シュタイナーの宇宙進化論1(惑星紀)

シュタイナーは、1904-8年に連載した「アカシャ年代記より」、1907年の講演「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などで、宇宙進化論、人類進化論を語りました。

これは、ブラヴァツキー夫人の神智学の同論を継承しながら、シュタイナー自身の霊視によって修正したものです。

堕天使論やキリスト論にも、大きな違いが生まれています。


<進化と人間>

シュタイナーの場合も、「人間」には2つの意味があります。

1つは、進化の段階としての「人間(人間段階)」で、これは、生命が「自我」、「対象意識」を獲得した段階です。
もう一つは、現在の「人間」の過去、及び、未来の存在です。

現在の「人間」は、過去には動物段階の人間である「人間動物」でした。
未来には、天使段階に進化して「人間天使」になります。
同様に、現在の「天使」は、過去には「人間段階」の「天使人間」でした。

「自我」を獲得した存在は、「アストラル体」、「エーテル体」、「物質体」を順次、「霊我」、「生命霊」、「霊人」に変えていきます。
「体」を「霊」に変えることができるようになれば、自分自身で「体」を作ることができるようになります。
シュタイナーは、作った「体」を他者に与えることを「供犠」と呼びます。

このように、被造物から創造者に変わることが「進化」です。
「人間段階」は、被造物から創造者に変わる転換点です。
そして、諸「天使」の位階の存在は、創造者の段階にまで変わった存在です。

ですが、「人間」は、他の「人間段階」に達した存在とは異なる点があります。
「ルツィフェル」を通して、「自由」を得た存在という点です。


<意識・生命・形態の周期>

宇宙の歴史は、

 7つの惑星紀(意識状態)×7つの周(生命状態)×7つの球(形態状態)

という三重の周期で進展します。

シュタイナーは、神智学の宇宙進化論を継承していますが、「紀(連鎖)」を「意識状態」、「周(ラウンド)」を「生命状態」、「球(天体)」を「形態状態」として捉え直しました。

いずれも7段階で構成されていますが、それは、我々には前後の3つの時代しか見えないために、7段階しか認識できないのす。
現在の我々は、4段階目の4段階の4段階目、つまり、「地球紀」の覚醒意識状態、「鉱物界」の生命状態、「物質的」な形態状態にあります。


<意識状態(惑星紀)>

まず、「意識状態(惑星紀)」が7段階あります。
それぞれの本質は、「意識状態」の進化であり、それは目標として形成されるものと対応します。
また、天体を構成する元素とも対応しています。

(惑星紀)  (元素) (意識状態)       (形成されるもの)
1 土星紀   :熱 :昏睡(鉱物)         :肉体
2 太陽紀   :空気:睡眠(植物)         :エーテル体 
3 月紀    :水 :夢(形象意識・動物)     :アストラル体
4 地球紀   :  :覚醒(対象意識)       :自我
5 木星紀   :  :自覚した夢(心魂的意識)   :霊我(マナス)
6 金星紀   :  :自覚した睡眠(霊感的意識)  :生命霊(ブッディ)
7 ヴァルカン紀:  :自覚した昏睡(直観・霊的意識):霊人(アートマ)

4の「地球紀」は、前半が「火星紀」、後半が「水星紀」となります。

紀の名前は天体になっていて、基本的に曜日の順になっています。
ですが、これらは現在の天体とは別で、地球の過去の姿、前世の姿です。
それぞれの紀において、最初に天体は1つにまとまっていて、途中で諸天体を分離します。

最初の「土星紀」は「熱」で出きた時代ですが、次の紀になるに従って、「熱」は凝縮して「空気」、「水」、「土」を新たに生んでいきますが、同時に精妙化して「光」、「音」、「生命」も生んでいきます。

また、最初の「土星紀」は人間の「物質体」が作り育てられますが、同時に最後に「霊人(アートマ)」の萌芽も作られます。
次の紀になるに従って、新しく「エーテル体」、「アストラル体」、「自我」が作り育てられますが、同時に最後に「生命霊(ブッディ)」、「霊我(マナス)」の萌芽も作られます。

ただ、各紀でそれぞれの体が作られるとは言っても、現在のそれとは大きく異なります。
また、「木星紀」には今の鉱物界がなくなり、「金星紀」は植物界がなくなり、「ヴァルカン紀」は動物界がなくなります。

最初に、「物質体」、「エーテル体」、「アストラル体」、「自我」を作るのは、人間より高次存在の「意志霊」、「叡智霊」、「運動霊」、「形態霊」ですが、その後は、順次、下の位階の霊が働きかけていきます。

(惑星紀) (元素) (形成されるもの) (形成する霊)
1 土星紀:熱   :物質体→霊人萌芽   :意志霊
2 太陽紀:空気→光:エーテル体→生命霊萌芽:叡智霊
3 月紀 :水→音 :アストラル体→霊我萌芽:運動霊
4 地球紀:土→生命:自我         :形態霊

人間の進化は人間より高次の霊的存在の働きかけによりますが、それらの9つの位階と、キリスト教における天使の対応は、下記の通りです。
シュタイナーは、偽ディオニュソス・アレオパギタ「天上位階論」の天使の9位階を継承しています。
アレオパギタは、新プラトン主義の影響を受けています。

第1ヒエラルキア     
1 愛の霊    :セラフィム(熾天使)         
2 調和霊    :ケルビム(智天使)       
3 意志霊    :トローネ(座天使)
第2ヒエラルキア     
4 叡智霊    :キュリオテテス(主天子)   
5 運動霊    :デュナメイス(力天使)
6 形態霊    :エクスシアイ(能天使)  
第3ヒエラルキア     
7 人格霊(時代霊):アルヒャイ(権天使)
8 火の霊(民族霊):アルヒエンゲロイ(大天使)
9 薄明霊(個人霊):エンゲロイ(天使)

人間は、第10ヒエラルキアであり、「自由霊」とでも表現できる存在です。

以下、上記の霊に関しては単数で記述しますが、基本的に複数です。


<生命状態(周)>

それぞれの惑星紀には、下記のような「生命状態(周)」が7段階あります。

1 第1元素界:純粋に神的・霊的
2 第2元素界:神的・霊的
3 第3元素界:心魂的
4 鉱物界  :物質的
5 植物界  :心魂的
6 動物界  :神的・霊的
7 人間界  :純粋に神的・霊的

「生命状態」は、最初に以前の「意識状態」の時代を繰り返します。
地球紀であれば、最初の3つの「生命状態」で、土星紀、太陽紀、月紀を繰り返します。
第1、2、3元素存在は、それぞれ下降中のメンタル生命、アストラル生命、エーテル生命です。


