができません。
<美的観念論>
シェリングは、1802年から3年にかけて、「芸術の哲学」という講義をします。
彼は、哲学は詩(芸術)によって完成すると考えました。
彼は、理論と実践、意識と無意識、本質(内容)と形式を統合するものとして、「芸術(美的活動)」を考えました。
芸術は作品という客観によって反省する、「外へ向かう道」です。
彼は、理論と実践、意識と無意識、本質(内容)と形式を統合するものとして、「芸術(美的活動)」を考えました。
芸術は作品という客観によって反省する、「外へ向かう道」です。
シェリングにとっては、哲学が無意識を意識化するのに対して、芸術は意識的に構想して創作しながらも、最終的には無意識的な働きによって「絶対者」を「美的直観」によって表現するものなのです。
「美的直観」は、想像力と一体のものであり、客観化された「知的直観」なのです。
また、「美的直観」は、実践に関わる「叡智」の自己直観なのです。
また、「美的直観」は、実践に関わる「叡智」の自己直観なのです。
そのため、彼の哲学は「美的観念論」と呼ばれることもあります。
また、シェリングは、「絶対者」の活動を、本質と形式の完全な相互浸透であると考えました。
哲学は理性的であり、本質にのみ関わりますが、芸術は本質を形式のうちに創造し、普遍を特殊のうちに表現します。
彼はこれを「神的想像力」と表現し、芸術は自然を模倣するのではなく、「神的想像」の模倣であると考えました。
哲学は理性的であり、本質にのみ関わりますが、芸術は本質を形式のうちに創造し、普遍を特殊のうちに表現します。
彼はこれを「神的想像力」と表現し、芸術は自然を模倣するのではなく、「神的想像」の模倣であると考えました。
また、シェリングは、哲学が詩へと至る媒介項が神話であると考えます。
神話は芸術の素材であり、原像であり、理念を「美的直観」に転移させるものです。
神話は芸術の素材であり、原像であり、理念を「美的直観」に転移させるものです。
彼は、人類全体が一人の詩人として共通の理念を描き出す「新しい神話」を期待しました。
それは、神々の観念的神性を自然のうちに植え付けるものです。
それは、神々の観念的神性を自然のうちに植え付けるものです。
<自由論、積極哲学>
シェリングは、1806年、ミュンヘンに移住します。
ミュンヘンでは後期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らを通してヤコブ・ベーメの影響を強く受けました。
彼はベーメの思想を「客観的神秘主義」、「思弁的神秘主義」と名付け、自分の哲学と同じであると考えました。
ミュンヘンでは後期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らを通してヤコブ・ベーメの影響を強く受けました。
彼はベーメの思想を「客観的神秘主義」、「思弁的神秘主義」と名付け、自分の哲学と同じであると考えました。
ロマン主義者の間では、ベーメはティークによって発見され、ノヴァーリス、バーダーを経てシェリングにもたらされました。
バーダーはエックハルトの発見者でもあります。
バーダーはエックハルトの発見者でもあります。
ちなみに、移住直前の1802年に発表された「ブルーノ」では、ジョルダーノ・ブルーノを通して新プラトン主義が語られます。
後期シェリングの「無底」や「脱自」には、プロティノスの影響もあるのかもしれません。
後期シェリングの「無底」や「脱自」には、プロティノスの影響もあるのかもしれません。
また、1812年の未発表の対話篇「クラーラ」では、スウェデンボルグを肯定的に紹介しています。
シェリングの「自由」に関する考え方には、スウェデンボルグの影響もあるのかもしれません。
シェリングの「自由」に関する考え方には、スウェデンボルグの影響もあるのかもしれません。
シェリングの中期の主要な著作は、1804年の「哲学と宗教」、1809年の「人間的自由の本質」です。
彼は、自分の後期の哲学を「積極哲学」と呼び、中期の作品にはその芽生えが見られます。
中後期の哲学では、理性を越えた存在を扱い、キリスト教的な「堕落」や「悪」の問題も重要視されます。
