ファーブル・ドリヴェの哲学的人類史

ファーブル・ドリヴェは、古代の音楽、言語、歴史に興味を持ち、独自の思想を形成しました。
彼は、人類の原初の言語に近いと考えた原へブライ語を復元し、「創世記」や各民族の聖典を研究することで、古代の知識や歴史を発見しようと試みました。

ドリヴェの思想、特にその空想的な人類史観は、19Cフランスのオカルティズム復興運動や、ブラバツキーの人類史観などに影響を与えました。

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<古代音楽>

アントワーヌ・ファーブル・ドリヴェ(1767-1825)は、南フランスの裕福な家庭に生まれましたが、フランス革命によって一族の財産は没収されてしました。
少年時代から人類の叡知をすべてまとめた厖大な書物を書き上げることを夢見て育ちました。

ドリヴェは、古代音楽の復興や、音楽と星辰との関係の研究を主張した音楽神秘主義者ピエール・ジョセフ・ルシエ神父の影響を受けました。
神父は、古代ギリシャ音楽は古代エジプトの音楽の後継であると考えていました。

ドリヴェは、音楽家として活動し、古代ギリシャ音楽の復興を唱えて、「ギリシャ旋法」なる音階を提唱しました。
彼は、ピタゴラス、プラトン、新プラトン主義の影響を受けて、その理論と音楽を結びつけていました。
その後、カバラの研究も行い、それを音楽理論に組み込みました。

ドリヴェの音楽理論には、「膨張力」と「収縮力」の2元論があります。
それは、「創世記」における、天となるべき「希薄な水」と海となる「濃厚な水」や、プラトンの「ティマイオス」の「叡智」と「必然」、プラトンの不文の教説の「同」と「異」、ヘルメス主義における「上昇」と「下降」と対応します。

時期は不明ですが、ドリヴェはフリーメーソン系の結社「真のメーソンと天の耕作」を率いて、その儀式も作成したようです。
上記の音楽の2原理は、フリーメーソンの2柱の「ヤキン」と「ボアズ」に対応させました。

これらのドリヴェの音楽思想は、フリーメーソンの象徴体系や、多くの音楽神秘主義者達に影響を与えました。


<原ヘブライ語の復興>

ドリヴェは1813年に、これまでの自身の思想をまとめた「ピタゴラスの黄金詩篇」を発表しました。
これは、カバラ、ヘルメス文書、ゾロアスター、インドの「パカヴァット・ギーター」から、中国の「荘子」をも含んだ壮大なものでした。

ドリヴェの基本的な世界観では、宇宙の原理は「摂理」、「意志」、「運命」の3つです。
この3原理は、マクロコスモスとしての人間では、「霊」、「魂」、「体」に対応します。
そして、歴史もこの3原理の展開として捉えらます。

1815-6年に発表した大著「ヘブライ語の復興」は、ドリヴェの最初の主著です。

この書でドリヴェは、ヘブライ語は原初の言語を最もよく保存していて、「創世記」の中には古代エジプトの神官たちの秘密の奥義が隠されていると主張しました。
ですが、バビロン捕囚の間に原ヘブライ語の知識が失われてしまったため、翻訳に重要な間違いがあると言います。

特に問題を感じていたのは、「創世記」の語る世界創造の時期が、他の聖典や科学的な考古学に比して新しすぎること、そして、モーゼが死後の霊魂を否定しているように書かれていること、この2点でした。

「ヘブライ語の復興」は、ヘブライ語文法、語源一覧、「創世記」の訳、その註解から構成されます。
訳は、原典の一語一語の語源の意味を転記した、フランス語と英語の直訳、そしてそれを普通の文法に改めた正訳から構成されます。

ドリヴェはヘブライ語の研究をし、ヘブライ語が、「霊」、「魂」、「体」の3つの次元の意味を持っていることを発見したと主張しました。
「文字通りの意味」、「秘教的な意味」、「ヒエログリフ的な意味」の3つです。

