本地垂迹説と三輪流神道


仏教と神道の習合である「神仏習合」は、中世から近世にかけて、約1000年間の日本の宗教の基盤です。
明治政府が「神仏分離」を強行しなければ、現在もそれは濃厚に残っていたでしょう。

このページでは、「神仏習合」の潮流と、それを理論化した「本地垂迹説」、そして、「本地垂迹説」に基づいて、いち早く体系化を行った「三輪流神道」について紹介します。

「三輪流神道」は、単に、大神神社に関係する神と仏の本地を関係づけるだけではなく、全国の神々を曼荼羅として表現したり、曼荼羅の諸尊に神々を対応づけるなどして、「本地垂迹説」に基づく神道の体系化を行いました。


<神仏習合>

古代の律令体制が崩れ、地方の豪族が私的な領主となることで「中世」が訪れます。
天皇の記紀神話の権威が弱体化し、人々が仏教による新しい救済と支配の論理を求める中で、「神仏習合」が生まれました。
また、「神仏習合」は、記紀神話を再解釈し、新しい神話に再構築する「中世神話」の幕を開けました。

一般に、「神仏習合」は、神が仏に帰依する「神身離脱」として始まり(8C)、神が仏の「鎮守」、つまり、守護神となり(8-9C)、最後に、神を仏の化身として理論化する「本地垂迹説」へと進みました(11C)。

平安末期(12C)には、「本地垂迹説」の広がりによって、神社に本地仏が比定され、神宮寺に本地仏が祀られるようになりました。

そして、鎌倉時代(13C)には、神と仏の関係を逆転させた「反本地垂迹」も生まれました。

「神祇信仰」が、穢れと物忌の制度化としての「神道」になったのは、9-10C頃です。
ですが、この穢れを嫌う神道思想は、「神仏習合」が進む中で、末法思想の影響を受け、清浄な彼岸に至ることを願う仏教の「浄土信仰」へと変化していきました。

仏教による末法思想と、日本を周辺の国(辺土)と見る思想は、神が仏の代わりに機根に劣る人々を救い、浄土に導くという信仰を促しました。
インド密教でも、末法においては、仏や菩薩よりも忿怒尊や明王といった神々の方が、人を救うのに適していると考えられていました。

平安末期から鎌倉時代に人気を博した日吉、八幡、熊野などの神々は、そのように仏教と習合し、浄土への救いを約束するような神でした。

こうして、神祇信仰における神が「祟る」存在であったのに対して、「神仏習合」の影響で、神は「怒る(罰する)」存在、あるいは、仏を代行して「救う」存在になりました。


<本地垂迹説と中世的コスモロジー>

「神仏習合」における仏と神の関係の論理化は、「本地」と「垂迹」という言葉に集約されます。
「本地」は本体で、「垂迹」は化身した姿です。

仏が神の姿になって、日本の人々を救う、という仏教側の考え方が「本地垂迹説」で、仏と神の関係を逆にしたのが「神本仏迹(反本地垂迹)説」です。

「本地」の方が上位の存在ですが、本覚思想や救済の観点からすれば、「垂迹」の方が重要だとも言えます。
「神仏習合」に基底には、「神仏同体」、「神仏平等」、「神本仏本」といった考えもあります。

ですが、「本地垂迹」の論理は、密教の、仏が菩薩や神(天・明王)に化身するとか、菩薩が神に化身するという考えに由来します。
また、日本仏教のコスモロジーでは、「本地」は時空を越えた存在であり、「垂迹」は地上の特定の地域(仏国土、此土)にいる存在であり、日本は周辺の地域(辺土)にすぎません。


「本地」、「垂迹」という表現は、もともとは、天台宗で「法華経」を分類・解釈する時の「本迹二門」から来ているのでしょう。
「法華経」の前半の14品が「迹門」で、人間として生まれた「始成正覚」の釈迦、つまり、仏の三身説で言えば「応身」に対応する部分です。
それに対して、後半の14品が「本門」で、永遠の過去から悟っていた「久遠実成」の釈迦、つまり、「法身」に対応する部分です。

ですが、論理としては、それ以上に「三輪身説」が重要です。
「三輪身説」では、仏の本体を「自性輪身」とし、仏が菩薩として顕現する姿を「正法輪身」、明王として顕現する姿を「教令輪身」としました。