<形態状態(球)>

さらに、それぞれの周には、以下のような「形態状態(球)」が7段階あります。

1 没形態的(コーザル的):純粋に神的・霊的
2 形態的(メンタル的) :神的・霊的
3 アストラル的     :心魂的
4 物質的        :物質的
5 彫塑的        :心魂的
6 知性的        :神的・霊的
7 元型的        :純粋に神的・霊的

現在の我々は、「地球紀」の、「鉱物界」の生命状態の、「物質的」な形態状態にあります。

以上の「生命状態」と「形態状態」に関しては、あまり詳しく語られません。


<各意識状態(惑星紀)の出来事>

・土星紀

土星紀には、「愛の霊」が新しい太陽系の目標を直観し、「調和霊」がその目標を実現するための構想を練り、「意志霊」が自分の本性から火を天体に流し込みました。
これら第1ヒエラルキア存在は土星の周囲にいて、第2ヒエラルキアの存在は土星内部にいました。
土星は熱体で、「叡智霊」が送ってくる生命を反射していました。
土星紀に人間の意識は昏睡状態でしたが、人格霊が人間段階(覚醒した対象意識)に達していました。


第1期に「意志霊」が、人間の「物質体」の萌芽を流出しました。
人間は卵の形で存在しました。
第2期から第7期までは、「叡智霊」以下の6つの霊が順に人間の「物質体」に働きかけました。

(物質体に働きかけた霊)
1期 意志霊   
2期 叡智霊   
3期 運動霊   
4期 形態霊   
5期 人格霊    
6期 火の霊
7期 薄明霊

大気圏にいた「自我・アストラル体・エーテル体」としての人間が、自らの本質を土星上に投げ入れて発生した表象像から感覚器官の萌芽が形成されました。

第7期には、人間は「霊人」の萌芽を生じさせ、「意志霊」がそこに浸透しました。


・太陽紀

太陽は内では流体で、外に向かって光を放射していました。

人間の「自我・アストラル体」は大気の中にありました。
人間の肉体は、感覚器官が発達して成長・生殖器官になり、「エーテル体」を受け入れる準備が整いました。

第2期に「叡智霊」が人間の「エーテル体」の萌芽を流出し、人体の動きが叡智に満ちたものになりました。
第3期から第7期には、「運動霊」以下の5つの霊が順に人間の「エーテル体」に働きかけました。

(エーテル体に働きかけた霊)
2期 叡智霊   
3期 運動霊   
4期 形態霊   
5期 人格霊    
6期 火の霊
7期 薄明霊

第4期に「火の霊」が現在の人間の段階(対象意識を持つ段階)にまで進化しました。
彼らを率いていたのは、「キリスト(太陽霊、子、ロゴス)」でした。

第6期には、人間は「生命霊(ブッディ)」を生じさせて、「叡智霊」がそこに浸透しました。
第7期には「生命霊」を「霊人(アートマ)」と結びつけて、生きた「モナド」としました。

また、太陽紀には、「意志霊」が捧げた「供犠」を意図して受け取らない「叡智霊」がいました。
この「供犠」の受け取りの「断念」から「水」が生じて、次の月紀を生み出しました。

そして、太陽紀と月紀の間に、「運動霊」が、特別な進化を促そうとして、「妨害の神々」になって、天使を誘惑しました。
一群の天使がこれに乗って反抗し、「供犠」を横取りして、「ルツィフェル」と呼ばれる存在になりました。


・月紀

太陽が月から分離し、進化した高次の霊的存在は太陽に行き、太陽は恒星となりました。
一方、進化の遅れた存在は月に残りました。
「形態霊」である7人のエロヒムの中の6人は太陽に行き、残りの1人であるヤハヴェは月に行きました。

そして、高次の霊的存在は太陽から月に光を放ちました。
ですが、月では「ルツィフェル」が太陽の影響を受けとらない進化から取り残された、独立した存在になりました。

ただ、これは「調和霊」の計画でした。

これが、後に人間に自由意志を与えるきっかけとなりました。

人間の肉体は、神経組織が作られ、「アストラル体」を受け入れる準備が整いました。

第3期に「運動霊」が人間の「アストラル体」の萌芽を流出しました。
第4期から第7期には、「形態霊」以下の4つの霊が順に人間の「アストラル体」に働きかけました。

(アストラル体に働きかけた霊)
3期 運動霊   
4期 形態霊   
5期 人格霊    
6期 火の霊
7期 薄明霊

第5期には、人間は「霊我(マナス)」の萌芽を生じさせ、「運動霊」がそこに浸透しました。
「霊我」は第6期に「生命霊」と第7期には「霊我」と「モナド」と結びつきました。


・地球紀

人間の肉体には、温血の心臓組織が作られて、「自我」を受肉する準備が整いました。
温血動物、植物、鉱物は、土星期、太陽期、地球期に進化から遅れた存在です。

第3期に、月紀の太陽と月の分離を繰り返します。
第4期に「形態霊」が、人間の「自我」の萌芽を流出しました
第5期から第7期には、「人格霊」以下の3つの霊が順に人間の「自我」に働きかけます。

(自我に働きかける霊的存在)
4期 形態霊   
5期 人格霊    
6期 火の霊
7期 薄明霊


現在の人間が物質界で創造を行うように、木星紀には植物を創造し、金星紀には動物を創造するようになります。
また、未来(ヴァルカン紀?)には、言葉によって人間を作るようになり、無性的存在になります。

地球紀の根幹人種期や文化期については、次項で説明します。


ルドルフ・シュタイナーの生涯と人智学

ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、神智学協会のドイツ支部の事務総長を経て、自身の思想「人智学(アントロポゾフィー)」を構築した、近代の神秘思想家を代表する人物です。

シュタイナーは、幅広く高い教養を身につけた思想家で、ゲーテ学者、ニーチェ学者として世に出ましたが、40歳になってから神智学者に転向しました。

シュタイナーは、東洋の秘教に立脚点を置いた神智学に対して、西洋の秘教に立脚点を置きました。
そして、神智学のようにマスターについて語らず、自身の霊視力に基づいて語りました。

また、シュタイナーは、太陽ロゴスであるキリストがイエスに受肉し、ゴルゴダの秘跡によって地球霊になって以降、人間の内に言葉を通して霊的なものを見いだせるようになったと言います。
そして、シュタイナーは、宇宙的法則を反映する生きた思考を通して、超感覚的認識を獲得す「薔薇十字の道」を説きました。

また、シュタイナーは、物質を志向させて霊的認識から遠ざけるアーリマンと、その逆を志向させるルツィフェルの均衡を取るのが「キリストの道」であると説きます。
そして、現代は、個々人の自由な創造が求められる「ミカエルの時代」だとも説きます。

