中沢新一のゾクチェンとポスト構造主義

中沢新一は、宗教人類学などを専門とし、幅広い分野に関心を持つ思想家です。
また、彼はネパールでチベット仏教最奥義のゾクチェンを修行しており、仏教に対して現代的な視点からその可能性について書いています。

中沢新一の思想の中でも、仏教や神秘主義思想の現代的解釈に関わる部分について、簡単にまとめます。

中沢新一は、デビュー以降、ゾクチェンや後期密教の思想や修行法を、ジュリア・クリステヴァやジル・ドゥルーズらのポスト構造主義の概念を使いながら、「意味形成運動」という側面を重視して紹介しました。
この項目では、この点についてまとめます。

また、2000年以降には、「流動的知性」や、イグナチオ・マテ・ブランコの「対称的思考」、山内得立に影響を受けた「レンマ学」といった概念を使って、直観と論理の協働を重視して、自身の思想を深めています。
この点については、別項でまとめます。


<歩み>

中沢新一は、1950年、山梨市生まれました。
父は民俗学者で、義理の叔父には著名な日本史学者の網野善彦がいます。

父の影響で民俗学に興味を持ち、早稲田大学文学部に入学するも、東京大学教養学部理科二類に転学して生物学を学ぼうとしましたが、さらには、同大学の文学部宗教史学科に進んで宗教学に転向し、同大学院で修士課程を修了しました。

宗教史学科の柳田啓一ゼミは、イニシエーションを実際に体験して研究しようという方針だったこともあって、1979年、中沢は、ネパールでチベット仏教ニンマ派のケツン・サンポ・リンポチェに師事して、ゾクチェンを学びはじめました。

中沢は、おそらくゾクチェンのテクチューの段階までの修行を行ってから、帰国しました。
そして1981年、リンポチェの教えをそのまま日本語にして解説を加えた「虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行」を、リンポチェとの共著名義で出版しました。
これは、ゾクチェンの加行の段階を説いた「クンサン・ラマの教え」に基づいた教えです。

中沢が帰国したのは、僧の道に進むのではなく、学者、思想家としての道を進むことを選んでのことです。
ですが、彼の影響で、僧として続く者も生まれました。

ですから、彼がゾクチェンを日本に持ち帰ったことは、それが限定的なものだったとしたも、日本仏教を、大きく進めるきっかけになっています。
仏教の世界的史的基準、つまり仏教の本流であるインド-チベットの発展段階で言えば、日本仏教は、空海が持ち帰った中期密教の段階で千年以上止まっていたのですから。

当時、日本では、ゾクチェンも後期密教もほとんど知られておらず、中沢に対して日本の仏教関係者から、多くの批判がありました。
ですが、それは、例えば、最澄や空海が新しい仏教を持ち帰った時に、徳一が伝統的な奈良仏教の立場から彼らを批判したことと似ています。

中沢の仏教関係のその後の主な活動をまとめると、「三万年の死の教え-チベット死者の書」(1993)の出版、リンポチェの伝記「知恵の遥かな頂」の翻訳・編集・出版(1997)、「ゾクチェン研究所」を設立して機関誌「Sems」を刊行(1998)、「Sems」8号に掲載されたゾクチェン系の経典「鳥のダルマ」を、「鳥の仏教」として翻訳、出版(2008)などがあります。

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*「セム創刊夏号」

また、思想家としては、1983年に出版した論文集「チベットのモーツアルト」が、ネオ・アカ・ブームに乗って評判となり、中沢の名は広く知られるようになりました。

その後の主な著作には、「雪片曲線論」(1985)、南方熊楠論「森のバロック」(1991)、田辺元論「フィロソフィア・ヤポニカ」(2001)、比較宗教論の講義の5巻本シリーズ「カイエ・ソバージュ」(2002-2004)、「精霊の王」(2003)、「芸術人類学」(2006)、「野性の科学」(2012)、「レンマ学」(2019)などがあります。

また、所属などは、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手(1983-1993)、国際日本文学研究センター研究員(1989-91)、中央大学総合政策学部教授(1993-2006)、多摩美術大学芸術人類学研究所所長(2006-2011)、明治大学野性の科学研究所所長(2011-)です。

中沢の専門は、一般に宗教学、宗教人類学と表現されることが多いようですが、自身ではその時々に、「対称性人類学」、「芸術人類学」、「野性の科学」、「レンマ学」などのオリジナルなネーミングを生み出しています。
ですが、彼については、専門の学者というより、思想家と捉えるのが適当でしょう。
彼の思想、学問を、「中沢学」と称する人もいます。


<ゾクチェンとポスト構造主義>

ネパールから帰国以降の中沢は、ゾクチェンや後期密教の思想を、ドゥルーズやクリステヴァらのポスト構造主義の概念を使用しながら紹介、解釈しました。

これらのテーマに関わる主要な論文には、「病のゼロロジック」、「風の卵をめぐって」、「チベットのモーツァルト」、「極楽論」(以上「チベットのモーツァルト」に収録)、「タントリストの手記」(「虹の理論」に収録)、「Une soret de Mozart tibetain」(「森のバロック」に収録)などがあります。

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*「チベットのモーツァルト」

中沢は、クリステヴァやドゥルーズらが重視する「微分=差異化」といった概念、中沢の言葉では「意味形成性(意味形成運動)」をキーワードとして、ゾクチェンや後期密教の思想を評価しました。

