ユダヤ教のヘレニズム化と女神信仰


ユダヤ教は、バビロン捕囚から、バビロニアのペルシャ支配、ヘレニズム期にかけて、バビロニア、ペルシャ、エジプト、ギリシャなどの様々な宗教の影響を受けました。

ユダヤ教は、本来、女性原理を否定的に捉える宗教でしたが、このヘレニズム化の過程で、オリエントの女神信仰の影響を受けた神話や、ペルシャ由来の終末論の影響を受けた神話が生まれました。
そして、秘教化した集団も生まれました。


<女性原理を否定的に見るユダヤ教神話>

旧約聖書の「創世紀」では、アダムの肋骨から「女」を作ったと語られます。
これは、女性が男性よりも下位の存在であることを表現しています。

また、エヴァは、蛇の誘惑によって神の命令を破り、知恵の実を食べ、それをアダムにも渡したため、人間の失楽園の原因となりました。
ここでは、女性は否定的な存在として描かれます。

また、旧約には、「神の子」と表現されている「グリゴリ」という名の堕落天使の一族が存在して、人間の女性との間に「ネフィリム」という種族の様々な巨人達を生んだという神話があります。
ここでも、女性は、否定的な存在として描かれます。

このように、ユダヤ教には、女性(女性原理)を否定的に捉える傾向が強くありました。


<神的な女性原理>

ユダヤ教が女性原理を否定的に捉え、女神信仰を持たなかったことは、周りのオリエントの諸宗教と差別化された特徴です。
出エジプトの後にパレスチナに至ってからは、地元のカナン人の豊穣の地母神のアナトを信仰する農耕的な宗教との争いも経験しています。

ですが、徐々に、それらの影響を受けてか、神的な女性原理を認めるようになりました。
ユダヤ語では女性名詞であり、人格化されて考えられた「聖霊(ルーアハ・ハコーデシュ)」、「知恵(ホクマー)」、「住居(シェキナー)」などです。

「聖霊」は人間に霊感や生命を与える存在です。
キリスト教は、後に、「聖霊」を男性原理にして取り入れました。
キリスト教もまた、女性原理を否定的に捉える宗教です。

「知恵(ホクマー)」に関する神話は、旧約の「箴言(ソロモン王の知恵)」や外典の「知恵の書」などの「知恵文学」と呼ばれる書で語られます。

「知恵」の観念には各地のオリエントの女神(イシス、マアト、アナーヒター、アシェラ)の影響が推測されます。
また逆に、グノーシス主義の「知恵(ソフィア)」や、キリスト教の「言葉(ロゴス)」に影響を与えたと推測されます。

この「知恵」は宇宙の創造以前から神のそばにいて、神の光を反映する鏡であり、宇宙創造の原型となった存在です。
と同時に、宇宙に内在してその秩序を司る存在です。
そして、また、「知恵」は預言者を導き、人々に語りかけます。

「知恵」は理性的な知恵ではなくて霊的・直観的な知恵なので、「善悪を知る樹」よりも「生命の樹」に相当する存在で、人に生命を、霊を与えます。

この知恵文学の「知恵」は、グノーシス主義の「知恵」のようには堕落しません。
逆に、社会が堕落した時、社会から離れて天に戻ってしまいます。

「知恵」は後に、ユダヤ神秘主義カバラのセフィロートの一つとしれ取り入れられました。


「シェキナー」は、「住居」や「輝き」という性質を持っています。
これは、「知恵」や「聖霊」と似た神的女性原理であり、神の回りにあると共に宇宙に遍在します。

ですが、人が悪の行為を行ったり、社会が無秩序になったりした時、遠ざかってしいます。
一説によれば、「シェキナー」はもともと地上にいましたが、アダム以降の人間が罪を犯すにしたがって天高く昇っていってしまったと言います。

カバラでは、逆に、この「シェキナー」は、もともと神と一体の存在でしたが、神から分離されて堕落してしまったので、これを再度、神と合一させなければいけないと考えます。
ここには、グノーシス主義の「ソフィア」の影響があるかもしれません。


<ユダヤ教のヘレニズム的秘教化>

ユダヤ人はバビロニアによる捕囚され、バビロニアがペルシャの支配可下に入って以降、おそらくゾロアスター教やズルワン主義の影響を受けて、善悪2元論と終末論の思想を取り入れました。