従来の翻訳は、「文字通りの意味」しか伝えていません。
ドリヴェは、「秘教的な意味」については明かしていますが、「ヒエログリフ的な意味」については、最奥の秘儀としてほのめかすのみでした。

それでも当時、彼の著作は、高い評価を受けました。


<哲学的人類史>

ドリヴェが続いて1821年に発表した「哲学的人類史」は、もう一つの主著です。

この書では、「ヘブライ語の復興」で行った彼独自の解読法を他の文明の聖典にも拡大し、空想的な地球史、人類史を描きました。

ドリヴェは、地球や他惑星が生物であると考えました。
そして、地球は太古に多くの惑星が融合して作られたのであり、諸大陸は融合した各惑星の名残りだとしました。
ですが、月だけは地球に融合せず、進化の道から外れたのです。

地球で最も進化した大陸はアジアで、以下、レムリア、アトランティス、アフリカ、ヨーロッパの順に、固有の人種と文化が発展しました。

1万年ほど前の時代には、白色人種が北極地方に発生し、「ハイパーボーリア人」と呼ばれていました。
この頃、黒色人種のアトランティス人は、赤道付近に発してアフリカ、アジアを広く支配し、高度な文明を誇っていて、黄色人種は黒色人種に隷属させられていました。
赤色人種はかつての支配者でしたが、その大陸が天変地異で海に沈み、今はアメリカ大陸の高山部の残るのみでした。

しかし、ケルト系の白色人種にラムという名のドゥルイド神官が現れます。
彼に導かれて、白色人種は黒色人種との戦いに勝利し、インドを中心にしてリビアにまで至る世界帝国を築きました。
そして、黒色人種の一元論思想と、ケルトの祖霊信仰などを統合した普遍的な統一原理を作り上げました。

ですがその後、男性原理の宗教、女性原理の宗教、善悪2元論の宗教などが現れて、帝国に分裂が生じました。
ですが、インドでは、クリシュナが、「霊(ブラフマー)」、「魂(ヴィシュヌ)」、「体(シヴァ)」の3分説を創始し、統一を回復しました。

また、エジプト文明は、この赤色人種、黒色人種、白色人種などの古代の知恵を保存してきた。
それを部分的に継承したのが、モーゼ、ブッダ、オルフェウスで、3人の思想は、「霊」、「魂」、「体」の知恵に対応します。

ドリヴェはキリストを特別視せず、多くの選ばれた人間の一人に過ぎないと主張しました。
そして、「原罪」の思想は、間違った2元論のゾロアスター教からもたらされた思想であるとしました。
このように、彼はキリスト教に特権的な地位を与えませんが、それは白人種に特権的な地位を与えることの裏返しでした。

ドリヴェのもう一つの特徴は、古代に優れた文明があったとしながらも、人類の歴史を進化論的に考えたことです。
原罪を認めないのもその考え方の表れです。
また、ヒンドゥー教の4つのユガを、退化・堕落ではなく、進歩として逆転させ、鉄の時代から黄金の時代に至るものとしました。


ドリヴェの「哲学的人類史」は、その後、ほとんど忘れ去られてました。
ですが、サン=ティーヴによって発掘されます。
サン=ティーヴは、1884年に出版した「ユダヤ人の使命」で、出典を明記せず、自説のようにしてドリヴェの説を主張しました。
ですが、これをきっかけに、ドリヴェは、パピュス周辺のフランスのオカルティスト達に知られるになりました。

また、「哲学的人類史」は、ブラバツキーが「シークレット・ドクトリン」で展開した人類史にも影響を与えたと思われます。

マルチネス・ド・パスカリとサン・マルタン

主に18C後半から19Cの初頭にかけてのヨーロッパ、特にフランスを中心にした、合理主義的な啓蒙思想や理神論に反発する神秘主義的な思想は、「イリュミニズム」、それを担う人々は「イリュミネ」、「イリュミニスト」と呼ばれました。
神的、霊的な知としての「照明(光)」に由来する名称です。

