ユングの理論と問題点(個性化と能動的創造力)



前の2つのページでは、ユングが分析心理学の思想を形成することになった背景をまとめました。
このページでは、分析心理学の基本的な理論、技法、そして、問題点をまとめます。


<集合的無意識と自己>

ユングは、「無意識」を、意識によって抑圧された存在ではなく、本来的に自律的で、創造的、目的論的(未来的で潜在的)なもの、意識に対して補償的なものであると考えました。 

そして、意識的なシステムの中心である「自我」と、意識と無意識システムの全体、その中心としての「自己(本来的自己、selbst)」を区別しました。

また、「無意識」には、「個人的な無意識」のさらに深層に「集合的無意識(普遍的無意識)」があると考えました。
「集合的無意識」は、遺伝子的要因によって、先天的に継承されてきた魂の領域であって、経験や個人の記憶内容ではなく、心的な機能の様式、方向づけを与える力として作用します。

「自我」や、社会に向けた人格である「ペルソナ」のような意識的な存在、そして、個人的無意識は、「コンプレックス」として作られ、それによって成り立っています。
「自我」や「ペルソナ」を「元型」であると書いている文献を見かけることがありますが、間違いです。

それに対して、「集合的無意識」は、いくつか種類の「元型」と、それが創造する「元型的イメージ」によって構成されています。
「元型」は、神話やおとぎ話に見られる典型的なイメージの元になるもので、心の生得的な構造であり、本質をなすものです。 

「元型」自身は、認識や意識の対象となりませんが、「元型的イメージ」は「自我」と心の内面を媒介する心像として、宗教的な感情(ヌミノース)と共に体験されます。
「元型」の多くは人格化されていて、力(マナ)を持った存在なので、「マナ人格」とも呼ばれます。

ユングは、「元型」という言葉自身はユダヤのフィロンや偽ディオニュシオスが使っていると言っています。
また、聖アウグスティヌスは、「根源的イデア」という言葉を「元型」と同じ意味で使っています。
そして、聖アウグスティヌスは、それ自身を人間の精神は目にすることはできないものだと言っていて、この点で、ユングは影響を受けているようです。

「元型」の多くは人格的に表現されるので、全体としての「元型」は、一種の神々のパンテオンを構成します。


<個性化の過程>

ユングは、意識が「集合的無意識」を統合していくことで、心が分割できない一つの全体になることを、「個性化(individuation)の過程」と呼びました。

これは、患者の治療の過程にも、宗教的な求道の過程にも見出だせるものです。
ユングは、一般的に、人生の後半生において果たされるものと考えました。

「個性化の過程」は、「集合的無意識」に現れる複数の「元型」を順に意識化し、統合していく過程です。
「元型」である人格は、力を持った「マナ人格」ですが、それを統合すると、その力は「元型」から失われ、「自我」に移りがちです。

「元型」の統合は、「対立物の合一(反対物の結合)」という側面も持ちます。
ユングは、この統合・合一を進める働きを「超越的機能」と呼びました。

ユングは、「個性化の過程」は、本来、自然に進むもので、無理に進めるべきではないと考えました。
また、「元型」が表現するイメージは、無意識の自然な想像に任せるべきで、意図的なイメージを植え付けるべきではないとも考えました。

「元型」は、否定的に現れる場合と、肯定的に現れる場合があります。
特に、意識化されていない時は否定的になりがちです。

通常、「元型」は、それと認識されないままに他者に「転移(投影)」されています。
そのため、他者の本来の姿を隠してしまい、二人の関係を混乱させます。
「元型」の投影を意識化するには、自分自身の知りたくない心を知ることが必要なので、道徳的抵抗を乗り越える必要があります。

「元型」は、合理主義的な意識によって、完全に抑圧されている場合もあります。
ユングは、この状態を、「無意識の知的簒奪」と表現しています。

一方、「集合的無意識」の「元型的イメージ」と出会った場合、その「元型」と自分自身(自我)を同一化して、一種の「憑依」的状態になってしまいがちです。
この同一化を「自我のインフレーション(自我膨張)」と呼びます。
「元型」は、宗教的、神的な力を持っていますので、「自我のインフレーション」が起こると、自分自身を神のように思ってしまいます。

「元型」の統合のためには、それに同一化せず、脱同一化(対象化)する必要があります。

ちなみに、ユングは、ヘーゲルに「無意識の知的簒奪」を見て取り、ニーチェに「自我のインフレーション」を見て取りました。

「個性化の過程」における「元型」の統合は、「投影」や「自我のインフレーション」、「知的簒奪」を行わずに、客観的に「元型」を意識化することです。
それによって、「自我」と「元型」の機能の結びつきを作り、意識を成長させることです。


<元型>

ユングはそのようなまとめ方はしていませんが、以下に紹介するように、「集合的無意識」の「元型」は4層、「個性化の過程」は4段階で捉えることができます。

最初の層・段階は、「影」の統合です。
ユングは、フリーメイソンのイニシエーションと位階を意識してか、この段階を「職人試験」と表現しています。

「影」は、意識と両立し難い劣等な部分であり、意識に対して補償的な関係にあります。
意識にとっては否定的な価値を帯びた人格的存在です。

「影」は、「意地悪い同性」、「悪魔」、「怪物」、「子供」、「動物」などのイメージで現れます。
「影」は、自己中心的欲求、不安、恐怖、嫉妬、敵意、怨恨、憎悪などの心情と結びついています。

「影」には2種類があります。
個人的な「影」と「集合的影」です。
前者は個人的無意識を象徴する「元型」であり、後者は集団が共有している「影」です。
前者が「相対的悪」なら、後者は「絶対的悪」です。