そして、それまでは人間の信仰心を試す天使的存在だった「サタン」が、神に対立する「悪神」と考えられるようになりました。
また、霊的な体験の中で見た終末のヴィジョンなどを語る「黙示録」が現われました。

終末にはユダヤ人だけでなくて全人類が救われるとする考えも現われて、後のキリスト教が生まれる土台となりました。

また、アレキサンダー以降のヘレニズム期になると、秘儀宗教やギリシャ哲学などの影響を受けて、ヘレニズム化した人々も生まれました。

こうして、終末論的な独自の世界観を持って伝統的なユダヤ社会と離れた集団がいくつか生まれました。

その中には、死海写本で知られるようになった「クムラン教団」や「洗礼者ヨハネの教団」、そして、グノーシス主義的な傾向を持った「シモンの教団」や「マンダ教」などがあります。

キリスト教が禁欲的でもなく、万人に向かって説かれたのに対して、これらの集団は、禁欲的な隠遁生活を送り、その奥義を一部の人間にしか明かさないという秘教的な傾向を持っていました。

彼らは「ナジール(ナザレ)人」と呼ばれましたが、これは「秘儀を守る者」といった意味です。
イエスが「ナザレのイエス」と呼ばれたのも、ナザレ地方出身という意味ではなく、この意味だったのかもしれません。

エジプトのアマルナ革命とユダヤ教の起源


このページでは、ヘブライ語学者でラビの家系に生まれたメソド・サバとロジェ・サバが、「出エジプト記の秘密」(2000)で説いた、ユダヤ教の起源に関する説を紹介します。

エジプトの当時の記録には、ユダヤ人に関する記述は一切なく、旧約が語る出エジプトのような歴史的事実があったとは考えられません。

かつて、精神分析学のジークムント・フロイトが、モーゼはエジプト人であり、ユダヤ教はアテン信仰だったと推測しました。

サバの主張は、これをアラム語の旧約聖書(公認の最古の翻訳聖書)とエジプトの資料を根拠として深めたものです。
サバは、ユダヤ教とユダヤ人の起源が、アテン信仰とその神官・信者であり、反宗教改革によって追放されたのが出エジプトの実態であったと説きます。


<アマルナ革命>

古代エジプトは伝統的に多神教ですが、新王国第18王朝の第10代王のアメンホテプ4世(=アクエンアテン=ネフェルペルウラー、BC1353-1336年頃)が、おそらく人類初の一神教的な宗教改革を断行しました。

これは、「アマルナ革命」を呼ばれ、アテン(アトン)神を信仰し、この神に捧げられた都市アケトアテン(現アマルナ)を建設し、首都をここに移転しました。

その背景には、旧都テーベで、強力な権力を持っていたアメン神官の力を削ぎ、アテン神の化身として、王の神聖さを復活させる目的がありました。

アメン(アモン、アムン)神は、当時のエジプトの多神教の中心となる神です。
テーベの主神で、「隠れたる者」の意味であり、男根として表現されることがあり、戦勝を祈願する神でした。

これに対して、アテン神は、もともとマイナーな地方の太陽神であり、太陽円盤をかぶる隼の姿で表現され、平和と恵みの神とされました。
アマルナ革命以降は、太陽円盤から多数の女性の手を伸ばした太陽光の神として表現されました。

アメンホテプ4世は、自身で大小の「アテン讃歌」を作りました。
ちなみに、これが旧約の「詩編104編」と類似しているとの指摘もあります。

アテン信仰には、王の家族のための宗教という傾向があり、王と王妃だけが直接、この神に接触できました。
ですが、アテン信仰では人間を平等とし、魔術を禁止しました。

また、アマルナ時代の美術は、動・植物などを写実的に表現しました。
そして、従来のエジプトの神殿の至聖所は、屋根のある暗い部屋でしたが、アテン神殿では屋外で太陽光が当たる場所にしました。