この項では、彼の人生と思想形成を追いながら、「人智学」について紹介します。

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<ウィーン時代とゲーテ>

1861年、シュタイナーは、当時のハンガリー、現クロアチアのクラリエヴェックで、鉄道の通信技師の子として生まれました。

彼は少年の頃から死者の霊を見るなど、彼にとって、霊的な世界、内的な世界の体験はリアルなものでしたが、一般の人がそれを否定することを知り、秘すことにしました。

そのため、彼は幾何学に触れた時、それが内外の世界を同時に体験できるものであると感じて、喜びを感じました。

1879年、彼はウィーン工科大学に進みました。
ですが、彼は、内なる生きた魂の世界と、自然科学で学ぶ死んだ自然の違いに葛藤していました。

一方、森で薬草を採取していた薬売りのフェリックス・コグツキーに出会いました。
彼はオカルティズムに詳しい人物で、シュタイナーは彼を通して、魂の世界に関する学問を知り、その世界に確信を得ました。

フェリックスはシュタイナーに、あるマスターを紹介しました。
彼が誰であるのかは知られていませんが、フリーメーソンや薔薇十字会の高位のマスターだと推測する人が多くいます。
彼はシュタイナーに、フェヒテをテキストにしてオカルティズムを講義しました。
また、ゲーテを学ぶこと、唯物論の克服のためには自然科学を研究すること、そして、40才になるまで霊的な指導者にならないことを勧めました。

シュタイナーは15歳の時に、カントの「純粋理性批判」を読み、それを通して哲学的な思考を学びましたが、カント哲学の「物自体」を認識できないという認識の限界に関する主張に疑問を持っていました。
そして、シュタイナーは、フェヒテの「全知識学の基礎」を読んで、「自我」を認識の基盤に置くことに確信を持ちました。
シュタイナーは、「自我とは霊の世界に生きている霊それ自体であるということが、私にとっての直観であった」と書いています。
また、フェヒテが「新しい内的感覚器官」が必要となる、と考えたことを重視しました。

1882年、シュタイナーは21歳にして、「ドイツ国民文学叢書」の「ゲーテ自然科学論文集」の編纂を担当しました。
そして、1886年に「ゲーテ的世界観の認識論要項」を発表、少し間を置いて1897年に「ゲーテの世界観」を発表し、ゲーテ学者として知られるようになりました。

シュタイナーは、ノヴァーリス同様に、自然を成長する生きた状態として観察するゲーテの自然学に惹かれ、思考もそのように生きたものにすべきたと考えました。
ゲーテは「形象的理念」という考え方で植物の成長を捉えましたが、シュタイナーはこれを思考の瞑想法として捉えました。
シュタイナーにとっては、「自我」が霊的存在であるように、生きた「思考」も霊的存在なのです。

シュタイナーは、自然の中にある創造力と人間の創造力の同一性を、理論的に説明できる認識論的立場が、心物二元論の克服に必要だと考えました。
彼は、思考が理念を把握することで、外に働いているものが人間精神の内に立ち現れて客観と一つになると考えました。

1888年に、シュタイナーは「ドイツ週報」の編集長となり、社会主義の運動家と交流を持ちました。

また、シュタイナーは、ウィーン時代には、当時最高のオカルティズムの知識を持っていたフリードリッヒ・エクスタインと親交を持ち、教わることができました。
またこの頃、彼は、神智学協会のシネットの「エソテリック・ブッディズム」も読みました。


<ワイマール時代と「自由の哲学」>

1890年、シュタイナーは、ゲーテ・シラー文庫で働くために、ワイマールに移住しました。
1891年には、「特にフェヒテの学説に関する認識論の基本問題」で博士号取得しました。
そして、1894年に、彼の哲学における主著となる「自由の哲学」を出版しました。

この書で彼は、知覚内容と概念を思考によって結びつけることで、それらが完全な現実になるとして、カントの「物自体」と認識の限界の主張を否定しました。
そして、倫理的な想像力によって直観された理念を、意志によって動機付け、現実の行為に移すことが、人間の「自由」であり、霊的なものによって行為することになる、と主張しました。
彼は、後に神秘主義者に転身してからも、この「自由」を重視することは、変わりはありません。

同年、ニーチェの妹のエリザべ―トと知り合いになり、ニーチェ文庫で彼の蔵書を整理し、ニーチェが読んだ本に書き込んだメモを読む機会を得ました。
エリザベートはシュタイナーをニーチェ文庫の専任者にして、全集の監修をさせることを希望したのですが、実現しませんでした。

また、シュタイナーは、当時すでに病んでコミュニケーションがほとんどできなくなっていたニーチェと対面しました。
シュタイナーは、「この時、私が霊視したものについて、私の思考はただ口ごもることしかできなかった。」と書いています。
しかし、翌1895年には、それを「フリードリヒ・ニーチェ 反時代的闘志」として発表しました。
シュタイナーは、当時、自分が「無条件なニーチェ主義者」であると思われていたと、後に書いています。


<ベルリン時代と魂の転回>

1897年、シュタイナーはベルリンに移住し、自由文学協会に参加して、「文芸雑誌」の編集などを手がけました。
ベルリンでは、グリム兄弟の息子で文化史家のヘルマン・グリム、生物学者のエルンスト・ヘッケル、哲学者のエドゥアルト・フォン・ハルトマンらとも親交を持ちました。

シュタイナーは、人間の進化について、ヘッケルの系統発生的思考を、「彼の学説より優れたオカルティズムの科学的基礎付けは存在しない」と評価しています。


シュタイナーは、ワイマールにいた最後の頃から、深刻な「魂の転回」を経験しました。
これは、思考と感覚の霊的な融合とでも言うべきものでした。

シュタイナーが言うには、一般の人は幼児期に、霊的世界から感覚世界に移行します。
そして、本来、霊的な体験からきた事物の表象を、感覚的な知覚と区別がつかなくなります。

ですが、シュタイナーは、自分が若い頃から霊的な世界はリアルでしたが、36歳になるまで感覚世界に対しては夢うつつのような状態だったと言います。
ところが、36歳になって初めて、物質の世界に対してはっきりとした意識で観察できるようになったのです。

同時に、シュタイナーの自然や他人に対する観察の方法を変えることになりました。
彼は、あるがままに自然や他人の言動が自分に作用してくるようにしたのです。

そして、シュタイナーは、「このような世界観察が私を本当に霊界の中へ導いてくれるのを知った」と言います。
彼は、「物質界を観察することの中で、まったく自分から抜け出ることができる」ようになり、「高められた霊的観察能力を持って、ふたたび霊界の中へ参入する」ことができるようになりました。
つまり、既存の固定した表象や概念を自分から外界に押し付けて認識するのではなくて、対象(の知覚)から自然に認識が生まれてくるようにしたのです。