文化人類学・神話学の「トリックスター」のモチーフは、後者の「集合的影」に当たります。
「影」は、シュタイナーの言う「境域の小守護霊」と似ています。


第二段階(第二層)は、「アニマ」もしくは「アニムス」です。
ユングは、この段階をフリーメイソン風に「親方試験」とも表現しています。

これは、異性像の「元型」で、男性の中には「アニマ」、女性の中には「アニムス」が存在します。
男性の無意識にある女性像である「アニマ」は、「エロス」的原理です。
一方、女性の無意識にある男性像である「アニムス」は、「ロゴス」的原理です。
ですが、必ずしも人格イメージとして表現されるとは限りません。

「赤の書」などで語られる、ユング自身のヴィジョンにおいては、「サロメ」が代表的な「アニマ」でした。

「アニマ」にも「アニムス」にも、4段階を考えることができます。

「アニマ」の4段階
1 生物学的   :旧約のイヴ
2 ロマンティック:トロイのヘレナ
3 霊的     :聖母マリア
4 叡智的    :ソフィア

1は「母」、「大地」としても表現されます。
2が狭義の「アニマ」に当たります。
この4段階は、古代後期に知られていたと、ユングが書いています。

「アニムス」の4段階
1 力
2 行為
3 言葉
4 意味

ただし、このアニムスの4段階は、ユング自身は述べておらず、彼の妻で心理学者のエマ・ユングによるものです。


第3段階(第3層)は、「老賢者」、もしくは「太母」です。

「老賢者/太母」は、「アニマ/アニムス」を統合した時に現れる「元型」で、「老賢者」は、主に、男性に、「太母」は女性に、自分の一種の理想的な姿として現れます。

ユダヤ教の「黙示文学」の「日の老いたるもの」、道教の「老子」、ニーチェの「ツァラトゥストラ」、トート神、ヘルメス・トリスメギストス、オルフェウス、ポイマンドレスなどが、「老賢者」のイメージです。
また、人格以外では、「大鷲」、「峰」などとして表現されることもあります。

「赤の書」などで語られる、ユング自身のヴィジョンにおいては、「エリヤ」や「フィレモン」が「老賢者」でした。

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*フィレモン(「赤の書」より)

インド哲学の「プラクリティ」、女神カーリーなどは、「太母」のイメージです。
人格以外では、「神の国」、「大地」、「森」、「海」、「冥府」、「月」、「庭」、「洞窟」、「泉」、「花」、「子宮」、「雌牛」、「魔女」、「竜」、「墓」、「死」、「深淵」などとしても表現されることもあります。

「太母」は、男性の現れる場合は、「影」や「アニマ」と融合していることもあります。
男性の「太母」のイメージは、母親、祖母への投影を経て「天母」になりがちで、一方、女性の場合の「太母」のイメージは、「天母」ではなく「地母」が多いと言います。

両者は、第4の存在であるとも表現されます。
男性の場合なら、自分の「自我」、自分の中の「アニマ」、アニマを投影する「女性パートナー」という3者に次いで現れる第4の存在だからです。
ユングの理論では、「4」は全体性や安定の象徴です。

また、「老賢者」と「太母」は、次の第4段階で現れる「自己」の二つの側面であると表現されることもあります。


第4段階(第4層)は、「自己(本来的自己、個我)」です。

「自己」は、意識と無意識の隠れた中心であり、自我がその中心と結びついていくと、そのイメージが現れます。

ユングは、キリスト教の「キリスト」、仏教の「仏陀」、道教の「タオ」、インド哲学の「アートマン」、「プルシャ」、グノーシス主義の「原人(アントロポス)」などが、「自己」の「元型的イメージ」であると書いています。
「幼児(児童神、永遠の少年・少女)」も、「自己」のイメージとして表現されることもあります。
また、人格以外では、「マンダラ」、錬金術の「賢者の石」、などとして表現されることもあります。

「幼児」は、それ自身が「元型」と表現されることもあります。
ユングは、第3段階で生まれた4者に続いて、「幼児」がその4者の統合の象徴として生まれ、「四位一体」が完成されると、書いています。

錬金術の「哲学者の子ども」や「ホムンクルス」、エックハルトの夢の「裸の少年」、この「幼児元型」の表現です。

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*哲学者の子ども(「改革された哲学」の挿絵より)

人格以外では、「宝石」、「花」、「金の卵」などとしても表現されます。

「赤の書」で語られるユング自身のヴィジョンでは、アイオーン的な姿をした「息子」がこれに当たります。
ユングは、この「息子」を、フィレモンがユングの魂に妊ませた子であるとも書いています。

また、ユングは、弟子のコンスタンス・ロングに、「…創造的リピドーは、個性化の過程を通して人間のなかで変容します。そして、この妊娠に似た過程の中から、聖なることもが、再生した神として現れます。…このことは他の人たちには話さないでください」、語っています。

ユングの言う「マンダラ」は、仏教やヒンドゥー教の「マンダラ」に限定された概念ではなく、中心と円や四角などの形を伴って、「全体性」を表現するイメージです。
「マンダラ」は、回転したり、中心から光線を放射状に放つ場合もあり、四角は「四位一体」を表現します。

「マンダラ」は、必ずしも「個性化の過程」の最終段階で現れるものではなく、「マンダラは魂の分裂や定位の崩壊が生じた時に決まって現れる」と書いています。
「自己」の象徴は、「マンダラ」ではなく、「マンダラ」の中心と言えるのかもしれません。

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*マンダラ(「赤の書」より)

また、「英雄」のイメージも、「個性化」の潜在的先取りとして現れることがあります。
ユングは「英雄」を変容するリピドーの象徴であるとしていて、「自己」や「自我」の象徴それ自体とは異なりますが、「英雄」は死ぬこと、母性に回帰するによって「個性化」を進む存在の象徴となります。

