オルフェウス秘儀

紀元前6C頃のギリシャの世界観、つまりホメロスに代表されるオリンポスの宗教によれば、人間と神は区別され、死後は冥界でみじめに暮らす、というものでした。

こういった考え方に対して、オリエントの神秘主義的な世界観を引き継いだ、神的なものを積極的に求める宗教・思想運動が起こりました。
多くのギリシャ哲学はこの流れにあります。

BC6C頃のトラキア出身と言われる伝説的人物オルフェウス(オルペウス)は、この潮流の最初の象徴的人物の一人です。
彼は、ルネサンス、ロマン主義など、霊的なものが重視される時代には、常にその象徴として復活しました。

オルフェウスの存在は神話化されていて、その歴史的な実在性に関してははっきりしません。
オルフェウスの信仰は、1つの教団というよりも思想運動としての広がりを持ったもので、オルフェウス関連文書の多くは、ピタゴラス教団の者が書いていたようです。
オルフェウス派の思想は、エンペドクレス、ピタゴラス、プラトンらの哲学者に受け継がれました。


オルフェウス派にとって、最も重要な神はディオニュソスです。
オルフェウス派は、独自のディオニュソスの神話を持っていて、これがオルフェウス派の思想、秘儀の根底にあります。

この「大ディオニュソス」の神話は、ゼウスとペルセポネーの子のディオニュソスを、ティタン神族が七つ裂きにして大鍋で煮て食べたため、ゼウスが怒ってティタン神族を電光で撃ち殺した、人間はその灰から作られた、という話です。

つまり、人間は、ディオニュソスに由来する神的な部分と、ティタン神族の神の殺害という原罪に由来する部分があるのです。

ディオニュソスに由来する神的な部分を知らない人間は、ペルセポネーの恨みを受けて、惨めに輪廻を繰り返します。
ですが、それを記憶する人間は、オルフェウス派の禁欲的生活と秘儀を体験することで、死後にペルセポネーの元で神的な不死の生を送ることができるのです。

オルフェウス派は、ティタンが行ったような殺生を否定します。
それゆえ、肉食や自殺も否定します。

このことは、生贄を行うオリンポスの宗教を否定することになり、また、秘儀で八つ裂きや生肉喰いを行うディオニュオス秘儀を否定することにもなります。
オルフェウス派は、明確に、反オリンポス宗教、反ディオニュソス秘儀の立場にあります。


オルフェウス派の秘儀については、はっきりとしたことは分かりません。
ですが、秘儀では、死後の冥界下りを予習的に体験し、進むべき道を教えられます。

冥界では、いくつかの分かれ道を間違わず、そして落とし穴に落ちたりせずに進みます。
「冥界の館」の左右に泉があって、右の泉の水を飲まなければいけません。

右の泉の水は「記憶(ムネモシュネ)」の沼から流れる水で、それを飲むと、自分の魂の本質が神に由来することを記憶した状態で、次に進めます。
ですが、左の泉の水は「忘却(レテ)」の沼から流れる水で、それを飲むと、自分の魂の本質が神に由来すること忘却した状態で、地獄に送られて、千年後にその体験も忘れて地上に転生してしまいます。

次に、冥界の監視者に対しては、「我は大地と星輝く天の子なれど、我が属するのは天の種族である」などと語る必要があります。
これによって、自分の魂の本質が神に由来すること記憶していることを示すためです。

そうして「女主人の懐」と呼ばれるペルセポネーのもとに至ると、彼女による確認を経て、ペルセポネーの杜、神聖な草原に至って、神的な生を永遠に生きることができます。

秘儀を終えると、冥界で取るべき行動を記した金版(オルフェウスの金板)を受け取ります。


オルフェウス派は、オリンポスの宗教とは異なる、独自の宇宙生成論を持っています。
いくつかの説がありますが、「24の叙事詩からなる聖なる伝説」によれば、無限時間神を原初に置きます。
この点や、神的存在(ディオニュソス)が死して人間になるなどの点から、オルフェウス派はイラン系宗教、特にズルワン主義の影響を受けたと思われます。

彼らはズルワン主義=ミスラ教の神々を、ギリシャ名の神々に置き換えたようです。
先に書いたように、至高神の無限時間神ズルワンは無限時間神クロノス・アゲラオスに、そして、光と友愛の神ミスラは光と愛の神エロス=ファーネスやアポロンに、マズダは主権神としてはゼウスに、死する神としてはディオニュソスに、といった具合です。


一方、オルフェウス自身に関する伝説、神話が伝えられています。

オルフェウスは死んだ妻を助けるために冥界に下り、竪琴で冥界の存在を魅惑して妻を連れ帰ろうとしますが、途中で後ろを振り返ってしまったために失敗した、と。

小ディオニュソスが母の救出に成功したのに対して、オルフェウスは失敗します。
この神話は、イザナギの神話とそっくりであって、オルフェウス派の創作ではなく、同様の古い神話をオルフェウスに当てはめたものでしょう。