シュタイナーは、これを、「人間の認識とは人間だけのものではなく、世界の存在と生成の一部分なのである」と書いています。
彼にとっては、このような創造的な認識は、正に、霊的体験であり、一元論的な認識的立場に当たるものでした。


<神智学協会から人智学協会へ>

1900年に、シュタイナーは、ドイツ神智学協会の主要メンバーであるブロックドルフ伯爵に招かれて、神智学文庫でニーチェ、続いてゲーテに関する講演をしました。

この時点で、シュタイナーは、神智学とブラヴァツキー夫人について、その存在は知っていましたが、ブラヴァツキー夫人の著作は読んでおらず、その秘密主義と心霊主義の側面を批判していました。

ですが、その後、夫人の著作を読んで、感銘を受けました。
シュタイナーは、神智学協会に対して、オカルト結社と違って、公開主義で、位階組織ではなく平等主義であると、評価して語っています。

神智学協会での講演を通して、協会のメンバーは、シュタイナーがオカルティズムの知識を持っていて、それらを語ることができるのではないか、ということを発見しました。
一方、シュタイナーも、自分が語る霊的なものを受け入れる環境があることを発見しました。

こうして、シュタイナーは、霊的なテーマの講演を始めました。
1900年から1902年にかけての、「近代精神生活の黎明期における神秘主義」、そして、「神秘的事実としてのキリスト教と古代秘儀」です。

これは、ちょうど、若い頃にマスターから霊的な指導をそれまでひかえるようにと言われていた40才の境であり、また、1000年期の境でもあり、彼によると「カル・ユガ」の時代が終わった(1899年)タイミングでもありました。

そして、シュタイナーは1902年1月に神智学協会に入会し、10月には、新たにベルリンで設立されたドイツ支部の事務総長に選ばれました。

この時、ロンドンからアニー・ベザントが来訪し、シュタイナーは彼女と対面しました。
ベザントは、シュタイナーに関して、「東方の道」を知らないけれど、彼の「西方の道(キリスト教・薔薇十字の道)」は多くの人に役立つ、と考えていました。
ですが、彼女はシュタイナーに、神智学の教義と齟齬をきたさないようにと注意をしていたようです。

シュタイナーが神智学協会に入会したことは、彼がこれまで築いてきたアカデミックな領域における学者、思想家として地位、評判、人脈を失わせるものでした。

こうしてシュタイナーは、これまで語ることをひかえてきた霊的な事項を語るようになったのですが、彼は、一つのルールを決意しました。
それは、「いかなる党派的ドグマにも囚われず」、「自分自身が霊界で体験したことに従がって語ることができると信じたことだけを話す」でした。
しかし、これは、神智学協会の中に居続けることができないことを示しています。

その後、シュタイナーは、1904年から1908年にかけて、主著となる「神智学」、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」、「アカシャ年代記より」などを発表しました。
当時の彼はまだ「神智学」という言葉しか使っていませんが、彼の「人智学」の思想の基礎が、ここに作られました。

シュタイナーの人間本質論は、基本的には神智学のそれを継承していますが、神智学が高級3本質(霊)と低級4本質(魂・体)に分けて考えるのに対して、シュタイナーは霊・魂・体の3分説を基本に、自我を中心に上下対称構造で捉えるのが特徴です。

また、シュタイナーの惑星進化・人類進化論も、神智学のそれを継承していますが、堕天使的存在のルツィフェルに関する説などに特徴があります。
また、修行論は、思考や自我を重視することなどが特徴です。

具体的には、それぞれ別項を参照してください。

ですが、1909年には、神智学協会の主流派のベザント、リードビーターらアディヤール派が、クリシュナムルティにキリストが受肉するとして、その準備を始めました。

シュタイナーはこの頃、前後数年間に渡って、イエスの人生の霊視を行いながら、各福音書の講演を行なっていました。
彼は、イエスが二人いて、ゾロアスターと仏陀がそれぞれにイエスを準備し、「太陽ロゴス」である「キリスト」がイエスに受肉し、ゴルゴダの秘跡で「地球霊」になったとします。
詳細はキリスト論についての別項を参照してください。

シュタイナーにとっては、キリストに関する神智学協会との解釈の違いは、譲れないものでした。
そのため、1912年、シュタイナーは神智学協会から脱会し、多くのドイツ支部、そのメンバーもそれに続きました。
そして、脱会したメンバーらは、「人智学協会」を設立しましたが、シュタイナー自身は形の上ではこの協会には参加しませんでした。


<第一次世界大戦の戦中・戦後>

1909年に、シュタイナーは「芸術の本質」という講演を行いました。
そして、1910年から1913年にかけて、「神秘劇四部作」をミュンヘンで上演しました。
同時に、言葉を動作で表現する言語=舞踏芸術「オイリュトミー」の創作を始めました。

その後、神秘劇の上演用の舞台も備えた人智学の活動の拠点を作る計画が生まれ、1915年に、これがスイスのドルナッハの「ゲーテアヌム」として完成しました。

しかし、その前年の1914年に第一次世界大戦が始まり、ヒトラーのナチス党率いるドイツは敗戦しました。

シュタイナーは、第一次大戦は、西のある秘密結社が準備したと言っています。
彼は、人間理性による社会建設を目指す国境を越えたこの結社が政治を操り、各国の国民意識を操ったと考えました。
そして、ドイツは、その国民性の本質から生まれる任務を果たすことを怠ったと。

シュタイナーは、従来の中央集権的な国家システムに対して、霊・魂・体の三分説に対応するように、精神システム、法・政治システム、経済システムを分離した「社会有機体三分説(社会三層化論)」を提唱しました。

しかし、1919年に、ディートリヒ・エッカルトが、シュタイナーはユダヤ人であり、社会主義者で、ドイツ敗戦の戦犯である、というデマによる批判を始めました。
エッカルトは、トゥーレ協会のメンバーであり、ナチ・オカルトに影響を与えた人物です。

また、1921年には、ヒトラーも機関紙で、「社会有機体三分説」はユダヤ的方法論であり民族の精神を破壊する、そしてこの悪魔的所業のすべてを背後で牛耳る推進役はユダヤ人のシュタイナーだ、と書いて批判しました。

他にも、シュタイナーを敵視する民族主義者やそのグループが多数いました。

アーリア人を人類文化の祖とするアーリアン学説は、神智学を経てオカルト人種論、ゲルマン民族主義的の宗教的潮流となりました。
シュタイナーの人智学もその潮流の一つかもしれませんが、この潮流としては、グイド・フォン・リストの「リスト協会」、ランツ・フォン・リーベンフェルスの「新テンプル騎士団」、ルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフの「トゥーレ協会」を経て、ナチ・オカルトに至りました。