「本地垂迹説」との対応言えばで、「自性輪身」と「正法輪身」が「本地身」、「教令輪身」が「垂迹身」に当たります。


「本地垂迹」は、「本地/垂迹」の二層論ですが、中世的コスモロジーを考えた場合は、「本地/垂迹/化身」という三層論が適当だという学説があります。

神か仏かではなく、時空を越えた「本地」と、日本や特定地域を担当する「垂迹」、そして、直接、地上で人々と対面する「化身」です。
興味深いことに、聖(僧)や特定の仏像もこの「化身」と見なされました。

・本地:彼岸の存在:仏、菩薩
・垂迹:此土の存在:権現、明神、天部、明王
・化身:生身の存在:仏像、聖、翁

仏(本地)の救いを得るためには、「垂迹」や「化身」という媒介が必要であり、浄土に至るには、此土の中の浄土である各領地の寺院の媒介が必要でした。
これが顕密体制と呼ばれる中世仏教の体制です。

これに対して、この媒介を否定して、個人が直接、本地である仏と結びつきうるとしたのが、従来の仏教に対する鎌倉仏教の革命的で異端的な本質です。


<三輪流神道>

「神仏習合」の「本地垂迹説」の理論化は、三輪の大神神社の神宮寺で始まりました。
この真言宗の大御輪寺を中心として神仏習合した神道は「三輪流神道」と呼ばれます。

また、真言宗と習合した神道は、金剛界と胎蔵界の両部の不二を理論的特徴とするため、総称して「両部神道」と呼ばれます。

ちなみに、ほぼ同時期に天台宗と習合して生まれた神道は、「山王神道」と呼ばれます。
「三輪流神道」も「山王神道」も、三輪の神(大物主を勧請した日吉山王権現)を天照大御神と同体視して、大日如来、あるいは、釈迦を本地とします。

また、三輪山と伊勢の神路山が修験道の本末で結ばれ、山伏が「三輪流神道」を伊勢に持ち込んで、外宮の「伊勢神道」に影響を与えたため、両者には深い関係があります。

「三輪流神道」は、慶円上人(1140-1223)に始まり、叡尊(1201-1290)によって大成されました。
慶円は「三輪流神祇灌頂私記」を著し、叡尊は「三輪大明神縁起」を著したとされています。

慶円と三輪明神が互いの教えの神髄を示し合った時、どちらもヴァム字閇塔印で示した(これを「互為灌頂」と呼ぶ)のが、「三輪流神道」の始まりとされます。

ヴァム字は、水、智恵、生命を象徴します。
閇塔印は、三つの輪が三弁宝珠の形になる手印で、即身成仏を、そして、日月星と天地人の調和を、金胎不二の曼荼羅を表現します。

叡尊は、真言律宗を興した僧ですが、大神神社の神宮寺の三輪寺を中興して「大御輪寺」にしました。

また、叡尊は、蒙古軍の退散祈祷のために、伊勢神宮に参宮して三輪明神と天照大神の同体を感得し、外宮を金剛界、内宮を胎蔵界と対応付けました。
そして、伊勢に神宮寺を創立し、両部大日如来を置いて、内外両宮の本地院としました。

「三輪流神道」では、本地の「大日如来」が、「天照大御神」に垂迹し、まず、「大三輪大明神」として、次に、「伊勢皇太神(天照大御神)」として降臨したと考えます。

つまり、「大三輪大明神(大物主・大己貴)」は、「天照大御神」と同体であり、地上においては伊勢の「天照大御神」の元となる存在なのです。


<三輪流神祇灌頂>

三輪流神道には、真言宗の灌頂を神道の立場から再構成した神祇灌頂があり、ここには、教義や修道が表現されています。

「三輪流神祇灌頂」に記された灌頂は、類似した次第が3回繰り返されますが、そのそれぞれも3重の構造となっています。
最初の灌頂を中心に、以下、簡単に紹介します。

灌頂は、最初に、三つの鳥居をくぐることで始まります。
それぞれには次のような意味があり、対応する神々がいます。

        (意味)       (対応する神々)
・第一の鳥居:天元:過去の罪過を祓う:天の五行に対応する神世七代の神
・第二の鳥居:人元:現在の罪過を祓う:人体を構成する五大に対応する天の神
・第三の鳥居:地元:未来の罪過を祓う:五行に対応する地上の神