ちなみに、1776年にドイツのバイエルンで、アダム・ヴァイスハウプトによって結成された政治結社の「イルミナティ(バヴァリア・イルミナティ)」の思想も「イルミニズム」と呼ばれます。
ですが、これはフリーメイソンの理神論と同様、合理的な理性を重視する思想であり、この項が取り上げる「イリュミニズム」とは正反対の方向性を持っています。

「イリュミニズム」の中心にあったのは、「マルティニズム」です。
「マルティニズム」は、神秘主義的な結社の「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」の創始者マルチネス・ド・パスカリと、彼の弟子だったサン・マルタンの一派の思想を指します。

「マルティニズム」は、堕落した人間が霊的に上昇して原初の調和を取り戻す「再統合」を、アグリッパ流の降神術や、自然との霊的関係を通して目指しました。

「イリュミニズム」、「マルティニズム」は、ロマン主義運動や、19Cフランスのオカルティズム復興運動にも大きな影響を与えました。


<マルチネス・ド・パスカリ>

マルチネス・ド・パスカリ(1727or1710-1774)は、フランスのグルノーブルでスペイン系ユダヤ人として生まれたのではないかとされていますが、生誕についても、その後の歩みについても、確かなことは分かっていません。

パスカリは、フリーメイソンの組織を参考にして、「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」という名の宗教結社を結成し、支部を各地に立てました。
一般にフリーメイソンの思想は合理的な理神論ですが、「エリュ・コーエン」は、アグリッパ流の降神術を中心にした活動を行う、神秘主義的思想を持った団体でした。

パスカリは、自身の思想を表現した「諸存在の再統合論」を執筆しました。
この書は、団員の中だけで回し読まれていましたが、1世紀以上経った1899年に、ネオ・マルティニストであるパピュスによって発掘され、発表されました。

パスカリは、1772年、突如、カリブ海のサント・ドミンゴに旅立ち、2年後にそこで亡くなりました。

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「諸存在の再統合論」は、「創世記」の秘境的解釈の形で、以下のような、グノーシス主義に近い「神話」を語ります。

創造主である神は、超天界に、第1の存在である「第1諸霊」を流出しますが、この神は神を礼拝することをやめて、邪悪な思惟をいだき、「悪」の原因となりました。
そのため、神は物質的宇宙を創造して、背反した悪霊たちを閉じ込めました。
そして神は、「第1諸霊」と同じ力を持ち、その上に立つ長子として、輝く巨大な体を持つ神人のアダムを流出し、悪霊たちを監視し、導く使命を与えました。

ところがアダムは、悪霊たちにそそのかされて、神に背いて創造行為を行って、転落してしまいました。
アダムは自ら犯した行為を反省して、自分の神的な力を神に返して和解しました。
ですがこれ以降、アダムの子孫の人間と物質宇宙は、神との直接的関係も途絶え、病んだ状態になりました。
しかし、人間は、キリストの手助けのもとに会心することで、原初の神人の地位を回復することができ、宇宙も本来の状態を取り戻して、「再統合」が可能となります。

この神話で語られる「再統合」へ導くための、「エリュ・コーエン」の実践の中心が降神術でした。

もう少し詳しく紹介すると、「第1諸霊」は、神の4つの本質を反映して、「上位霊」、「大霊」、「下位霊」、「小霊」の4種類からなります。
神に背いた後は、「小霊」が他の悪霊を率いることになりました。
また、パスカリの思想では、数には神的な意味があり、この4種の霊たちにも、それぞれに数値、10、8、7、4があります。