そして、1922年、ゲーテアヌムは何者かの放火(証拠はでていませんが)によって焼失しました。


<一般人智学協会と霊学自由大学>

その1年後の1923年、ゲーテアヌムの瓦礫の近くに立てられた小屋で、「クリスマス会議」と呼ばれる会合が行われ、約800名の会員が集まりました。
シュタイナーはここで、自身を長とする「一般人智学協会(普遍人智学協会)」と、協会の核となる「霊学(精神科学)のための自由大学」を設立しました。

「霊学自由大学」は、霊界のミカエルからの要請で作られたものであると、シュタイナーは言っています。
講義の際にも、実際にミカエルが臨席していると、何度かシュタイナーは告げています。
シュタイナーにミカエルが宿った、という人もいます。
そのため、シュタイナーは、「クリスマス会議」以降、「協会内のどんな行為も、直接エソテリックな性格を持つようになった」、と言っています。

人智学、人智学協会は、基本的に、完全な公開主義です。
ですが、「霊学自由大学」に関しては、そこに違うレベルで、オカルト的規則による一種の秘密主義がありました。
公開されてしまうと力が失われるものが重視されたのです。

シュタイナーは、「霊学自由大学」メンバーに、それぞれが人智学の代表となるという覚悟、霊界に対する真剣さを求めました。

また、シュタイナーは、講義の中で、人智学運動とキリスト者共同体を潰そうとしているカトリック勢力がいることを具体的に述べて、妨害と切り崩しの中を通っていくあの困難な道を共に歩むという覚悟が必要だと語りました。

「霊学自由大学」は、シュタイナーのもとに指導部が置かれ、指導部会を形成する指導的人物が各々の部門を指導します。
例えば、最初の人智学協会の立役者でもあったマリー・シュタイナー夫人が言語表現芸術と音楽芸術部門を担当し、スイスの詩人アルベルト・シュテッフェンが純文学部門を担当しました。
自由大学には、協会に2年以上在籍した者が、大学の責任者の面接を受けて合格すれば入学が認められした。

1924年2月に、ドルナッハで、シュタイナーによって第一学級に向けた講義が始まりました。
その内容は、ミカエルから伝えられた「マントラ」の授与と、その解説が中心でした。
このマントラは、各人が実際に霊界へのイニシエーションを体験する時に、ミカエルの代行者である「境域の守護霊」が実際に語る言葉だと言います。
詳細は別項を参照してください。

講義の内容は、非公開が求められ、つい最近まで、大学への入学が認められたメンバー以外は知ることができませんでした。
参加者は、マントラを別にして、講義の内容を記録したノートを、8日間後に破棄しなければなりませんでした。

これらの講義は、長らく非公開でしたが、現在は書籍「秘教講義I、II」として出版されています。

大学のクラスは、通称「ミカエル学級」と呼ばれ、三階級の構成になる予定でしたが、シュタイナーの死によって実現しませんでした。
ですが、シュタイナーは、第2学級の講義の内容は「祭祀」に関わるもの、第3学級は「マトラの解釈」に関わるものであると、予告していました。


また、シュタイナーは、「クリスマス会議」以降、機関誌「ゲーテアヌム」に、協会員に向けた手紙と、自身の伝記の連載を始めました。
前者は「人智学指導原理」として、後者は「自叙伝」として出版されました。

1924年1月、何者かによって、シュタイナーは夕食会で毒を盛られました。
そして9月には病に伏し、翌1925年の3月に亡くなりました。

ですが、彼は1924年の1月から9月までは、338回の講演を行って精力的に活動しました。

その後、シュタイナーが生前に設計した第二のゲーテアヌムが、死後3年半で完成しました。


また、本稿では割愛しましたが、シュタイナーは、教育(自由ヴァルドルフ学校)、農業(バイオダイナミック農法)、医療(人智学医学)の分野でも、人智学的な理論を展開し、また、宗教(キリスト者共同体)の分野でも影響を与えました。

このように、生活に根付いた広い分野での具体的な実践理論がある点は、神智学と異なる人智学の特長です。


<人智学と神智学の対照性>

シュタイナーの人智学は、ブラヴァツキー夫人の神智学のドイツ・ヴァージョンであるとも言えます。
ですが、その一方で、唯一、神智学を本質的な次元で修正、発展させたものだとも言えます。

シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人と違って、ヨーロッパを出たことがありません。
ですが、哲学者、思想家としては、トップ・レベルの幅広い教養と能力を持っていて、他の神智学の思想家とはレベルが違いました。

ブラヴァツキー夫人の神智学協会は、「原初の智恵」の伝統を核として、それを伝えるインドの秘教などの東洋の伝統に立脚点を置き、諸民族の宗教・思想を平等に扱いました。
キリスト教に関しては、特別視しせず、どちらかというと、秘教を弾圧してきたという点で、否定的に捉えました。

これに対して、シュタイナーは、西洋の伝統、つまり、キリスト教と薔薇十字主義、そして、エックハルトなどドイツ神秘主義、フェヒテなどのドイツ観念論、そして、ノヴァーリスなどのドイツ・ロマン主義やゲーテに立脚点を置いていました。
そして、「原初の智恵」よりも現代的課題を重視しました。

これらの点で、神智学と人智学には対照的です。

また、神智学協会は、人間の本質を「思考」や「自由意志」、個別化した「自我」と考えてそれを重視しました。
シュタイナーも同様ですが、彼は「自我」や「思考」が本来的には「霊」であるとし、実践や修行法においても、それを厳密に捉えて行おうとしました。

そのため、神智学協会が、最終的に思考を捨てるラージャ・ヨガ(ヨガ・スートラ)を重視するのに対して、シュタイナーは、思考を生きたものにすることを目指します。

シュタイナーは、日常的な思考を死んだ思考と考え、思考を有機的に成長する生きた思考にすべきだと言います。
思考は宇宙的・客観的存在であるため、脱自的・没我的に思考する必要があります。
また、思考そのものを対象とした純粋思考や、感覚世界ではなく霊的世界を対象とした思考を重視します。

この点でも、対照的です。

また、ブラヴァツキー夫人の神智学は、基本的には、インドや他の地域の古い書を元にして「原初の教え」を復元しようとしたものです。
その強引な復元・創作に主観性がありますが、ある程度の客観性もあると言えます。

一方、シュタイナーは、自身で霊視して真実であると確認したものしか書かないと言っています。
人智学は協会員にとっては真実ですが、外の人間から見ればシュタイナーの主観的な思想です。

