グノーシス主義の潮流と諸派



グノーシス主義の思想」に続いて、グノーシス主義の初期、発展期、後期のそれぞれの諸派についてまとめます。

初期は、シモン派、カルポクラテース派、トマス福音書、マンダ教です。
発展期は、バルベーロー派、オフィス派、セツ派です。
後期は、ヴァレンティノス派、プトレマイオス派、バシレイデース派、マルキオン派です。


<初期の諸派>

まず、1C後半から2C前半に生まれた初期の諸派です。

キリスト教側からグノーシス主義の創始者であると言われていたのが、シモン・マゴス(シモン・マグス)です。

シモンはサマリア出身で、サマリアの信者からは神と信じられていました。
ユダヤの北にあるサマリアは、一般にユダヤ(エルサレム)とは別の神殿や宗教を持っていました。
シモンは、フェニキアで身請けした娼婦のヘレナと、30人の弟子を連れて各地を遍歴し、アレキサンドリアを経て、ローマでも活動したと伝えられています。

シモン自身は、自分を「最高の力」、父なる「ロゴス(言葉)」、「ヌース(叡智)」であり「キリスト(塗油された者=救世主)」であると考えました。
そして、彼が、神の女性的側面である「エンノイア(第一の思考)」であり、「ソフィア(知恵)」、「バルベーロー(大いなる流出)」、「すべての人間の母」を流出しました。

「エンノイア」は降下して天使と諸力を生むと、彼らが宇宙を作りました。
ですが、彼らは、彼女を妬み、拘束して人間の中に閉じ込めました。

シモンが連れていたヘレナは、「エンノイア」の地上に堕ちた姿とされました。
彼女は、様々な人間の体の中を移住に、売春宿に流れ着いていたのを、シモンによって救済されたのです。
これは、地上を売春宿、そこに堕ちた神的な霊魂を娼婦と象徴しているのです。
そして、人間は、シモンの啓示によって、自身の中の「エンノイア」を認識することで救済されます。

このように、女性原理の堕落が語られます。
シモンの「エンノイア」像のバックボーンには、サマリアの月神セレーネーや、娼婦になったとも言われていたイシス神などが考えられます。

また、シモンは、ユダヤ教の律法を否定し、奔放主義的な思想を持っていました。


キリスト教グノーシス主義者のカルポクラテースは、輪廻説を取り入れました。
「カルポクラテース」という名は、エジプトのホルス神を示す「ハルポクラテース」から来ていると推測されます。

彼の思想も奔放主義的で、伝統的な因習を人間が決めたものに過ぎないとして否定し、この世ですべての体験をしておかなければ、転生を強いられると説きました。
また、信仰と愛を重視しました。


「トマス福音書」は、2C中頃に書かれたキリスト教グノーシス主義の文書です。
この福音書は、イエスの語録形式のもので、初期に書かれた福音書の一つです。
ナグ・ハマディ文書に含まれていて、外典とされています。

この福音書は、原初に「父」と「真実の母」が、そして、「子」がいたと語ります。
そして、人間は「光の子ら」と呼ばれ、「父」に由来する光を持っていますが、それを認識していません。
そして、「神(造物主)」に対しては、否定的に表現される点で、反宇宙論的要素があります。

人間は、「子」なる「イエス」の啓示によって自身の本質を認識して、神の世界で「単独者」に戻れば救われます。
このことは、「花嫁の部屋(結婚の場所)」に入ると表現されます。


洗礼者ヨハネの弟子であると語っている一派に「マンダ教」があります。
マンダ教はもともとヨルダン川流域で生まれた後、ペルシャ方向へ移住したようです。
マンダ教は、現在まで生き残っている唯一のグノーシス主義宗教です。

「マンダ」とは「グノーシス」のことです。
マンダ教の主要な文書には、「ギンザー(財宝)」があります。

マンダ教は、神の世界の光に対応する流水による「洗礼」を繰り返し行い、また、魂が光の世界へ到達するための死者儀礼を重視して行います。

マンダ教には、根本に「光の世界」と「闇の世界」があるので、イラン的な二元論です。

「光の世界」の原初存在は、「大いなる命(光の王、大いなる器)」です。

これから第二、第三、第四の「命」や、神の世界の「ヨルダン川」、無数の「シェキナー(住居)」が生まれ、「光の世界」を作ります。
「第二の命(ヨーシャミーン)」は、「大いなる命」に逆らって世界を創造したいと思いました。
「第三の命(アバトゥル=秤)」は、自分一人が強大な者と思ってしまいました。
「第四の命(プタヒル)」は、「大いなる命」から「生ける火」をもらって、闇の勢力とともに世界を作りました。

「闇の世界」には、「黒い水」があり、「闇の王(ウル)」を頂点にした諸存在がいます。

人間は、闇の勢力によってその肉体が作られ、「光の世界」から霊魂が連れてこられて、「プタヒル」が肉体に入れます。
ですが、「大いなる命」が「光の使者」を派遣し、「光の世界」に由来する霊魂の本来の姿を思い出し、闇の勢力と戦うことを教えます。