パスカリは、数の基本的な意味については、下記のように考えています。

1 一者、創造主
2 混乱、女
3 地、人間
4 神の4重の本質
5 悪霊
6 日々の業
7 聖霊
8 2倍の力を持つ霊、キリスト
9 悪魔、物質
10 神的数

また、神は、「小霊」を流出した場所に、「6つの円」とそれと接する「1つの円」を描きました。
「6つの円」は、宇宙の創造に用いた6種の無限の思惟を表現し、「1つの円」は神の霊と人間の結びつきを表現します。

アダムも神を真似て「6つの円」を創造しましたが、これは闇の性質を持ったものになり、自分たちの檻となってしまいました。

神に由来する善なる思惟は「非受動的な形相」を持っていますが、アダムが悪霊にそそのかされた悪なる思惟は「受動的・物質的な形相」しか持たないのです。


<サン・マルタン>

サン・マルタン(1743-1803)は、アンボワーズの小貴族に生まれ、新プラトン主義の影響を受けた宗教書を愛読して育ちました。

彼はパスカリと出会うと、パスカリにその才能を認められ、1768年には彼の秘書になります。
そして、「諸存在の再統合論」の執筆にも協力し、「エリュ・コーエン」の主導的立場につきました。

しかし、彼は、教団の活動、特に降神術に対して反発して、より内面的な道である、認識や祈りを重視して、「エリュ・コーエン」を離れます。

そして、1775年には、「知られざる哲学者」の名前で、「誤謬と真理」を発表します。
これは、合理主義的な啓蒙主義の宗教批判に反駁するために書かれた、マルティニズムの思想を表現した書です。
数秘術や錬金術などを織り込んだ難解な表現であるにもかかわらず、一部で注目を集めました。

続いて、82年に「タブロー・ナチュレル」、90年に「渇望する人」、92年に「この人を見よ」、「新しき人間」を発表し、「知られざる哲学者」はサン・マルタンではないかと、推測されるようになりました。

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「タブロー・ナチュレル」は、人間と自然の結びつきに、人間の転落から上昇への変換点を見出し、以下のように説きます。

人間が霊的に目覚めると、人間は知性によって自然に働きかけて、物質化した自然を本来の非物質性に戻します。

すると、自然の一部である人間の体も純粋に霊体な体となります。
そして、自然を通して、人間に神の智恵がもたらされます。
その人間と自然の関係は、数秘術的な数の関係として表現されます。

また、「渇望する人」は、ロマン主義者たちの間で好まれ、影響を与えました。

例えば、同郷のバルザックは「セラフィタ」で数ページに渡って窃盗を行う他、作品で何度もサン・マルタンの名を出しています。
他にも、サン・マルタンは、ユゴー、ネルヴァル、ボードレール、ブルトンら作家に影響を与えたのではないかと、言われています。
特に、ボードレールの「悪の華」の「万物照応」との類似が指摘されています。


サン・マルタンは、88年からのストラスブールに滞在中、ヤコブ・ベーメを知り影響を受け、ベーメ4作品の翻訳を行いました。
サン・マルタンは、これ以降、パスカリとベーメの思想を結びつけることを目標とするようになります。
そして、それは、1800年の「事物の精神について」、1802年に「霊的人間の使命」に反映されました。

「事物の精神について」でも、自然は催眠状態にあり、自然は生成原理のみが、霊的次元と直接の照応関係を持っていると言います。
そして、人間の中には、万物を知らしめる「生きた鏡」があり、これが能動的に、自然の中になかったものを植え付けて生み出させます。

また、神の性質を映し出すのは魂をおいて他にはないとし、我々の真の本性は、神性そのものに絶えず導かれ活動を与えられることにあると言います。
そして、神は我々を愛していて、人間が回復するために必要な力を、人間がそれを渇望する思いの中に注ぎ入れているのです。


サン・マルタンのロマン主義の思想家にも影響を与えました。

ドイツ・ロマン主義の思想家バーダーは、ベーメをシェリングに紹介した人物ですが、バーター自身は、サン・マルタンの研究をしてベーメの影響を受けました。
また、フリードリヒ・シュレーゲルがカトリックに改宗したのは、サン・マルタンの影響ではないかと言われています。