この点でも、対照的です。

また、ブラヴァツキー夫人やその後継者、分派の創始者は、形式としては、マスターと連絡を取り、彼らの教えであるとして教義を説きました。
神智学では、教義の個人性は消され、代わりにマスター信仰があります。
これは、近代的でも学問的でもありませんが、神秘主義思想に限らず、東西の伝統的な文化における一般的な手法です。

一方、シュタイナーは神智学協会のマスターの存在を否定しませんが、自身は、彼らと連絡を取って教えを受けたと主張したことはありません。
人智学には、マスター信仰はありませんが、シュタイナーが語った(認識した)ものという個人性があり、彼への信仰は避けられません。

また、神智学が(謎のマスターとの)師弟関係を重視したのに対して、シュタイナーは、書物による個人的伝授や社会関係、霊界との関係を重視しました。

これらの点でも、対照的です。

また、ブラヴァツキー夫人は、キリストの再来を語りませんでした。
ですが、神智学協会のアディヤール派は、クリシュナムルティにキリストが宿るという形でメシアニズムを展開し、クリシュナムルティ自身による否定でこの運動は崩壊しました。
また、ベイリー派は、キリストがまもなく出現するという形で、メシアニズムを展開しました。

一方、シュタイナーの場合は、エーテル界にキリストが出現したとし、協会員に、キリストを見るための霊視力の獲得を目指させました。
これは、人智学におけるメシアニズムの一形態であると言えなくはありません。

この点でも、対照的です。

また、神智学、人智学には、アーリアン学説の影響があって、人種差別との批判がされることもあります。
神智学協会では、人によって差別的な観点の程度に差がありますが、スラブ系の文化で育ち、エジプト、アメリカ、インド、イギリスなど、各地で活動したブラヴァツキー夫人にはそれが少なかったように思えます。

一方、シュタイナーは、「人種」という言葉を使うのは、神智学が使っているからでしかない、「人種」が意味を持つのはアトランティス期だけである、民族主義はアーリマンの力によるものでありミカエルに時代にはふさわしくない、などと語り、自覚的、思想的に「人種」を超えようとしています。
ですが、シュタイナーの思想の各所には、視野の狭さに由来する人種差別的な発想を感じてしまいます。

この点でも、対照的です。


神智学の思想の背景と本質

<原初の智慧とインド思想>

ブラヴァツキー夫人は、ルネサンスの「古代神学」やエリファス・レヴィの「隠された伝統」の考え方を継承して、「原初の智恵」を信じ、それがアーリア人によるもの、インドに発しているものと考えました。
そして、このインドに伝わる「原初の智恵」が、イラン、カルデア、ヘブライ(カバラ)、エジプト(ヘルメス文書)に伝わったのだと考えました。
また、インドのヒンドゥー教や仏教は、それをかなりの程度で表現していると。

また、キリスト教やイスラム教は、もともとゾロアスター教などのイラン系宗教の影響を受けたものでしかないだけではなく、伝統的な秘教を否定する、悪魔的な熱狂にとりつかれた宗教であると考えて、評価しませんでした。

以上のように、ブラヴァツキー夫人は、スラブ系の文化で育った人間ですが、当時ヨーロッパで大きな影響を持っていたアーリアン学説の影響を受けています。
そして、「人類発生論」で、現在の人種である第5根幹人種を「アーリア人」としました、
ですが、彼女はこれを白人種の印欧語族のことではなく、現代に存在する人種の総称的な意味で使っています。
ところが、彼女の継承者は、必ずしもそのように理解しなかったようです。
また、「インド」についても、古代のイランからチベットまで含めた広い地域を指しています。

ブラヴァツキー夫人とオルコットが提携した、インドのアーリア・サマージの代表のダヤーナンダ・サラスヴァティも、「原初の永遠の宗教」を信じ、「ヴェーダ」に回帰する思想を持っていました。
この点では、2つのグループは共通していました。

ブラヴァツキー夫人は、インド思想の中でも、「ウパニシャッド」が秘教であり、「ヴェーダ」や「プラーナ文献」は顕教だと考えました。
ヴェーダーンタ哲学、サーンキヤ哲学や「ヨガ・スートラ」のようなバラモン哲学も、秘教を受け継いでいると考えていたのでしょう。
ですが、ヒンドゥー・タントラや後期密教のような、本当のインドの秘教は知らなかったのではないでしょうか。

また、「シークレット・ドクトリン」で述べられた宇宙・人類発生論は、多くをプラーナ文献、中でも最もよく体系化された「ヴィシュヌ・プラーナ」に負っています。
宇宙の多重な周期的創造論、そして、マヌ、クマーラなどの神的存在などです。

もちろん、基本的な思想である転生とカルマ論も、インド思想であり、神智学はそこに進化論的思想を統合しました。


<仏教>

シネットが書いた「エソテリック・ブッディズム」は、ブラヴァツキー夫人と神智学の思想が表現された最初の書籍とも言えます。
ですが、彼女はこの書の「ブッディズム」という言葉について、「仏教」ではなく「ブッディ(ボディ、智恵)」のことだと言っています。

でも、オルコットとブラヴァツキー夫人は、セイロンで仏教に改宗しています。
その後、リードビーターも二人に続きました。
ですから、彼らは仏教を特別視していたハズです。

ブラヴァツキー夫人は、釈迦の教えは、バラモンの秘教を公開するものだと考えました。
ですが、公開した小乗仏教の教えは、倫理と人間に関する顕教の部分だけで、他は阿羅漢のインナーサークルの中に隠して伝えたと。

そして、大乗仏教はその秘教の一部をさらに公開したけれど、本当の秘教を保持しているチベットの仏教の教えはほとんど知られていないと主張しました。

神智学に密教(エソテリック・ブッディズム)の要素がどれだけあるのかというのは、良く問われてきた質問です。
ですが、実際には、密教的要素はほとんどないでしょう。

ブラヴァツキー夫人は、大乗仏教の宇宙大に拡大された仏陀論や弥勒信仰、シャンバラ伝説といった、イラン系思想の影響を受けた部分を「秘教」であると考えていたと思われます。

ブラヴァツキー夫人は、「観音菩薩」を「宇宙霊」、「ロゴス」、「マハット」、「ブラフマー」と同一視しています。
これは、仏教的には理解できませんが、「ミトラ」=「弥勒菩薩」と同一視したのかもしれません。

当時のインドでは仏教は滅びており、シャンバラ伝説を持つ「カーラチャクラ・タントラ」を伝承していたのはチベットだけです。
ですが、「カーラチャクラ・タントラ」自身は、イラン・トルコ系の中央アジアで原型が作られ、シャンバラのモデルもそこにありました。

