ジャービルとアラビア錬金術

アレキサンドリアで生まれた錬金術は、イスラム世界に伝わり、バグダッドなどの都市で発展しました。
イスラム世界では、錬金術は「アル・キミア」と呼ばれます。

初期の重要な書には、ヘルメスに帰される「エメラルド板」があります。
この短い書には、「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」という有名は句があります。

イスラム世界で最も重要な錬金術師は、ジャービル・イブン・ハイヤーン(720年頃-710年頃)です。
彼は伝説的な人物であり、多数の人間がジャービルの名で著作しており、本人の実在性については確かなことは分かりません。
そのため、ジャービルの名で書かれた錬金術書は「ジャービル文書」と呼ばれます。

ジャービルは、バリーヌースによる「水銀・硫黄理論」を継承しました。
この理論は、ヨーロッパで18C頃まで信じられました。

この理論では、アレキサンドリアのゾシモスとは異なり、金属は「水銀」と「硫黄」からなると考えます。 
ただし、「水銀」とは湿った蒸散気の総称であり、「硫黄」とは煙状の蒸散気の総称です。
また、両者は、金属の「種子」とも表現されました。

そして、金は、この両者が最高の比率で結合したものです。
これに対して、例えば、鉄・銅は「水銀」が少なく、乾いていると考えました。

ジャービルの錬金術理論は、アリストテレスの物質理論とガレノスの医学理論を元にしています。

アリストテレスの物質理論では、「第一質料」を基体として、「4元素」は「4性質」の結合でできると考えます。
ガレノスの医学理論では、アリストテレスの物質理論に対応して、人間は「4体液」の正しい均衡が健康をもたらすと考えます。
そして、各性質を4段階で評価し、足りない性質を加えることで治療します。
アリストテレスとガレノスの、「4元素」、「4体液」、「4性質」の組み合わせの対応は下記の通りです。

(元素)(体液)(性質) 
火  :黄胆汁:温・乾
空気 :血液 :温・湿
水  :粘液 :冷・湿
土  :黒胆汁:冷・乾

錬金のプロセスは、最初の混合物を蒸留して各元素に分離します。
それをさらに蒸留して、各単一の「性質」だけの物質に分離します。
「温」の物質、「冷」の物質、「乾」の物質、「湿」の物質です。

次に、「アル・イクシール」と呼ばれる変性剤を使って、対象物に単一の「性質」だけの物質を加えて、変性していきます。
「アル・イクシール」は、正しい一定の比率で「性質」が結合したものです。

錬金術師にとっては、「アル・イクシール」を作るための優れた素材の発見が重要です。
一般的に、金属ですが、ジャービルは動物性の素材も重視しました。

錬金過程では、どの「性質」をどれくらい加えるかが重要になりますが、ジャービルは、これを28段階に区分して評価しました。
また、各物質の名前のアラビア語アルファベットを数値計算して、各「性質」の比率を出しました。

彼にとっては、名前はただの名前ではなく、本質を表現するものだったのです。

しかし、以上のジャービルの変性理論は、ヨーロッパの錬金術には継承されませんでした。

ジャービルにとっても錬金術の教えは秘儀に属するものであり、イスマーイール派の影響で、「ジャービル文書」は、師から弟子への秘儀伝授の様式で書かれています。
また、教えの本質を、数冊、もしくは数章に分散して断片的に記載する「真理の分散」という方法で、教えを隠しました。
この方法は、ヨーロッパの錬金術書にも継承されました。


アラビアの錬金術には、ヘレニズムの錬金術にはない要素が多くあり、ここには陰陽理論と水銀を重視する中国の錬丹術の影響があったかもしれません。


イスラム世界でも、すべての哲学者が錬金術を認めたわけではありません。
有名な批判者には、イブン・シーナーがいます。
彼は、人間の能力・技術は限界があり、自然に劣ると考え、錬金術を否定しました。

イスマーイール派神話の哲学化

イスマーイール派の神話は、ファーティマ朝期にスィジスターニやキルマーニーらによって哲学化されました。



<スィジスターニ>


スィジスターニは新プラトン主義の影響がペルシャ学派の哲学者です。
彼はカルマト派の神話・思想とペルシャ学派の哲学を統合しました。


スィジスターニにとっての究極存在である神は、不可知の神です。
「神はAでない」「神は非Aでもない」と二重否定でしか表現されません。


神は「あれ!」という言葉と同一視される「創定行為」によって第一の存在者である「知性」=「第一被造物」を創造します。
「知性」はその後の流出の起源であり、形相と質料の起源です。


