ユングは、道教、易経、ヴェーダーンタ哲学やサーンキヤ哲学といったインド哲学、仏教、チベット密教、禅などの東洋の神秘主義的思想を研究し、その影響を受けています。
ですが、それらに関する解釈は、自身の理論に引きつけたもので、ほとんど曲解というべきものでした。
このページでは、ユングが行った東洋神秘主義の曲解をまとめます。
<論文と基本姿勢>
ユングが東洋の思想や瞑想法に関して書いた、主な論文などは、下記の通りです。
講演を別にして、ユング一人で、一冊まるまる書いて発表した著作はありません。
講演を別にして、ユング一人で、一冊まるまる書いて発表した著作はありません。
1929年 リヒャルト・ヴィルヘルム「太乙金華宗旨」の解説
1932年 講演「クンダリニー・ヨガ」
1935年 エヴァンス・ヴェンツ訳「チベット死者の書」の序文
1936年 論文「ヨーガと西洋」
1939年 鈴木大拙「禅仏教入門」の序文
同年 エヴァンス・ヴェンツ訳「チベットの大いなる解脱の書」の註釈
1943年 論文「浄土の瞑想」
1944年 ハインリヒ・ツィンマー「インドの聖者」の編集・序文
1950年 ヴィルヘルム英訳「易経」の序文
1932年 講演「クンダリニー・ヨガ」
1935年 エヴァンス・ヴェンツ訳「チベット死者の書」の序文
1936年 論文「ヨーガと西洋」
1939年 鈴木大拙「禅仏教入門」の序文
同年 エヴァンス・ヴェンツ訳「チベットの大いなる解脱の書」の註釈
1943年 論文「浄土の瞑想」
1944年 ハインリヒ・ツィンマー「インドの聖者」の編集・序文
1950年 ヴィルヘルム英訳「易経」の序文
ユングは、東洋の瞑想法を、西洋人がそのまま行うべきではないと考えました。
逆に言えば、西洋人は、ユングの開発した「能動的創造力」という「瞑想法」を行うべきだということです。
逆に言えば、西洋人は、ユングの開発した「能動的創造力」という「瞑想法」を行うべきだということです。
その理由の一つは、西洋人は、まず、自らの「影」と対決しなければいけないからです。
ユングは、「中国的瞑想を直接試みさせることは大変な過ちであろう。そんなことをすれば、西洋の意志と意識が問題に突き当たるのであるから、意識は無意識に対して一層強められるだけになり…」(「黄金の華に秘密」)と書いています。
同様な意味で、ユングは、インド志向だった神智学を批判しています。
「神智学の徒にならって、貧弱な身体を東洋風の華美な衣装で包み込もうとする者があれば、彼は自分自身の歴史に対して不誠実になるであろう」(「元型論」)。
「神智学の徒にならって、貧弱な身体を東洋風の華美な衣装で包み込もうとする者があれば、彼は自分自身の歴史に対して不誠実になるであろう」(「元型論」)。
<道教>
ユングは、中国学のリヒャルト・ヴィルヘルムから送られた道教の内丹の瞑想書「太乙金華宗旨(黄金の華の秘密)」を読んで、この書に、西洋の錬金術と同様のものを見出して、本格的に西洋の錬金術の研究を始めました。
ですが、西洋の錬金術が「外丹」であるのに対して、この書は「内丹」の書です。
つまり、この書がテーマにしているのは、思考を滅しながら、「気」をコントロールして、実際に不死の「気の身体」を作る瞑想法です。
無意識の心理との対面や統合を目指したものではありません。
ですが、ユングは、すべてを心理的に解釈します。
つまり、この書がテーマにしているのは、思考を滅しながら、「気」をコントロールして、実際に不死の「気の身体」を作る瞑想法です。
無意識の心理との対面や統合を目指したものではありません。
ですが、ユングは、すべてを心理的に解釈します。
例えば、ユングは、「黄金の華の中に、あるいは一インチの空間(寸田)の中に、「金剛身」すなわち永久に朽ちることのない微細身が生まれるという観念が、形而上学的に主張されている」、「心理的事実に対する象徴的表現」と書きます。
ですが、「金剛身」とは、心理的概念でも、形而上学的概念ではなく、気を練って実際に作る「陽神」のことです。
ですが、「金剛身」とは、心理的概念でも、形而上学的概念ではなく、気を練って実際に作る「陽神」のことです。
また、この書が説く「回光」に関しても、ユングは、回転、囲い込むこと、聖域の隔離…といった心理的解釈をしますが、これはユングにとっては「マンダラ」です。
実は、ユングが「マンダラ」について初めて書いたのは、この書でです。
ですが、「回光」とは、気を身体の前後の脈にそって移動させる「小周天」と呼ばれる具体的な方法のことです。
実は、ユングが「マンダラ」について初めて書いたのは、この書でです。
ですが、「回光」とは、気を身体の前後の脈にそって移動させる「小周天」と呼ばれる具体的な方法のことです。