次に、密教の灌頂と同様に覆面を被って入壇し、投華して神と結縁した後、「神の社」と呼ばれる壇を拝観します。

「神の社」には、中央に榊の木が立てられ、八咫鏡が掛けられ、両側に天叢雲剣が立てられています。
八咫鏡は表裏が天照大御神と豊受大御神を示し、後者は八坂勾玉に当たるとされます。

また、その手前には「敷曼荼羅」が敷かれ、五つの鏡が置かれています。
この「敷曼荼羅」は、以下のように三重の構造になっていて、三輪流神道のパンテオンを示します。

・中央:天照大御神
・二重:五大明神(三輪・住吉・熊野・春日・八幡)
・三重:二十四大明神(高野、稲荷、山王、熱田、白山、蔵王、諏訪、賀茂など)

そして、敷曼荼羅の上に置かれた五つの鏡は、天忍穂耳以下の地神五代を示します。

また、周りに五色の花を活けた五瓶が置いてあり、それぞれが五行、五智を象徴します。

次に、第一段階(初重)とされるのが「正覚壇」で、智水を注がれ、三種の神器を授かります。
三種の神器には、次のような意味があり、種字と対応します。

 (神器)  (種子) (意味)
・神爾(玉) :ア字 :根源の生きる
・宝剣    :ウン字:煩悩の克服
・内侍所(鏡):ヴァム字:智恵の明鏡

次に、第二段階(二重・外宮)とされるのが「麗気壇」で、神の麗気を受けてその心を体得します。
ここで、三種の神器ととれを統合する宝珠の意味、対応する神仏について以下のように明かされます。

 (神器)   (仏)   (神)
・宝珠   :舎利   :国常立尊
・鏡    :如意輪観音:天照大御神
・剣    :不動明王 :天児屋根命
・弓矢(玉):愛染明王 :武御雷神

最後に、第三段階(三重・内宮)とされるのが「岩戸大事」で、不動根本印を結び、帰命ハム字を唱え、次に、金剛合掌をして、秘歌を歌います。
この「岩戸大事」の意味は、岩戸に隠れた天照は、心の奥に隠れた如来蔵(仏)と同じであり、その仏=天照を顕現させることです。

また、二回目の灌頂の「敷曼荼羅」は、最初のものと異なり、天忍穂耳尊以下の地神五代のうちの四神と、天児屋根命など四神が描かれています。
そして、三重目の灌頂の「敷曼荼羅」は、神世七代などの八神が描かれています。

また、三回目の灌頂では、「正覚壇」の代わりに「唐櫃」があり、左手に八咫鏡(清浄心を象徴)、右手に天逆鉾(万物の創造を象徴)を持ちます。
そして、「岩戸大事」では、不動根本印の代わりに天逆鉾に対応する独股印を結び、ハム字の代わりにフーム字を唱えます。


<愛染明王曼荼羅との対応>

また、「神道灌頂清軌」には別の灌頂の次第が記されていて、愛染明王を中心にした理趣経曼荼羅十七尊と神々が、以下のように対応させられています。
この曼荼羅は、「如法愛染」によりながら金剛界曼荼羅に近づけた独自のものです。

     (仏)         (神)
・中心:愛染明王       :天照大御神
・二重:欲・触・愛・慢    :天忍穂耳以下の地神五代の四神
・三重:欲女・触女・愛女・慢女:稚産霊などの生産の神
・四重:春・夏・秋・冬    :猿田彦、住吉、稲荷、大己貴
・五重:色・声・香・味    :高皇産霊・素戔鳴・蛭児・月弓

この曼荼羅にある神々は、五穀豊穣を産む天地の自然と生産の神々です。
それが、感覚・愛欲などの現世的なものを肯定する仏教尊格と対応させられていて、一貫した思想が表現されています。

また、三つの鳥居には、下記の通りの意味づけがされています。

      (神)  (本地仏) (種字) (意味)
・一の鳥居:荒振神 :金剛界大日: ア  :心清浄
・二の鳥居:菊理姫 :胎蔵界大日:ヴァム:生命
・三の鳥居:住吉明神:不二大日 :フーム:中道

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