インドと中国の霊的身体論の比較

MORFO HUB」で書いた記事ですが、当サイトのテーマに合っているので転載します。




インドのタントラ(ヒンドゥー・タントラ、後期密教)には、霊的身体論と、それに基づく瞑想法(ハタ・ヨガ、究竟次第)があります。


プラーナ、ナーディー、チャクラなどを含む霊的身体論と、クンダリニー・ヨガやピンダグラーハなどの行法です。


一方、中国の道教の仙道にも、それに似たものがあります。


気、経絡、丹田などを含む気の身体論と、周天法などの内丹法の行法です。


両者の間の共通点と相違点を簡単にまとめて、見てみましょう。





<プラーナ/気の階層>




インドでも中国でも、物質より微細な次元の存在として「プラーナ(ヴァーユ)」と「気」、そして、それらの次元の身体を語ります。


タントラでは、プラーナは、3段階の階層で語られます。
下から「粗大なプラーナ」、「微細なプラーナ」、「極微の(原因的)プラーナ」です。
「微細なプラーナ」は、中央管の中を流れ、「極微なプラーナ」な不滅の心滴(胸のビンドゥ)の中にあります。


仙道では、気はまず、「後天の気」と「先天の気(元気・炁)」に分けられます。
さらに、「先天の気」は、下から「精」、「炁(気)」、「神」の3段階(3形態)に分かれます。
「先天の気」は腎臓(命門)あるいは、脾臓(黄庭)にあります。


両理論間の対応付けは、すっきりとはできません。


ですが、両理論ともに、プラーナ/気にレベルの違いがあり、それと精神のレベルが対応すると考える点は同じです。




<プラーナ/気の場所>




タントラでは、プラーナには主に5つあって、それが流れる場所、働きが異なります。


心臓周辺の「プラーナ」、臍周辺の「サマーナ」、肛門周辺の「アパーナ」、頭部・手足の「ウダーナ」、全身の「ヴァーナ」です。


一方、仙道では、気は主に3つに分かれます。
表面全体をめぐる「衛気」、胸部を中心に巡って呼吸や飲食に関わる「宗気」、そして、身体の経絡に沿って流れる「営気」です。


流れる場所や働き、分類数は異なりますが、気の分析に対する発想は似ています。




<プラーナ/気の二元性と統一>




中国では気は、その本質から「陰気」と「陽気」に分けられます。
陰陽は、基本的な二元論となります。


陰陽二気は、身体上では、腎/心臓に対応し、それが脾臓の黄庭で統一されます。
また、性別では女/男に対応し、両者が気を交換することで統一されます。


タントラの二元論は、頭部の「チャンドラ(月)」と腹部の「スーリア(太陽)」です。
密教では、「白い心滴」と「赤い心滴」と表現されます。
性別では、男/女に対応します。


両者は胸の「不滅の心滴」で統合されます。
ここは、ヒンドゥー・タントラではアートマンの場です。


この心滴(ビンドゥ)の二元論は、プラーナが流れる左右管の「イダ」、「ピンガラ」としても表現され、両者は中央管「スシュムナー」で統一されます。




<霊的器官>




タントラでは、プラーナの流れる流路は「ナーディー(脈管)」、一方、中国では、気の流路は「経絡」と呼ばれます。


インドではプラーナのスポットは、重要なものから「ビンドゥ」、「チャクラ」、「マルマ」などがあります。
一方、中国では、「丹田」、「精宮」、「経穴」です。


タントラでは、主要なナーディーは、中央管「スシュムナー(密教ではアヴァドゥーティー)」、左右管の「イダ(密教ではララナー)」、「ピンガラ(密教ではラサナー)」です。


画像
インド・カーングラ派のチャクラ、ナーディ図 1820年頃


それに対して、中国では、主要な経絡は、中央の「衝脈」と、体の前後の「任脈」、「督脈」とされます。


画像
監脈循行図 「医宗金鑑」より


インドと中国では、左右と前後の違いがあります。


インドでは、中央管に沿った7つほどの「チャクラ」が有名で、中国では、7つの「精宮」がほぼこれに相当します。


インドでは、チャクラ以上にプラーナの根源となる3つの「ビンドゥ(心滴)」が重視されます。
頭部の「チャンドラ(白い心滴)」、胸部の「アナハタ(不滅の心滴)」、「腹部のスーリア(赤い心滴)」です。


概念は異なりますが、中国の、頭頂、胸、腹部の3つの「丹田」とほぼ位置は一致します。


また、プラーナ/気の流れを止める3つの障害が、インドでも中国でも語られます。
タントラにおいては、「グランディ」と呼ばれ、眉間、胸、会陰にあります。
中国においては、「関」と呼ばれ、三丹田の場所である頭頂、胸、腹部にあります。




