シュタイナーの霊学自由大学の秘教講義

ルドルフ・シュタイナーは、「クリスマス会議」で設立された「霊学のための自由大学」の第一学級の講義を、1924年の2月から8月にかけて、ドルナッハで19回に渡って行いました。
9月には2度目の講義を始めましたが、多分、病に伏して途中で中断になりました。
また、他の場所でも、簡略的、不完全な形で、何度か講義を行ないました。

シュタイナーは、「霊学自由大学」をミカエルの要請で作ったものだと言っており、このクラスも「ミカエル学級」と呼ばれました。
また、講義の際には、何度も、実際にミカエルが臨席していると述べています。

そして、シュタイナーは、この学級の目的を、秘儀を復興することだとも述べています。

第一学級の講義の内容は、「霊界参入(イニシエーション)」の際に「境域の守護霊」から伝えられる警告、助言の言葉であるマントラを、伝授し、それを解説することでした。

シュタイナーは、講義中に、何度も何度も、「愛する皆さん」と語りかけました。
このことも、この講義の特徴です。

「霊学自由大学」には、面接を受けて認められた者だけしか参加できませんでした。
また、受講生がつけたこの講義のノートは、マントラを例外として、8日以内に破棄することが義務付けられました。
そういういきさつがあったため、この講義は、長い間、非公開でした。
ですが、現在は、「秘教講義I、II」として一般に向けて出版もされています。

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<マントラ>

先に書いたように、講義の内容は、「霊界参入」の際に「境域の守護霊」から伝えられる警告の言葉であるマントラを、伝授し、その解説をすることでした。
この「境域の守護霊」はミカエルの代弁者なので、マントラはミカエルから伝えられた言葉でした。

19回に渡った講義では、毎回のように、順次、マントラが伝えられました。
マントラは、数十行の詩の形式をしています。

マントラは、瞑想しながら、それを自分自身と一致させることが求められました。

霊界に参入する前に、霊界を見るためのマントラによって「状況瞑想」を行うことで、あらかじめそれを知っておくのです。

まとまったマントラ全体を掲載することは避けますが、例えば、一番重要で、何度も読まれたマントラの一部を抜き出すと、次のようなものです。

「おお、人間よ、汝自身を知れ!
宇宙からの言葉が響く。

この言葉を創造するのはお前自身なのか。

思考の力を失っているのは、お前自身なのか。」

深淵を越えた向こう側の霊界で、生きた言葉の創造と共に、人間の本源を見出せ、ということでしょう。

以下、どうしても抽象的になりますが、マントラの「内容」を、部分的ではありまますが、順に取り上げて、概略をまとめます。
ですが、マントラは、このように頭だけで理解すべきものではありません。


<3つの獣>

「境域の守護霊」からの最初の警告は、「3つの獣」に関するものです。

この「境域の守護霊」は、シュタイナーの著作「いかにして超感覚的認識を獲得するか」では、「境域の大守護霊」と表現されていた存在です。

一方、「獣」の方は、「境域の小守護霊」と表現された存在に当たります。
境界を越えることを好まず、妨害する内なる自分の心の働きが、宇宙エーテルに刻印されて、醜い獣の姿で現れるのです。

霊界参入の「境域」には、「深淵」が広がっています。
この「深淵」から、「3つの獣」が立ち現れます。
彼らは、認識の敵であり、彼らを克服することで、深淵を飛び越える翼を得ることができます。

この「3つの獣」は、自分自身の悪しき「意志」、悪しき「感情」、悪しき「思考」の現れです。

第1の獣:悪しき意志:汚れた青色:恐怖
第2の獣:悪しき感情:汚れた黄色:憎しみ・嘲笑
第3の獣:悪しき思考:汚れた赤色:疑惑・無気力

汚い青色の第1の獣は、霊の創造力、認識への恐怖が、「意志」の中に生み出したものです。
この獣は、霊的認識への勇気によって克服できます。

薄汚れた黄色い第2の獣は、霊界の開示、認識への憎しみが、「感情」の中に生み出したもので、恐怖を隠す嘲笑の態度へ誘います。
この獣は、認識への正しい情熱によって克服できます。