また、ユングは「個性化の過程」、「変容」自体も「元型」であると書くこともあります。
これは、非人格的なイメージとして、状況、場所、手段、方法などとして表現されます。
具体的には、錬金術の寓意画のシリーズ、チャクラの体系、タロットのアルカナのシリーズなどがそうだと言います。


<類型論と個性化>

ユングには、「元型(アーキタイプ)論」とは別に、性格の「類型(タイプ)論」があり、この理論も「個性化」と結びつけて考えられます。

「類型」には、まず、「内向/外向」という対立的な2つのエネルギーの向きがあります。
そして、「思考/感情」という対立的な合理的機能と、「直観/感覚」という対立的な非合理的機能があります。
人の性格はこの2×4の組み合わせで分析されます。

対立する2項の一方が意識的になり、もう一方は無意識になります。
機能の場合は、4つの内の一つが最も意識であり、その対立機能が最も無意識的になります。

無意識的な性格、機能を発達させることが、個性化の過程につながります。


<能動的創造力>

ユングが、「集合的無意識」の「元型的イメージ」と対面して、それを統合するために重視した方法が、「能動的創造力」です。

ですが、著作であまり詳細が語られません。
また、ユングの弟子も、積極的に使用していないようです。

その理由の一つは、この方法が簡単ではないことがありますが、もう一つの理由は、患者の自立を促すものだからでしょう。

バーバラ・ハナが明かしていますが、「能動的創造力は、分析を経てその人が本当に(医者からの)自立したのかどうかの試金石になる」とユングが彼女に述べたそうです。
つまり、「能動的創造力」は、精神医を必要としなくなる方法なのです。

ユングによれば、「能動的創造力」は、「意図的な集中によって生み出される一連の空想」です。
そして、「重要だと思われる空想のいずれかの断片に思いを深めていき、…その断片がはめこまれている全体の関連が見えるようになるまでその作業をつづける」(以上、「元型論」より)ことです。

具体的には、「書簡集」に、次のように書いています。

「例えば、あなたの夢にあったあの黄色い塊から始めなさい。それを熟視し、そのイメージがどう展開し、変化するのか注意深く見つめなさい。それを何かに変えようとしてはいけません。ただその自発的な変化がどうなるのか見つめなさい。」

「そして、最終的にはそのイメージの中に入っていきなさい。それがもし、話をする人物なら、その人にあなたが言わねばならないことを言いなさい。そして、また、その人物が何か言いたいのなら、それを聞きなさい。…このことにより、意識と無意識の統一体を次第に作ることなのです。これなしに個性化はありえません」

つまり、「能動的創造力」は、白昼夢や明晰夢のように、覚醒した状態で、意識と無意識のバランスを取って、自然に無意識的なイメージを自律的に展開し、それと会話する技術です。

当サイトや姉妹サイトの用語では、これは「瞑想」ではなく「夢見の技術」です。

ユングは、イメージを観察し、イメージの対象と会話し、それを記録することは重要だけれど、解釈や分析は重要ではないと書いています。

ユングの弟子のマリー・フォン・フランツは、ただイメージを動かすだけでなく、実生活の中での結論を引き出さないといけないと言います。
そして、もし、イメージの世界で約束をした場合は、必ず守らないといけないとも言います。


<分析心理学の問題>

ユングは、「集合的無意識」や「元型」が存在することを、客観的に論証できていないという批判が多くなされています。
それはその通りだと思いますし、これに関することは、この後のページでも書きます。
ですが、ここでは、分析心理学の理論上の問題点について、思いつくままに列記します。

まず、ユングの「元型論」は、内面を象徴する「元型的イメージ」の意識化を問題にしますが、イメージが持つ「認識」という機能については語りません。

イメージは、外界を体験する中で、その認識を反映して成長するものです。
ですが、ユングは、「内面」の象徴性だけを重視するため、「認識論」の観点がありません。


次に、ユングにおいては、男性と女性によって「元型」の扱いがまったく異なります。
男性の無意識には「アニマ」がありますが、女性の無意識には「アニムス」があります。
また、「老賢者」と「太母」の意味も、男性と女性では異なります。
「集合的無意識」は遺伝的なものなので、この男女の違いは先天的なものとされます。

ですが、多くの神秘主義の象徴体系の中では、男性的原理と女性的原理は普遍的な原理として立てられ、男女差を強調しません。

ユングの当時とは違って、現代では、男女の文化的アイデンティーはずっと自由で、流動的になり、男女差の多くが後天的なものという認識が広がっています。
もし、ユングが、現代にいれば、違った理論の立て方をしたかもしれません。


次に、ユングは、「(無意識は)一方ではその存在は意識以前の先史時代に根ざしており…」(「個性化とマンダラ」)と書いているように、彼の「無意識」概念は、進化論的な時間軸で古いものです。
「無意識」が未来的であるという彼の考えは、あくまでも、個人において、未成長な側面という意味です。

ユングにおいては、無意識は「体」的でもあり、「霊」的でもあり、「体」と「霊」の区別は本質的ではありません。
ですが、伝統的な神秘主義思想においては、存在のヒエラルキーは絶対的なもので、「霊・魂・体」の3分説では、「霊」と「体」は存在の次元が異なります。

ですが、ユングにある「霊」と「体」に関わる違いは、意識化の有無、「自我」との結びつきの有無だけです。

これと関係しますが、ユングの理論は、大地の霊には親近性があっても、「天使論」が欠如しているのではないでしょうか。
これは、「認識論」の欠如とも関係があるでしょう。
また、「天使論」の欠如は、次のことにつながるでしょう。


ユングが認めた主な「元型」は、「影」、「アニマ/アニムス」、「老賢者/太母」、「自己」だけです。
これらは、主に、意識と無意識(=肉体的なもの)の統合、関係の観点から認められたものだと思います。