「意味」の発生と、意識の階層性の観点から、神秘主義と哲学(現代思想)をつないで考える点で、そして、意味の「粒子性」を重視する点でも、中沢は井筒俊彦と共通しています。
また、「東洋思想の多くは構造批判の思想」(「マンダラあるいはスピノザ的都市」)と考える点でも、井筒と同じです。

中沢は、彼が重視する「意味形成性」を、意味や構造の発生段階における「中間的」なものとして捉えて、この段階の「運動性」を重視しました。
彼によれば、仏教は、「意味形成性」を重視することで、構造化された固定的な秩序を否定する思想なのです。

中沢は、「チベットのモーツァルト」で、クリステヴァの意味・記号発生論における、「欲動の流れ」→「原記号作用(原初的固定点・空間性の原基)」→「言語の論理・象徴機能」という段階を語りました。
そして、内在的言語論によって「超越者なき神秘主義」の検討に向かっていく、と書きました。

その一方で、中沢は、「極楽論」などで、仏の三身論の「法身→報身→変化身」を、意味や構造の発生の3段階と捉えます。
これは、クリステヴァの意味・記号発生論とパラレルです。
「報身」は、「意味形成性」を特徴とする「中間的」な段階であり、クリッステヴァにおいては、「原記号作用」に相当します。

(三身) (記号発生)  (意味発生)  (幾何的比喩) 
1 法身 :欲動の流れ  :意味の未発・内臓:連続体
2 報身 :原記号作用  :意味形成運動  :特異点
3 変化身:論理・象徴機能:統辞法的意味  :構造

中沢は、仏教に関して、他にも、後期密教の霊的身体論の3要素(滴→風→管)における「風」や、ゾクチェンの法界の三位一体(本体→自性→包摂力)における「自性」、マンダラに関わる幾何的比喩(ギュー(連続体)→キル(中心)→コル(渦))における「キル」なども、この「中間段階」として捉えます。

(霊的身体論)(法界三位一体)(マンダラ幾何学)
1 滴    :本体     :ギュー
2 風    :自性     :キル
3 管    :包摂力    :コル

ただ、厳密に言えば、「法身→報身→変化身」は階層状の段階ですが、他は各階層内の段階です。
つまり、「本体→自性→包摂力」は「法身」の階層内の3段階であり、「ギュー→キル→コル」、「滴→風→管」は三身の各階層内に適応される段階です。

中沢は、仏教の「極楽」や、ダンテが「神曲」で描写した「天国」は、単なるイメージではなく、深層的なイメージを形成する「光の微粒子」の「運動性」、「意味形成性」に本質があると言います。
そして、後期密教の観想法の生起次第や、ゾクチェンの光の瞑想のトゥゲルは、実際にそれを体験する瞑想法なのです。

密教の観想に関しては、「「光のかたまり」として想像し、その細部にいたるまでをヴィヴィドに視覚化して、全体が絶え間なく微細なゆらめきと複数性をたたえながらきらきらと輝き、かすかに振動しているように作り出さなければいけない」(「極楽論」)と書いていますす。

また、中沢は、密教の霊的身体論・生理学の3要素ついて、「滴(ティクレ、ビンドゥ)」を「潜勢的構築力」、「風(ルン、プラーナ)」を「運動性」、「管(ツァ、ナーディ)」を「構造体」と表現します。

そして、「密教では、修行者の身体自身を、間断なく光や音の振動が柔らかく貫いていく意味形成性の場に作り変えていこうとする」(同上)と書きます。
つまり、究竟次第の生理的ヨガの本質を、「風」の「運動性」を微細化して身体全体で体験することなのです。

また、男女の仏が合体した「合体尊(ヤブユム)」に関して、「「場」の連続性から運動性が光の粒子となって飛び出してくるその瞬間をとらえようとする」(同上)象徴であると書いています。
性ヨガに関しては、「性的な快楽そのものを微分=差異化しようとしている…快楽を器官性の束縛から解き放とうとする」(同上)と書きます。

「ギュー→キル→コル」は、マンダラの本質に関わる幾何的構造発生的な概念です。
チベットではマンダラを「キルコル」と訳します。
「ギュー」は「連続体」、「キル」は「中心」、「コル」は「渦」を意味します。
「ギュー」に特異点(ティクレ)が生じ、それを「中心」として、「渦」が広がっていき、空間性、そして、構造が生まれるのです。

「ギュー→キル→コル」は、様々な階層で存在します。
中沢が紹介するゾクチェンの経典「ティクレ・クンサル」では、「法身」のレベルでの「キル」は「リクパ(明知)」、「コル」は「イェシェ(智恵)」です。
彼は、「リクパ」については、励起的な特異点からの放射するような知性、「イェシェ」については、渦を巻いて空間を拡張するような知性と表現します。

そして、下記のように、「報身」、「変化身」のレベルでも「キル」、「コル」が存在します。

   (ギュー) (キル)      (コル)
法界 :本体 → 自性(リクパ) → 慈悲(イェシェ)

報身 :     無限知性体   → 五智

変化身:     アーラヤ識   → 八識

以上のように、中沢は、ゾクチェンや後期密教などの思想の本質を、脱神秘化し、内在論的な生成の問題として捉えました。

中沢は、これらの説明のために使ったポスト構造主義的の概念には、クリステヴァ、ドゥルーズの「微分=差異化」の他に、ドゥルーズの「強度」、「内包的スパティウム」、デリダの「差延」などがあります。

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