ノヴァーリスの魔術的観念論

ノヴァーリスことフリードリヒ・フォン・ハイゼンベルク(1772-1801)は、「青い花」や「夜の讃歌」、「ザイスの学徒」など作品で、ドイツ・ロマン主義の代表的作家の一人として知られる人物です。
ですが、当時の思想家・作家の中で最も科学に精通した人物でもあり、また、哲学的思想家でもあり、神秘主義的な傾向も持っていて、自らの思想を「魔術的観念論」と称していました。

ノヴァーリスは親交もあったシェリングと同世代の思想家であり、同じような課題に取り組みながら、よりラディカルで理想主義的な答えを導こうとしました。

ノヴァーリスはフィヒテの「自我哲学」に「自然哲学」を加え、そこにパラケルススやベーメのような「自然神秘主義」、そして、ゲーテの自然学を手本にした自然科学、そして詩学などの諸学の総合を目指しました。

ノヴァーリスは、自然的な照応の世界観が失われた時代において、認識と創造が一体であり、概念とイメージが結びついた「創造的な想像力」によって、世界の意味を動的に再創造することを目指しました。

また、ノヴァーリスはカント以降ということを意識し、霊的認識を、客観的認識としてではなく、内面的な創造行為として捉えます。
彼にとっては、受動的な「知的直観」や「主客の合一」、「脱自」は意味をなさず、「創造的な想像力」こそがそれに変わるものでした。

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<生涯>

ノヴァーリスは、イェーナ大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学で、法学、哲学、数学などを学びました。
ノヴァーリスの父はフィヒテの後見人であり、1795年には、イェーナの哲学者ニートハマーの集まりで、フィヒテ、ヘルダーリンと出会いました。

1796年には、フライベルクの鉱山学校に入学し、専門的な自然諸科学を学び、当時の思想家の中で最も専門知識を持つに至ります。
ほぼ同時期に、シェリングも自然科学を学んでいますが、ノヴァーリスの方がより高い知識を持っていたと思われます。
同年、シュレーゲル兄弟がイェーナに移住し、ヴィルヘルムの自宅での集まりで、ノヴァーリスはティーク、シェリングらと親交を持ちました。

1799年には、断片という形式で思想を表現した「断片集」を発表しました。
断片主義は、観念論の哲学者が体系的に思想を表現したことに対するアンチテーゼです。
ノヴァーリスは、断片を、有機的に結びつきながら成長するものとして考えました。
ちなみに、フリードリヒ・シュレーゲルは、批判・批評という形式で思想を表現しましたが、これも体系主義へのアンチテーゼです。

しかし、ノヴァーリスは1801年に、29歳の若さで亡くなりました。
彼は、自身の思想の断片を十分に成長させることができませんでした。
ですが、若々しく、理想主義的な可能性として、未完で残された彼の思想は、ノヴァーリスに似つかわしいものなのかもしれません。


<自然哲学>

ノヴァーリスは、フィヒテの「自我哲学」に関して、シェリングと同様に「自然哲学」との統合が必要と考えていました。
しかし、シェリングの「自然哲学」に関しては、自然科学の知識や表現において不十分であると感じていました。

ノヴァーリスはその解決のために、プロティノスやゲーテを持ち出します。

ノヴァーリスは、シェリングのように精神と自然を2元的に見ず、プロティノス的な階層的な構造の中で捉えます。
そして、「世界霊魂」に由来する神性をわずかでも含んでいれば、それを成長させることができると考えました。