汚れた赤い第3の獣は、霊の光の力、霊界への懐疑が、「思考」の中に生み出したもので、無気力に誘います。
この獣は、霊的な認識の創造力によって克服できます。


<思考、感情、意志の分離と変容>

人間が、物質世界に降りてくる以前、「思考」、「感情」、「意志」は、独立して働いていました。
物質世界では、肉体によって3つのものが結びつきました。
ですが、「思考」は死体のようになり、「意志」は眠った芽生えのように、「感情」は夢見のような状態になりました。

ですが、霊界に参入すると、これらはまた、バラバラに働くようになります。
それにつれて、人間は宇宙の諸力との結びつきを深めていきます。

「思考」は、宇宙の彼方へ去っていき、宇宙思想に変わってしまったかのように、そして、エーテルが吹く中に漂っているように感じられます。
ですが、「思考」に目を向けて、「思考」はまだ仮象ですが、その中に沈潜して、霊の指導力を敬わなければいけません。

「感情」は、思考に浸透されることがなくなって、時間を遡って、誕生前にいた霊界に戻っているように感じられます。
「感情」の流れに耳を傾けて、「感情」は仮象も実在も混ざり合っていますが、その中に沈潜して、魂の中の生命力を大切にしなければいけません。

「意志」は、前世の中にいるように感じられ、低級な部分に引き寄せられます。
「意志」は生きた燃焼過程です。
「意志」を働かせて、仮象の中から宇宙創造者の作用力を捉えなければいけません。


上方(恒星)を向けば、「思考」の領域には、「光と闇」の戦いを見ることができます。
水平方向(惑星)を向けば、「感情」の領域には、「暖と冷」の力を見ることができます。
下方(大地)を向けば、「意志」の領域には、「生と死」の力を見ることができます。

これらは、ルツィフェルとアーリマンの力であり、両者の均衡を取る必要があります。


<思考、感情、意志の再結合>

私達が肉体から抜けでると、「思考」、「感情」、「意志」は変容してバラバラになります。

肢体の中で、「意志」は「意志の魔術」となって思考が働きます。
4大元素に集中して「体」を実感すると、「意志」は「地球(4大)」の力に自らを組み込みます。

心臓部に位置する「感情」には、宇宙から出入りする「宇宙生命」があります。
「惑星」に集中して「魂」を実感すると、「感情」は「惑星」と共に周期運動を繰り返します。

頭部の死んだ「思考」の背後に、生きた思考があり、「宇宙思考」になります。
「恒星」に集中して「霊」を実感すると、「思考」は「恒星」のもとに安らぎます。

思考:宇宙思考 :恒星
感情:宇宙生命 :惑星
意志:意志の魔術:大地・4大元素

このように、恒星を自分の「思考」であり、惑星が自分の「感情」であり、大地が自分の「意志」であるように感じて、バラバラになります。

ですが、1つにまとめるために、それぞれに他のあり方を伝えて、結びつける必要があります。

「星々」すべてを心の中で運動させ、「星々」に引き寄せられる自分を感じます。
「惑星」は、逆に停止させて、胸部と一体化させます。
「地球」は、運動させて、自分が「地球」を担うようにイメージし、次に、停止させて恒星になるように瞑想します。

こうすることで、私自身の体を宇宙の中に感じるようになり、「思考」、「感情」、「意志」を結びつけます。


<天使との会話>

霊界の中にいると感じるためのマントラの瞑想を行うことによって、私たちは前進することができます。
そのための3つの警告が発せられます。
私たちは、魂を沈黙させて、その、宇宙と守護霊と諸位階の天使たちの声を聞きます。

まず、宇宙が、「思考の分野に耳を傾けよ」、と語ります。

そして、「天使」が、「お前の感覚の輝きに眼を向けよ」、と語ります。
「大天使」が、「お前の思考の働きに眼を向けよ」、と語ります。
「人格霊」が、「思い出の像の姿に眼を向けよ」、と語ります。