彼は、自分の後期の哲学を「積極哲学」と呼び、中期の作品にはその芽生えが見られます。
中後期の哲学では、理性を越えた存在を扱い、キリスト教的な「堕落」や「悪」の問題も重要視されます。
シャリングによれば、「積極哲学」とは、純粋な現実性から出発するものです。
それに対して、フィヒテやヘーゲルのように、実在の認識について語らず、思惟の関係のみ語るのは「消極哲学」なのです。
「積極哲学」は、現実の存在に関わり、観念論と実在論の結合を目指すものでしょう。
また、「積極哲学」は、ヘーゲルによる「なぜ絶対者から有限者が生じるのか」というシェリングの「同一哲学」に対する批判に答えるものでもありました。
それに対して、フィヒテやヘーゲルのように、実在の認識について語らず、思惟の関係のみ語るのは「消極哲学」なのです。
「積極哲学」は、現実の存在に関わり、観念論と実在論の結合を目指すものでしょう。
また、「積極哲学」は、ヘーゲルによる「なぜ絶対者から有限者が生じるのか」というシェリングの「同一哲学」に対する批判に答えるものでもありました。
シェリングは、神の根源は「無底(無根拠)」であり、「自由」な意志から自己を啓示しようとして、有限存在が生じたと考えました。
「自由」には「偶然」があり、理性によって認識できる対象ではありません。
「自由」には「偶然」があり、理性によって認識できる対象ではありません。
「積極哲学」では、「無底」である「絶対者」を、客観(対象)とならない「絶対的主体」であると考えました。
対象とならないので、それを把握する「知」を放棄する必要があります。
ですから、「知的直観」は捨てられ、「脱自」が求められます。
対象とならないので、それを把握する「知」を放棄する必要があります。
ですから、「知的直観」は捨てられ、「脱自」が求められます。
「積極哲学」では、存在と歴史に関して下記のように考えます。
神には「無底」と「実存」の2つのレベルがあります。
「無底」としての神にも2つのレベルがあり、第1は「無差別」、そして第2が「愛」です。
後期の哲学では、「無差別」は「同一」とはっきりと区別されます。
後期の哲学では、「無差別」は「同一」とはっきりと区別されます。
「実存」は「意志」、「意欲」でもあり、2つのレベルがあり、「実存するもの」とその「根拠」です。
1 無底
-1 無差別
-2 愛
2 実存
-1 実存するもの:実存する神、神的悟性、光
-2 根拠:神の中の自然、憧憬、我性、悪、闇
3-1 自然
3-2 歴史
-1 無差別
-2 愛
2 実存
-1 実存するもの:実存する神、神的悟性、光
-2 根拠:神の中の自然、憧憬、我性、悪、闇
3-1 自然
3-2 歴史
「実在するもの」は、観念的なものであり、一般に言う「神」です。
「神」の自己を啓示しようとする「意志」から「神」は分割されます。
分割された神は統一を目指す「悟性」、「光」の原理を持ちます。
「神」の自己を啓示しようとする「意志」から「神」は分割されます。
分割された神は統一を目指す「悟性」、「光」の原理を持ちます。
もう一方の「根拠」は、「神の中の自然」であり、「我性」であり、「悪」、「闇」とされます。
分割された両者を結合するのが、「精神(聖霊)」であり、「愛」です。
分割された両者を結合するのが、「精神(聖霊)」であり、「愛」です。
そして、「神の内の自然」である「憧憬」に対して、「悟性」が対立する時、「自然」が創造されます。
神のよる「第一の創造」がこの「自然」です。
神のよる「第一の創造」がこの「自然」です。
そして、「第二の創造」が、「自然」が成長する「歴史」です。
人間は「歴史」の中で「自我」と「自由」を得て、「我性」を捨てることを目指します。
人間は「歴史」の中で「自我」と「自由」を得て、「我性」を捨てることを目指します。
以上、「無底」や「神の内なる自然」、「我性」などなど、ベーメの強い影響が明らかです。
<神話の哲学、啓示の哲学>
シェリングは1842年に講義「神話の哲学」を、1854年に講義「啓示の哲学」を講じます。
シェリングの「神話の哲学」は、理性を越えた現実存在を表現するものとして、神話を重視しました。