表現においても、プロティノスのように、「流出」や「光」、「闇」といった概念とイメージを結びつけることが必要だと考えました。

また、思弁的なシェリングと、イメージで直観するゲーテの自然科学へのアプローチ(後述)の統合を模索しました。

また、フィヒテにおいては、「自我」と「非我」の関係が闘争的で、「愛」や「出会い」がないと批判しました。
ノヴァーリスにとって「非我」たる「自然」は、相互的な関係を持つべき「汝」なのです。
そして、万物には相互表象的な関係があると考えて、「自我」と「自然」は互いに表象であり対称的な関係なのです。


<照応的自然観>

ノヴァーリスは、デカルト以来の機械論的自然観に反対する立場であり、シェリングの有機体的自然観を共有します。
同時に、ヘルメス主義的な万物照応の自然観、パラケルスス、ベーメ的な「自然神秘主義」の影響を受けています。

人間は「ミクロコスモス(小宇宙)」ですが、反対に、自然は「マクロアントロポス(大人間)」であると表現されます。
また、人間は「無限大の自然」の「微分」であり、「無限小の自然」の「積分」であると、数学的にも表現します。

また、個々の自然は、「個性」を持つミクロコスモスであり、魂を持つ人間的存在であるとも言います。
ミクロコスモスたる人間の自我の中には、複数の自然、「複数の汝」がいるとも表現します。

ですが、重要なのは、ノヴァーリスが万物照応の世界観を歴史的に考えたことです。


<照応と歴史観>

ノヴァーリスは、1799年に発表した「キリスト教世界あるいはヨーロッパ」で、歴史を理念的に、大きく3段階で考えました。

第1の時代(黄金時代)   :聖なる感覚・世界の意味を持つ
第2の時代(現代)     :聖なる感覚・世界の意味を喪失
第3の時代(新たな黄金時代):聖なる感覚・世界の意味を回復

「第1の時代」は、ヨーロッパの中世がモデルで、真に普遍的、真にキリスト教的な時代とされます。
「聖なる感覚があり」、「世界の意味を持つ」と表現され、「万物照応」の世界観があり、言葉は自然に照応を反映していた時代です。

「第2の時代」は、ノヴァーリスの当時の時代です。
この時代は、徐々に、「聖なる感覚」、「世界の意味」、「万物照応」を失っていく時代です。
つまり、ノヴァーリスは、彼の時代には、万物照応が世界観においても、言葉においても失われていた、という認識を持っていました。

「第3の時代」は、期待される未来であり、「聖なる感覚」、「世界の意味」が回復される時代です。
「新たな霊が降り」、「何千もの人びとにメシアが宿る」時代とも表現されます。

ノヴァーリスは、この時代に求められている、世界の意味を回復することを「ロマン化」、求められるその表現のあり方を「ポエティッシュ」と呼びました。
もちろん、それらを説くのが、彼の「魔術的観念論」です。


<魔術的観念論>

ノヴァーリスは、自身の思想を「魔術的観念論」を表現しましたが、彼が言う「魔術」の意味は、ルネサンス的、薔薇十字的な「魔術=自然科学」としての魔術観を、さらに追求したものです。
哲学や自然科学・技術の進歩の歴史も、「魔術」の純化の結果だと考えますが、降神術や護符魔術のようないわゆる魔術は含みません。

ノヴァーリスは「魔術」の本質を、抽象化と具象化を結びつけて、想像力を創造的に使用し、失われた調和を回復する行為だと考えました。

ノヴァーリスは、「魔術的観念論」を、カント、フィヒテを超える哲学であるだけではなく、哲学と自然科学、詩学などを総合したの学の最終形と考えました。
そのためには、超越論哲学と自然科学を「ポエジー化」して、理念や概念と詩を統合して表現することが必要です。