<体内神>




タントラや密教では、ヤントラやマンダラの諸尊を身体各部に観想して、その照応関係を築きます。


また、タントラではクンダリニーを女神シャクティ、頭頂のチャクラ部をシヴァ神と考えます。
密教では、頭頂から垂れる甘露をヘールカとし、これが各所に回って、各チャクラにいるダキニと交わると考え、腹部にいるクンダリニーをヴァジラヴァーラーとします。


このように、体内には、神々、諸尊が存在すると考えます。


仙道では、このような神々を「体内神」と表現し、やはり、存思(観想)をします。
例えば、眉間と両目に太極と陰陽に相当する神々、五臓には五臓の神々、三丹田には三天の神々、といった具体です。




<生命力の消費と滋養>




タントラでは、根本的な生命力は、頭部の軟口蓋の上部あたりにある「チャンドラ(月、シヴァ、ヘールカ)」にあり、そこから「アムリタ(甘露・菩提心)」として垂れ、腹部、もしくは、会陰にある「スーリア(太陽)」で消費され、やがて死に至ると考えます。


生命力は、性活動や消化で消費され、全身にも回ります。


仙道でもほぼ同様に考えますが、それは「先天の気(元気)」とされ、それがあるのは腎臓間の「命門」、もしくは脾臓の「黄庭」、女性の場合は子宮とされます。


そのため、ハタ・ヨガの「ケーチャリー・ムドラー」では、軟口蓋の上方に舌をつけアムリタを飲み、喉のヴィシュダ・チャクラに貯め、それを消費せずに全身を滋養します。


一方、仙道の「嚥津法」では、「玉液」と呼ばれる唾液は「精」が液体化したものと考え、これを飲みますが、これは「ケーチャリー・ムドラー」に類似したものでしょう。




<逆行の行法>




仙道では、霊的身体が胎児の状態を理想とし、瞑想(気の制御や観想)によってこの胎児の状態に戻そうとします。
呼吸で言えば、「胎息」と呼ばれる先天的な「内気」の呼吸システムのみが働く状態です。


そのためには、まず、後天的な「気」を練り、その後、先天的な「精」を目醒せ、それを「炁」に戻し、さらに「神(陽神)」に戻します。
そして、最終的には、身体を「道(無、虚)」に戻します。


このように、生命力を逆行させることを「逆修返源」と呼びます。


密教でも、父タントラ(マハーヨガ・タントラ)の究竟次第の「風のヨガ」や「聚執(塊取、ピンダグラーハ)」では、全身の「粗大なプラーナ」を中央管に戻して「微細なプラーナ」にし、さらに不滅の心滴に戻して「極微なプラーナ」にします。


ハタ・ヨガでも、呼吸を止める「クンバカ」には、「胎息」と同様の意味があるのかもしれません。
特にケーヴァラ・クンバカは、自然に通常の呼吸がなくなり、クンダリニーの覚醒につながります。


そして、「クンダリニー・ヨガ」では、基底部のクンダリニーを頭頂にまで戻します。


また、両脚を上げる姿勢で行う「ヴィパリータ・カラニ(逆行のヨガ)」では、腹部や性器にある性的エネルギーをチャンドラまで逆流させます。




<結合の行法>




仙道の内丹法では、男女による陰陽二気の交わりによって胎児が生まれることを再現して、自分の体内で新しく「胎」を作ります。
具体的には、腎/心臓の陰陽二気を混ぜるのですが、これを「竜虎の交わり」と呼びます。


ハタ・ヨガの「ヴィパリータ・カラニ」でも、チャンドラとスーリアのエネルギーを結合させる方法があります。


母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の究竟次第の「チャンダリーの火」などでも、「白い心滴」を融解して甘露を垂らし、「赤い心滴」を発火させて上昇させ、両者を結合して、全身を滋養します。




<性の行法>




仙道の「房中術」は、性行為を通して男女の間で相手の「先天の陰/陽気」を交換します。
これを「陰陽服気」、「男女煉鼎」などと表現します。


男性は女性から陰気をもらうと思いがちですが、「先天の陰気」は男性の中でも成長後に発生します。


そうではなく、男性の中で減少した「先天の陽気」を、女性に発生した「先天の陽気」で補うのです。


さらに続いて行う「環精補脳」では、男女煉鼎で練られた精を頭頂(黄宮)にまで上げます。
これは、「後天の精」を「先天の精」に戻し、上丹田の「先天の神」と合体させるものです。
そして、その後、息を吐きながら腹部に落とします。


ハタ・ヨガでも、性ヨガ(ヴァジローリー・ムドラー)では、男性の精液の中にある「ビンドゥ」のエネルギーと女性の経血の中にある「ラジャス」のエネルギーを結合して、身体を浄化・滋養します。