ですが、伝統的な宗教、神秘主義思想には、他にも普遍的な象徴が多数あります。

例えば、世界的に最も普遍的な象徴体系としては、春夏秋冬、十干十二支のような、季節循環・生命循環に関わるものがあります。

また、意識や言語に関係の深いような、あるいは、人間の精神や行動の全般に関わるような、抽象的理念・観念が、多くの宗教、神秘主義思想の象徴体系となっています。

例えば、7惑星や12宮にも、抽象的観念が当てられています。
また、ゾロスター教のスプンタ・マンユが率いる6大天使「アムシャ・スプンタ」の「善思」、「正義」、「統治」、「敬虔」、「完全」、「不滅」は抽象的観念です。
ユングが研究したグノーシス主義のプトレミオス派の30アイオーンも、ほぼ抽象観念です。
こういったものは、ユングでは「元型」になりません。

人間の精神の成長、霊的成長には、こういった多数の象徴の理解が重要となります。
ユングの限られた「元型」にこだわることは、人間精神の成長に関して、一面的になるのではないでしょうか。

分析心理学という民族宗教運動

「ユングのミトラス秘儀参入」では、ユングがヴィジョンの中でミトラス秘儀のズルワン神になったことをきっかけに、「アーリア人のキリスト」になろうとしていた、ということを書きました。

このページでは、改めて、ユングの生涯と思想形成を追いながら、分析心理学の宗教的側面にも光を当ててみましょう。

ユングは、人間の魂は宗教的なものであると考え、精神病理的体験を宗教的体験として捉えていました。
そして、精神医学の仕事は、哲学的、宗教的性格を帯びざるをえないものであると考えていました。

ですが、それだけではありません。
ユングには、心理学を宗教運動化して、人々を救済しようという意識がありました。
彼の弟子達は、新しい使徒であり、新しい騎士団なのです。

ユングは、フロイトの門下にいた時代にも、彼への書簡で、次のように書いています。
「精神分析には、…素晴らしい壮大な使命があるのではないかと思うのです。…知識層に象徴と神話への感覚を蘇らせ、キリストをかつての姿である葡萄の樹の預言者に穏やかに回帰させ、こうしてキリスト教の陶酔的な直感力を、キリスト教団の本来の姿と固有の神話を作るために吸い上げなければならないと思うのです。」
つまり、精神分析学を、ディオニュソス的な新しいキリスト教のようにすべきだというのです。

ユングにはこういった志向があったため、分析心理学は、20世紀の新異教主義の思想潮流や、ニューエイジ運動にも影響を与えました。


<精神分析学へ>

ユングは、牧師を父として生まれ、若い頃から幻視を見るような子供でした。

ユングはバーゼル大学医学部に入学し、精神医学の教科書を読んだことをきっかけに、その道に進むことを決めました。
これは、彼の第一の人格が持つ科学への興味と、第二の人格が持つ心への興味の両方を満たす道でした。

医学生の時、従姉妹のヘリーを霊媒として、祖父らと交流する降霊術を何度か行いました。
ユングは、死者の霊の存在を信じていたようですが、ヘリーが、ヘリー自身が忘れている記憶によって、物語を創作していることに気付きました。

そして、1902年に、論文「いわゆるオカルト現象の心理学と病理学」で、チューリヒ大学の学位を受けます。
この論文では、ヘリーに降りた大人の女性の霊の人格が、ヘリーが20年後にこうありたいと思う女性像であると解釈し、無意識を抑圧されたものではなく、未来の潜在的な人格として、無意識を目的論的、展望的、予言的な機能を持つものとして捉えました。

ユングは、その後、フロイトの「夢判断」に感銘を受けて、1907年にフロイトを訪問して、精神分析学に傾倒します。
ですが、ユングは、ブロイラー、ジャネ、ブルールノアらの影響を受けており、また、すでにコンプレックス理論を発表していたのであって、彼にとってフロイトは、多数の影響の一つでしかありませんでした。

1908年、ユングは、フロイト派を代表してオットー・グロスの治療を担当しました。
オットーは、ニーチェに傾倒するフロイト派の医師であり、性解放思想の有名な旗手であり、麻薬常習者でした。
ですが、ユングはオットーの治療に失敗するばかりか、オットーの影響を受けて、性解放思想に染まりました。
ユングは、その後、妻帯者であるにもかかわらず、複数の女性患者、研究者と性的関係を持ち、時には、患者にそういったことを勧めることもありました。

性解放思想は、バッハオーフェンによる古代母権制の分析を一つの根拠にしています。
ユングも、古代宗教が性を聖なるものとみなしたことの影響を受けています。
後に出会う、患者であり共同研究者であり愛人であったトニー・ヴォルフは、ユングの霊的かつ性的パートナーとなりました。
つまり、グノーシス主義の伝説による、イエスにおけるマグダラのマリアのような存在になりました。
ちなみに、ユングは、トニー・ヴォルフ経由で、東洋思想や占星術を知ったようです。


1910年、フロイトは、ユングによって、精神分析学がユダヤ人の学問から普遍的な学問になることを期待し、国際精神分析学会の初代会長にユングを選びました。

ですが、ユングは、当時のドイツ文化圏における、アーリア民族主義、反近代、反キリスト教の思想潮流に影響を受け、反ユダヤ的で、アーリア人に根ざした心理学を志向するようになりました。

また、ユングは、精神分析を文化を解放する宗教運動にしたいと考え、そして、大衆に向けて新しい神話を作るべき、精神分析学者の組織はイニシエーションや階級制度を持つ秘密結社的組織であるべきであると、フロイトに訴えました。