<発展期の諸派>

この節では、2C前半に生まれた、グノーシス主義の発展期の3派について紹介します。
神の女性的側面の「バルベーロー(大いなる流出?)」を語る「バルベーロー派」、旧約で語られる蛇を善なる存在とする「オフィス派」、アダムの第三子セツを救済者として重視する「セツ派」です。
ただ、これらの派の神話・思想は類似していて、それぞれが独立して存在したかどうかは分かりません。


アレキサンドリアの「ベルベーロー派」は、神の女性的側面を「バルベーロー(大いなる流出)」と表現して重視する派・文書の総称です。

また、ナグ・ハマディ文書の中の「ヨハネのアポクリュフォン」は、「セツ派」の文書と分類されますが、エイレナイオスが報告するバルベーロー派の神話と似ています。

この派の神話では、最初に「名づけえない父(見えざる霊、万物の父、大いなるもの、純粋な光)」が存在します。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、この「父」が自分を取り巻く光の水の中に自分自身の像を認識して、「バルベーロー」を生みます。
つまり、原初の流出を、自己を客体化・表象化する「認識(思考)」として描いています。

そして、「バルベーロー」は「父」を見返すことで「光」を生み、「父」がこれを凝視して塗油することで「キリスト」になります。

その後、4組の男女カップル、「4つの大いなる光」などのアイオーンが生み出されます。
そして、最後のアイオーン「ソフィア」が過失によって「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神、第一のアルコーン)」が生まれ、彼が世界とアルコーン(支配者)達を創造します。

エイレナイオスの報告はここまでで、その続きは「ヨハネのアポクリュフォン」で知ることができますが、詳細は別ページ(予定)を参照してください。

「ヨハネのアポクリュフォン」は、中期プラトン主義者のアルビノスの否定神学などの影響を受けている点、アイオーンの相互承認を重視する点、旧約の創世記を詳細に反解釈する点、アイオーンに由来する「生命の霊」とアルコーンに由来する「模倣の霊」を対比し、セツの子孫が前者の側にあるとする点にも特徴があります。


アダムの第三子のセツ(セト)の子孫であるとするのが「セツ派」です。
この派は、セツに救済者としての役割を与えています。

また、「フォーステール(光輝くもの)」という救世主が語られますが、ここにミトラ(ミトラス)神の影響も認められます。

ナグ・ハマディ文書の中の「アダムの黙示録」、「ヨハネのアポクリュフォン」をはじめ、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」という神秘主義哲学的傾向があると言われる文書も含め、10文書がこの派の文書とされます。

*「ヨハネのアポクリュフォン」については、該当ページをご参照ください。
*「ゾーストリアノス」、「マルサネース」については、該当ページをご参照ください。


「オフィス派(ナハシュ派)」は、旧約の「創世記」で悪として描かれる「蛇」を、善なる存在として重視する派です。

その神話では、最初に「深淵」に「第一の光(万物の父、第一の人間)」があり、それから「エンノイア(人の子、第二の人間)」、「聖霊(第一の女)」が生まれ、それらが「キリスト(第三の人間)」を生みました。

一方、その下方には「水」、「闇」、「奈落」、「混沌」がありました。
つまり、最初から二元論的です。

そして、「第一の女」から溢れ出た「光の残余」である「ソフィア」が下界に堕ち、その息子の「ヤルダバオト」が人間「アダム」を作ります。

「アダム」の中には「光の残余」がありますが、「ヤルダバオト」はそれを取り戻すためにイブを作ります。
「ソフィア」は阻止して「光の残余」を集めようとします。
つまり、善なる「ソフィア」の目的は人間の中に堕ちた「光の残余」を集めることであり、生殖はその妨害です。

「光(力)」の奪還と生殖による妨害の考え方は、「ヨハネのアポクリュフォン」やマニ教と類似します。

「ヤルダバオト」は自分が唯一の神であると語りますが、「ソフィア」は「蛇」をして「知恵の実」をアダムとイブに食べさせ、「第一の人間」の存在を知ります。
また、「ソフィア」は、「第一の女」に頼んで「キリスト」を送ってもらい、人間を救い、「光の残余」をすべて集めます。

つまり、旧約の神(ヤーヴェ)は悪神「ヤルダバオト」であって、「蛇」はアダムとイブを彼から解放したのです。
また、イエス・キリストも蛇と似て、人間に「生命の実」を食べさせるために現われるのです。
このような旧約の反解釈は、「ヨハネのアポクリュフォン」にもありますが、作者はヘレニズム化したユダヤ人と推測されます。


<後期の諸派>

この節では、2C中・後半に生まれた、キリスト教系グノーシス主義の後期の3派について紹介します。
「ヴァレンティノス派」、「バシレイデース派」、「マルキオン派」です。