「知性」は「普遍霊魂」=「第二被造物」=「後継者」を流出します。
「知性」が現実態において完全であるのに対して、「普遍霊魂」は可能的存在です。


「霊魂」は「自然」と流出しますが、「自然」に惹きつけられて下位世界に下降します。
そのため、「霊魂」は「知性」との距離が出来て「不安」を持つ存在なのです。


「自然」は「7天球」、「4元素」、「鉱物」、「植物」、「動物」、「人間」という段階で流出・創造します。


「普遍霊魂」は人間の中には「部分霊魂」として入り込みます。
人間は死後に「普遍霊魂」に復帰できます。
そのためには、肉体の束縛を離れた純粋形相に対する認識(グノーシス)が必要です。
人間がグノーシスを得るためには、聖職者の組織が必要です。


以上のように、スィジスターニはプロティノス的な神・知性・霊魂の3位階を考えていて、プトレマイオス的な10階層を取り入れたペルシャ学派のファーラビーの流れとは異なります。


しかし、また同時に、スィジスターニも7つの周期、7人の告知者、7文字の獲得というカルマト派の神話を共有しています。
カーイムは「知性」からの導きを受けた特別な存在です。
そして、「純粋霊魂」である最後のカーイムの出現によって、人間は肉体を離れて、元の位階に復帰した普遍霊魂に一体化します。



<キルマーニー>


キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝の主流です。
宇宙論的には、スィジスターニとは異なり、プトレマイオス的な10階層を取り入れたファーラビーの流れにあります。
また、宇宙論に「堕落」を含まないなど、神話的側面が希薄なことも特徴です。


キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝が終末を成就できなかった現実を正当化する必要に答える部分があります。
彼はファーティマ朝を、千年王国のような存在として位置づけます。



究極存在としての神を、二重否定を用いて定義する点はスィジスターニと同じです。
神による無からの創造(創定行為)を流出の上に接合する点も同様です。


ただ、「あれ!」という創定行為を、神の側よりも「第一知性」の側に考えることで、神の不可知性を徹底させます。
「第一知性」は神を思考することはできません。
神と「第一知性」の間には、絶対的な断絶があるのです。


神は「第一知性」を創造しますが、その後、「第一知性」は2系列の知性を流出します。


一つは現実態の「現実知性(離在知性)」の系列です。
これは質料を伴わない知性であり、天使でもあります。
これらは「第二知性(第一流出体)」から「第十知性」までです。
「第一知性」はアリストテレスの言う「不動の動者」であり、「第十知性」は「能動的知性」です。
また、「第二知性」をスィジスターニの「普遍霊魂」と見なしています。


もう一つは「可能知性」の系列で、「質料」と「形相」からなる天球や天体、そして自然などの存在です。
これらは「第三存在者(最高天球)」から「自然(月下界)」までの10の存在です。
「第三存在者」はアリストテレスの言う「第一質料」でもあります。
「自然(月下界)」は「生成消滅界」とも呼ばれます。
そして、天体の霊魂も、人間の霊魂も「可能知性」です。


10の「現実知性」=天使は、それぞれ対応する10の天球を支配します。


各知性には人格的に表現される側面は少なく、流出は機械的に起こり、堕落は存在しません。

(キルマーニーにおける3つの階層の対応)
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<可能知性>
<現実知性(天使)>
<地上の聖職者>
最高天球(第三者)
第一知性(不動の動者)
告知者
第二天球
第二知性
基礎者
第三天球(土星)
第三知性
イマーム
第四天球(木星)
第四知性
バーブ(門)
第五天球(火星)
第五知性
 
第六天球(太陽)
第六知性
 
第七天球(金星)
第七知性
 
第八天球(水星)
第八知性
 
第九天球(月)
第九知性
 
月下の自然
第十知性(能動的知性
入門者



「第一知性」は「一者性」を持つ一なるものですが、同時に、10の属性を持つ多なるものです。
10の属性は、「創定行為」「真理」「一者性」「完璧性」「完全性」「永遠性」「知性」「知識」「能力」「生命」です。


「第一知性」は「生命」を本質としながら、他の9の属性を付帯しています。
このような存在として、「第一知性」は「第一完全態(第一究極)」であるとされます。


「第一知性」から流出した人間の霊魂は、可能態である「可能知性」の状態になっています。
そして、人間は、「現実知性」となって「第二完全態(第二究極)」を目指します。
「第二完全態」は、「生命」と他の9の属性が結びついて一体となった状態です。


これが宇宙の目的であり、歴史です。


また、以上の宇宙論的な存在者と、地上の聖職者の位階などが対応すます。
「第一知性」は「告知者」、「第二知性」は「基礎者」、「第三知性」は「イマーム」、それ以下の知性もそれ以下の聖職者の位階と対応します。
また、7人の「イマーム」が「第三知性」から「第九知性」に、終末の「カーイム」が「能動的知性」に対応するとも考えます。


「鉱物」は「自然霊魂」、「植物」は「成長霊魂」、「動物」は「感覚霊魂」を持ち、人間はさらに「理知霊魂」を持ちます。
「理知霊魂」は質料を必要としません。
これら自然は進化論的に順次、生み出されます。
キルマーニーはスィジスターニのように、人間が「普遍霊魂」を分有するとは考えません。