<変容体験から異教主義へ>

1909年頃から、ユングの意識に変容が始まりました。
彼は、春に病院の職を辞して、自宅近くで個人的に患者を診るようになります。

ユングは、この自分の体験から、人は人生の後半になると、「個性化の過程」を歩むべきだと考えるようになりました。

「自伝」によれば、ユングは、古い館のロココ調の最上階から地下の洞窟まで降りると、原始文化の遺産、2人の頭蓋骨を見つけるという夢を見ました。
これは、「集合的無意識」を思いつくきっかけの一つになったようです。

そして、マックス・ミュラー、フリードリヒ・クロイツァー、アルブレヒト・ディートリヒ、フランツ・キュモン、神智学協会の頭脳だったG・R・S・ミードらの書を読み、世界の神話、特に、ミトラス秘儀などのヘレニズム秘儀、そして、グノーシス主義の勉強に注力してきました。

1909年のうちに、ユングは、おぼろげながら、彼自身の新しい理論の大枠の着想を得たようです。
そして、1911年から12年にかけて、ユングは、「リピドーの変容と象徴」を発表しました。

リチャード・ノルは、この書は、エルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」に基づき、個人と文化のリピドーの変容過程の一致を科学的に証明しようとしたものだと言います。

ユングは、当時の比較言語学の影響を受けており、それを精神分析学に取り入れようとしていました。
比較言語学は、セム語族と印欧語族(アーリア人)との違いを明確化し、今日の言語の中に祖先伝来の古い要素が含まれていると分析していました。
また、比較言語学者であり、比較宗教学者、神話学者であるマックス・ミュラーは、印欧語族の神話を太陽神話を中心に、言語学と関連させて研究していました。

「集合的無意識」という系統発生的な遺伝要素を重視するユングの思想は、精神分析学に比較言語学や比較神話学を統合したものだと言えます。

ユングは、この書で、「魂の生命力であるリピドーは、太陽によって象徴され、または擬人化されて太陽の性質を備えた英雄の姿となる」と書いています。

彼は、フロイトの「リビドー」概念を、性的なものから拡張して「生命エネルギー」として捉え直しました。
そして、「リピドー」は「太陽」に、そして擬人化されて「英雄」に象徴されるとして、異教の太陽神や英雄の神話の分析を行いました。

誕生し没する「太陽」、死して復活する「英雄」は、常に無意識である「母」からの自立と回帰を繰り返す存在であり、変容する「リビドー」なのです。

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*「赤の書」より

また、ユングは、キリスト教に関して、死して復活するイエスにも同様の象徴が受け継がれていたと考えました。
ですが、「人間全体を捧げる」ことで、キリスト教は「人間を自分の本性及び自然一般から遠ざけることにならざるをえなかった」と書いています。

この書は、決してアーリアの神話・宗教を特別視するものではありません。
ですが、この書は、ユングがフロイトと別れるきっかけになった書であり、生涯何度も書き直しています。
フロイトは、この頃、同僚に向けた手紙で、「ユングは今、顕症期の神経症であるにちがいありません」と書き、ユングが病気であるとの判断を示しました。

さらに、フロイトは、同僚アーネスト・ジョーンズの「ユングは世界を救済しようとしています。もうひとりのキリストとして。そこには確かに反セム主義が入り混じっています」という指摘を受けて同意し、「彼はまるでキリストその人のようです」と返事をしています。
「反セム」は「アーリア主義」を意味するので、つまり、「アーリア人のキリスト」になろうとしている、という認識です。

1913年4月、ユングは、国際精神分析協会の会長を辞職し、さらに、チューリヒ大学の職も離れました。
7月には、チューリッヒの精神分析協会も、国際精神分析協会から離脱し、「分析心理学協会」と名を変え、ユングはここと密接な関係を持ちました。


<「黒・赤の書」とミトラス秘儀の参入>

1913年の11月、12月には、前のページで書いたように、本格的に「能動的想像法」を使ったヴィジョンを観る実験を始め、それを「黒の書」に記録し始めました。
ここには、ミトラス秘儀と同様の体験、神への一体化と、死と復活をユングが体験したことが記されています。

ユングは、「黒の書」を書き続けるのと平行して、「黒の書」に解釈や絵を付け加え、文字を装飾文字にした「赤の書(新しい書)」の制作を始めました。

ユングによれば「赤の書」は未完に終わったのですが、彼自身にとっても、研究者にとっては極めて重要な書です。
ですが、「ユング自伝」の編集者アニエラ・ヤッフェは、「黒の書」、「赤の書」の引用をほとんど避けました。
「赤の書」は秘伝として一部の者にコピーで読まれましたが、これが出版されたのは2009年です。

また、1913年から1914年にかけて、つまり、第一次大戦の直前に、ユングは、大洪水や寒波に襲われるような幻視や夢を何度も見ました。
これらのヴィジョンは、無意識が現れてヨーロッパに死と再生をもたらすことを象徴したものでしょう。
ユングは、これらのヴィジョンが、無意識の個人を越えた領域から生まれたものであると確信を得ました。


<グノーシス主義へ>

1915年頃から、ユングは、古代思想の中心的な研究対象を、ミトラス教からグノーシス主義に変えました。

1916年夏、ユングは、十字軍の騎士達が、エルサレムで救いの地を見つけられず、ユング邸に現れるというヴィジョンを見ました。
これを受けて、ユングは、「死者への七つの説教」という文章を、古代のグノーシス主義者のバシレイデス名義で書きました。
これは、キリスト教に真理を見つけられなかった者に対して、「フィレモン」が、グノーシス主義へ、善悪を越えた内なる神アブラクサスへと回心するように説くものです。

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*アブラクサス

ちなみに、後年(1952年)にですが、エラノス学会の同士だったユダヤ人のマルチン・ブーバーは、ユングの分析心理学を、心理学を越えて、グノーシス主義的宗教であると批判しました。


1916年、ユングは、分析家と患者ら60人からなる「心理学クラブ」を結成しました。
彼は、ここで、精神分析とは、「集合的無意識」へのイニシエーションであると説きました。
また、「心理学クラブ」を「聖なる騎士団」に喩えました。