ユングが、西洋の錬金術に見出したものは、錬金術師が化学的過程に投影した無意識ですから、この内丹書に関しても、気を練る操作に無意識を投影したのだと無理に解釈することは可能かもしれません。
ですが、ユングは、内丹の本質が、気の具体的な操作であるということそのものを理解していないでしょう。
ですが、ユングは、内丹の本質が、気の具体的な操作であるということそのものを理解していないでしょう。
ちなみに、ヴィルヘルムは、中国の霊魂観の「魂」を「アニムス」、「魄」を「アニマ」と訳しています。
また、ユングは内丹における「性(=心)」が「ロゴス」、「命(=気)」が「エロス」に当たると解釈しています。
これも、あまり適当とは言えないでしょう。
また、ユングは内丹における「性(=心)」が「ロゴス」、「命(=気)」が「エロス」に当たると解釈しています。
これも、あまり適当とは言えないでしょう。
<インド哲学、仏教>
ユングの「自己」という概念は、インド哲学の「プルシャ」や「アートマン」から影響を受けていて、「プルシャ」や「アートマン」を「自己」であると書いています。
また、「仏陀」も「自己」の象徴であると書いています。
また、「仏陀」も「自己」の象徴であると書いています。
ユングは、それらを、「無意識」であると言います。
「インド哲学では「高次の」意識と呼ばれているが、これはじつは西洋人が「無意識」と呼ぶものと一致している」(「個性化とマンダラ」)。
「ヨーガ行者が到達するサマーディの完成、恍惚の状態は、われわれの知るかぎり無意識の状態に当たる」(「個性化とマンダラ」)。
「ヨーガ行者が到達するサマーディの完成、恍惚の状態は、われわれの知るかぎり無意識の状態に当たる」(「個性化とマンダラ」)。
ですが、「プルシャ」や「アートマン」は「純粋意識」と表現されるべきものであって、最初から、決して「無意識」ではありません。
ユングが「無意識」と言っているもの、「自己」と言っているものは、サーンキヤ哲学で言えば、「プルシャ」ではなく、「プラクリティ」に当ります。
ユングが「無意識」と言っているもの、「自己」と言っているものは、サーンキヤ哲学で言えば、「プルシャ」ではなく、「プラクリティ」に当ります。
ユングは、「西洋人は上へと高まろうとするのだが、インド人は、母なる自然の深みに帰ることを好むのである」(「浄土の瞑想」)と書きますが、そうとは限りません。
ユングは、「自我のない意識というものを思い浮かべることすらできない」(「個性化とマンダラ」)と書いていて、東洋思想の核心を完全否定しています。
東洋思想の多くは、まさに、「自我」のない「意識」を求めます。
東洋思想の多くは、まさに、「自我」のない「意識」を求めます。
また、ユングは、東洋の瞑想法は、無意識を統合するものであると考えました。
ですが、東洋の瞑想の本質は、意識的であれ無意識的であれ、思考やイメージをなくすことであり、また、その無分別な状態で「知恵」を得ることです。
「仏陀」は、「知恵」を通して「煩悩」を滅した存在であって、「自己」ではありません。
仏教の知恵は、内面の無意識に対する「知恵」ではなく、「煩悩」はそれらに対する無知、統合されざる無意識ではありません。
「仏陀」は、「知恵」を通して「煩悩」を滅した存在であって、「自己」ではありません。
仏教の知恵は、内面の無意識に対する「知恵」ではなく、「煩悩」はそれらに対する無知、統合されざる無意識ではありません。
インド哲学は、「純粋意識」とそれ以外のものを区別する認識を求め、仏教は、諸行無常の認識を求めます。
ですが、ユングには、無意識の意識化以外に、「認識」という観点がありません。
ですが、ユングには、無意識の意識化以外に、「認識」という観点がありません。
ユングは、「意識が拡大するにつれ、意識の個々の内容は明晰さを失っていく」(「個性化とマンダラ」)と書きますが、東洋の瞑想は、集中によって明晰さを高めていきます。
東洋の諸宗教の瞑想法では、一般に、イメージにこだわらないこと、それを否定することを原則としています。
ですが、ユングの思想では、イメージと対面してそれを統合しなければいけません。
ですが、ユングの思想では、イメージと対面してそれを統合しなければいけません。
「能動的創造力」はイメージを発展させる「夢見」の技術であって、イメージを統御する意味での「瞑想法」ではありません。
このように、正反対のことが説かれるのですが、ユングはこの矛盾を、次のように言って回避します。