「告知者」は、感覚的・想像的認識によって「能動的知性」から照明を受け、結合し、知的な導きを受けます。
「告知者」、「基礎者」、「イマーム」はいずれも「現実知性」です。


終末の「カーイム」は「第二完全態」です。
人々は「カーイム」を通して肉体の束縛・質料を離れ、「現実知性」となり「第二完全態」となります。
終末に「第一知性」から聖霊が人間の霊魂の中に入り、人間を作り変えます。


ファーティマ朝では「イマーム」が常に地上に存在するとします。
また、終末は間近に迫っていないとしました。
こうして、ファーティマ朝は終末を先取りしつつも終末は訪れない、千年王国的存在です。


「カーイム」は律法(シャリーア)を廃棄しません。
また、聖職者の組織も廃絶されず、霊的世界にそのまま移行します。


キルマーニーの思想は、イエメンのタイイブ派にも受け継がれましたが、タイイブ派では再度、神話的側面が統合されます。
 

初期イスマーイール派の神話

イスマーイール派の思想が哲学化される以前の、イスマーイール派の神話を2つ紹介します。 
最初はファーティマ朝以前、次がファーティマ朝期です。



<カルマト派>


初期のイスマーイール派の主流の神話は、はっきりとは分からないのですが、初期の分派であるカルマト派の神話とほぼ同じであると想像されます。


人類の歴史は「7つの周期」で進化します。
それぞれの周期は、預言者に当たる「告知者」が聖典とシャリーア(律法)をもたらして始めます。
「告知者」は聖典の外面的な意味「ザーヒル」を伝えます。
7人の「告知者」はアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマド、そしてイスマーイールです。


「告知者」の後には「沈黙者」が続き、内面的な意味「バーティン」を明らかにします。
ムハンマドの第6周期ではアリーが「沈黙者」に当たります。


「沈黙者」の後には「完成者」と呼ばれる7人の「イマーム」が続きます。
7人目のイマームは「カーイム」となり、新しい周期とシャリーアをもたらします。
ムハンマドの第6周期(イスラムの周期)では、イスマーイールの息子、ムハンマド・イブン・イスマーイールが最後のイマームに当たります。


1つの周期が終了するごとに、世界を構成する「7文字(アラビア文字のK、W、N、Y、Q、D、R)」の一つが地上にもたらされます。
つまり、霊的な智慧が順次もたらさせるということでしょう。


地上にはイマームを頂点にして聖職者のヒエラルキーが存在します。
イマーム下には「フッジャ(証)」がいます。
イマームが隠れている時期には、フッジャが聖職者組織を統括します。
さらにその下にも7つ(あるいはその他の数)の位階が存在します。


フッジャは12名おり、聖職者の組織は12のエリアごとに活動します。


ムハンマド・イブン・イスマーイールは救世主「マフディ」であり、人類史を完成させる告知者となり、イスラムの周期とシャリーアを終わらせます。
彼は新しいシャリーアをもたらさず、外面的な意味なしに究極的真理(ハキーカ)を明かします。



<アブー・イーサー>


ファーティマ朝期になりますが、アブー・イーサーによって、宇宙創造論的神話が付け加えられました。
その特徴は、「7文字」を主体としていることと、堕落論的性質を持っていることです。
文字(種子マントラ)を宇宙の根源として考えるのは、密教と同じ発想です。
堕落論は、グノーシス主義やミトラ教からの影響でしょう。


神は不可知の次元の存在です。
神が意図した時、「光」を創造し、それを通して創造しました。
しかし、「光」は自分が創造者なのか被造物なのか分からず、一瞬たたずんでしまいました。

神は「光」に霊を吹き込んで、「あれ!(kun)」と声を投げかけ、「光」に「カーフ文字(K)」、「ヌーン文字(N)」、「ワー文字(W)」、「ヤー文字(Y)」を与えました。
これらの文字は、光=造物主デミウルゴスであり、「クーニー」と名づけられました。
これらは「コーラン」の「あれ!(kun)」に由来する4文字です。


神は「クーニー」に、自分の援助者、神の命令の伝達者を作れと命じ、「Q」、「D」、「R」からなる「カダル」を創造しました。
これは「コーラン」の「行く末定める(qaddara)」に由来する3文字です。


「クーニー」と「カダル」を通した文字の結合によって、「7ケルビム(7大天使)」、「12の精神的なもの」、「6位階」が順次、創造されました。
神はこれらの存在に対して、「カダル」への服従を命じましたが、低い位階の「イブリース」が拒否しました。


「クーニー」の躊躇と、「イブリース」の拒否の意味とその結果については明言されませんが、一種の「堕落」という性質を持ったものであると想像されます。
この点は、これ以降のイスマーイール派の神話の中ではっきりと現れてきます。



カルマト派やアブー・イーサーの神話に登場する「7文字」は、バビロニア神学(占星学)的には「7光線」、宗教的には「天使」、哲学的には「知性」に相当するものでしょう。