ユングは、同年には、セミナーをもとにした「無意識の構造」、1917年には「無意識過程の心理学」を発表します。
ここで、初めて、「集合的無意識」、「個性化」、「優勢因子(優勢形質)」という概念を使うようになりました。
「集合的無意識」は「死者の国」の言い換えであり、「個性化」は「人間生成」とも表現されましたが、「神化」を経た「再生」の言い換えだと言えます。
また、「優勢因子」は「神々」の言い換えであり、ブルクハルトの「原始神像」をユングが心理学化した概念であり、1919年に「元型」という概念に変わりました。

ユングは、1916年に初めて「マンダラ」を「黒の書」に描きました。
ユングの言う「マンダラ」は、中心があり、円と四角から構成される絵のことです。
1917年8月には、每日のように描くようになります。

そして、1918年頃、ユングは、「マンダラ」を描くことを通して、「自己」の概念に到達しました。
ユングは、「マンダラ」を、「個性化」の道、目標、そして、全体性の象徴であると考えるようになりました。

*これらユングの理論については「ユングの理論と問題点(個性化と能動的創造力)」を参照してください

1925年に、ユングは、「心理学クラブ」でセミナーを行い、ここで初めて、「赤の書」に書かれた自分のヴィジョン(ミトラス秘儀のヴィジョンを含む)について語りました。
ですが、このセミナーのノートが発表されたのは、1989年です。

ユングのイギリス人の重要な弟子の一人に、コンスタンス・ロングがいます。
ユングは、彼女がユングの分析心理学をイギリス、アメリカに広げる人物として大きな期待をしていました。

ところが、1921年頃から、彼女は神秘家のウスペンスキー、そして、彼の師のグルジェフに傾倒して、とうとう、ユングから離れてしまいました。
ロング以外にも、モーリス・ニコル、ジェームス・ヤングが一緒に回心してしまい、大きなショックを受けました。

ユングは、ロングに対して、「異国の神々は甘い毒ですが、あなたが自分の庭で育ててきた植物神は滋養に富んでいるのです。…そこは間違った祖霊と間違った魔力の国だからです。…あなたは自分の国に留まり、そして強くあるべきです。」という書簡を送っています。

ユングがウスペンスキーやグルチェフの思想を理解していたとは思えませんが、彼ら、彼らの思想は、スラブ、イスラム系です。
ユングは、ロングに自分の民族の「宗教」にとどまるべきだと、訴えているのです。
ユングが分析心理学を、普遍的なものではなく、民族的な「宗教」と考えていたことが表れています。


<錬金術へ>

ユングは、夢で錬金術の本を見たこともあって、1926年頃から、錬金術に関心を持ち始めました。
そんな時、1928年、中国学のリヒャルト・ヴィルヘルムから、道教の内丹の瞑想書であり、錬丹術の書である「黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)」の解説の依頼を受け、その書を読みました。
ユングは、東西の錬金術に普遍的なものを見出すことがでると考えて、本格的に西洋の錬金術の研究を行うようになりました。

ユングは、錬金術の研究を始めると同時に、「赤の書」の制作を中断しました。
これは、ユングの内面との対決の終わりを意味しており、ユングにとって錬金術との出会いがいかに大きな出来事であったかが分かります。

また、歴史的な文献の研究に関して言えば、ユングは、グノーシス主義から錬金術に対象を移したわけですが、この理由には、当時、グノーシス主義は資料が少なく、現代の状況とのつながりも見出だせなかったことがあります。
ユングは、錬金術を、現代とグノーシス主義をつなぐ思想と考えるようになりました。

ですが、ユングが研究対象としたのは、あくまでも、錬金術師が錬金術の変成過程に無意識を投影したという点です。

*詳細は「ユングによる西洋宗教潮流の解釈(キリスト教、グノーシス主義、錬金術)」を参照してください

また、ユングは、錬金術の研究と平行して、道教以外の東洋思想として、易経、インド哲学、チベット仏教、禅などの研究も行いました。
そして、ユングは、これらにも、自身の無意識の理論と一致する内容を見出した、と考えました。

*詳細は「ユングによる東洋神秘主義の曲解(道教、インド哲学、仏教)」を参照してください


ユングのミトラス秘儀参入

カール・グスタフ・ユングの「分析心理学」は、臨床よりも、錬金術やヘレニズム期の秘教などの文献的研究と、一種の「夢見の技術」である「能動的創造力」を使った自分自身の深層意識との対決を通して作られました。
また、ユングは、自身のヴィジョンを通してミトラス秘儀に参入したと考えており、「分析心理学」を、自分が救世主となる新しい宗教的運動のように考えていました。

そのため、「分析心理学」は、神秘主義思想の一面の心理学的解釈であると言えます。
ユングの「集合的無意識」は霊界、アストラル界の、「元型(的イメージ)」は神的諸原理の心理学的解釈であり、彼のパンテオンです。
また、心の全体性を獲得するプロセスである「個性化の過程」は、神秘主義におけるイニシエーションの階梯の心理学的解釈です。

そして、「能動的創造力」という技法は、覚醒した状態で夢を見る「夢見の技術」であり、魔術における「スクライング」や「アストラル・プロジェクション」などと似ています。
そのため、現代の魔術師の中には、魔術を分かりやすく紹介するための方便としてユングの心理学用語を使う人もいます。

ユングの思想には、反ユダヤ・キリスト教の「新異教主義」という側面があります。
そのため、20世紀以降の新異教主義的な思想や、ニューエイジ思想にも影響を与えました。