グノーシス主義の中でも、最も複雑で体系的な世界観を発展させたのは、2C中葉のアレキサンドリアの「ヴァレンティノス派」です。

ヴァレンティノスはアレキサンドリアでグノーシス派に触れ、その後、ローマの教会で活動しました。
この派は「アナトリア派(東方派)」と「イタリア派」に分裂しました。
「イタリア派」に属するプトレマイオスは、ヴァレンティノス派の思想をさらに発展させました。

また、ヴァレンティノス派では、5つの秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」があり、これらのうちのいくつかは臨終の儀式や葬儀としても行われたようです。

ヴァレンティノス派の思想には、バルベーロー派やオフィス派からの影響が考えられ、そして、そこにプラトン主義哲学の要素が付け加えられています。

ヴァレンティノス派の特徴は、アイオーンを15組の30とした、「ソフィア」と「下なるソフィア」を分けた、三階層論(プレローマ/中間世界/物質世界)で考えたことなどです。

原初に、「プロパテール(原父)」、あるいは「知られざる父」、「アレートス(発言しえざる者)」、「ビュトス(深淵)」と、「シゲー(沈黙)」、あるいは「カリス(恵み)」、「エンノイア(思考)」の2つの存在がありました。
これらから、アイオーンが生まれ、「8のもの」、「10のもの」、「12のもの」、合わせて30となりました。

そして、30番目の最後のアイオーンの「ソフィア」が、「知られざる父」を知ろうとして転落しました。
「ソフィア」を救うため、「キリスト」と「聖霊」が生み出され、「ソフィア」をプレローマに戻しました。
この時、「ソフィア」の知ろうとした「エンテューメーシス(欲求)」が切り離されて、「下なるソフィア」とも呼ばれる「アカモート(知恵)」として残りました。

そして、「アカモート」の「浄化」から「プネウマ(霊)」、「後悔」から「魂」、「パトス(情熱)」から物質世界を作る元素が生まれました。
「アカモート」は、7天を作り、自分は第8天(中間世界、恒星天)に場所を占めました。

そして、天使達が人間の「アダム」を作りましたが、「原父」が秘かに、「アダム」の中に「種子」を入れました。

人間の最終的な救済、あるいは、終末には、「ソーテール」の従者たる天使達(花婿)に花嫁として結ばれます。
この聖婚を「花嫁の部屋」と呼びます。
ヴァレンティノス派は、秘儀としても「花嫁の部屋」を行っていましたが、その実態に関してははっきりとは分かっていません。
聖なる接吻を行ったとか、葬儀として行ったという説もあります。

また、終末には、「アカモート」はプレローマ界に戻り、「デミウルゴス」は「中間の場所」に移動し、物質世界は発火して燃え尽くされ、無に帰ります。


プトレマイオスは、ヴァレンティノスの思想を継承しながら、三階層論を思想全体に厳密に適応して体系化し、「救世主」とその救済行為に関してもそれらが持つ三層をきっちりと分離して理論化しました。

また、救済を「存在における形成」と「認識における形成」の2段階が必要としました。

*プトレマイオス派に関しては、「プトレマイオス派グノーシス主義」をご参照ください。


アレキサンドリアで活動した「バシレイデース派」の思想に関しては、まったく異なる2種類の伝承が伝えられています。
この派には、かなり異なる複数の派、思想傾向があった可能性があります。
ここでは、他の一般のグノーシス主義とは大きく異なる説を伝えるヒッポリュトス版を紹介します。

原初存在の「無」である「存在しない神」が、下方の物質世界に「種子」を置き、これから自動的に宇宙が生成します。
至高神の宇宙への関与が最小限にされていて、発想としてはインドのサーンキヤ哲学に似ています。

「種子」からは、まず、3つ「子性」が生まれます。
「第一の子性」は、軽微で鈍重な要素を含まないので、すぐに「存在しない神」のもとに戻ります。
「第二の子性」は、少し鈍重な要素を含むので、自力では戻れず、「聖霊」が分離されてこれに運んでもらいます。
ですが、聖霊は「存在しない神」のもとにまでは至れず、「境界(蒼穹)」になります。
「第三の子性」は、鈍重な要素を多く含むため、浄化を必要とし、下の世界に留まります。
これが人間の中の神性です。

「種子」からは、もう一方で、「恒星天の支配者」とその子、「惑星天の支配者」とその子、「デミウルゴス」ら、細かく見れば365天が生まれます。

上方と下方の「境界」から、神性に対する知識・憧憬である「福音」が生まれて、下方にもたらします。
そして、イエスにまで降下すると、その神性(第三の子性)を点火し、イエスは受難を受けて、神性が上昇します。
やがて、イエスを模範として、他の神性も上昇し、最終的にはすべてが上昇します。