このように、アマルナ革命には、当時のエジプトでは考えられないような多数の革命が行われ、そこには進歩的な側面がありました。


ちなみに、アメンホテプ4世の墓は、王家の谷ではなく、アマルナにあります。


<アマルナ王家>

アテン神の信仰は、アメンホテプ3世が重視し、アメンホテプ4世によって一神教化されました。

ちなみに、アメンホテプ3世の時代の改革派のアテン神官に、モーセ(モーゼに似ています)という名の神官がいます。

アテン神を信仰してアマルナを首都としたアメンホテプ4世からアイまでの王は、アマルナ王家を呼ばれ、後に、エジプトの宗教的伝統に反逆したとして王名表から削らました。

ですが、アマルナ王家のエジプトは、平和的な時代です。
それに対して、アメンホテプ三世以前のエジプトは積極的に軍事侵攻をしましたし、アマルナ王家から代わって王となったホルエムヘブも次のラムセス1世も軍人で、以降、王に軍人の属性が生まれした。

アマルナ王家の継承関係は、アメンホテプ4世→スメンクカーラー→ツタンカーメン→アイとされますが、はっきりとは分かりません。

アメンホテプ4世の王妃ネフェルティティは、王と同格なほどの絶大な権力を持ち、一時、共同統治も行ったかもしれません。
彼女の祖父母は、おそらく西アジア出身です。

アメンホテプ4世の後を継いだスメンクカーラーの正体ははっきりせず、普通に考えるとツタンカーメンの兄ですが、ネフェルティティが男性王として名乗った名の可能性も指摘されています。
ちなみに、アマルナ王家は、王族の肖像を両性具有で表現していました。

次のツタンカーメン(BC1342-1324年頃)は、アメンホテプ4世の息子ですが、ツタンカーメンの母は不明です。
ネフェルティティの子には娘しかなかったのです。

ツタンカーメンは、最初、「トゥト・アンク・アテン」を名乗りましたが、これは「アテン神の生きた似像」、つまり、化身という意味です。
ツタンカーメンは、アメン神へ改宗し、同時に、「トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)」に改名しました。

ツタンカーメンには息子がおらず、軍人のホルエムヘブを後継指名していました。

次のアイ(=ケペルケペルウラー、アイは王の父という称号、BC1323-1319年頃)は、アメンホテプ3世の王妃の兄で、ひょっとしたらネフェルティティの父かもしれないと指摘されています。

彼は、ツタンカーメン王の宰相で、アマルナ王家の長老的人物でした。
彼の墓にはアテン讃歌が彫られているので、アテン神と信仰していたのでしょう。
彼は、アテン信仰とアマルナ王家を守るために、ホルエムヘブへの継承をやめさせて、老齢にもかかわらずに無理やり即位したと推測されます。


<反革命と出エジプト>

サバは、アイが、ツタンカーメンにアメン(多神教)信仰への復帰を決意させたと推測しています。
だとすれば、それは止むなくのことであったのでしょう。
もしかしたら、アイは反対した可能性もあるでしょう。

そして、アイは、アテン信者を、アケトアテンからエジプトの辺境の属国であるカナンに移住させました。

移住はアテン神官が率いましたが、モーゼに相当する歴史的人物は記録にありません。
ちなみに、アラム語の旧約には、モーゼをエジプト語で「神の息子」と表現し、ユダヤ人とは書いていません。

サバは、アイがモーゼのモデルの一人だと考えます。
アイはアテン信者の前ではアテン神の化身として振る舞ったはずです。

サバは、他にも旧約の主要人物のモデルを、下記のようにエジプトの王に当てはめています。

・アブラハム:アメンホテプ4世
・ヨセフ  :アイ
・モーゼ  :アイ、19王朝を開いたラムセス1世、


<イスラエルとユダ>

追放されたアテン神官達は、「ヤフウド」と呼ばれ、ユダ族になりました。
一方、他の雑多な信者達は「イスラエル」を作りました。
アラム語の聖書は「ヤフウド」と下層の「イスラエルの子ら」を区別しています。

エジプトでは王は神の化身で、アメンホテプ3世は「ヤフー」と呼ばれ、神=「ヤフー」でした。
これが「ヤフウド」の神の名「ヤーヴェ」の語源になりました。
神の4文字の本来の発音は、「ヤフウ(ヤフウヘ)」でした。

一方、「イスラエルの子ら」の神の名が「イェホヴァ」でした。

ただ、旧約の神の属性には、アテン神の属性はほとんど見られません。
カナン、バビロニアに移って以降、大きく変質したのでしょうか?