また、オルフェウスはディオニュソスの女性信者に引き裂かれて死に、彼の頭部は竪琴に釘で打ちつけられて河に投げ込まれ、レスボス島に流れついて、オルフェウスの首はディオニュソス神殿に埋葬されて、彼の首はその後も神託を下した、と。

引き裂かれて殺されるのは、大ディオニュソスの追体験で、河に投げられる点ではオシリスと同じです。
ですが、ディオニュソスのように復活や再誕はしません。

オルフェウスの神話・伝説には、オルフェウス派の神性を求める思想の要素が明確ではありません。
ですから、これらの神話・伝説がオルフェウス派自身が信じていたものだったのか疑問が持たれます。

ディオニュソス(バッコス)秘儀

アテネ郊外では、BC6Cにはディオニュソス秘儀が行われていたようです。

ディオニュソス神自身は、クレタ島のミノワ文明に由来する古い神で、ギリシャにもBC20C頃には根付いていました。

アポロンの本拠地デルポイにもディオニュソスの聖地があります。
デルポイは、アポロンがやってきて女神から主神の座を奪いましたが、ディオニュソスは豊穣女神の息子として、アポロンが来る前からいたのでしょう。

ですが、ギリシャではディオニュソスは新入りの神とされるので、再到来したのかもしれません。

最初はその非ギリシャ的な性質のため迫害を受けたようですが、最終的にはゼウスの主権を引き継ぐべき存在という重要な神として受け入れられました。

ギリシャ神話の中では、ディオニュソスは最後に現れた神で、彼がブドウ酒を創造することで神々による世界創造が完成しました。
ディオニュソスにはたくさんの異名があって、その代表的なものは「バッコス(=若芽)」や「ザクレウス(=大猟師)」です。

一般に知られるディオニュソスの性質は次のようなものです。
彼は突然どこからともなく現れ、人々を熱狂させ、踊らせ、時には狂気におとしいれて動物や人を引き裂かせます。
また、ブドウの樹を1日で大きく成長させたり、地からブドウ酒を噴出させます。
成人したディオニュソスは、本当の顔を見せずに髭をはやした男の仮面をつけています。

つまり、ディオニュソスは意識的な秩序にとってまったく異質で潜在的な力そのものであって、その突然の噴出を本質としています。
心臓と男根は、意識と無関係に躍動して体液を噴出させる点で、ディオニュソス的存在なのです。

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ディオニュソスの神話には、2系統の神話があります。
一般に知られている「神から生まれた人の子、小ディオニュソス」の神話と、オルフェウス教徒の秘伝による「神々の子、大ディオニュソス(ザクレウス)」の神話です。
ディオニュソス秘儀が基づく神話は前者の神話で、オルフェウス秘儀が基づくのが後者の神話です。

小ディオニュソスの神話は、ゼウスと人間の娘の子のディオニュソスが、ヘラの嫉妬によって狂気に落とされるも、大女神キュベレに救われ、秘儀を伝授されてギリシャに伝道した、ディオニュソスの批判者は狂気となって息子を八つ裂きにしてしまった、その後、ディオニュソスは母と妻アリアドネーに不死の神性を与えた、といった話です。

ディオニュソスは、到来する神であり、抵抗を受ける受難の神です。
と同時に、ディオニュソスは、狂気を経て人を神性へ向かわせる存在です。
ディオニュソスらの狂気や熱狂、八つ裂きには、「地上性の破壊」と「神性との交流」の2つの意味を持っています。


アテネでは1年に3つのディオニュソスの公開される祭りが行われました。

1月に行われた「レナイア祭」は、エレウシスの祭司が童神イアッコスとしてのディニュソスを呼び出すものでした。
この祭では大、小2つの秘儀が3年毎に行われたという説があります。

また、2~3月に3日間で行われた「アンテステリア祭」は、ディオニュソスと王妃(女性神官)との聖婚などが行われました。
王妃はアリアドネーです。

3月に5日間で行われた「大ディオニューシア祭」では、演劇の競技が行われ、葡萄酒を捧げました。

ディオニュソスは、2年周期の神であり、冥界のペルセポネーの宮殿で眠る不在の年と、眠りから覚まされる出現の年を繰り返します。
冥界のディオニュソスにはイチジクの樹で作った仮面、地上のディオニュソスにはブドウの樹で作ったバッコスの仮面がありました。
ですから、ディオニュソスはブドウの生育の循環と一致する側面と、一致しない側面があります。

ディオニュソスの秘儀についてはほとんど分かっていませんが、女性だけが参加したという説があります。
エウリピデスの悲劇『バッコスの神女達』には、子鹿の皮衣を着て蛇を腰紐にし、仔鹿や狼の仔を抱いて乳を与える姿のディオニュソスの女性信者が、深夜に、笛・太鼓・タンバリンの伴奏に合わせて狂ったように踊りながら森を駆け巡って、犠牲の牛を引き裂いてその生肉を喰う姿が描かれています。