母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の究竟次第でも、性ヨガは重視されます。




<作られる霊的身体>




仙道の内丹法では、「陽神」と呼ばれる陽気でできた霊的身体を作ります。これには自分の意識も入っていて、体外に出して周りを歩かせることも行います。


画像
丹田中の陽神(右)とそれを頭から出す出神(左)「太乙金華宗旨」より


一方、父タントラ(マハーヨガ・タントラ)の究竟次第では、もともとある自分の霊的身体(意成身)とは別に、微細なプラーナと魂できた「幻身」を、不滅の心滴から作り出します。


両者は似ていますが、「陽神」の方が密度が高くてより物質に近い存在のようです。


ゾクチェンの最終段階に到達した修行者は、「大いなる転移」によって自身の肉体を「虹身」に変えます。
これは、元素のエッセンスである光でできた身体で、「報身」とは違って一般の人間に働きかけることができるされます。


ゾクチェンの「虹身」は、母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の「虹身(虹身光身)」、カーラチャクラ・タントラの「空色身」と同種のものかもしれません。
これらは、「心滴」が尽きた時に現れる「極微のプラーナ」を越えた次元の身体でしょう。


画像
虹の身体になるパドマサンバヴァのタンカ


「大いなる転移」では、生きながら、もしくは、死後に、肉体が小さく収縮し、人によっては最終的に消えてなくなります。


これは、現象としては、仙道の、死体が消えてなく「尸解」に似ています。


内丹法では、「陽神」を虚に戻すために煉っていると、光が放射するようになります。
さらに肉体を「陽神」の中に溶け込ませることで、肉体は消失しますが、これを「虚空粉砕」と呼びます。


「大いなる転移」も「尸解」、「虚空粉砕」も、死はなく不死の獲得とされます。


仙道では、肉体のまま虚空?に昇る「白日昇天」が伝説的に語られますが、密教にはこの種のものはないようです。




*今回は触れませんでしたが、インドでも中国でも、霊的身体論やその行法は、医学や錬金術(煉丹術)とも深く関係しています。



posted by morfo1 at 06:38Comment(0)通論

象徴体系のシステム比較


MORFO HUB」で書いた記事ですが、当サイトにテーマに合っているので転載します。




「象徴」は非常に抽象的で未知の何ものか、言葉にできない力のようなものを指し示し、それを意識の中に働かせることができます。
それは自然の諸力と意識・無意識の諸作用の両方を同時に指し示し、動かします。


伝統文化や神秘主義思想は、宇宙の構造を「象徴体系」という形で捉えることが多くあります。
概念による論理的な記述ではなく、神話のような神格的存在の物語でもなく、象徴間の直接的な関係性のみで示すのです。


象徴体系は、宇宙の原型でもあり、パンテオンでもあり、暦や方位を現わすためにも使われます。
それは、古代の一種の自然科学であり、占術であり、修行においてはマップであり、ハシゴであり、魔術においては操作板であり、夢や神託においては解釈学です。


例えば、ある象徴体系が、春夏秋冬の季節循環と深く関係していて、それらから発生したとしても、各象徴が表現するものは、具体的な現象を越えて抽象的なものとなります。


その象徴体系は、季節以外のものにも重ねられるようになり、抽象度が増します。
そして、その象徴体系が示す原理から、様々な領域における具体的な現象が生み出されたと考えるようになります。




以下、東西の伝統文化、神秘主義思想の象徴体系のシステムを大きく分類して整理します。


水平型、循環型、垂直型、方形型、放射型、準放射型、垂直二極-統合型に分類しましたが、この類型はこの文章を書く際に、私が考えたものです。




<水平型>




象徴間の関係に、垂直的な価値観の違いがない体系が「水平型」です。


具体例は、例えば、空間的な方向に関わる体系です。


東西南北の「四方神」の体系は、世界中に存在しますが、中国の


・東=青龍
・南=朱雀
・西=白虎
・北=玄武


が有名です。


中国では、8方向の「八門」、12方向の「十二支」など多数の方向体系があります。




<循環型>




水平型と同様に垂直的な価値観の違いはないのですが、循環する時間と関係している体系が「循環型」です。


代表的なのは、例えば、季節循環の体系です。
季節は「季節神」と関係します。
季節の体系は4分割が代表的ですが、地域によって4とは限りません。


1年の循環の体系には、他にも、占星学のカルデアの「12宮(12星座、12ヶ月)」や、エジプトの「36デカン」、インド・中国の「二十八宿」、中国の「二十四節気」、サビアンの「365シンボル」などの体系があります。