<ヘブライ語アルファベットのエジプト宗教由来の意味>

サバによれば、ヘブライ語アルファベットは、フェニキアの22文字のアルファベットのシステムを取り入れたものです。
ですが、各文字はフェニキア文字と似ておらず、ヒエログリフをもとにして作られました。

そして、サバは、エジプトの宗教に基づく各アルファベットの本来の意味を、下記のように解きました。

アレフ :アテン神、アメン神
ベート :世界内の神の内的活動
ギメル :ファラオ 
ダレット:神(アドナイ)
へー  :ファラオの5つの名
ヴァヴ :角のある蛇
ザイン :プタハ神の杖
ヘット :アテンの首都アケト
テット :トート神
ユッド :ピラミッドの中の王
ハフ  :生命力カー、オシリスの王杖
ラメド :王の蛇形記章
メム  :アメンの妻ムウト女神であるハゲワシ
ヌン  :原初の海
サメフ :昼夜循環としての蛇
アイン :王杖を持つプタハ神
べヘイ :神聖な言葉を発するプタハ神の口
ツァディ:アクエンアテン王
コフ  :原初の蛇
レーシュ:ラー神
シン  :葦原
タヴ  :雌牛であるハトホル女神

ヨーロッパの神秘主義者の中には、モーゼがエジプトの秘教を奪って、それがカバラになった、といった説を唱えた人もいましたが、このように、アルファベットの中にもエジプトの宗教の影響があるとすると、その説もまったくの間違いとは言えないのかもしれません。

ですが、3世紀頃のカバラにつながる書「形成の書(セフィール・イエツラー)」に書かれたアルファベットの象徴と比較すると、ほとんど共通する意味は見いだせません。
1500年以上の開きがありますから、その間に失われたのでしょうか。

イエスの思想とキリスト教神話


イエスの実在性や生涯について、キリスト教の福音書など以外には、客観的な歴史的記録は存在しません。

ですが、ドイツ、スイス系の聖書学の成果によって、イエスその人の思想は、ギリシャ哲学の一派の「キュニコス派(犬儒派・犬学派)」の思想に近いものだということが判明しています。
その思想は、一切の社会的な因習などを否定して、必要最小限の生活をするというものです。

ここには、宗教性も神秘主義性もほとんどありません。
ですが、キリスト教の原点を理解することは重要ですので、このテーマを扱います。

キリスト教は、イエスの死後、様々な地域、様々な年代に、様々な人々によって、イエスと使徒に関する伝説や神話が作られて誕生しました。
それらには、ユダヤ教の神話・叙事詩の曲解や、ゾロアスター教の終末論、オリエントの秘儀宗教の影響が感じられます。


<語録福音書Q>

キリスト教の起源になった、ガリラヤで活動したヨシュアという名前のユダヤ人(以下、イエスと表記)は、おそらく存在したのでしょう。

新約聖書にはイエスの物語を記した『マルコ』、『マタイ』、『ルカ』、『ヨハネ』の4つの福音書が収録されています。
ただし、これらのように正典とはされずに、そこから外された福音書はその10倍以上存在します。
それぞれの福音書は書かれた年代、場所、思想が異なります。

最初の3つの正典福音書は内容的に似ていて『共観福音書』と呼ばれます。

また、1945年にはナグハマディで新たに発見された『トマス福音書』は、語録形式の福音書で、正典の福音書以上に古い語録を多く含んでいることが推測されました。

『共観福音書』や『トマス福音書』などを詳細に比較した結果、これらの著者が参考にした古いイエスの語録が存在したことが推測されました。
聖書学者はその失われた福音書を『Q(Q資料)』と名付けました。


さらに研究の発達の結果、『Q』には3つの発展段階『Q1』、『Q2』、『Q3』が考えられるようになりました。
『Q1』は、イエスが活動していたガリラヤの弟子たちが持っていた最初のイエスの語録集で、それが後の福音書の資料となりました。


<イエスの思想>

『Q』では、イエスの復活はもちろん、死についても、奇跡物語についても語られません。
特に、『Q1』は、宗教化される前の、初期(50年代)のイエス運動を反映しているのでしょう。
これがイエスの思想に近いものであると推測するのが合理的です。

最初の弟子たちは、元々、イエスの復活の神話を信じない、非宗教的な弟子の集団でした
ですから、弟子はイエスを「先生」と呼んでいて、救世主や預言者、ましてや神の子や神とは思っていませんでした。