次に、宇宙が、「感情の分野に耳を傾けよ」、と語ります。

そして、守護霊が、「思考内容となって宇宙を生きよ」、と語ります。
「形態霊」が、「お前の呼吸の生命の活動を感ぜよ」、と語ります。
私たちの「自我」は、「形態霊」の思考内容なのです。

守護霊が、「星々の生命で宇宙を生きよ」、と語ります。
「運動霊」が、「お前の血液の波打つ流れを感ぜよ」、と語ります。
私たちが霊的でありうるのは、「運動霊」が星々から受け取る生命力を働かせているからなのです。

守護霊が、「土の意志から霊を創造しようと欲している」、と語ります。
「叡智霊」が、「地の強力な反抗を感ぜよ」、と語ります。
私たちの意志が天に引き上げられると、地上の意志が再び与えられるのです。

最後に、宇宙が、「意志の分野に耳を傾けよ」、と語ります。

そして、雲の動きの中から、「トローネ(意志霊・座天使)」が、「お前の衝動の火に眼を向けよ」、と語ります。
「トローネ」は、睡眠中の行動を担ってくれています。

雲から光る稲妻の中から、「ケルビム(調和霊・智天使)」が、「良心による魂の導きに眼を向けよ」、と語ります。
「ケルビム」の働きかけの中に、魂の奥底の良心の声が生きています。

稲妻の熱の中から、「セラフィム(愛の霊・熾天使)」が、「お前の運命の霊の試練に眼を向けよ」、と語ります。
「セラフィム」は、私たちの転生とカルマに力を及ぼしています。


<4大元素に向かい合う>

霊界への正しい道標となる「4大元素」とどう向かい合えば良いのか、「境域の守護霊」が語ります。

物質界での「4大元素」の働きは、「大地」の固い支え、「水」の形成力、「空気」の刺激力、「火」の浄化です。

物質界での「4大元素」のあり方は、霊界では変化します。
肉体を抜け出ると、「4大元素」の区分はなくなります。
私たちはどんどん大きく広がり、同時に「4つの元素」の中にいることになります。

ルツィフェルは、物質界での4大元素の働きが必要ないと、私たちに言います。
一方、アーリマンは、それを霊の領域に持ち込むようにと、私たちに言います。
ですが、キリストは、霊にゆだねている限りは必要ないと、私たちに言います。


<4大元素の変容>

そして、「境域」を飛び越えた私たちが、霊界で「4大元素」に向かい合うことで、何を感じ、知るべきかを、諸天使たちが語ります。

「大地の固い支え」に向かい合うことで、第3ヒエラルキアの天使たちが、私たちの霊の中で生きていることを知ります。

「水の形成力」に向かい合うことで、第2ヒエラルキアの天使たちが、私たちの内部で創造して霊を発達させてくれていることを知ります。

「空気の刺激力」に向かい合うことで、第1ヒエラルキアの天使たちが、私たちに支えを提供して、温め、輝く力をくれることを知ります。

こうして、霊界の暗闇は、少しだけ明るくなってきます。

「火の浄化力」に向かい合うことで、私たちの地上生活のすべてを記した宇宙エーテルを読み取ります。
また、「死の門」を通ったことで、地上の体験を逆に辿ります。
そして、カルマの救済を願います。

こうして、私たちは自分を知るようになります。
そして、私たちにはまだ見えませんが、守護霊と直接向き合っていることを感じます。

守護霊は、これまでに「霊」と「魂」と「体」が理解したことについて、そっと問いかけをします。それに対して、敬虔に向かい合って、次のように答えなければいけません。

「霊」の働きが、「自我」を輝かしますように。
「魂」の調和の響きが、私の「自我」を創造しますように。
人の「行為」を裁く言葉が、私の「自我」を導きますように。


<天使同士の語らい>

私たちは、人間の本性の生命に満ちた光の中にいる自分を感じます。
そして、霊眼に映じる光が立ち現れてきます。

次に、万象の中から「虹」が現れ、消えます。
守護霊は、この「虹」の印象を、感覚世界への思い出として保っているように語ります。
「虹」は、人間が地上で行なった「思考」です。