シェリングが芸術と哲学を分けて考えていたのに対して、ノヴァーリスはさらに一歩踏み出して、総合しようとするのです。


<ロマン化とポエティッシュ>

ノヴァーリスは、世界に意味を再び取り戻す「ロマン化」を、フィヒテ的な自己理解の「内への道」と、ゲーテ的な他者を知る「外への道」を結びつけることだと考えました。

その表現方法は、「ポエティッシュ」と呼ばれますが、これは、「ポエム(詩)」と、「ポイエイン(作る)」を合成した言葉です。

「ポエティッシュ」な表現は、認識と創造が同時であるような実践です。
認識しつつ想像力によって表現し、理性と感情の両方に働きかけます。
これはシェリングが言う「神的想像力」に似ていますが、ノヴァーリスは「創造的な想像力」と表現します。

ノヴァーリスは、神の創造に対して、人間は想像力によって万物を再創造できると考えました。
彼にとっては、真理は、受動的なものではなく、自由に詩的に創造するものなのです。

「ポエティッシュ」な表現の理想、根拠は、ベーメが説いた、内面の心情の音楽性です。
ノヴァーリスは、自然も本来的には、その生成の状態においては、音楽的であると考えました。

「ポエティッシュ」な表現をした具体的なモデルは、哲学ではプロティノスであり、自然科学ではゲーテです。

プロティノスは、先に書いたように、概念とイメージを結びつけた表現を行いました。
ノヴァーリスは、カントの「実践的理性」を、「ポエティッシュな理性」とすべきであると考えました。
その一方で、ノヴァーリスは、ロマン主義のあるべき形の詩を、「超越論的ポエジー」と呼び、存在の認識を踏まえたものであるべきとしました。

ノヴァーリスはゲーテの自然研究の方法を評価し、ゲーテを何度か訪問しています。

ゲーテは、例えば、植物のメタモルファーゼを、原植物の普遍的理念をイメージとして直観し、その収縮拡張で描きました。
ゲーテ自身は、自分の表現を「対象的思惟」と呼びました。 

ノヴァーリスは、それを「能動的観察」と表現しました。
それは、経験しつつ創造する、観察しつつ思考する方法で、「創造的な想像力」を働かせ、概念と形象・イメージを結びつけるものです。


<象徴>

では、照応的世界観が失われていることと、「ポエティシュ」な表現はどう関係するのでしょうか?

万物照応の世界観では、照応し合う存在同士に「共感」という力、作用が働きます。
そして、互いが、あるいは下位のものが上位のものの「象徴」となります。

「自然」には星辰世界の影響としての「印し(シグナトゥール)」があり、「黄金時代」の人間はそれを読むことができました。
「象徴」は客観的な照応の事実に基づくもので、「しるし」と表現されました。

ですが、照応の世界観が失われた「第2の時代」では、「しるし」は読めなくなり、人間が使う言葉、記号は恣意的なものになってしまいました。

第3の「来るべき黄金時代」には、世界の意味を回復する必要がありますが、それは「ポエティッシュな象徴」となります。

それは、形象と概念・記号、感覚と悟性が相互作用し合うものであり、「黄金時代」のように定まったものではなく、常に創造されるべきものです。
つまり、自然は、認識かつ創造しながら、解読すべきものなのです。


<神と悪>

ノヴァーリスは、「絶対者」の探求は、「たえず裏切られ、たえず新たにされる期待」であり、その終わりなき活動、到達し得ないことを行為によって見出すことで、否定的にのみ認識されると考えました。
この考え方は、前期ロマン主義に特徴的な思想でもあり、前期のシェリングの思想とも同じです。

後期ロマン主義のバーダーや後期のシェリングは、ベーメの影響を受けて、「悪」の問題を重視しました。
ですが、彼らに先駆けてベーメを評価していたノヴァーリスは、「悪」の問題を重視しませんでした。

彼にとって、「悪」は錯覚であり、善に至るためのフィクションでしかありません。
「罪」は、人間の精神の怠惰、自由の刺激の欠如、弱さであるとしました。

「悪」を重視しない点にも、ノヴァーリスの理想主義的な性質が感じられます。


*参考文献:「ノヴァーリスと自然神秘思想」中井章子(創文社)