中国の「十干」や「十二支」のように、複数年の循環の体系もあります。
ただ、どちらにも季節循環の植物の成長の意味がありますが。


時間循環と空間方向の体系は、重ねられることもあり、その場合は「水平循環」という性質を持ちます。


例えば、東南西北の象徴は、春夏秋冬の象徴とよく重ねられます。


・東=春
・南=夏
・西=秋
・北=冬


中国の「五行」も、季節や方向と重ねられて循環型の体系にもなっています。
また、「十干」や「十二支」も、方向に対応させられました。


「七曜」の体系は週を表現するものとしては循環的なものですが、本来は、惑星の体系として、垂直型の性質も持っています。




中国の占術は、主に、天や地、人を表現する循環型体系の組み合わせで行われます。


「断易(五行易)」は八卦、十二支、五行、「六壬神課」は十干、十二支、二十四節季、十二天将、十二月将、「奇門遁甲」は十干、八門、九星、八神、九宮、といった具合です。


画像
六壬栻盤(出典:WIKPEDIA




<垂直型>




象徴間の関係が、価値観の違いとなっているのが「垂直型」です。


多くの場合、価値観の高低は、空間的な上下や、光の明暗などと結びついています。


最も古く、かつ、世界的に普遍的な体系の一つは、天上、地上、地下という「3世界」の体系でしょう。


また、バビロニア発の「7惑星(天)」の天球の体系も垂直型です。


7天の体系は、「10天」の体系に拡張されがちです。
「10天」の場合、「7惑星天」の上につけ足されるのは、宇宙が生まれる元になる宇宙卵や、宇宙の外郭や、北極星、沈まない星座、恒星天などです。


また、元素も垂直的な体系となりました。
「5元素」の場合、アイテール(霊、虚空)・火・空気・水・土という順になります。


「惑星天」と「元素」の体系を結びつける場合は、「惑星天」を「元素」の上に置き、「元素」は月下世界の中の階層とされます。


画像
ルネサンス時代のロバート・フラッドによる宇宙の階層(出典:WIKIPEDIA)




「10天」の体系が生まれたのは、自然数の「10」の体系と重ねられたからでしょう。


ピタゴラス派が1-から10までの数の象徴的意味を基にした数秘術を行っていたという伝説があります。
ですが、少なくとも、ピタゴラスや初期のピタゴラス派にはそれはなかったハズです。


数の体系としては、12進数や60進数を生み出したシュメールに、非常に古く、かつ独自的な、数=神々の体系があります。
これは60=天神アンを最高として、50=嵐神エンリル、40=水神エンキ…と下り、4=牡牛神ハル、3=その妻神、といった垂直体系です。


その後、バビロニアでは、天球を含む宇宙像とパンテオンの対応づけもさなれました。


画像




身体上のスポットの体系である「チャクラ」の体系も垂直型です。
チャクラの数は様々だったのですが、近代になって欧米で7チャクラ説が有名になったのは、バビロニア系の聖数である7の体系に合わせたためです。




また、文字(アルファベット)も垂直型の性質を持つ象徴体系の場合があります。
ユダヤのカバラの22文字の体系が有名ですが、多くの民族に文字の象徴体系があります。


多くの場合、文字は宇宙創造と結びつけられ、すべての文字が平等ではなく、最初の文字や、いくつかの特権的な文字が考えられました。
また、すべての文字に順番がある場合もあります。


文字が数字を表すこともあるので、その場合は数の体系とも結び付けられます。




<方形型>




垂直と水平を掛け合わせた形の体系が「方形型」です。


例えば、日本語の文字や音韻は、言霊学として、50音、あるいは75音がこのように体系化されています。
子音には水平的性質、母音には垂直的性質が付与されます。


ですから、全体としては、水平*垂直(10*5、あるいは、15*5)の積算による方形型の体系です。


画像
15*5の言霊体系(大石凝真素美全集より)




<放射型>




垂直性と水平性が組み合わされていて、下方に至るほど分岐してべき算で多数化する体系が「放射型」です。


もっとも代表的なのは、「易経」でしょう。


「易経」の体系は、「陰/陽」の爻をいくつも組み合わされることで、放射的に多数化していきます。
ただ、「周易」の段階での爻の意味は「柔/剛」でした。


3つ組み合わせて(三爻)できたものが八卦で、八卦を2つ組み合わせたものが六十四卦です。


つまり、64の体系は(2*2*2)*(2*2*2)のべき乗放射で表現され、1(太極)-2(両儀)-4(四象)-8(八卦)-64(六十四卦)の垂直体系となります。


画像


ですが、八卦だけを見ると、水平型の体系となります。


易経の体系は、方向や五行など多くの体系とも重ねられました。




「エノキアン・タブレット(エノク魔術)」の体系も放射形です。


全体としては、5元素を4重にかけ合わせたシステムです。


ただし、5元素の内、アイテールだけが、他の四大元素より上位の別扱いになっています。


つまり、(1+4)*(1+4)*(1+4)*(1+4)のべき乗放射体系です。


画像
エノキアン・タブレット(goldendawnshop.comより)