このように、この派の神話は、上から下への流出プロセスよりも、下から上への帰還プロセスに重点が置かれているのが特徴です。


マルキオンは、ローマのキリスト教教会で活動した人物です。
彼は、固有の神話を持ちませんでした。

彼は、至高の神とは無関係な造物主が人間を作ったとする点で、反宇宙論的なグノーシス主義の特徴を持ちます。
そして、旧約の神と新約の神を対立者とします。
そのため、律法を否定しますが、厳格な禁欲主義を主張します。

また、マルキオンは、キリスト教の中で始めて正典を選びました。
それは「ルカ福音書」とパウロ書簡からなり、旧約は拒否されました。
そして、彼は、自身の教会を設立して布教を行いました。

ですが、マルキオンは、人間の霊魂には神性がないと主張した点で、非グノーシス主義、非神秘主義です。
そのため、彼は、認識(グノーシス)よりも信仰を重視します。


*ヘルメス文書の「ポイマンドレース」にもグノーシス主義的傾向があります。
「デミウルゴス」によって作られた惑星の霊を「アルコーン(支配者)」と呼び、その支配を「宿命」と呼ぶ点に、反宇宙論的傾向が見られます。
ですが、その傾向はそれほど強くはありません。

*バビロニア系の「マニ教」に関しても、現世否定的な特徴などから、グノーシス主義に入れられることがあります。
ですが、マニ教の宇宙論は反宇宙論ではないため、当サイトではグノーシス主義に分類しません。

グノーシス主義の思想


ローマ時代には、アレキサンドリアやエルサレムをはじめとして、多くの都市、民族がローマに従属したこともあって、反ローマ的、反体制的な神秘主義思想であるグノーシス主義が生まれました。

このページでは、グノーシス主義の思想、神話などの特徴を総論としてまとめます。
グノーシス派の思想・神話は多様ですので、あくまでも、典型的と思える例を中心にします。
個々の詳細に関しては、別ページをご参照ください。


<グノーシス主義の反宇宙論と三層論>

ローマはヘレニズム世界の宇宙論を共有していて、天球世界は聖なるものという星辰信仰を持っていました。
そして、地上世界のローマによる秩序は、天球世界が保証していました。

グノーシス主義は、この宇宙、つまり、ローマが崇拝する星の世界やローマが支配する地上世界は、悪神によって創造されたとする「反宇宙論」の神話を最大の特徴としました。

そのため、至高神と宇宙を作った造物主(創造神)を区別して、後者を悪神、あるいは、劣った存在とします。
さらに、造物主から生まれた恒星天や惑星天の神々、天使も「支配者(アルコーン)」と呼ばれ、悪神とされました。

造物主は「デミウルゴス」などと呼ばれるので、この言葉と2神の区別は直接的にはプラトンに由来するものでしょう。
ただ、イラン系のズルワン主義でも、至高神は「ズルワン」、造物主は「ミトラ」として区別しています。
また、旧約の神(ヤーヴェ)も造物主として、悪神として解釈されました。


グノーシス主義の多くは、基本的に、プラトン主義に由来するヘレニズム共有の宇宙論を基にしていて、存在を3階層で考えます。
至高の「神の世界(プレローマ)」、「中間世界」、「物質世界」です。
ここには、「霊」、「魂」、「肉体」がほぼ対応します。

派によって異なりますが、第8天=恒星天が「中間世界」で、惑星天の最上層の第7天に「デミウルゴス」がいると考えます。
第8天に「デミウルゴス」がいて、第9天を「中間世界」とすることもあります。

そして、人間の霊魂が救済されるには、死後、あるいは終末に、悪が支配する惑星天や恒星天を通り抜けて、神の領域にまで戻る必要があります。


<グノーシス主義の多様性と折衷主義>

グノーシス主義は、1C中頃に、シリア内陸部北部からクルディスタン西部にかけての地域で、ヘレニズム的なズルワン主義の影響のもとに生まれました。
そして、シリア、パレスチナの沿岸地帯を通って、2Cにはアレキサンドリアを経て、ローマに至りました。
この間、ヘレニズム化したユダヤ教の秘教的な異端派が大きな役割を果たしました。

ですが、グノーシス主義はユダヤ教だけでなくて、キリスト教、ヘルメス主義、そしてイラン系の宗教など、宗教や民族の枠を越えて広がりました。
グノーシス主義は、宗教を越えた思想潮流で、本来的にハイブリッドな特徴を持ち、様々な地方で様々な派が生れました。
キリスト教の文献では、グノーシス主義には60ほどの派があったと記録されています。

そのため、グノーシス主義は、思想的に多様であり、様々に分類されます。
例えば、宗教傾向で分けて、キリスト教系、ユダヤ教系、イラン系、ヘルメス主義系…。
あるいは、二元論的なもの(イラン系)と一元論的なもの(シリア・エジプト系)。
あるいは、神話論的なものと神秘哲学的なもの。
また、堕落者や救済者の別などの他の特徴からの分類もなされます。