先に書いたように、『Q』の語録が示すイエスの思想は、「キュニコス派」に近いものです。
「キュニコス派」は、ギリシャ哲学の一派で、ストア派がその先駆としている派です。
一切の社会的な因習を否定して、必要最小限な生活しようという思想を持っています。

イエスが生きたヘレニズム時代に特徴的な思想的課題は、諸民族が過去の因習に捉われず、自由な個人として一緒に生活する共同体(=神の国)を探求することでした。

イエスが活動した当時のガリラヤは、ヘレニズム的な国際性を持った都市で、政治的にも宗教的にも権力が存在しない諸国の緩衝的地帯でした。
つまり、ガリラヤは、ヘレニズム的な自由が最も追求可能な場所でした。
「キュニコス派の教師」という『Q1』のイエス像は、このガリラヤの状況にマッチします。

『Q2』、『Q3』は、イエス運動がガリラヤから外に出る過程で変質したものです。
他の福音書やキリスト教の神話も、ガリラヤ以外の地で生まれまたものです。

『Q1』の内容を分かりやすくまとめると、次のようになります。

敵を愛せ。
愛してくれる人を愛したとしてそれが何だ。
家族を憎まない者は私の弟子にはなれない。
持っているものは蓄えず、見返りを期待せずに与えよ。
蓄えを知らない動物でも、神はちゃんと養ってくれるのだから、心配はいらない。
そのように生きる者の心は、豊な神の王国にある。

このように、「神の王国」は死後や未来の話ではなく、今、現実できるものです。


*復元された『Q』は、『失われた福音書』(バートン・L・マック)で読めます。


<キリスト教の神話>

ユダヤ-ローマ戦争(66-73年)を経て、イエス運動は大きく変化し、ガラリアから北パレスチナに移動していきました。
『Q2』では、洗礼者ヨハネが登場し、また、この時代への審判、最後の審判が語られるようになります。
そして、『Q3』では、人々との論争から身を引くことを語り、集団が孤立傾向が強めたことが分かります。

『Q』以外の集団でも、教師だったイエスは神話化され、非宗教的だったイエス運動は、宗教化されてキリスト教となっていきました。
イエスの奇跡物語は、戦争以前に北パレスチナで生まれました。
戦争後の80年代には、南シリアで『マルコ福音書』が作られ、イエスの生涯の物語が作られました。

正統派キリスト教の神話は、4つの福音書、『ヨハネ黙示録』、『パウロの手紙』などをもとに作られた、次のようなものです。

イエスは、「神の一人子」あるいは「言葉(ロゴス)」と呼ばれる神であり、聖霊と処女によって原罪を持たない存在として地上に受肉し、様々な「癒しの奇跡」などを行い、「預言者」として神による「審判の告知」を行い、迫害を受け、人々の原罪の「贖い」のために死に、「復活」して父なる神の元に「昇天」し、モーゼのもたらした律法に代わる新たな愛の契約をユダヤ人以外の人間にももたらした。

そして、イエスは、父なる神をして正しい人々に「救いの霊」、「真理の霊」である聖霊を送り、終末には白馬の乗った騎士の姿のメシアとして再来し、悪を一時、撃退して1000年間の神聖な統治(千年王国)を行い、その後、悪を最終的に撃退し、人々を裁き(最後の審判)、天から降りてくる「新しいエルサレム(神の国)」を統治する。

イエスをキリストとする神話には、ユダヤ教の様々な神話的人物像が合成されています。
旧約聖書の「列王記」の昇天した預言者エリア、「イザヤ書」のメシア、あがないのため苦難を受ける僕=小羊、癒しを行う者、神の審判を告知する預言者、「ヨナ書」のあがないのため3日間魚に飲まれて解放された者、「ダニエル書」の終末に神の国を受け継ぐ「人の子」などです。

また、ユダヤ教経由かもしれませんが、処女懐胎や、終末論には多くの点でゾロアスター教の神話の影響があります。

そして、「死して復活する救済の神」という部分は、ユダヤの伝統ではなく、オリエント・ギリシャの秘儀宗教の神話の影響でしょう。
ですが、キリスト教でのその「贖い」、「終末における復活の約束」という意味づけは異なります。

秘儀宗教は個人の霊魂の内部に神性を見出すことを求め、ゾロアスター教は信仰よりも善を行うことを求めるのに対して、キリスト教はイエス・キリストを信じて教会に加わることを求めます。