そして、この中に、ケルビム、セフィロート、12宮、36デカン、22大アルカナ、7惑星、地占記号などの象徴体系が含有されています。




<準放射型>




密教のマンダラやヒンドゥー・タントラのヤントラの体系は、「準放射型」と言えます。
下降するほど数が増えますが、放射形のようにべき乗では増えません。
つまり、放射型と方形型の中間のような体系です。


例えば、1-4-16-64…なら放射形で、1-4-4-4…なら方形型ですが、1-4-8-16-16…といった形です。


後期密教の場合、マンダラのもととなる尊格の垂直階層は、


1 本初仏-本初仏母(守護尊-守護女尊)
2 仏-仏母
3 菩薩-女菩薩、忿怒尊-忿怒女尊、女尊、祖師
4 天部(護法尊)
5 葉女神


などとなります。


ちなみに、「時輪経」の場合、1は智恵-大楽、2は五蘊-四大、3は五根-五境、行動器官-行動、プラーナ、4は12ヶ月、5は28日と重ねられます。


また、仏の部族の水平体系は、最初に体系化された五部の体系を持つ「金剛頂経」の場合、


  部  位置 色  仏名     智恵  手印   象徴
・如来部:中央:白:大日如来  :法界性智:智拳印 :仏塔
・金剛部:東 :青:阿閦如来  :大円鏡智:触地印 :金剛杵
・宝部 :南 :黄:宝生如来  :平等性智:与願印 :宝珠
・蓮華部:西 :赤:阿弥陀如来 :妙観察智:禅定印 :蓮華
・羯磨部:北 :緑:不空成就如来:成所作智:施無畏印:羯磨金剛


となります。
ちなみに、「時輪経」ではこれが六部の体系になります。


さて、マンダラは、「金剛頂経」の場合は、


・5(1+4)仏
・16菩薩+4波羅蜜菩薩
・8(4+4)供養菩薩
・4摂菩薩


というシステムです。


画像
金剛界曼荼羅37尊「曼荼羅イコノロジー」田中公明より


5、あるいは、4のべき乗的部分が1度ありますが、それ以下は増加しません。


その後の経典も、システムは類似しています。


ですが、後期のマンダラの特徴は、尊格が父母仏、つまり、合体孫として、対で表現されるようになることです。


ヒンドゥー・タントラのシュリー・ヤントラの場合も同種のシステムです。


シュリー・クラ派の場合、下記のような尊格が中心から周辺に向かって配置されます。


9 最高女神トリプラスンダリー
8 3聖地女神
7 8守護女神
6 10女神
5 10女神
4 14女神
3 8女神
2 16女神
1 8母神+10シディ女神


画像
シュリーヤントラ(「インド密教」(春秋社)より)




ちなみに、マンダヤやヤントラは地面に描かれて儀礼が行われますが、その原初的な形態は、インディアンの砂絵に見られるような四方の精霊の体系でしょう。


画像
インディアンの砂絵の儀礼を紹介した本の表紙




<垂直二極-統合型>




カバラのセフィロートの体系は独特です。
ここでは便宜的に「垂直二極-統合型」と名付けます。


セフィロートは、もともと1-10の数字の垂直型体系でしたが、それに6方向+4元素の性質が重ねられて立体的体系にもなりました。


その後中世に、「生命の樹」として知られる体系になりました。
これは、垂直型でありつつも、左右の二極(峻厳/慈悲)と中央の均衡・統合という性質を持つ樹状の体系です。


上から見ると稲妻型とも、下から見ると蛇行型とも表現できます。


画像
「ゾーハル」の写本の生命の樹


10のセフィロートは、以下のような象徴的意味を持ちます。


1 ケテル(王冠)
2 ホクマー(知恵)
3 ビナー(知性)
( ダート(理性))
4 ヘセド(慈愛・恩寵)、ケデュラー(偉大)
5 ゲブラー(権力)、ディン(判断・厳格)
6 ティフェレト(美)、ラハミーム(慈悲)
7 ネツァハ(持続・永遠・勝利・忍耐)
8 ホド(威厳・栄光)
9 イエソド(基礎)
10 マルクト(王国)、シェキナー(光輝・住居・臨在)


セフィロートの体系には、10天、10身体部位や、4世界、3霊魂などが配当されました。


また、「生命の樹」の体系には、セフィロート間をつなぐ22の径には、22のユダヤ文字が重ねられ、さらにこれに7惑星+12宮+3元素が重ねられるなどしました。



posted by morfo1 at 06:37Comment(0)通論

神秘主義哲学の階層論


神秘主義思想にとって、存在や意識の「階層」は、基本となるテーマです。
古今東西の神秘主義哲学の階層に関する思想を大雑把に紹介しつつ、大胆に解釈します。


<形相的な階層論>

ギリシャ哲学を代表するプラトン、アリストテレスらの階層論の特徴は、「形相性(形・本質)」を基準にすることです。
それは、現代人から見れば、人間に至る進化論的な階層とも一致し、また、人間の成長(個体発生)の階層とも一致します。