そして、宇宙の彼方から「虹」を振り返って見ると、それは巨大な「器」になって現れます。
その中には、いろいろな色が入り混じって溢れています。
この「宇宙の器」は、明るくなって「太陽」になります。

私たちは、とうとう、天使同士の語らい合いを聴きます。

第3ヒエラルキアの天使たちは、この色彩を吸い込み、これをもって第2ヒエラルキアの天使に奉仕します。
第3ヒエラルキアの天使たちは、「死んだ思想」を「生きた思想」にして、第2ヒエラルキアの天使たちに供犠するのです。

第2ヒエラルキアの天使たちは、供犠を受け取り、星々のきらめき、太陽の輝きの中で営まれる「愛」を、第1ヒエラルキアの天使たち託します。
第1ヒエラルキアの天使たちは、「愛」、つまり、宇宙の創造力を受容し、新しい宇宙を創造するための「素材」にします。

第1ヒエラルキアの天使たちは、「思考」によって創造し、人間に宇宙の言葉を注ぎます。
私たちは、宇宙創造の「霊言」の中にいて、私自身の内なる本性にもそれが浸透しています。


また、第2ヒエラルキアと第3ヒエラルキアの天使たちの語らい合いを聴きます。

「運動霊」が「天使」に「高みの光(思考の輝きの力)」を与えます。
それが人間の「思考」を明るくします。

また、「叡智霊」と「形態霊」が「魂の熱」を「大天使」に与えます。
「大天使」がその「熱」で人間の「感情」を働かせます。

そして、「叡智霊」、「運動霊」、「形態霊」が「深みの力」を「人格霊」に与えます。
「人格霊」がそれで人間の「意志」を働かせます。


<守護霊の最後の語り>

最後に、守護霊が遠くから語ります。

星々の光輝体が、霊言を語ります。
人間の心は、セラフィムの、創造する霊火の言葉であり、それが私であることを見出します。

霊言の中で、星々の光輝体が考えます。
人間の頭が、ケルビムの、思考する魂の形成作用であり、それが私であることを見出します。

霊言の中で、星々の宇宙体が働きます。
人間の肢体は、トローネの、宇宙の担い手の力であり、それが私であることを見出します。

こうして、私たちは、第1ヒエラルキアの天使たちの中で、真の人間自我を把握できる終着点にまで至ります。

ルツィフェルとアーリマン、ミカエルの時代

ルドルフ・シュタイナーは、2つの対照的な悪魔的存在として、「ルツィフェル」と「アーリマン」について語ります。

ですが、どちらも絶対的な悪ではなく、本来は宇宙的な使命に従がった働き、進化において役割を果たす存在ですが、時と場合によって悪になってしまうのです。
シュタイナーは、「キリスト」的なものは「ルツィフェル」と「アーリマン」の均衡を取ると言います。
人間の中で両者の均衡が崩れた時、彼らは「悪」になるのです。

シュタイナーは、現在が「ミカエルの時代」であり、「ミカエル」と「アーリマン」の戦いが続いているとも語っています。
そして、「ミカエル」は「ルツィフェル」の誤謬と「アーリマン」の誘惑に対して人間に正しい位置を示すのです。

また、シュタイナーは、マニが、悪の中に入って悪を解放、克服すると考えたことを評価します。

これらの悪魔的存在と天使のテーマは、シュタイナーの人智学にとって核心的なテーマであり、神智学協会と異なる点でもあります。

この項では、「ルツィフェル」と「アーリマン」などの悪魔的存在、そして、「ミカエルの時代」などについてまとめます。


<ルツィフェルとアーリマン>

シュタイナーによれば、「ルツィフェル(ルシファー)」は、人間の魂を高揚させて、幻想に閉じこめます。
人間を物質界から遠ざける側面と、感覚世界に降ろす側面があります。