また、ユングは、インド、チベット、中国などの東洋の瞑想法、思想に関しても興味を持ち、その解釈を発表しましたが、それはほとんどが曲解でした。

この項では、まず、ユングがミトラス秘儀でズルワン神になったことをきっかけに、「アーリア人のキリスト」になろうとしていた、という側面を紹介します。

次のページでは、ユングの人生と思想形成を辿りながら、分析心理学の宗教運動的側面にも光を当てます。


<ユングの霊統>

あまり知られていませんが、カール・グスタフ・ユング(1875-1961)の祖父はユングと同名で、スイスのフリーメイソンの最高責任者でした。

この祖父は、ドイツにいた若い頃には、民族主義的な集会に参加して、そこで、ロマン主義のシュレーゲル兄弟やティークらとも知り合いになり、また、敬虔主義の神学者のシュライエルマッハーに傾倒したという人物です。

また、この祖父にはゲーテの私生児であるという噂があり、ユングは半ば信じていたようです。
それでか、晩年のユングは、自分がゲーテの生まれ変わりであると信じていたようです。

ゲーテは高位のフリーメイソンの会員で、実際のメイソンには失望していました。
ですが、薔薇十字団をモチーフにした作品「秘儀」があり、ユングの祖父もユングも、これを諳んじるほど愛読していました。
また、ユングのヴィジョンには、「フィレモン」と名乗る老賢者が良く出てきますが、「フィレモン」は、薔薇十字団の伝説の創始者、クリスチャン・ローゼンクロイツが名乗っていた名前でもあります。

ユングは、自分が設立した「心理学クラブ」を「新しい騎士団」と形容したことがあり、聖杯の騎士や薔薇十字団を受け継ぐものと考えていました。

一方、ユングの母親エミーリエは、スイスの由緒ある旧家で、このプライスヴェルク家には、降霊術の伝統がありました。
彼女の祖父サミュエルは、牧師長であり学者でしたが、定期的に降霊術を行い、亡くなった妻とも話をするのが常でした。
エミーリエも透視能力を持っていて、しばしばトランス状態になっては、あの世からの情報を伝えました。
ユングは、この家から降霊術を学び、後に、それをもとに「能動的創造力」を生み出しました。
また、この家の従姉妹であるヘリーを熱心にさそって降霊術を行いました。

ユングは、若い頃から自分の中にもう一つの人格が存在すると感じており、それを「No.2」と呼んでいました。
「No.2」は、18世紀の初老の紳士を思わせる人格で、この人格は、祖父たち先祖の人格が反映したものと考えていたようです。

ユングは、「意識されていないものは普遍的なものであり、個人を相互に結びつけて民族にするだけでなく、過去の人々やその人々の心理とも結びつけるものである」(「リピドーの変容と象徴」)と書いています。
ユングにとって、「集合的無意識」は、もともと人類に普遍的に存在するものではなく、系統発生的に獲得遺伝されたものです。
つまり、個々人にとっての、民族の記憶、先祖の記憶であり、内なる先祖であり、それは「先祖信仰」の一種と解釈することもできるのものです。


<異教主義>

ユングには「ユング自伝(思い出、夢、思想)」という著作があります。
ですが、この書の実体は、彼自身による著作というより、アシスタントだったアニエラ・ヤッフェが編集し、彼女とユングの遺族が望むユング像を伝えたもの、つまり、「伝説」です。
同様に、ユングの「書簡集」もまた、遺族の意向に沿って編集されたものです。

ユング自身は、キリスト教と敵対する異教的な意識を持っていましたが、「自伝」では、そういった部分は削除され、あるいは、表現が書き換えられました。

ユングは、ヨランデ・ヤコービ宛の手紙で、「教会に居場所を持つ者は、誰であろうと私とは居られない。…私は教会の外にいる人々のためにいるのだ」
と書いていますが、これは「書簡集」には取り上げられませんでした。

また、1922年に、ユングは、「赤の書(新しい書)」で、自分の「魂」と次のような対話を行いました。

魂:よく聞きなさい。もうキリスト教徒ではなくなること、これは簡単なことです。いったい、それがどうしたというのですか?

私:でも、私の召命とは何なのですか?
魂:新しい宗教と、それを宣言することです。


ユングは、ユダヤ人とアーリア人(ゲルマン人)の違いを重視しており、1918年の「無意識の彼岸」で、ゲルマン人はユダヤ的な精神分析では満足できないと書いています。

ユングは宗教的使命感を持って生きていました。
友人のオイゲン・ボーラーの言葉を信用するならば、その使命とは、神のために神を意識化する、というものです。
これは、ユング晩年の書「ヨブへの答え」の思想とも一致するので、おそらく、間違っていないでしょう。

ユングは、ヨーロッパ人の心の深層には、古代アーリア人の宗教があると考えていました。
また、「個性化の過程」によって無意識を意識化することで、各個人が救済されると考えましたが、同時に、先祖たちも救済されると考えていました。


<ミトラス秘儀のイニシエーション>

1913年12月21日から25日にかけて、ユングは、「能動的創造力」によって、彼の人生にとって決定的な転換点となるような重要なヴィジョンを体験しました。
これは2009年になって公開された秘伝の書「赤の書」の「第1の書」のクライマックス部分です。

「能動的創造力」は、ユングが学んだ降霊術の技術、そして、ジルベラーが1909年に始めた入眠時のイメージの観察法、シュタウデンマイヤーが1912年に発表した、自動書記を応用した魔術研究法などの影響を受けて生まれたものでしょう。

この時のヴィジョンは、ユングが、「口にできないくらい神聖な秘密を経験した」と語ったように、その重要な部分は、「自伝」にも掲載されていません。
ですが、1925年になって、セミナーで初めて口にしました。