ですが、ブラヴァツキー夫人は、シャンバラがチベットの向こうのゴビ砂漠にあると考えました。
また、チベットの大師から教えを受けていると主張しました。

ブラヴァツキー夫人は、チベットで修行をしたと主張しましたが、それはありそうになく、先に書いたように、彼女は「カーラチャクラ・タントラ」も含め、密教、後期密教についての知識はあまり持っていなかったと思われます。

ただ、ブラヴァツキー夫人が少女時代に母方の祖父の元で過ごしたのは、カピス海沿岸のアストラハンで、そこの遊牧民カルムイクの人々はチベット仏教徒でした。
そして、夫人の母は、カルムイク人の密教をテーマにした小説を書きました。
そのため、夫人にとってチベット密教が身近な存在であったことは確かです。


<パルシー秘教派経由のイラン・カルデア思想>

ブラヴァツキー夫人は、インドに渡る以前から、イランの宗教を研究していいますが、これは当然、西洋の学者の研究を元にしたものでしょう。
ですが、ボンベイで多数のパルシー教徒が神智学協会に参加したため、彼らから西欧の学者が知らない知識を多く学んだと思われます。
この意味は、大変、大きいと思います。

パルシー教はゾロアスター教ですが、彼らの中には、秘教派、つまり、ミトラ教マニ教ズルワン主義、サビアン教、スーパーシーア派、ヤザダ教(クルドの天使教、ブラヴァツキーは「ゲーベル」と呼びました)、イェジディー派(孔雀派)などの伝統を汲む者がいて、その思想を、神智学の機関誌でも発表しました。

さらに、ブラヴァツキー夫人は、ロンドンに渡ってから、ミトラス教やカルデア神学の専門家で、協会員だったJ・R・S・ミードからも、知識を得たと思われます。

当時、ミトラ教の復興運動が密かに生まれていて、神智学もそれと並行していたのです。
ちなみに、マニ教に関しては、最初の原資料「シャープラカーン」が中央アジアで発見されたのは1904年です。
ですから、ブラヴァツキー夫人はこれを知ることはできませんでした。

ブラヴァツキー夫人は、限られた資料しかなかった当時としては、驚くほどに正しく、イラン系の宗教や神智学を理解していました。
彼女は、イラン古来の伝統宗教としてのミトラ教と、改革されて不完全な形に変形されたマズダ教と、ササン朝期の折衷的なゾロアスター教の違いを認識していました。
また、マギの宗教(カルデア神学)がミトラ教をベースにしていること、クルドのヤザダ教や孔雀派がミトラ教の伝統を受け継いでいることも認識していました。

また、ユダヤ教の秘教であるカバラは、ヘブライ人がバビロン捕囚の時に、カルデア神学(彼女はそれを「カルデアのカバラ」と呼びました)を取り入れてたものであることも知っていました。
ただ、彼女は、ヘブライのカバラ思想や「生命の樹」が、当時から存在したかのように語っていますが。

ブラヴァツキー夫人の神智学が基本とする生滅を繰り返す循環的な宇宙論は、インドのヒンドゥー教のプラーナ文献や仏教のアビダルマ的宇宙論にありますが、おそらくその原型はカルデアから伝わったものです。
また、同じく神智学が基本とする進化論的な発想を持った思想は、インド思想や仏教にはありませんが、ズルワン・ミトラ系神智学にありました。

また、神智学の思想は、7を聖数として体系化されています。
これも、インド発ではなくバビロニア・カルデア発の思想でしょう。

また、シャンバラ・ハイアラーキ―の「世界教師(マイトレーヤ、キリスト)」、「人祖(マヌ)」、「文明の主(マヌ)」の3役職は、「ヴィシュヌ・プラーナ」にもありますが、ヤザダ教の神話にも「マズダ」、「ガヨーマルト」、「ジャムシード」として存在します。

シャンバラ伝説の原型は、おそらくイランの伝承で、中央アジアにあるエメラルドの海の中の白い島があり、そこに時の主マフディーが住むというものです。
ブラヴァツキー夫人は、シャンバラに関して、ゴビ砂漠にはかつて海があり、白い島があったと書いていますので、イランの伝承を継承しています。

そして、ブラヴァツキー夫人は、堕天使や悪魔に関するキリスト教的認識が間違っているということが、「秘密教義」の核心であるといったことを書いています。
つまり、神に敵対する絶対的な堕天使・悪魔や、キリスト教の原罪・贖罪を否定します。
この「秘密教義」の核心は、神的存在が人間の内面へ受肉したという思想です。

ですが、「シークレット・ドクトリン」の一番のネタ元とされる「ヴィシュヌ・プラーナ」には、その傾向が少なく、「ヴィシュヌ・プラーナ」に影響を与えたとおもわれるイラン系神話、グノーシス系神話の方により特徴的です。
サーンキヤ哲学、ヴェーダーンタ哲学、仏教哲学は、類似した思想を哲学的に表現していますが、これら哲学に比べると、神智学の思想(モナド=ロゴスがアートマ、ブッディとしてマナスの中に転生する)の方が神話的です。

このように、神智学のバックボーンは、インド思想と同程度にイラン・カルデア思想、ミトラ教であると言えます。

実際の歴史においては、原インド・イラン文化があり、それがインドとイランに分離し、イランの伝統とカルデアの伝統が習合して、「神智学」の原型が生れました。
それが西方には新プラトン主義やヘルメス主義、カバラなどとして展開し、東方にはインドでヒンドゥー教のプラーナ文献、仏教の弥勒信仰や密教(最終的にはシャンバラ伝説を持つカーラチャクラ・タントラ)として展開しました。

ですが、ブラヴァツキー夫人は、アーリアン学説の影響を受けながら、現在の人類(第5根幹人種)の故郷をインドであると考えていたため、インド思想とその用語を前面に出し、イランン・カルデア色を出さなかったのでしょう。
また、神智学協会がボンベイのパルシー教徒の共同体から離れたことも、一因でしょう。

ブラヴァツキー夫人は、インドに「原初の智慧」の教えがあったと考えていたため、パルシー教徒やミードから得たイラン系の思想を、ヴェーダやプラーナのインド神話と比較しながら、インドにあったはずの原型を推測して構築したのでしょう。

後に、比較神話学者のジョルジュ・デュメジルが、インド・ヨーロッパ語族の原型神話を探求したのと似た試みを、ブラヴァツキー夫人は別の形で行ったとも言えます。
もちろん、それは決して学問的ではありませんが、深さを持っていました。