プラトンがピタゴラス主義から継承した奥義思想である不文の教説によれば、根源的な2原理は、「一/不定の二」、つまり、「限定/無限」です。
この「無限」とは「形相」を持たないものであり、「限定」とは「形相」を作るものです。

プラトンにあっては、階層の最上位の「限定」する存在は「善そのもの」と呼ばれ、最下位の「無限」な存在は神話的に「コーラ(場所、受容器)」と表現されました。

一方、アリストテレスは、階層の最上位の存在は形相が完全に実現した「純粋形相」、最下位は形相を持たない「第一質料」としました。

このように、彼らの階層論は、「形相性」を基準にし、下位はそれを欠いた「質料(素材・無本質)」と考えます。


プラトンは世界を、原型的な、不変の世界である「イデア界」と、それを受け入れて生成する世界である「現象界(感覚界)」、そして、両世界にまたがってこの2つを媒介する「魂」の3つに分けました。

プラトンの「イデア界/魂/現象界」の3段階の階層論は、後世、神秘主義思想の基本である「霊/魂/体」の3分説となります。

プラトンは、さらに、「魂」を、上下の世界との関係から、「知性的/気概的/情念的」という3段階の部分に分けました。

一方、アリストテレスでは、この3段階は、自然学的に「天体・神々/人間/動物」の3階層に対応します。
ただ、彼はその下にも、「植物」、「無生物」を置いて5階層で考えましたが。

先に書いたように、これらの階層論は、進化や個人の成長(個体発生)の方向を、階層の上位と考えることができるものです。
ただ、進化論では動物と植物は分離したもので、植物から動物に進化したわけではありませんが。

また、古代的な「動物」の概念は、感情やイメージなどの内面世界を持つ生物です。


彼らの階層論は、上位の存在を「原型的」、「原因的」、「創造的」なものと考えます。
これは、地上世界は霊的世界を写した世界であると考える、歴史以前の部族文化の世界観を、ある程度、継承しています。

ですが、彼らの「形相」的な階層論の特徴は、最上位の存在が下位の形(本質)の根拠となり、それを秩序づけるものである点です。
そして、実践・修道は、上位存在を認識することで、正しい秩序(形相)を得ることです。

これらは必ずしも普遍的な思想ではなく、彼らに特徴的な部分です。


<上下対称の階層論>

プラトン、アリストテレスの階層論では、上位と下位は形相性の有・無で正反対の性質を持ちます。
ですが、究極的な神秘体験は、実体験からすれば「形」を感じないことが一般的です。

そのような実体験を持っていた新プラトン主義のプロティノスは、プラトン哲学を継承しながらも、最上位の存在(一者)を「無相(無形相)」であるとしました。
ですが、「一者」が下位の秩序の根拠となり、固定する性質を持つ点は変わりません。


プラトン以降のアカデメイアでは、様々な階層論がありましたが、クセノクラテスは「イデア」を「ヌース(霊的知性)」として捉えていました。
それを受けつつ、プロティノスは、「一者/ヌース/魂」という階層を考え、定着させました。

プロティノスは、「一者」から生み出された「ヌース」は、最初は「形相」を欠いた暗い素材的存在ですが、「形相」を超えた「一者」を振り返って認識することで、光として「形相」を受け取り、形付けられると考えました。

プロティノスの最上位の「一者」が「無相」であるなら、その点では、最下位の純粋な「質料」と同じです。
つまり、この上下の極が同じで、この点で階層が対称となっています。

ですが、最上位が「形相」の創造者、根拠であるのに対して、最下位は「形相」を受容者である点で、両者は異なります。


新プラトン主義のイアンブリコスは、「ヌース」を、「存在/生命/知性」という3段階に階層化しました。

これは、プロティノスが考えた、「認識対象/認識作用/認識主体(内容)」を捉えなおしたものです。
ですが、ここには、階層の上下対称性の考え方が潜在しています。

新プラトン主義の大成者であるプロクロスは、それを理論化して、階層の上下対称性を、極だけではなく全体に広げました。

プロクロスは、魂(限定すれば、人間の魂、中でもプラトン言う魂の気概的部分)を階層の中心にします。

そして、アリストテレスの「動物/植物/無生物」の本質を、「知性/生命/存在」として捉えます。
これは、イアンブリコスの「ヌース」の3階層の本質を、下位に折り返した形になっています。