ちなみに、当時のキリスト教には様々な思想を信じる集団がいましたが、後に主流派になる者達にとっては、グノーシス主義は身内にいる最大の敵対者でした。
そして、先に思想を確立した彼らに対する反駁を通して、キリスト教の教義が作られていきました。


<女性的原理の堕落と人間の救済>

悪神による宇宙の創造の原因は、多くは神的な女性的原理の過失・堕落に由来します。
具体的には、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「バルベーロー(大いなる流出?)」などです。
ただ、堕落するのは、「ロゴス(言葉)」のような男性的原理の場合もあります。

グノーシス主義に先行する神的存在の堕落の神話には、ゾロアスター教やズルワン=ミトラ教の「原人間」の堕落があります。
あるいは、秘儀宗教の死して復活する神や、冥界に下ったり身を隠す女神、例えば、イシスやデルメル、ペルセポネー、月女神の神話があります。
堕落する存在が「ソフィア(知恵)」であるという点では、ユダヤ教の「知恵文学」の影響が考えられますが、彼女は堕落しません。


また、グノーシス主義は、人間の「魂」、「肉体」は悪神によって作られたとしますが、霊魂の奥には、この堕落した女性的原理、あるいは、至高神に由来する神的な「霊(プシュケー)」、「霊的胎児」、「光の種子」、「光の残余」が存在しています。

そして、人間は、これを見出すことで救われます。
「グノーシス(認識・知識)」とは、この霊魂の本来的な神性とその由来の認識のことです。
そして、それには「救済者」による啓示が必要とされます。

この人間の霊魂の中の神性を認識して救われるという考えは、秘儀宗教やプラトン主義、ズルワン主義の考えを受け継いだものでしょう。

ただ、プラトン主義は地上世界の中にある神的なものから出発して霊的な世界を認識することで霊魂が救われると考えます。
ですが、グノーシス主義の「反宇宙論」は地上世界を悪と考えたので、「霊」自身を認識することで救われる点で異なります。


このように、グノーシス主義は、隠された神性を認識する秘教的な思想、神秘主義思想であるため、当然、閉鎖的な集団という性質を持ちました。

そして、様々な秘儀を行っていました。
ヴァレンティノス派では、5種類の秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」を行っていたようです。

また、グノーシス主義者は、その「反宇宙論」的な世界観の結果として、現世否定的で、物質的な欲望の一切を否定する禁欲的な傾向を持っていました。

ですがその一方で、地上的な道徳を否定して、奔放主義の傾向も持つ派もありました。
ローマの法律であれ、ユダヤの律法であれ、地上の秩序を定めたものは悪神だからです。


<流出と堕落の神話とパンテオン>

グノーシス主義の諸派は、その派によって様々なパンテオンと神話を持っていました。

ですが、共通する特徴としては、至高存在からの流出、創造を、抽象的な観念で表現された男性的原理と女性的原理の対(カップル)になった系譜として語ることです。
ただ、同時に、これらの存在は両性具有とされます。
これらの神的存在は、「アイオーン(時間・世代・永遠なるもの)」と呼ばれます。


初期の最も単純な神話では、まず、「父」なる存在と「母」なる存在の2原理だけでした。

父なる存在は、「原父(プロパテール)」、「名づけえない父」、「万物の父」、「見えざる霊」、「知られざる存在」、「第一の人間」、「存在しない神」などと呼ばれました。

この「父」の本質的な属性としては、「限定されない」、「光」、「力」、「生命」、「至福」などがあります。

「母」なる存在は、「父」からの最初の流出であり、「バルベーロー(大いなる流出)」、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「プロノイア(摂理)」、「処女なる霊」、「第一の女」、「第二の人間」などと呼ばれました。


ですが、アイオーンのカップルは、4組、あるいは、5組に増えました。
さらに、30になり、場合によっては365になりました。
この複雑化は、ヘレニズム期に交流した様々の宗教が語る神の性質を次々と神格として取り入れて体系化した結果でしょう。

アイオーンは、派によって異なりますが、男性的原理のアイオーンには、「ヌース(叡智)」、「ロゴス(言葉)」、「独り子(モノゲネース)」、「キリスト(注油された者)」、「アントロポス(原人間)」などがあります。 
また、女性的原理のアイオーンには、上記以外に、「アレーテイア(真理)」、「ゾーエー(生命)」、「エクレーシア(教会)」などがあります。

これらの神的存在の世界は、「プレローマ(充足)」と呼ばれます。
アイオーン達が、男女の対になった完全な状態が、「充足」です。
そして、過失や堕落などの問題が起こって、対の状態でなくなった状態が「欠乏」です。


「ソフィア」や「エンノイア」などが「欠乏」の状態が原因になって、「プロレーマ」より下の世界が生まれます。
「欠乏」の理由は、カップルの相手がいない、相手を拒否する、認識をしようとするが承認を得ていない、認識できない父を認識しようとした、などです。