それは、ヘーゲルが「理性の神話」を語ったことと正反対です。
それは、ヘーゲルが「理性の神話」を語ったことと正反対です。
シェリングは、神話が、人間の主観を越えた絶対的客観性を持ち、歴史的事実を表現していると考えました。
彼は、「絶対者」の意識、人間の意識が生まれた根源的な出来事を考え、それを「原始偶然」と表現します。
これは意識以前の出来事であり、理性の対象となりません。
ですが、神話に「暗い痕跡」を残し、それを表現しているのです。
彼は、「絶対者」の意識、人間の意識が生まれた根源的な出来事を考え、それを「原始偶然」と表現します。
これは意識以前の出来事であり、理性の対象となりません。
ですが、神話に「暗い痕跡」を残し、それを表現しているのです。
これを表現しているのが、エレウシス秘儀のベース神話であるペルセポネー神話です。
ペルセポネーは、花咲き乱れる野原からハデスによって冥界にさらわれ、「処女」から「女性」になりました。
シェリングは、この神話に「原始偶然」が表現されていると考えるのです。
ペルセポネーは、花咲き乱れる野原からハデスによって冥界にさらわれ、「処女」から「女性」になりました。
シェリングは、この神話に「原始偶然」が表現されていると考えるのです。
また、オルフェウス教が伝える神話によれば、ペルセポネーはゼウスと交わりザクレウス(ディオニュソス)を生みました。
始原の事件の神話であるペルセポネーが、ギリシャ神話の主神ゼウスにつながり、神話の終局としてのディオニュソスの秘儀に至るのです。
始原の事件の神話であるペルセポネーが、ギリシャ神話の主神ゼウスにつながり、神話の終局としてのディオニュソスの秘儀に至るのです。
シェリングは、多神教の神話と、一神教のキリスト教を統合するために、「神の系譜学」を導入しました。
神話はギリシャ神話によって完成し、その多神教から一神教へと至ることで、キリスト教は多性を含む絶対的な一神教になったと、考えます。
神話はギリシャ神話によって完成し、その多神教から一神教へと至ることで、キリスト教は多性を含む絶対的な一神教になったと、考えます。
シェリングは、神観念にも関わる存在のポテンツ(力)を、下記のように3つの段階で考えました。
1 可能性
2 無限性
3 1、2を総合した自由、形態性
2 無限性
3 1、2を総合した自由、形態性
これに対応して、神観念の歴史的な3段階を下記のように考えました。
1 天体信仰:星に畏敬を感じる
2 ウラニア:天上の女神(ウラノスの女性形)
3 クロノス、キュベレ(大地の女神)
2 ウラニア:天上の女神(ウラノスの女性形)
3 クロノス、キュベレ(大地の女神)
ウラノスやウラニアが潜在態であるのに対して、クロノスやキュベレは現実態の神です。
3の段階では、民族の分離によって、各地の神話が生まれますが、それにも歴史的な3段階があると考えました。
3の段階では、民族の分離によって、各地の神話が生まれますが、それにも歴史的な3段階があると考えました。
1 エジプト神話:肉体的な神
2 インド神話 :幽体の神
3 ギリシャ神話:肉体かつ精神的な神
2 インド神話 :幽体の神
3 ギリシャ神話:肉体かつ精神的な神
このように、神話はギリシャ神話で完成し、ギリシャ神話は秘儀で完成し、次にキリスト教の啓示へとつながると考えました。
スウェデンボルグとはまた異なる古代の諸文化観ですが、恣意的で強引な点は同じです。
スウェデンボルグとはまた異なる古代の諸文化観ですが、恣意的で強引な点は同じです。
シェリングは、「神話」が実在的なもの、自然的関係を象徴によって表現しているのに対して、「啓示」は観念的なもの、人格的関係を寓意によって表現していると考えます。
人格的な精神が誕生すると「自由」が生まれます。
彼は、「啓示」の時代になって、真なる「歴史」が始まると考えました。
人格的な精神が誕生すると「自由」が生まれます。
彼は、「啓示」の時代になって、真なる「歴史」が始まると考えました。
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