ディオニュソスの秘儀での狂乱は、ディオニュソス自身が体験した狂気を試練として自らに果たすものです。
信者は熱狂の中で地上的な意識を引き裂いて、ディオニュソスの神性と一体化します。

しかし、ディオニュソス秘儀が死後の祝福、不死性を保証したかどうかは分かりません。

牛を引き裂くのはディオニュソスが引き裂かれたことの再現であると同時に、その生肉喰いはディオニュソスの神性を得るための聖餐です。

エレウシス秘儀

エレウシスの秘儀はとくても古く、アテネ近くのエレウシスで、BC15C頃には始まったようです。

エレウシス秘儀では、人間の霊魂が死後に冥界に下ってから神のもとに至るまでの旅を、神話に重ねて体験します。
それによって、参入者に「死後の祝福」を約束しました。

ギリシャの伝統的な死後観では、普通の人は死後に地獄のような冥界に行きますが、一部の英雄達は海の彼方の至福者の島か冥界にあるエリュシオンの野に行きます。
エレウシス秘儀の目的は、死後にエリュシオンの楽園に行くことだったのでしょう。
後のオルフェウス教団やピタゴラス教団は、それを輪廻からの解脱と理解しますが、エレウシスの秘儀は輪廻思想を持っていなかったはずです。


エレウシス秘儀が主題とするのは、ペルセポネーの神話です。

中心になるテーマは、冥界王ハデスにさらわれた麦の少女神ペルセポネーを、地母神・麦の母神であるデルメル(デーメーテール)が取り戻そうとしましたが、1年のうちの1/3は冥界で暮らさざるをえなくなったという話です。
ペルセポネーの死と復活がテーマとして含まれます。

季節循環の穀物神話としては、ペルセポネーが冥界にさらわれるのは種が地の下に播かれることを、デルメルとの再会は発芽(あるいは穂の実り)に対応すると解釈できます。
そして、秘教的解釈では、死んだ魂であるペルセポネーは、大地の母神、あるいは麦の母神であるデルメルの再生させる力、生む力によって、純粋な魂として復活するのです。

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*デルメル

エレウシスの秘儀には、アテナイ近郊のアグライで毎年春に行われる「小祭」と、アテネとエレウシスで毎年秋の種蒔きの時期に8日間で行われる「大祭」がありました。
「小祭」ではペルセポネーに関する「小秘儀」が行われ、「大祭」では「大秘儀」と「奥義秘儀」が行われました。
また、他にも、「大祭」と同時期に女性だけで秋に行われる「テスモフォリア祭」など、いくつもの祭りがありました。

「大秘儀」の実体は不明ですが、以下のようなテーマの順に進んだと想像されています。
まず、「ペルセポネーの略奪」、そして、「ペルセポネーとハデスの聖婚」、「デルメルの悲嘆と探索」、「デルメルとゼウスとの聖婚」、「ペルセポネー発見と少年神の誕生」、「デルメル(=ペルセポネー=イアッコス)との合一」です。

参入者は、まず、断食をし、幻覚作用のあった麦ハッカ水のキュケオンを飲みます。
そして、衣服を抜いだり、目隠しをしたりして、ペルセポネーの探索のために冥界に降りていきます。
冥界の川を越えたり、審判と罪の浄化を受けたりしたかもしれません。

また、デルメルがゼウスによって暴力的に犯されるという聖婚が、女性司祭と男性司祭によって行われたとも言われます。
そして、少年神イアッコスの誕生、ペルセポネーの発見、光の部屋で最奥義を開陳が行われました。
これは、刈り取られた麦の穂が無言で示されたのだという説があります。
イアッコスとぺルセポネー、麦の穂はどれも同じく、復活する魂であり、霊魂の神性を象徴します。
秘儀参入者は自らをこれと同一視するのでしょう。

その後、新しい衣服に着替えて、地上へと戻ります。

このようにエレウシスの秘儀では、麦の霊の循環を表現する神話に重ねて、人間の霊魂が死んでから神のもとに至る旅を、あらかじめ体験させるものでした。


エレウシス秘儀では、神々の暗黒面が重視されることが特徴です。

ペルセポネーを失って悲しむデルメルは、「黒いデルメル」、「復讐のデルメル」とも呼ばれます。
発見されるペルセポネーは「その名を口にすべからざる少女」と表現され、彼女は2つの顔と4つの目を持っていたと考える者もいます。
2人の冥界の女神としての黒い女神は「ブリーモー(恐怖を呼び起こす女神)」と呼ばれます。
この冥界の地母神的な存在である「ブリーモー」が魂を復活させるのです。

聖婚の後、秘儀では「ブリーモーがブリーモス(恐怖を呼び起こす少年神)をお生みになった」と宣言されます。
少年神のイアッコスはデルメルとゼウスの息子と考えられていますが、角を持つディオニュソスであるとする者もいました。

エレウシス秘儀においては、霊魂の神性は、時には異形の姿をした豊饒の力を持つのは地下的存在なのです。