「欠乏」の結果、その存在は、「形」を失うなどして、プレローマから堕落します。
ですが、「キリスト」などによって救われ、プレローマに復帰しますが、「中間世界」にまでしか復帰できない場合もあります。


そして、彼女の堕落が原因で、下の世界の、劣った悪なる存在である「アルコーン(支配者)」が生まれます。
宇宙を作る「造物主」や、12宮(恒星天)、7惑星天などの存在です。

「造物主」は「デミウルゴス(職人)」、「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神)」、あるいは、「アブラクサス」などと表現されます。
彼は、自分が唯一の神であるとうぬぼれます。


<人間と救済の神話>

「デミウルゴス」やアルコーン達は、「人間(アダム)」の魂や肉体を作ります。

ですが、「アダム」は動けず、父や堕落した女性的原理がこれを憐れんで、あるいは、愛して、彼らに由来する「霊」を「アダム」の中に入れます。
女性的原理がアルコーンによって閉じ込められたとする場合もあります。
この「霊」は、「光の種子」、「光の残余」、「光の摂理」、「霊的胎児」、「力」などと呼ばれます。

救済は、この「霊(光)」のプレローマへの回収・帰還であり、アルコーン達はその妨害者となります。


ユダヤ系のグノーシス種子は、旧約の創世記の反解釈を行っている場合が多いのですが、以下のような神話が語られます。

「デミウルゴス」は、「アダム」をエデン(偽のエデン)に閉じ込めます。
そして、イブを作り、アダムに生殖を教えることによって、「光」の回収を妨害します。
子孫を残すことは、「光」が地上に残り続けることです。

また、「デミウルゴス」が食べることを禁じた「知恵の実」や「生命の実」は、「グノーシス」を与えるものです。

エデンには、啓示者・救済者が「人間」に「グノーシス」を与えるために現れ、その結果、「デミウルゴス」によってエデンから追放されます。


救済者は、キリスト教グノーシス主義では、アイオーンとしては「キリスト」、肉体を持った存在としては「イエス」です。

他の宗派では、単に「ソーテール(救済者)」と呼ばれたり、あるいは、「フォーステール(光輝く者)」、「モノゲネース(独り子)」、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」などと呼ばれたりします。
あるいは、「ソフィア」などの女性原理やアダムの三男の「セツ(セト)」がその役を果たす場合もあります。

終末には、すべての「光」が回収され、「人間」の霊魂はプロレーマに帰還します。
人間は天使とカップルになり、あるいは、両性具有になり、完全な姿に戻ります。
そして、物質世界も消滅します。


<哲学的体系化>

「ヨハネのアポクリュフォン」や、ヴァレンティノス派やプトレマイオス派のグノーシス主義は、プラトン主義やストア派などの哲学を取り入れて、神話に哲学的な枠組みを与えるようになりました。

また、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」のように、より神秘主義的な表現や哲学化を進めた文書もあります。

これらのグノーシス主義は、主にプラトン主義(ギリシャ時代のプラトン主義、中期プラトン主義)の影響を受けましが、同時に、平行的に発展したり(中期プラトン主義)、影響を与えたりした(新プラトン主義)部分もありました。


中期プラトン主義者のアルビノスは、至高存在に対して「語り得ぬもの」などと否定的、否定神学的な表現をしました。
上記の文書・派が、至高神を、「名付けえない」、「知り得ない」、「見えざる」というような否定的に表現するようになったのは、この影響を受けているのでしょう。

また、アルビノスは、「独り子」の「ヌース」だけが「語りえぬ父」を認識できると考えました。
ヴァレンティノス派、プトレマイオス派でも、同様です。


「ゾーストリアノス」は、至高存在の「見えざる霊」を、「存在/至福/生命」という「三重の力を持つ者」とされます。
一方、プラトン主義の「ヌース」の「トリアス(三性)」は、「存在/生命/知性」とされます。


また、グノーシス主義は、至高の2者を「父」、「母」、そこから生まれるアイオーンを「子」と表現します。
これは、プラトン主義にも言えることです。

プラトンの創造神話では、「イデア」と「コーラ(乳母)」から自然(物質世界)が生まれますが、中期プラトン主義者のプルタルコスは、この三者を「父」、「母」、「子」として捉えます。
プラトンの「不文の教説」では、この関係が、最高原理が「一」と「不定の二」でこれらから「イデア」が生まれる形になります。

プラトン主義は、父性・男性的原理を「形相性」、母性・女性原理を「質料性」として対比させています。
グノーシス主義でも、男性的原理の救済者は「形づくる」存在で、女性的原理の堕落者は「形を失う」存在です。