一方の「アーリマン(サタン、メフィストフェレス、マモン)」は、人間に物質界を志向させ、唯物論を信じ込ませます。
そして、小さな党派に分裂させて争わせます。

肉体的には、「ルツィフェル」は軟化させ若返らせますが、「アーリマン」は硬化させ、老化させます。
魂においては、「ルツィフェル」は、神秘主義や芸術を志向させ、「アーリマン」は、俗物主義や科学を志向させます。
精神においては、「ルツィフェル」は眠りを誘い、「アーリマン」は覚醒を促します。

人間が物質界・感覚界との関係において自由でいられるのは、「ルツィフェル」的な力を通して自分の魂の一部が霊的領域に留まることができるからです。
グノーシス主義は「ルシファー」的な力から衝動を受け取っていました。

一方、すべての自然認識は「アーリマン」的な活動によって可能となります。
また、「アーリマン」は「死」を霊界から合法則的にコントロールする使命を果たす、感覚界における「死と消滅の主」です。
ですが、「死」には「意識魂」を育てる役割があります。

人間はこの二つの力の均衡を取ることで、高次な存在段階へ進化していくことができます。
「キリスト」的なものは、この均衡を取らせる原理です。


二つの力は、時代の経過の中で、交代で優位を占めてきました。

「ルツィフェル」は、太陽紀から月紀にかけての「天上の戦い」で、「妨害の神々」となった「運動霊」の誘いに乗り、その後、月から分離した太陽の影響に反抗して自由になった存在です。

「ルツィフェル」は、レムリア時代に人間の「感覚魂(アストラル体)」の中に住み着いて、自由と感覚的欲望を与え、感覚的世界へと引きずり下しました。
「ルツィフェル」のせいで人間は予定よりや早く物質界に降り、自然の背後の霊的世界を見えなくなりました。
「原罪」の本当の意味は、この出来事です。
ちなみに、ブラヴァツキー夫人にとっては、「原罪」は、レムリア期からアトランティス期に人間が「メンタル体」の知性を持つようになったことです。

一方、「アーリマン」は、アトランティス時代に人間の「悟性魂」の中に住み着いて、物質的なものへの志向を与えました。
そして、人間に霊的世界の認識をできなくしました。

また、「ルツィフェル」は、後アトランティス時代の第3(カルデア・エジプト)文化期に、中国の人間の中に受肉しました。

一方、「アーリマン」は、第5(ゲルマン)文化期の15C以降に強力になってきました。
そして、1841年に、ミカエル達と「アーリマン」達の戦いが始まり、1879年に、ミカエル達が「アーリマン」達を地上に投げ落とした結果、「アーリマン」は人間の一人一人の中に侵入するようになりました。
そして、19Cには、唯物論が当たり前になってしまいました。


<ブラヴァツキー夫人とシュタイナー違い>

ブラヴァツキー夫人が作った神智学の機関紙も、シュタイナーが作った人智学の機関紙も、そのタイトルは「ルシファー(ルツィフェル)」でした。
両者は、堕天使に関して、独特の解釈をして、重視しています。

「アフラ・マズダ」は、シュタイナーにとっては「太陽ロゴス」ですが、ブラヴァツキー夫人では「高級自我」となった「モナド」です。
シュタイナーはマズダ教に従い、神智学はより古いミトラ教に従っています。

「ルツィフェル」と「アーリマン」は、人智学では2つの対照的な霊ですが、神智学では「アーリマン」は「低級マナス」=「メンタル体」であり、「ルシファー」は「マフラ・マズダ」同様に「高級自我」です。

両者の「アーリマン」は働きとして似ていますが、シュタイナーでは実体を持つ霊的存在であるのに対して、ブラヴァツキー夫人においては、あくまでも比喩的表現です。

シュタイナーの「ルツィフェル」は、反逆して自由を獲得した点では、神智学の、レムリア期に人間に受肉することを拒否した「アグニシュバッタ(アスラ)」に相当します。

人類史の転換点は、ブラヴァツキー夫人にとっては、レムリア期に金星からサナート・クマーラ達が地球に来訪して「世界主」になり、人間の「メンタル体」を準備したことです。
シュタイナーにとっては、キリストがイエスに受肉して、ゴルゴダの秘跡で地球霊になったことです。 