東洋では無意識のイメージが力を持っているので、それを否定するように説かれるけれど、西洋では無意識のイメージが単なる幻想として否定されるので、むしろ、その実在性を理解しなければいけないのだ、と。
東洋では無意識のイメージが力を持っているので、それを否定するように説かれるけれど、西洋では無意識のイメージが単なる幻想として否定されるので、むしろ、その実在性を理解しなければいけないのだ、と。
ただ、タントラ(密教)やバクティ・ヨガには、ユング的に解釈可能な瞑想法もあると思いますが。
<チベット仏教>
「チベット死者の書」は、3つのバルド(意識の次元)を区別しながら、死の瞬間の純粋な空の状態(チカイ・バルド)から、神々などのイメージが現れ(チェニィド・バルド)、最終的に再生に至る(シドパ・バルド)過程を説いています。
1935年、ユングは、エヴァンス・ヴェンツ訳「チベット死者の書」の序文を書きました。
彼は、「チベット死者の書」が説く3つのバルトの2つに関して、次のように心理学的に解釈しています。
彼は、「チベット死者の書」が説く3つのバルトの2つに関して、次のように心理学的に解釈しています。
1 チカイ・バルド
2 チェニィド・バルド=集合的無意識の元型的イメージの世界
3 シドパ・バルド =フロイトの精神分析学の領域
2 チェニィド・バルド=集合的無意識の元型的イメージの世界
3 シドパ・バルド =フロイトの精神分析学の領域
ですが、ユングは、「テキストを逆に読んでいくことによって…」と書いているように、「チベット死者の書」を後ろから読んで、それが、東洋的なイニシエーションの過程、つまりは、ユングの「個性化の過程」に当たっていると解釈します。
無茶な解釈です。
無茶な解釈です。
1939年には、エヴァンス・ヴェンツ訳「チベットの大いなる解脱の書」の序文を書きました。
この書は、「明知」、「自己解脱」といった概念を含む、ゾクチェンの書です。
当時、ゾクチェンは、まだ西洋世界には知られていませんでしたので、この書を理解することは不可能でした。
この書は、「明知」、「自己解脱」といった概念を含む、ゾクチェンの書です。
当時、ゾクチェンは、まだ西洋世界には知られていませんでしたので、この書を理解することは不可能でした。
ユングは、ゾクチェンの「自己解脱」を「自己を救い出すこと」と解釈していますが、違います。
「空」から心に現れたものが、自然に煩悩性をなくし、消滅することです。
「空」から心に現れたものが、自然に煩悩性をなくし、消滅することです。
また、「明知」に関して、「意識の解消のようなものであり、従って、無意識状態に直接近づくことであるだろう」と解釈しますが、違います。
「明知」は、基盤としての本来の心が、最初から自覚的な意識を伴っていることを表現します。
「明知」は、基盤としての本来の心が、最初から自覚的な意識を伴っていることを表現します。
<禅>
1939年、ユングは、鈴木大拙「禅仏教入門」の序文で、「禅」について、次のように書きました。
「意識がその内容についてできるだけ空っぽになった場合、その内容は、一種の(少なくとも一時的な)無意識の状態にある」
「(無意識は)…心の全体を意識的に方向づけるために必要な一切のものを、意識の表面へもたらすのである」
「弟子の無意識の内なる本性が、師匠や公案の問いに対して応答するものが、明らかに「悟り」なのである」
「(無意識は)…心の全体を意識的に方向づけるために必要な一切のものを、意識の表面へもたらすのである」
「弟子の無意識の内なる本性が、師匠や公案の問いに対して応答するものが、明らかに「悟り」なのである」
つまり、禅の瞑想で、思考を停止させると、無意識の状態になり、無意識から意識に上げるにふさわしいものが意識に上がってくる、というのです。
公案の答えも、そのように答えるのだと。
公案の答えも、そのように答えるのだと。
禅の瞑想では、基本的に無意識の状態を目指しませんし、無意識から上がってきたものは、捨てられます。
一般に、公案の答えは、合理を超えたものを、態度や言葉で示すことです。
一般に、公案の答えは、合理を超えたものを、態度や言葉で示すことです。
<東洋思想への投影>
ユングの錬金術研究は、実際の化学的変成という物理的事実でもなく、錬金術のヘルメス主義的な形而上学でもなく、錬金術師が錬金過程に投影した無意識が研究対象であり、ユングはそれを自覚していました。
それに対して、ユングが東洋思想・東洋の瞑想法に対して行った解釈は、実際の瞑想法でもなく、その形而上学でもなく、ユングがそこに投影した自分の思想であり、ユングはそれについて無自覚でした。
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