また、上記のグノーシス主義では、原初の流出を認識論的に語ります。
つまり、流出的創造を認識プロセスとして、主客の分離、形象化(像化)として捉えます。
これは、プラトン主義の考え方と似ていますが、合理的、理性的な認識ではなく、直観的な認識でしょう。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、「父」が自己認識して「バルベーロー」=「プロノイア(思考)」を「光の似像」として流出します。
そして、「プロノイア」は「父」を振り返って「子」を生みます。

ギリシャ期プラトン主義のクセノクラテスにおいては、至高存在の「一」は、自らを観照する存在です。
新プラトン主義のプロティノスは、「一者」が一種の自己認識をする形で「ヌース」を生み、「ヌース」は「一者」を認識することで魂を生みます。

両者ともに流出・創造が、「自己認識」と「至高者の認識」で行われます。


プトレマイオス派では、救済は形作ることでなされますが、これを「存在において」と「認識において」の2段階が必要とします。
そして、カップルになることも求められますが、これは一種の相互認識とも考えられます。

プロティノスは、「ヌース」が、「一者(上位存在)の認識」と「自己認識」、つまり、「像を作る」ことで形づくられることと、その「像を認識する」ことの2段階で生まれるとしました。
また、「ヌース」が作る像である諸イデアは、すべてが互いに映し合う関係にあり、つまり、「ヌース」は相互に認識し合います。


プラトン主義は、世界を「イデア(ヌース)界/魂/物質界」の3階層で考えます。

ヴァレンティノス派、そして、プトレマイオス派では、この3階層を徹底していきます。
宇宙論では「プレローマ/中間世界/物質世界」、人間の要素は「霊/魂/体」、堕落者は「ソフィア/アカマート/パトス」、救済者は「キリスト/ソーテール/イエス」というように3階層化しました。

また、「ヨハネのアポクリュフォン」などでは、「プロノイア(摂理)」が3階層化しました。
最初の女性原理の、下位のアイオーンの、アルコーンの配下の、3つです。
これは、中期プラトン主義が3種類の「プロノイア」を区別することの影響です。



*「ヨハネのアポクリュフォン」もご参照ください。
*ヴァレンティノス派については「グノーシス主義の潮流と諸派」をご参照ください。
*「プトレマイオス派グノーシス主義」もご参照ください。
*「ゾーストリアノスとマルサネース」もご参照ください。


秘儀宗教としてのキリスト教


「死して復活する救済の神」というキリスト教のイエス像は、ユダヤ的伝統には存在せず、そこにはオリエント・ギリシャの秘儀宗教からの影響もあったと推測されます。

キリスト教は信仰だけではなく、「洗礼」と「聖餐」という秘儀(秘跡)を行うことによって救われると考えましたが、ここにも秘儀宗教の影響を考えることができます。

ですが、正典福音書も含めて、福音書にはこの2つの秘儀以外にも他の秘儀を明記したり、ほのめかしたりするものがあります。

例えば、正典ではありませんが、キリスト教グノーシス主義のヴァレンティノス派と思われる『フィリポ福音書』は、「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」という5つの儀式をあげます。

初期のキリスト教の中には、秘儀宗教やグノーシス主義の影響を受けた秘教的集団があったことは確かです。


<洗礼と聖餐>

キリスト教の、聖水を振り掛ける「洗礼」の秘跡は、直接的にはユダヤ系のクムラン教団や洗礼者ヨハネに由来しているでしょう。
「洗礼」は一種のイニシエーションですが、それは不死性と復活の霊を与えるものです。
ですが、洗礼者ヨハネの流水に浸かる一度きりの洗礼の方法は、秘儀宗教が行っていた方法でもありました。

パンとワインの「聖餐」の秘跡は、直接的にはクムラン教団に由来するのかもしれませんが、その本来の意味は、ゾロアスター教に由来する終末時に永遠の生命を得る饗宴の先取りです。
ですが、パンとワインをイエス(死して復活する神)の肉と血と見なすという見方は、秘儀宗教の思想で、その本質は、神への一体化、神の受難の追体験です。


<復活儀礼と塗油>

4つの正典福音書に書かれる「塗油(注油)」にも、秘儀宗教の影響を読み取ることができます。

細かい違いはありますが、正典福音書ではベタニアのマリアがイエスに「頭に注油」、もしくは「足に塗油」します。
男性の弟子達はこれらの行為の意味を理解できませんが、イエスはこれが「埋葬の準備」としての重要な行為であると述べます。

ユダヤ語の「メシア」とギリシャ語の「キリスト」は「注油(塗油)された者」という意味です。
注油する者は一介の女性ではありえません。
キリスト教グノーシス主義では、至高神が独り子に「塗油」してキリストにします。