<真理と学問>

神智学協会の建前では、神智学協会は、宗教、哲学などの研究機関であり、特定の教義や信仰を持たない組織でした。

しかし、「原初の智慧」の教えを源流にして、すべての宗教、哲学が分岐したのであって、神智学の研究の目的は、その真理を復元することです。
「原初の智慧」の教えは、単なる教義や信仰ではなく、真理なのです。

「神智学」という言葉を作った新プラトン主義の創設者のアンモニオス・サッカスも同じ考えを持って活動していたと、ブラヴァツキー夫人は考えました。

初期の神智学協会には、実際に、学問的な研究があり、ミードを筆頭にして、協会のメンバーによって機関誌にも発表されていました。
また、ブラヴァツキー夫人の文章にも、多宗教・思想・神話を併記して比較する傾向を持っていました。

神智学の基本的な教義に関しても、単に空想や霊視で作ったのではなく、多数の文献の研究に基づいて、架空ながらも、「原初の智慧」を現代的な形で復元しようとしたという側面がありました。
もちろん、その手法は学問的ではありませんが、シュタイナーの人智学のように個人の霊視によるものではありません。

ですがこの真理は、「マスター(=マハトマ、大師)」から直接もたらされるものとして、ブラヴァツキー夫人が独占していました。
彼女の亡き後は、リードビーターやレーリヒ、ベイリーらがそれを主張しました。

マスターへの信仰は、神智学協会を、非学究的な信仰やメシアニズムへと導く結果になりました。
また、協会を引き継いだベザントとリードビーターは、学問的な探求を抑圧し、彼らの教義への信仰を求めました。

そして、神智学協会の学究的側面の代表であったミードは1897年に協会を脱退してしまいました。
彼は、1907年に「ミトラス秘儀」、1907年に「ミトラス教の儀式」、1908年に「カルデア人の神託」を出版し、1909年には「クエスト協会」を設立しました。
彼は、オリエント、ヨーロッパ寄りではありますが、神智学協会とは別の形で、学問的にイラン・カルデア系の神智学を復興しようとしました。

その後、アメリカの神智学のキャサリン・ティングレーの後を継いだゴットフリード・ド・プルッカーは、ギリシャ、ラテン、サンスクリット語を使って神智学を学術的に解説した書「オカルティズムの源泉」を、1974年になって出版しました。
神智学にあった学究的側面がこの書には見られます。

日本では、「シークレット・ドクトリンを読む」(2001年)などの著作のある東條真人氏が、ミトラ教の視点から研究を発表しています。

ブラヴァツキー夫人と神智学協会が、マスターや聖典の存在を捏造したことは別にして、「原初の智恵」の復元という形で、近代において普遍的な神智学を構築しようとしたことは、評価すべき点です。

それは、例えば、カール・ユングが多数の秘教の研究を元に、集合的無意識の普遍的な構造を構築しようとしたこと、あるいは、哲学者の井筒俊彦が、様々な神秘主義哲学・思想を元に、普遍的な哲学(東洋哲学)の構造を構築しようとしたことと、似ています。


<教義と放棄>

メシアとされたクリシュナムルティが、「神智学」の教義を学び、成長して、実際に教師となっていった結果、すべての「神智学」の教義を捨て去ったことは、きわめて興味深い出来事です。
これは、単に学究性か信仰か、捏造か真実かといった問題ではありません。

神智学とクリシュナムルティの問題は、複雑な教義体系を構築するか、教義を持たずに内面を洞察するか、そのどちらを選択するかという問題です。

実は、同様な出来事は、過去にインドで何度か繰り返されてきたのではないでしょうか。

例えば、イスマーイール・パミール派は、西方の神智学を持ってインドに来訪し、ヒンドゥーの神智学との統合を行いました。
その一方で、カビールやナーナクのシク教は、イスラム、ヒンドゥー教の教義のほとんどを否定し、内面の神との一体のみを重視することで、両者の統合を果たそうとしました。
この関係は、神智学協会とクリシュナムルティの関係と似ています。

仏教でも、同様です。
もともと、仏教は、教義を否定する釈迦の教えから生まれながら、煩瑣なアビダルマ哲学を構築したため、それを大乗仏教が空思想で否定しました。

ところが、大乗仏教は、空思想を前提にして、また煩瑣な哲学を構築しました。
後期密教やゾクチェン、禅には、それを再度、空じる意味合いを持っていました。

ですが、「カーラチャクラ・タントラ」のように、西方の神智学とインド密教の神智学の複雑高度な一大統合を果たす潮流もありました。

真理をシンプルに洞察することと、方便として複雑化する教義の問題は、常にインド思想が問うてきた問題です。


<神智学の成果と課題>

ルネサンス時代にオリエント、ヨーロッパの秘教、つまり、ヘルメス主義、グノーシス主義、新プラトン主義、カバラ、キリスト教神秘主義などが一定の形で総合されました。

その後、ヨーロッパには、インド思想が知られるようになり、近代神智学は、インド思想、イラン・カルデア思想を含めて、より普遍的な総合を目指しました。
その中で、イラン・カルデア思想とカバラの接点を見つけることにもつながりました。

ですが、ブラヴァツキー夫人が軽視し、パルシー教徒からも伝わらなかったイスラム系神智学、つまりイスラム哲学やイスマーイール西方派の神話思想、さらには、ヒンドゥー・タントラ、後期密教やゾクチェンのような発達した仏教系の神智学は、そこに含まれませんでした。
ブラヴァツキー夫人は、中国思想や記紀神話の神統譜についても語っていますが、決して深く研究していたとは思えません。
これらの思想は、当時の欧米人が知ることは困難だったため、それはしようがありませんが。


神智学協会の目的は、何よりも、唯物論や科学的進化論からは生まれないと思わる、倫理的な同胞意識、同胞的組織を築くことでした。

そのために、神智学協会は、科学と宗教、哲学を統合し、唯物論を乗り越えることを目指しました。
霊的科学に関しては、鍛えられた霊視者の共同作業というのが建前でしたが、これは困難な作業でした。

しかし、神智学の人類発生論の人種に関する解釈には、アーリア人や西洋人を優位に見る種差別があると、批判がなされています。

スラブ系文化をバックボーンにするブラヴァツキー派やレーリヒの派(レーリヒ派にはユダヤ教徒が多いようです)には、その傾向が少なく、リードビーターのアディヤール派、ベイリー派、シュタイナー派にはその傾向が強いのではないかと感じます。
これらは、正しい同胞意識とは矛盾します。


また、シャンバラの同胞団とそのマスター達という架空の権威と、それに基づく特定の協会の特定のリーダーの権威は、組織の体制をまとめる上で、機能する面もありました。
ですが、自由な研究、探求を阻害する結果にもつながりました。