「天使の堕天」は、ブラヴァツキー夫人にとっては、人間に受肉したマナスが、アストラル体に染まって分裂したことです。
ですが、シュタイナーにとっては、まず、月紀に、ルツィフェルが進化から取り残された存在になったことであり、次に、1879年にミカエル達がアーリマン達を地上に投げ落としたことでしょう。


<ソラトとアスラ>

シュタイナーは、1995年に公開された講演の中で、「ヨハネ黙示録」が語る「666」の数字を持つ「獣」について、それが太陽の悪魔「ソラト」であり、「アーリマン」的な悪魔のグループであると言っています。

「ソラト」は666年に、ペルシャ帝国の中心地ゴンディシャプール(ジュンディーシャープール、マニが処刑された地)の哲学者達(アヴェイロスのような)に、唯物論につながる教義を生み出させました。
そして、666の倍数の1332年には、キリストを太陽存在とする教義を復活させようとしていたテンプル騎士団を攻撃して破滅させました。

シュタイナーは、666の3培数の1998年には、3回目の攻撃があると予言していました。
人間がエーテル体の「キリスト」を見ることを妨害することもその攻撃の目的です。

そして、西暦3千年紀に、「アーリマン」は西洋の人間に受肉すると予言されています。
これは受肉とは言っても、魂に浸透し、肉体を貫くことを意味します。
受肉したアーリマンは、見事な技術を使って、魔術的に人間を霊視者にしますが、これによって、人間が無意識的に欲している悪を実現してしまいます。

また、シュタイナーは、1909年に行った講演「キリストの行為と、キリストに敵対する霊的な力としてのルツィフェル」、アーリマン、アスラについて」で、もう一つ別の悪魔的存在「アスラ」について語っています。
そこで彼は、「アスラ」は、もうすぐ「意識魂」と自我の中に忍び込み、自我の一部をもぎ取り、唯物進化論的な人間観を強化するといいます。

シュタイナーは、別のところで、「アスラ」を天使の第7位階の「人格霊」であると言っています。

ちなみに、シュタイナーは、「ルツィフェル」はインドの「デーヴァ」、「アーリマン」は「アスラ」に当たると語っています。
上の講演では「アーリマン」と別に「アスラ」を語っていますが、同類の存在ということなのでしょう。

シュタイナーは、インド人が「デーヴァ」を崇拝したのに対して、ペルシャ人が下位の存在とした「アスラ(アフラ)」を崇拝したと言います。
それは確かにそうですが、実際には、「アフラ」の方が本来の上位の神格で、「アフラ・マズダ」も「アフラ」族ですし、「アーリマン」は本来、アーリア人の民族霊なので、シュタイナーの説とは矛盾します。

上に書いた1909年の講演では、シュタイナーは、もう一方で、人間は「キリスト」を認識することで、自分自身と「ルツィフェル」を救う、と語っています。
その時、「ルツィフェル」は、自立した認識、知恵に満ちた認識の霊として、高次な栄光のうちに復活し、「聖霊」として「キリスト」と一体化すると。


<ミカエルの時代>

シュタイナーによれば、人間の指導を、一つの時代に一人の天使が行います。
7大天使が順に交代し、2160年周期で一周します。
そして、1879年に「ミカエルの時代」が始まったと言います。
「ミカエル」は、自由と創造の天使です。

「ミカエル」は、霊的宇宙の中で諸理念をBC9Cまで管理していました。
人間にとっては、思考内容は「ミカエル」の啓示でした。

ですが、「ルツィフェル」と「アーリマン」の働きによって、人間は、宇宙の諸力から切り離されました。

そして、「キリスト」によるゴルゴダの秘跡を経て、AD9C以降、人間は、唯名論の考え方に代表されるように、自分が「思考内容」を形成すると感じるようになりました。
「自由」の意識を育てることができるようになったのです。

ですが、15C以降、「アーリマン」の力が強まって、思考は霊的に死んだ構成体になりました。

そして、19Cの唯物論的が強まる中で、「ミカエル」達が「アーリマン」達と戦い、「アーリマン」達を地上に投げ落としたことで、「ミカエルの時代」が始まりました。
ですが、「アーリマン」達は力を失ったわけではなく、人間の一人一人の中に侵入しました。