プロクロスの上下対象の階層論は、近代の神秘主義者であるシュタイナーの階層論にも見られます。

シュタイナーにおいては、人間の本質の階層は、「悟性魂(自我)」を中心にします。
そして、上位の「霊人/生命霊/霊我(意識魂)」と、下位の「感覚魂(アストラル体)/エーテル体(生命体)/肉体(物質体)」が対称的な本質を持っています。

シュタイナーにおける実践・修道は、下位の上位への「折返し」です。
下位の存在を意識化することで、順次、上位の存在が生まれます。

グルジェフやケン・ウィルバーにも、これに似た上下の対称性の考え方があります。


<創造的想像力の中間的世界>

プラトン、アリストテレスの階層論は、概念的(理念的)な知性を重視するものであるため、イメージや想像力、象徴をあまり評価しません。
ですが、多くの神秘主義思想、特に魔術的な思想においては象徴的なイメージが重視されますし、啓示的な宗教でも、それらはヴィジョン(幻視)として与えられるものなので重視します。

そのため、神秘プラトン主義でも、魔術に傾倒したポリピュリオスは、予言に関わる神的な想像力を重視しました。
また、啓示宗教であるイスラム教の神秘主義哲学者も、それを重要しました。

ペルシャ人のスフラワルディーは、イデア界に相当する恒星天と、動・植物魂に当たる惑星天の間に、神的・象徴的イメージの世界である「中間世界」を置きます。

つまり、この象徴的なイメージ、創造的想像力の「中間世界」は、通常のイメージや想像力とは別のものなのです。
そして、この位置は、「霊的知性(直観的知性)」の世界の下ではありますが、日常的な概念的思考やイメージの世界の上なのです。

井筒俊彦の意識の階層論でも、「中間世界」は「根源的イメージ」の段階に当たり、これは「言語アラヤ識」と「日常的意識(分節世界)」の間に位置します。


象徴的なイメージ、創造的想像力の段階を、上下対象の階層論に当てはめると、概念的意識の段階を中心にして、その下位のイメージの段階を、上に折り返した場所として考えることができます。
これにぴったりと当てはまるのは、シュタイナーの「アストラル体」を折り返した「生命霊」でしょう。

シュタイナーの階層論では、この段階は「霊視的」認識とも表現され、さらにその上は「霊聴的」、その上は「合一的」認識とされます。

象徴やイメージ(心像)は視覚に限定されませんが、「中間世界」に対応するのは「霊視的」段階でしょう。

視覚的なものより聴覚的なものを上にするのは、密教も同じです。
密教では、聴覚的なマントラも視覚的な尊格の姿形(イメージ)も象徴性を持ちますが、マントラをより根源的なものとします。
これは、マントラの方が視覚的イメージより形相性を脱しているからでしょう。

例えば、密教の代表的な行法の「五現等覚」では、「虚空」から「光源(月輪)」→「放射光(日輪)」→「象徴的な音(種字)」→「象徴的な意味(三摩耶)」→「象徴的な視覚イメージ(仏身)」の順に観想して尊格を現します。
つまり、形象的視覚よりも象徴的意味の直観、さらに聴覚、光の感覚をより根源的と考えます。

もちろん、霊的感覚は、通常の日常的対象の感覚とは違うものなので、ここに書いたのは共感覚的な表現です。


<複数系列の階層論>

階層に複数の系列を立てる階層論があります。

プロクロスは、各階層に「第一者(へー・モナス)」を立て、それが「限定/無限」を生み、その混合で「多者」が生まれると考えました。
これは、各階層に次元の異なる「質料」を認めるもので、各階層に「形相」と「質料」の2系列がある階層論であると考えることができます。

これは、神話的には、各階層に神のカップルを立て、その女神が各階層の素材原理に当たると考えることに対応します。


ペルシャ人のイブン・スィーナー(アヴィセンナ)は、天上に「認識/想像力/素材」の3系列を考えました。
「認識」は「形相」や「霊的知性(知性体)」に、「素材」は「質料」に対応するものであり、「想像力」は彼が独自に新しく天使の系列と解釈して付け加えたものです。
彼は、これによって宗教(天使論)と哲学(知性論)を統合しました。

スフラワルディーやイブン・アラビーが、階層における「中間世界」として考えたものを、イブン・スィーナーは系列として考えて、「知性」と対等なものにしたのです。

この「想像力」の系列の下位の段階は、通常のイメージや想像力、上位の段階は象徴的イメージ(創造的想像力)であると考えることができます。

ちなみに、スフラワルディーは、天上に「認識」と「素材」の2系列を考えました。
それぞれは、別の系列の天使でもあって、後者は「母達の大天使」と呼ばれます。


また、近代の神智学(アディーヤール派神智学協会)は、3つの系列を考えました。
「3重のロゴス」と呼ばれる、「霊我(モナド、意識、神性)/形相(モナド・エッセンス、生命)/質料(力)」の3系列です。
これは、ズルワン=ミトラ神智学系の「アフラ・マズダ/ミトラ/アナーヒター」に相当し、それを継承するものでしょう。