足への「塗油」はユダヤにおいては、埋葬の習慣です。
ですが、ベタニアのマリアはイエスが生きているうちに行っています。

グノーシス主義では、葬儀においても「塗油(注油)」が行われましたが、それは神の元に戻るためのものでした。

エジプトでは「塗油」は復活への呪術であって、イシス女神がオシリス神を復活させた神話に由来します。

ですから、イエスをめぐる「注油」や「塗油」の背景には、女性が司祭的な役割を行う復活の秘儀の観念があるのではないでしょうか。

正典福音書では、男性の弟子ではなくマグダラのマリアら数人の女性だけがイエスの十字架上の死と埋葬に立ち会います。
そして、彼女は復活したイエスを最初に目撃します。

この「死と復活」は、ベタニアのマリアの「塗油」と一連の意味を持っているのでしょう。

つまり、マリア達は、イシスらエジプトの女神がオシリスに対して行った死と復活を司る秘儀的な女性司祭の役割を、イエスに対して行ったと解釈できるのです。

エジプトではイシスとネフティスという2人の女神が死者の頭側と足側に立ち、死者は彼女らによってオシリスとして復活します。

『ルカ福音書』では「輝く衣の2人」、『ヨハネ福音書』では「白衣の2人の天使」が墓場のイエスの側に登場し、後者の2人の天使もイエスの遺体の頭側と足側に立ちます。

これら福音書に登場する2人(の天使)の意味は、女性司祭の役割を果たした「マグダラのマリア」ら2人の女性に降りた女神イシスとネフティスとして解釈することができます。

ですが、『マルコ福音書』では「白衣の若者」、『マタイ福音書』では「白衣の天使」が一人だけで登場します。
秘儀宗教的な解釈では、これらは復活した神、霊魂の本来的な神性の象徴で、「若者(子供)」というのは多くのオリエントの秘儀宗教の復活する神の性質と共通します。


<インナー・サークル>

イエスの最初の弟子達が持っていたと推測される語録福音書「Q」によれば、イエスの教えはギリシャ哲学のキュニコス派の思想に近いもので、宗教ですらありません。
イエスが秘儀的な思想を持っていて、一般信者と別に、一部の秘儀伝授を受けたインナー・サークルの弟子達がいた証拠はありません。

ですが、その一方で、このように正典福音書にも秘儀宗教の影響があるので、少なくとも後の信者達の間には、秘教的に解釈した者がいたことは確かです。
正典福音書の著者が意図して創作したのか、他の資料から取り込んだのかは分かりませんし、その意味をどれだけ理解していたかも分かりません。

ですが、インナー・サークルのメンバーとされたのは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、そしてサロメ、ラザロ、トマスらであって、ペテロ、ヤコブ、マタイなどのキリスト教教会が権威の源泉とした人物や正典福音書の著者達ではありません。

秘教的な信者からすれば、イエスの十字架上の死と復活は、秘儀宗教が秘儀として上演してきた儀式を、公開して現実に実行したものです。
そして、イエスとインナー・サークルの弟子たちが、これを仕組んだのです。


<聖婚儀礼と花嫁の部屋>

正典からはずされたグノーシス主義系の『トマス福音書』ではサロメが、『フィリポ福音書』や『マリア福音書』ではマグダラのマリアが、イエスの性的パートナーであるとほのめかし、また、「花嫁の部屋」と呼ばれる秘儀についても書いています。
これは、単なる性的なパートナーではなく、「聖婚」に関わるような秘儀的なパートナーという意味です。

ヘレニズム期のオリエント系の女神の神殿には、女神に仕えその化身とされる神殿付属の「聖娼」がいました。
彼女達は一種の女性司祭であって男性信者に「塗油」と性的な儀式を行うことによって、女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施しました。

秘儀宗教的には、女性の性的パートナーは、女性司祭として「聖婚」の儀礼によって霊性を与える役割です。

その逆に、キリスト教グノーシス主義では、女性は堕天して人間の中に堕ちた神性である「ソフィア(智慧)」の象徴であり、「娼婦」とも形容されます。
そして、イエスは、それを啓示して救う存在です。

キリスト教からグノーシス主義の始祖とされるシモン・マゴスは娼婦ヘレナを連れていましたが、この二人はこの関係にあります。

ヴァレンティノス派グノーシス主義が行っていたとされる「花嫁の部屋」の秘儀は、どのようなものか分かりません。

ですが、神話的には、人間の霊魂が、その本来的な神性への認識を得て、神の世界(プレローマ)に戻り、天使とカップルになって一体となることを意味します。
これは、両性具有的存在に戻ることでもあります。

性的儀礼や、接吻儀礼だった可能性もありますが、葬儀として行われたようです。


ですが、いずれにせよ、神的な女性原理を顕現・復活させる秘儀であるという点で、本質的には同じです。
ですから、イエスに対してマグダラのマリアらが行った「塗油」は「聖婚」と等価です。


マグダラのマリアは、女性蔑視の強い正統派のキリスト教会から逃れて、南フランス地方へと伝道したという伝説があります。
そうでないとしても、実際にこの地に、マグダラのマリアを信仰する一派が存在しました。
この派は、イシスなどのオリエントの女神を受け継ぐ「黒い聖母像」を持つという特徴を持っています。