「ミカエル」は、人間の魂の中で生き、思考内容を形成しようとします。
ですが、「ミカエル」自身は何も啓示しません。
人間による「自由な創造」を促し、その結果に同意のまなざしを送り、その中に生きます。

そして、人間が創造した行為を受け取り、それを宇宙的な行為にします。
古代の秘儀参入者は、神々が人間の内面に書き込んだものを読み、それを外界のアストラル光に書き込みました。
ですが、「ミカエル」の秘儀は、外界のアストラル光を読み、それを神々にもたらします。

また、「アーリマン」は人間の民族主義を強めて分断を計りますが、「ミカエル」は、血縁や地縁の代りに霊的な縁のつながりを生じさせ、民族間の差別なしに生きていくことを促します。

「アーリマン」は、太古の時代から独立した宇宙存在で、「アーリマン」が知性を獲得した時、知性は心や魂と関係させることをしませんでした。
ですが、「ミカエル」にとって、知性は魂の表現であると共に、頭と精神の表現ともなりうるものです。

また、「ルツィフェル」は外界の印象を強めて、意識の中で表象となって輝かせます。
ですが、「ミカエル」はこの「ルツィフェル」の力を霊視力に転化しようとします。

シュタイナーのキリスト論とイエス論

神智学協会では、「キリスト」は白色同胞団の「世界教師」という一役職であり、イエスは「キリスト」が宿った何人かの一人に過ぎません。
ですが、シュタイナーにとっては、「キリスト」は「太陽ロゴス」であり、「イエス」はそれを宿した唯一の存在であり、ゴルゴダの秘跡は地球史における唯一の出来事です。

シュタイナーは、「神秘的事実としてのキリスト教と古代秘儀」以来、それぞれの福音書に関する講演、その他多くの書で、「キリスト」と「イエス」について語りました。

これは、シュタイナーの人智学の核心に関わるテーマであり、神智学協会の思想との違いでもあります。
この項では、シュタイナーのキリスト論、イエス論について、まとめます。


<キリスト>

シュタイナーは、イエスがヨルダン川の洗礼の時に「キリスト」が受肉し、ゴルゴダの十字架上で血を流した時に、「キリスト」が地球と一体化したと言います。

シュタイナーは、「キリスト」とは「太陽ロゴス」であり、地球と一体化して「地球霊」となり、人間の中にも入ったのだと言います。
そして、地球、大地は「キリスト」の肉体となりました。

ですが、シュタイナーの言う「キリスト」は、神智学が言う白色同胞団の「世界教師」という一役職でもなければ、キリスト教が言う三位一体の子なる神でもないようです。
また、「太陽ロゴス」も、神智学の言う「太陽ロゴス」、つまり、太陽系の最高神とは違うようです。

シュタイナーが「キリスト」を「太陽ロゴス」とするのは、「ヨハネ福音書」やフィロンなどのギリシャ系神智学、秘教的キリスト教の伝統を継承してはいます。

ですが、シュタイナーは「キリスト」を、太陽紀に人間の段階にまで進化した「火の霊」を率いた大天使(第8位格の天使)であると言っています。
そして、月紀に太陽が分離した時に太陽に移り住んだ6人の光の霊「エロヒム」達が「太陽ロゴス」の本質だとも言います。
そして、地球紀ヒュペルポレアス時代に、地球から太陽が分離した時にも、太陽に移り住んだ存在です。

神智学との対応については、よく分かりません。
もともと、神智学と人智学では、宇宙進化論の中での「太陽」の意味が違います。
また、神智学のサナート・クマーラ達は「炎の主達」と呼ばれますで、これと「火の霊(大天使)」は、対応しているのかもしれません。


シュタイナーによれば、ゴルゴダの秘跡以前の多くの宗教は、太陽神として「太陽ロゴス」たる「キリスト」を崇拝しました。
ゾロアスター教のアフラ・マズダ、エジプトのオシリス、ギリシャのゼウスも同様の存在であると言います。