<強度的な階層論>

上下対象の階層論は、「形相性」の点では対称的ですが、「創造性」、「原因性」という点では、これらは上位の特徴であり、上下非対称的です。

これに対して、ストア派による階層論は、「形相性」とは全く異なる、内的な「緊張」を基準とした階層論です。
「緊張」は「力」、「強度」とも表現できます。

ストア派は、各階層の本質である、鉱物の構造、植物の成長、動物の霊魂、人間の知性などを、「形相性」ではなく「緊張」の度合いの違いであると考えました。

「強度」のある上位存在は、「形相」を生み出しますが、ストア派はこれを「種子的ロゴス」と表現しました。

これはプラトンの「イデア」のように超越的な存在ではなく、内在的な存在です。
そして、「ロゴス」という原型は、静的な枠ではなく、多様性を発現させるものです。

密教などのタントリズムや一部のヴェーダーンタ哲学といった、非実体主義、幻影主義的なインド系の思想にも同様の考え方があります。
また、シュタイナーの思想もこれに似ています。


「強度」の階層論は、近現代の哲学では、ベルグソンやドゥルーズに見られます。
ドゥルーズは、ストア派を評価し、プラトンの思想を強度的階層論から解釈しました。
この「強度」の階層を、ベルグソンは「深み」、ドゥルーズは「奥行き」と表現しました。


<微細さの階層論>

「霊/魂/体」の3分説は、インドでは、ヒンドゥー教神智学では、「原因身(コーザル・シャリーラ)/微細身(リンガ・シャリーラ)/粗大身(ストゥーラ・シャリーラ)」の3シャリーラ説が対応します。

仏教では、「法身(ダルマカーヤ)/報身(サンボガカーヤ)/応身(ニルマナカーヤ)」の三身説です。
この3段階は、「極微/微細/粗大」とも表現されます。

このようにインドでは、「微細さ」を基準とした階層論が語られます。

ヒンドゥー教や仏教の哲学の階層論も、上位存在が「原型的」、「原因的」、「創造的」な点ではギリシャ哲学の階層論と同じです。
「微細さ」は、「原型的」、「原因的」、「創造的」なのです。
数学的に言えば、「微分的」です。

ですが、仏教、ヴェーダーンタ哲学、サーンキヤ哲学などでは、最上位の存在は、「形相」を生みはしても、根拠とならず、固定しない性質を持つ傾向があります。
つまり、「形相」を幻影的、非実体的、非本質的に捉える点では、ギリシャ的な形相の階層論と異なります。


<無根拠の階層論と解放論>

上にも少し書いたように、仏教やヴェーダーンタやサーンキヤのようなインド哲学は、最上位の存在(空、ブラフマン、プルシャ)を、生み出された「形相」の「根拠」としませんし、生み出すことに対しても否定的です。

階層の最上位存在を、「無」のような否定的表現にするかどうかでは、重要な問題ではありません。
生み出される「形相」に対して根拠となるか、無根拠なものかが重要です。

キリスト教の否定神学は、神を「無」として表現しますが、被造物を秩序づけるロゴスの根拠となります。
それに対して、神を「無底」と表現したベーメやシェリングの場合には、「無根拠」に近い意味を表現します。


密教はヒンドゥー・タントリズムの場合は、「無根拠」であることを「自由」として捉え、創造を積極的に評価します。

そして、「涅槃性(非煩悩性)」の創造と、「煩悩性」の創造を区別します。
実践・修道としては、「形相性」に対するこだわりを捨てることで、活性化した前者の創造を目指します。
これは、階層論ではなく解放論、救済論です。


<各解放論の関係の解釈>

インドのタントリズムの解放論における「涅槃性」の創造と「煩悩性」の創造の差異は、「強度」を日常的な次元にまでもたらした動的な創造であるかないかの違いです。
つまり、タントリズムでは、「強度」は解放論に関わります。

ですから、タントリズム的な解放の度合いは、単純には、ドゥルーズ的な強度的階層の「奥行き」に関わるものとして解釈することもできるのではないでしょうか。


「強度」の「奥行き」は、上下対象の階層論では、下位の上位への「折返し」に関わると考えられます。
「奥行き」の距離は、階層の高所に見つけることができるでしょう。

下位存在を意識化して「折り返す」ことは、「強度化(動態化)」と関わり、それは、タントリズム的な「解放」にもつながるでしょう。

(2020-12-18)
posted by morfo1 at 14:04Comment(0)通論