21日の「密儀/出会い」と題されたヴィジョンでは、死者の国へ下降して、老人の預言者「エリヤ」、盲目で両手に預言者の血のついた少女「サロメ」、そして、「黒蛇」と出会うヴィジョンを見ました。
「サロメ」はユングを愛していて、私を愛せるか聞きましたが、ユングは拒否しました。
ですが、「エリヤ」は、「サロメ」が自分の娘であり、ユングは「サロメ」に触れて彼女のことを分かるようにならねばならないと言いました。

「エリヤ」は、ユングが後に「老賢者」と名づけた「元型」であり、「サロメ」は「アニマ」に当たります。
ヴィジョンのタイトルが「密儀」なので、ユングは、このヴィジョンが「密儀(秘儀)」であると認識しています。

これに続いて、22日の「教え」と題されたヴィジョンでは、サロメが、自分はユングの姉であり、二人の母はマリア(つまり、ユングはイエス)であると語ります。
そして、サロメがユングを抱擁すると、ユングは預言者になりました。

続いて、クリスマス、つまり、ミトラスの生誕祭であるの25日の「解決」と題されたヴィジョンでは、両手を伸ばした磔刑の姿勢のユングの身体に、「蛇」が巻きつき、自分の顔がライオンになりました。

ユングはこのヴィジョンについて、「はじめから終わりまですべてがミトラ教の象徴なのです」(「分析心理学セミナー1925」)と語っています。

つまり、ユングは、ミトラス秘儀の最高神、「デウス・レオントケファルス」と呼ばれる獅子頭の神になり、救世主になったのです。
ミトラス秘儀はミトラ教のヘレニズム的形態です。
ユングは、この神を「アイオーン」と呼び、太陽神であるとしていますが、これは、イランの無限時間神「ズルワン」のヘレニズム的表現です。

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*アイオーン(ズルワン)

ユングは、キュモンの「ミトラス教の秘儀」をもとに、ミトラス秘儀の第4位階の「獅子」のイニシエーションを受けたと解釈しました。

ユングの解釈では、「アイオーン」は、意識の誕生と消滅、意識と無意識の結合を象徴します。
「赤の書」では、「新しい神を見た」、「(神は、神と悪魔、ロゴスとエロスの)両原理の結合である」と書いて言います。


<ヴォータンの首吊りと新しい神の出現>

翌年の1914年の2月、ユングは、このヴィジョンの続きとして、数日間も、神の木に首吊りにされるヴィジョンを見ました。
彼は書いていませんが、これは、ゲルマンの主神ヴォータンが世界樹ユグドラシルに9日間、首吊りにされたことの再現であり、今度は、ユングはヴォータンになったのだと言えます。

このヴィジョンの意味は、先にミトラス秘儀の最高神アイオーンになったことで、生まれようとしている新しい人格と、古い人格の葛藤でしょう。

次のヴィジョンでは、新しい人格が、ユングの「息子」として、水中から現れます。
「赤の書」の「第二の書」のクライマックスです。
この息子は、頭上に冠をいただき、ライオンのたてがみのような髪を波立たせ、体は玉虫色に輝く蛇の皮で覆われていて、翼を生やした姿でした。
ライオン、蛇、翼は、「アイオーン(ズルワン)」の特徵です。

この「息子」は、ユングの「自己」元型です。

ちなみに、この頃、ユダヤの預言者エリヤと入れ替わって、「老賢者」は「フィレモン」と名乗る存在に変容します。
彼の姿は、牡牛の角飾りを付け、かわせみの7色の翼で飛行し、金と赤の法衣を着て、手に4つの鍵を持つ、東洋風の老賢者です。
この中の、翼、鍵は「アイオーン」の特徴であり、牡牛は「ミトラス」の特徴です。

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*フィレモン


<アーリア的心理学へ>

ミトラス秘儀ではミトラスによる「牡牛殺し(タウロクトニー)」のモチーフ、図像が重視されます。

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*牡牛を殺すミトラス

フロイトは、これを人間的自我が動物的な自我を殺すことを意味すると解釈したのですが、ユングはこの解釈には満足しませんでした。
ユングは、牡牛はミトラスと一体であり、古い秩序、自我の否定をも含むものであり、無意識と意識の新生を意味すると解釈しました。(「リピドーの変容の象徴」)

さらに、リチャード・ノルによれば、ここにはユングにとって特別な意味があると、ユングは解釈していました。
つまり、牡牛は、牡牛座であるフロイトであり、フロイトの性的リピドー説を意味し、一方、ミトラスは、獅子座であるユングであり、ユングの生命的リピドー説を意味するのです。
そして、「牡牛殺し」は、ユング理論がフロイト理論に打ち勝つことを意味するのです。

ミトラスやズルワン(アイオーン)はイラン系の神、つまり、アーリア人の神です。
ヴォータンもゲルマン系なので、アーリア人の神です。
ユングのこれらの体験は、ユングが、セム語族のユダヤ・キリスト教からアーリア人の伝統の宗教へ回心したこと示します。
重要なのは、アーリアの宗教には、人間が神化して新生する秘儀があるのに対して、ユダヤ・キリスト教は、それを欠いている、という認識です。

このことは、ユングには、ユダヤ的精神分析学から離れて、新しい異教的な精神分析学の道を進む必要があることを示します。
彼は、秘儀宗教的な新しい心理学を創造して、「アーリア人のキリスト」として、ヨーロッパを救済する人間になる、という使命を持ち、それを意識していたのです。
次のページでも書きましたが、フロイトも同様の指摘をしています。

こういった新異教主義の救世主の自覚者というユング像は、リチャード・ノルが、「ユング・カルト」、「ユングという名の「神」」などの書で指摘していることです。
彼の見解は、ユングの一面を誇張しすぎているきらいがありますが、間違ってはいないと思います。

ノルは、ユングが、社会に対しては、キリスト教のアレゴリーを使い、キリスト教徒のペルソナをかぶることによって、自分のアーリア=ゲルマン的な異教主義を隠していたと書いています。