そして、古代の秘儀では、3日間の仮死状態の中で、太陽神を見ました。
ですが、「太陽ロゴス」が「地球霊」になって以降、これを行うことができなくなったと言います。

シュタイナーは、ゴルゴダに秘跡は、従来は少数者だけが秘儀で体験した「太陽ロゴス」との合一を、全人類に開かれた認識の道に変えたと言います。

つまり、こうして、人間は、肉体を持った目覚めた意識の中で、言葉を通して霊的なものを認識し、「意識魂」を育てる時代になったのです。

また、「キリスト」は1909年にエーテル界に出現したと言います。
そして、人智学はエーテル体のキリストを見えるようにするため、人々の霊視能力の獲得に尽くす使命を持っているのです。


<イエスの生涯>

シュタイナーは、福音書が語るイエスは2人いて、「キリスト」以外に、仏陀やゾロアスターも宿ったと言います。
つまり、「キリスト」を宿すために、イエスには二つの霊統が流れ込んで、準備がなされたのです。

「ルカ福音書」が語る「ナザレのイエス」は、ダヴィデ家の司祭系、「ナータン系」の生まれです。
そして、もう一人は「マタイ福音書」が語る「ベツレヘムのイエス」で、ダヴィデ家の王系、「ソロモン系」の生まれです。

「ナータン系のイエス」の母は、浄化されたアストラル体を持っていました。
浄化されたアストラル体は「処女ソフィア」と呼ばれる存在で、「宇宙自我」=「聖霊」の光を受け取ることができます。

また、仏陀は同情と愛を霊的領域から人間の中に流し込むことを任務としていたのですが、「ナータン系のイエス」のアストラル体に、仏陀の応身(アストラル体)が働きかけました。
ちなみに、仏教では、一般に「応身」は肉体の仏、「報身」がアストラル体の仏ですが、シュタイナーは反対の意味で使っています。
多分、この使い方は、神智学から継承したものでしょう。

ゾロアスターは、太陽神を説きましたが、死後、アストラル体はヘルメスに、エーテル体はモーゼに与えました。
そして、ゾロアスターの自我は、カルデアのザラトスを経て、「ソロモン系のイエス」に受肉しました。
「ソロモン系のイエス」は、エジプトに行って、ヘルメスとモーゼを通して与えられた力を取り戻しました。

12歳の時、ゾロアスターの自我は、「ナータン系のイエス」に移り、「ソロモン系のイエス」は亡くなりました。
同時に、仏陀の応身は「ナータン系のイエス」の母に結びつき、その後、母は亡くなりました。

仏陀の後を継ぐ菩薩は、エッセネ派のパンディラのイエス(異端として処刑された人物)に受肉して、イエスの準備をしていました。
ちなみに、この菩薩は3千年後に弥勒菩薩として仏陀になります。

「ナータン系のイエス(以下「イエス」)」は、エッセネ派から秘密を教授されました。
ですがその後、「イエス」に仏陀が現れ、自分がエッセネ派のような教団を作って、教えを少数の者に限定したのが間違いだったと伝えました。
また、「イエス」は、エッセネ派は教団から悪魔的存在の「ルツィフェル」と「アーリマン」を追い払っても、他の人間のところに行くだけだということを知りました。

「イエス」が20歳の頃、「ソロモン系のイエス」の母がイエスの義母になりました。
彼女は、ゾロアスターの教えをイエスに伝えました。
また、「イエス」は、ミトラス教が悪魔的な力の支配下に置かれるようになったことを体験して知りました。
シュタイナーはマニ教を評価しますが、その西方版ミトラス教は評価しないようです。

その後、「イエス」からゾロアスターの自我が去りました。
そして、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けました。
この時に「キリスト」が「イエス」に受肉しました。

同時に、「イエス」の母の霊(=聖母マリア)が義母に宿りました。
「キリスト」が受肉した「イエス」は、荒野で「ルツィフェル」と「アーリマン」と戦いました。

そして、ゴルゴダの秘跡に至ります。